木は地下世界と現世を繋ぐ存在

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御柱は、この巨木自体が神様なのではなく、立てて初めて神様の依り代となるものです。曳航中に木の上に乗っかったりできるのも、まだ木が神になっていないからなんだと思います。

昔むかしは、落とし坂を落とすのは「御柱」だけで、その上に人間が乗ってすべり落ちるようなことはなかったそうです。でも、いつしか人間が乗るようになり、なんとなく勇壮さを競うようになったのは、神に対する傲慢かもしれませんが、でも、そのように競い合うことで祭そのものが活気づき今まで続いてきたのだから、良し悪しは決められないと思います。存続のためには、人間的な名誉心を満たすことは必要なんでしょう。そうでなければ、つまらないし。その時代時代で変化していっていいものだと思います。変化と退廃は違うと思うんですね。御柱に関わる人たちは命がけですから、命がかかっていることにおいて真剣であり、このお祭りは魂を失っていないと感じました。実際、斜面はほんとうに急で、崖のように見えました。特に雨が降った後だったので滑って怖かったです。私は早々にリタイアしてしまいました。

間近で見ていると、崖からぼーんと突き出した御柱は、やっぱり男根みたいに見えてしまいます。落とす前にいろいろ前戯のようなものがあり、男たちが揺らしたり、木遣り衆がないてみたりと、この間合いがけっこう長いのです。そしていよいよ、気分が高まってきたところに、ドーンと御柱が落とされる。柱の鼻先に乗っている人は「ハナ」と呼ばれ、下まで落ちずに乗り切れば、次の御柱までの6年間はヒーローです。落とされた御柱は、再び人々の手によって曳航され、また、里曳きといって村内を曳かれ、最終的に神社の社の四隅に立てられます。このとき木は「御柱」となって、神が降りてくる場を形成します。神を孕むようになるわけです。

そもそもお宮自体が子宮のようなものであり、そこは神が降りてくる場であったはずです。その四隅にさらに御柱を立てて、そこに特別な場を形成させるのだから、たぶん、木といものが神を引き寄せる聖なるものである、という古い信仰があったんでしょう。宿り木という言葉もありますが、木に魂や神が宿るという考え方は、能登半島や島根などに広くあり、私が取材した能登では「タブの木」に魂が宿るという言い伝えが残っています。

また、能登半島にある縄文真脇遺跡には、日本最大のウッドサークルの遺跡があり、10本の木の柱を立てた中央で、霊送りをした形跡があるのです。柱を立てて、魂を送る。その風習は遠くシベリア地方にもあり、木はアンテナ、神との交流の場として考えられていたんだと思います。最初はそれを、天に繋ぐものだろうと思っていました。でも、最近は考えが変わりました。木は天ではなく地と深く関わっている。つまり、霊界は天にあるのではなく地中にあり、木は地下と人間を繋ぐものだったのではないか……と。私たちは目に見える木の姿しか見ないけれど、木は実はものすごく深い根で自分を支えている。地下世界こそが生命がやってくる異界だったんだなあ……と、そう思うのです。そのことを縄文の人たちはきっと知っていたんだ……と。

そして、もしかしたら地上と天界、宇宙つまり抽象世界をつないでいるのは根をもたないかわりに、想像力という翼をもった人間なのかもしれないです。
by flammableskirt | 2010-04-14 17:48

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