わたしは見失っている、なにかを。
2010年 04月 09日
パリで開催される「アール・ブリュット ジャポン展」のオープニングレセプションに出席するため、パリに行ってきた。
http://www.art-brut.jp/
出品された作品の作家さんや、そのご家族といっしょにイベントやパリ観光ツアーにも参加してきた。
開催初日の美術館はすごい熱気で、たくさんの外国人・日本人ジャーナリストや美術関係者であふれ返り、私ですら頭がくらくらするほどだったけれど、自閉症、ダウン症、統合失調症などの作家さんたちは、マイペースであった。長い空の旅で具合が悪くなったのは健常者のほうであり、彼らはじっと環境の変化に耐え、落ち着いて、思慮深く、時には無邪気で、時には頑固で、とにかくマイペースで、慌てず騒がず、なんだか生きることを遊んでいるように見えた。
正直なところ、きっと具合が悪くなって病院のお世話になる人とか、部屋に引きこもる人とか出てくるに違いないと勝手に思い込んでいたのだけれど、そんなことはなかった。彼らの親ごさんたちは、それぞれの限界点を実によく心得ており「これ以上は無理」というところで、そっと人混みから抜けていく。雑踏が苦手な人が多いゆえ、オープニングの喧騒には一時間が限度らしく、ふと見ると多くの作家さんたちが、自分たちのバスへと向かって並んで歩いていた。モンマルトルの人通りの多い夕暮れを、並んで、連れ立って歩いていく障害者の集団は、なぜか風景に美しく溶け込んでいて、なんの違和感もなかった。懐かしい映画のワンシーンを見るような気持ちで、私はその風景を遠巻きに眺めていたのだった。
日本に帰って来て、知人からパリに行っていた理由を聞かれ、それに答えるのだけれど、その時にいつも私のなかにもやっとした思いが残る。アウトサイダーアート、について説明するときに、どうしても障害者という言葉を使わねばならず、障害をもった人が創作した芸術という言い方をしなければならず、そう言葉にしたとたんに、空気伝染するように相手の反応が伝わってくるのだ。
そこにはどうしても、憐憫が混じる。
もしかしたら私も最初はそうだったかもしれない。そうだったと思う。いやきっとそうだったのだ。何度も作品に接し、実際に作家の方やご家族に会ううちに「障害」という言葉のもつ意味が私のなかで変容していっただけなのだ。
当事者に会うと、いかに自分が勝手なイメージで相手を決めつけているかがわかる。そしてショックを受ける。なんというステレオタイプな発想しかできないのだ、と自分に唖然とする。
大使館のパーティで、タキシードを来て堂々と足を組んで椅子に座っていたダウン症の青年の所作は優雅で、フランス貴族のようだった。これは誇張ではない。最初に彼に会った時から、それを感じた。指先の動き、他人にゆっくりと目を向ける時に視線、人前を歩いていくときの手振り、運動が苦手と言われるダウン症だが、彼がその身体的障害のなかから作りあげた独自の所作は、一般人にはありえない優雅な気品を放っていつも私を魅了する。もちろん、それを彼は全く意図していないけれど、だからこそ美しい。その彼が描く絵画は大胆なデフォルメと力強い線、色使いでヨーロッパ人の絶賛を浴びていた。
私は彼の一日をつぶさにビデオに撮ってみたいと思った。あの動作を記録してみたいと。絵も凄いが、彼の存在、その動きが素晴らしいと感じたからだ。時々、光を見ている。彼は光と影が好きなのだ。太陽の光がテーブルに差し込み、グラスの水を真っ白なテーブルクロスに映し出す。水はきらきらと彩を描いて揺れる。その様をじっと視ている。たぶん、それを絵に描くのだ。あの光によってテーブルにできた影のフォルム、歪んで長っぽそくなった妙な形……。
相手に対して、好意、尊敬、という気持ちをもつところから人間関係は始まるのかもしれない。凄い!と思ってしまった相手の「障害」は、もう「障害」ではなく、なんだかそんなこと、ほんとうにどうでもいいもの、そう、それに対して興味も関心もなくなってしまうのだった。彼が絵を描くための手助けをすることが喜びになってしまう。してあげる、ではなく「なにかしらお手伝いさせてもらう」ことが、私にとって尊いことになってしまうのだ。
アール・ブリュットジャポン展は、理事の北岡賢剛さんをはじめ、スタッフの全員が「してあげる」という気持ちをもっていない。それがわかる。作家たちに敬意をもっているのだ。その敬意に動かされて働いている。でも、海外でのあの毅然とした、そして自然な立ち居振る舞いを見ていたら、きっと誰だって彼らにインスパイアされるだろう。
彼らのなかに混じって、一番挙動不審なのは、自分だと思った。笑い、しゃべり、あたりに気を使い、なにに焦り、なにに見栄を張り、なにに脅え、なにをしたいのか、一番わかっていないのが私だからだ。いまここにおらず、未来の心配をし、過去をひきずっている。
なんの事件も起きなかった。唯一、私が財布とパスポートをなくした以外には。
私は見失っている。なにかを。それを実感する旅だった。
http://www.art-brut.jp/
出品された作品の作家さんや、そのご家族といっしょにイベントやパリ観光ツアーにも参加してきた。
開催初日の美術館はすごい熱気で、たくさんの外国人・日本人ジャーナリストや美術関係者であふれ返り、私ですら頭がくらくらするほどだったけれど、自閉症、ダウン症、統合失調症などの作家さんたちは、マイペースであった。長い空の旅で具合が悪くなったのは健常者のほうであり、彼らはじっと環境の変化に耐え、落ち着いて、思慮深く、時には無邪気で、時には頑固で、とにかくマイペースで、慌てず騒がず、なんだか生きることを遊んでいるように見えた。
正直なところ、きっと具合が悪くなって病院のお世話になる人とか、部屋に引きこもる人とか出てくるに違いないと勝手に思い込んでいたのだけれど、そんなことはなかった。彼らの親ごさんたちは、それぞれの限界点を実によく心得ており「これ以上は無理」というところで、そっと人混みから抜けていく。雑踏が苦手な人が多いゆえ、オープニングの喧騒には一時間が限度らしく、ふと見ると多くの作家さんたちが、自分たちのバスへと向かって並んで歩いていた。モンマルトルの人通りの多い夕暮れを、並んで、連れ立って歩いていく障害者の集団は、なぜか風景に美しく溶け込んでいて、なんの違和感もなかった。懐かしい映画のワンシーンを見るような気持ちで、私はその風景を遠巻きに眺めていたのだった。
日本に帰って来て、知人からパリに行っていた理由を聞かれ、それに答えるのだけれど、その時にいつも私のなかにもやっとした思いが残る。アウトサイダーアート、について説明するときに、どうしても障害者という言葉を使わねばならず、障害をもった人が創作した芸術という言い方をしなければならず、そう言葉にしたとたんに、空気伝染するように相手の反応が伝わってくるのだ。
そこにはどうしても、憐憫が混じる。
もしかしたら私も最初はそうだったかもしれない。そうだったと思う。いやきっとそうだったのだ。何度も作品に接し、実際に作家の方やご家族に会ううちに「障害」という言葉のもつ意味が私のなかで変容していっただけなのだ。
当事者に会うと、いかに自分が勝手なイメージで相手を決めつけているかがわかる。そしてショックを受ける。なんというステレオタイプな発想しかできないのだ、と自分に唖然とする。
大使館のパーティで、タキシードを来て堂々と足を組んで椅子に座っていたダウン症の青年の所作は優雅で、フランス貴族のようだった。これは誇張ではない。最初に彼に会った時から、それを感じた。指先の動き、他人にゆっくりと目を向ける時に視線、人前を歩いていくときの手振り、運動が苦手と言われるダウン症だが、彼がその身体的障害のなかから作りあげた独自の所作は、一般人にはありえない優雅な気品を放っていつも私を魅了する。もちろん、それを彼は全く意図していないけれど、だからこそ美しい。その彼が描く絵画は大胆なデフォルメと力強い線、色使いでヨーロッパ人の絶賛を浴びていた。
私は彼の一日をつぶさにビデオに撮ってみたいと思った。あの動作を記録してみたいと。絵も凄いが、彼の存在、その動きが素晴らしいと感じたからだ。時々、光を見ている。彼は光と影が好きなのだ。太陽の光がテーブルに差し込み、グラスの水を真っ白なテーブルクロスに映し出す。水はきらきらと彩を描いて揺れる。その様をじっと視ている。たぶん、それを絵に描くのだ。あの光によってテーブルにできた影のフォルム、歪んで長っぽそくなった妙な形……。
相手に対して、好意、尊敬、という気持ちをもつところから人間関係は始まるのかもしれない。凄い!と思ってしまった相手の「障害」は、もう「障害」ではなく、なんだかそんなこと、ほんとうにどうでもいいもの、そう、それに対して興味も関心もなくなってしまうのだった。彼が絵を描くための手助けをすることが喜びになってしまう。してあげる、ではなく「なにかしらお手伝いさせてもらう」ことが、私にとって尊いことになってしまうのだ。
アール・ブリュットジャポン展は、理事の北岡賢剛さんをはじめ、スタッフの全員が「してあげる」という気持ちをもっていない。それがわかる。作家たちに敬意をもっているのだ。その敬意に動かされて働いている。でも、海外でのあの毅然とした、そして自然な立ち居振る舞いを見ていたら、きっと誰だって彼らにインスパイアされるだろう。
彼らのなかに混じって、一番挙動不審なのは、自分だと思った。笑い、しゃべり、あたりに気を使い、なにに焦り、なにに見栄を張り、なにに脅え、なにをしたいのか、一番わかっていないのが私だからだ。いまここにおらず、未来の心配をし、過去をひきずっている。
なんの事件も起きなかった。唯一、私が財布とパスポートをなくした以外には。
私は見失っている。なにかを。それを実感する旅だった。
by flammableskirt
| 2010-04-09 14:46

