もやっと君
2010年 04月 08日
ほんとうに辛いのです。くるくると上下する気温差が。身体にぐっとこたえる。最低気温は去年とそう変わらないと思うのだけれど、上下の落差があるのですごく寒く感じる。私の部屋の冬の気温は13度前後でわりと安定しているほうなのだが、それでもこたえる。
こたえる……というのは具合が悪くなるということではない。なんだか身体に負荷がかかる感じだ。疲れるというか……。なんとなく消耗していて、しゃきっとしないというか、そういう感じ。ふつうに朝も起きられるし、ふつうに動けるのだが、身体のなかにもやっとした疲労がある。活動し始めてしまえば気にならない程度の、もやっなのだが。この「もやっ」は意識していないと、あんがいと精神状態もいっしょに「もやっ」とさせてしまう。
ところで「もやっ」とした若い人が増えたなあと思う。私はひそかに「もやっと君」と呼んでいる。
なんだか「もやっ」としているのだ。「ぼやっと」ではない。「ぼやっと君」は昔からいる。珍しくない。
「もやっと君」はもやっとしている。なにかが表現されないまま、もやっとしたガスの塊みたいになって、それが胸のあたりにあるのが見える。
「ぼやっと君」はぼやっとしているだけだ。しゃきっとすれば、しゃきっと君になる。
「もやっと君」はぼやっとはしていない。一生懸命である。だが、何を言われても「もやっと」している。
あのガスの塊がなんなのか、本人にもわからないみたいだ。
「もやっと」わからなさを抱えつつ、わからないまま動いている。
「ぼやっと君」には「ぼやぼやするな!」とカツを入れることができるのだが、「もやっと君」の扱いは難しい。
「もやもやするな」と言っても無駄だろう。こちらもどうしていいのかわからない。
「ねえねえ、もやっと君、そのもやっとはなんなの?」と聞いても、
「はあ????」
と本人も首をかしげてしまうのが「もやっと君」である。
「いま、なんかもやっとしてない?」
「はあ、そう言われてみると、もやっとしてるかもしれません」
「なんで自分がここにいいて、これをやってるかわかってる?」
「はあ、そう言われてもると、わかってないかもしれません」
「わからないことは、わからないって言ったほうがいいよ」
「そうですね、でもなにがわからないのかよくわかりません」
「不安だなあ」
「不安ですねえ」
みたいな感じの、もやっと君が、きっと新入社員になって、今年ももやもやしているんだろうなあ。
春だなあ。