今日から、ひきこもり。
2009年 12月 22日
結局、用意していった資料の半分しか使えず、つまり話したかったことの半分しか話せなかった。HIVのことも、食品汚染のことにも言及できなかった。あと30分時間が欲しい。講義の場合は90分あるといいのにな、といつも思う。高知に住む早川ゆみさんが来てくれて、本と娘へのおみやげを貰う。
いろんな人が来てくれたが、イベントの時間が押せ押せだったために、ちゃんと挨拶も会話もできなかった。ごめんなさい。不義理な人間になっていく。自分ができるつきあいの限界にいつも突き当たっている。手紙の返事もたまっている。年賀状は書かなくなって何年だ? それを心のどこかで申し訳なく思っているのならやるべきだし、そうでないなら諦めるべきだ。くよくよしているのが一番、中途半端。わかっちゃいるがくよくよを止められない。
青森の舞踏家、雪雄子さんが持ってきてくれた手づくりドクダミ茶にアマチャズルを混ぜて煮出して飲んでいる。アマチャズルは石川県の羽咋に行った時に地元の市場で買ったものだ。甘い。これで少し毒出しができるかな。
年末、ほんとうによく動いたし、語った。ちょっと魂が抜けてしまった気がする。人にも会いすぎた。しばらくは引きこもりたい。執筆を再会し小説に集中しようと思う。
とはいえ、明日は湯河原町のコーラスグループ「カノン」の発表会がある。先週、練習を休んでいるのでちゃんと自分のパートを覚えなくては……。
昨日のプレスタディーのあと、学生や若い人たちと飲みに行った。いまの男の子たちは優しくなったなあ……と、しみじみ思う。いや、私が若い時も男の子は優しかったかもしれない。そうだな、優しかった。彼らはおじさんになってもずっと優しいままでいてくれるのかな。それとも年とともに変わるのかな。
いろんなレベルで、がんばってる人はがんばっていればこそ「ほんとうにこれでいいのか?」「こんなことに意味があるのか?」「徒労なんじゃないか」という思いをかかえている。きっと、一国の首脳からコンビニのアルバイトに至るまで、その思いが胸に去来しないということはないに違いない。もちろん、私もそうである。小説なんか書く意味なんかあるのか?と思う。ものすごく思う。だが、意味があるからやってるわけじゃないんだ。意味のためになにかをするわけじゃないんだ。それはわかっているはずなのに、すぐひっくり返ってしまうのはどうしてだろうか……。意味があると意味がないは表裏一体なんだ。それはコインの表と裏。そこにこだわる限り、くるくると回り続けてしまう。そこから抜けるために、ずいぶんといろいろな努力をしたが、結局抜けられない。抜けられないということを、認めてしまうしかない。認めてしまえば、対象化できる。それが、裏表のあるコインであることが認識できる。