色、質感について。

雪になると聞いていたけれど、まだ雨のままだ。
このあたりは黒潮のおかげで気温が高い。雪はめったに降らないので雪を待ちわびてしまう。
私が育ったのは関東平野で、よくみぞれが降った。冬には霜柱をさくさく踏んで登校した。
あの霜柱を踏んだ時の感触がとてもなつかしい。
ものすごく寒かったことを記憶している。雪のなか、当直としてダルマストーブの石炭をもらいに行ったことを思い出す。真っ白な雪と真っ黒な石炭の山が美しかった。子供の頃の色の思いでは美化されているからだろうか、ほんとうに強烈に目に焼きついている。どこまでもどこまでも続くピンク色のれんげ畑。世界を埋め尽くすピンク色。黄色いタンポポとレンゲ畑のコントラストも美しかった。闇はどこまでも濃くねっとりとまとわりつくようだったし、空はせつないほど青く、キーンと耳鳴りがするほど青かった。

一日の大半をパソコン画面を見つめている私は、このパソコンの画面の色が世界の色の大半を閉めるようになっている。そして、色に飽きていることに気がつく。うまくいえないが、色というものが私にとってなんだったのか、このごろ考える。色を感じるというのはどういうことだったのか。
ネットのなかにはたくさんの写真、動画があり、色も無数にあり、それを座ったまま見ることができるが、それらすべてにときどき飽きる。

家の床に毛糸が落ちていた。始末したときにハサミで切った毛糸くずだ。その毛糸の赤、糸のまわりの細かなけばだちが、うっすらと光を反射してなんとも優しい陰影をもっていることにはっとして、それをじっと見てしまった。ああ、なんてきれいなんだろうって思った。しばらく見とれてしまった。毛糸なんて人生で何千何万回も見てきたはずなのに、そのときはじめてしみじみと毛糸をみて、毛糸ってきれいだなあと思ったのだ。

でも、そんなことを思ったのは、あまりにパソコン画面ばかりで色を見ていて、物が光を反射するのを久しぶりに見たかもしれない。それを茂木さんならクオリアと呼ぶのだろうか。逆にパソコンに向いすぎているゆえに、このごろ、物の輪郭や色がうつくしくはっとする。 
by flammableskirt | 2010-02-01 17:23

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