うつの人と何を話すか?
2009年 12月 20日
ということを質問された。
「ふつうに話せばいいんじゃないの?」
「そうですか? でも、ふつうと言っても……。その人はいま仕事もしていないし、口を開いてももうどうしようもないよ、とか、否定的なことが多くて、それに対して『がんばれ』と言うのはダメだと聞いていたし、では、励ませないとなると、なにをしゃべっていいのかわからないんですよね」
「特になにを言う必要ないんじゃないですか? そもそもうつ病の人はあなたにアドバイスしてもらおうなんて思っていないと思うし、黙って聞いていればいいんじゃないですかね」
「その、黙ってっていうのが……だって間がもたないんですよ」
「じゃあ、あいうえお、とか、はひふへほを繰り返していたらいいんじゃないですかね? 以前にある精神科医の方が書いていたんですが、精神科医は、この感嘆符が得意であるとよいそうなんですよ。話しを聞いていて、へー!、とか、ふーんとか、ほーとか、それだけの相づちでも相手はほっとするんだそうです。かえってなにか言ってもらわなくてもよいし、あんまり真剣に聞かれても、なんだかな〜って感じなんですよ」
「そんないい加減でいいんでしょうか?」
「つーか、いい加減のほうがいいんじゃないかなあ。しょせん他人事だし……相手の辛さなんてわかんないわけだから、真剣になられても向こうも負担じゃないですかね。それから、私は『がんばれ』って言葉を言わない方がいいのは、それはつまり『元の自分に戻れるようになりなさい』という励ましだからダメなんだと思うんですよ。頑張りすぎて鬱になった人に、元に戻れってことは、さらに鬱になって死ねって言ってるのと同じなんだよね。鬱になったってことは、新しい自分に変わろうとして必死で元の自分を壊しているわけだから、今のありのままの自分で生きれるように応援してるよ、って言われるのは、たぶん相手にとって負担にはならないと思うんですよ。どういう生き方をしようとあなたはあなただよ、友達として応援してるよって言われたらうれしいと思うんですよ。でも、今現在の自分を否定されて、頑張っていたあの頃のあなたに戻れよ!って応援するのは、酷すぎるって事なんだよね」
「元には戻れないってことですか? 」
「そりゃそうですよ。戻れば死にますから。だから、生きるために病気になったんです。生きてて良かった、生きてられる今のほうがずっと良かったってって、周りが思えば、本人も楽になると思います。鬱の人はね、なんとかかつてのバリバリなんでもできる自分に戻ろうって必死なんです。だけど、心のどこかでそれができないこともわかってるんです。ただ、諦め切れない。周りの人間は、優秀だからあなたが好きだったんじゃないよ、ちょっとへたれてくらいでいいじゃん! 程度に思っていればいいんじゃないかなと思いますよ。口に出さなくても思いって態度に出るしね。そういう気持ちで、適当に相づち打っていればいいんじゃないかな。ああだこうだと、よけいなお世話を言っても、しょせん他人は聞かないし、人のアドバイスを聞いて生き方変えるくらいなら、そもそも鬱になんかなってませんからね」
というようなお話をした。実際、どう会話したらいいかわからないのは、当事者の方だと思う。
私自身も何事も過剰にやりすぎてしまう方で、けっこう完璧主義者なのでうつ病も明日は我が身だと思うことがある。手を抜くとか気を抜くとか、ダメな自分をよしとするとか、ほんとうに自分に言い聞かせて生きているような状況だ。人は人、自分は自分とか、腹八分目とか、明日のことは明日するとか、なるようになるなど、座右の銘にしないと、とことん突っ走ってくたくたになってしまうタイプだ。最近はやろうと思っても身体が動かないので諦めることが多いが、それでも諦め切れない真面目な人は、うつ病になって休むしかないんだろうなあと思う。
私の場合、身体障害をもつ人たちと出逢ったことで、自分の完璧主義とか人に頼れない性格というのがよくわかった。テンションが高くて過剰にやりすぎてどっと落ち込むのがアル中の父親譲りということも、父とじっくりつきあってよくわかった。そもそも、ひきこもりで死んだ兄と、依存症の父親がいる家系であるから、こだわりが強く、融通がきかなくて、過剰なのである。親兄弟を見て学んだことも多い。それでも、自分のバイオリズムとうまくバランスを取りあうのはいまだに難しいのである。