Happy new year.
2010年 01月 04日
三が日も終わって、子供の部活が始まった。
通常運転の日々、お弁当を作って、塾の冬季講習の送り迎えも。
年末年始の食べ過ぎで崩した体調もなんとか戻ってきて、身体のなかもすっきりしている。
けっきょく年末年始はなにもせずに、ひたすら編み物にはまった。
わからないが、とにかく今年の後半、ものすごく消耗したのだ。精神的に。
悪い消耗ではないが「気」を使った。まさしく「気」を消費したみたいだ。
その「気」の充電にとても時間がかかった。花を眺めたり、料理をしたり、海を歩いたり、そういうぼんやりした
時間、日常の手仕事、子供との触れ合い、そういうものでしか回復できないなにかがある。
正直、自分がこんなに安らぎを必要としているなんて、自分でも驚いた。
若い頃から私は「オヤジギャル」で、趣味もオヤジで、性格もオヤジで、非常に男っぽかったのに、年をとればとるほど、オバサン化してきた。花とか、手芸とか、料理とか、自分が徹底的にやらずに来たものにどんどん魅かれる。なんでこの年になって手編みのマフラーなんか編まなくちゃなんないのよ!自分でも訳がわからない。
もしかしたら、いま、こういう「女趣味」の精霊か守護霊が私に憑依しているのかもしれない。
変だなあ、とは思うがそれをやりたくてたまらないのだからどうしようもない。そしてまた、それをやることにものすごく安らぐのだからしょうがない。
人間っていうのは変なものだなあ、どうしてこうも趣味が変わるのか。
これは私だけなのだろうか?
とにかく、私はここ数年、植物づいている。植物を育てることにも飾ることにも意欲的だ。その意味がわからない。もちろん意味なんかないのだろうが、なぜ急に?_
そもそも私は、エアプランツやサボテンだって、まともに育てることができなかった女だ。花なんか飾るのにまったく興味も関心もなく、自分で作るなら買ったほうがよほどお得、と思っていた女だ。それなのに、近年どんどん趣味思考が変化してしまい、このごろなんだって育ててしまうし、なんだって作ろうとしてしまう。効率悪くてしょうがない。生活に時間をかけすぎるあまり仕事時間が減っている。それでも、そうしないと自分の具合が悪くなるのでしょうがない。人間はこうして隠居していくのだろうか。
丸山健二さんみたいに庭作りに凝ったりしていくのか。確かに、人は壮年期から老年期にかけて、それまでの人生で全くやらなかったことをやりだす。不思議だ……。それはたましいの問題となにか関係があるのだろうか。
きっとあるんだろうなあ。とりわけ、白い花に魅かれる。だから、まさしく丸山健二さんが「白い庭」にこだわった気持ちが理解できる。私の仕事場も白い花ばかりになった。しかし、それはなぜなのか?どういう理由なのか。それがよくわからない。私のたましいのどういう自己表現として、この私の趣味の変化があるのか?
そして、それは作品に反映されるのか。それとも、もしかして小説を書くということ自体に興味を失いつつあるのか。だったらそれはそれでぜんぜんいいのだが、別の食べる道を探さなければなるまい。
やはり小料理屋のママだろうか?
正直なところ私は自分の変化にとてもとまどっている。
自分がなにをしたいのか、どうしたいのか、よくわからない。かつての自分と望むことが違うからだ。
自分の変化について、しばらくは傍観していたほうがいいのだろうか。いったい、私は五十歳からどういう人生を選択するのだろうか、自分のことなのに皆目見当がつかないのである。
曇りない目であるがままの自分を見て、自分の好きにさせるということを、私はできるのか?
まったく予測不可能な2010年はもうすでに始まっている。
どうなっちゃうんだろうなあ、わたし。