子供手当て
2009年 12月 04日
昨日、東京で新聞記者の人たちや、福祉関係、テレビ報道関係の方たちと飲む機会があり、「子供手当ては必要か?」という問題提起を、記者の一人がした。「自分は不要だと思う、子供の教育に使わずに親が使う場合のほうが多いに違いない」というのが、彼女の意見だった。
私は、子供手当ては、良いと思っている。
というのは、この政策は、とても有効に「少子化」に歯止めをかけるような気がしているからだ。決定的な解決策が見いだせない「少子化」に対して、現金をバラまくというのはあまりにわかりやすいが有効だろうと思っているからだ。
「人口なんて少ない方がいいじゃない」という人が多い。その方がゴミも出ないし、エコだろうと言う人もいる。そうかもしれないが、統計的に見れば弱体化し、衰退する国は必ず出生率が下って行く。子供が生まれない国に未来はない。なぜかと言えば、未来とは人間こそが必要としているものであり、必要とする人間がいない場所には未来という概念は薄れていくのだ。そもそも未来なんて、ここには存在しないとてつもなく抽象的な概念である。未来とは「現在ではない」ということに他ならない。そんなものを必要とするのは、言語をもつ人間だけであり、人間だけが未来を必要とする。種が存続する限りにおいて未来があり、未来がないということはつまり種が絶えるということだ。
国を維持するために、あらゆる意味において、子供を作らなければならない。それはかなり切実な問題であり、切実すぎて公に口にできない。子供を生むのは個人の自由であり、それも女性の判断にまかされており、この国では女性が「生みたくない」と思えば人工中絶もわりと簡単に可能である。かつて、女性を「生む機械」と言って顰蹙を買った大臣もいたけれども、国力を維持しようという視点に立って日本を見ている人ならば、そうい言いたくもなるのだろう。「おまえら、とっとと産まないとほんとに滅びるぞ」と。
しかし、戦中戦後とは違い、産めよ増やせよの国の掛け声で女がはいそうですかと子供を産む時代ではない。ちょっとリベラルな若い女性は「こんな国で子供が産めるか」くらいに思っているだろうし、べつにリベラルでなくても「産んでも生活が大変だから、せめて一人か二人で」と考えがちだろう。かつて、子供もまた家族の仕事の担い手であり、労働力だった。子供も家事を手伝い、畑仕事をこなしたのだけれど、いまや、子供は家族の中では王様で、仕事などしなくていいから勉強しろと言われる。働かない子供が三人もいたら、家計が苦しくなるのは目に見えており、しかも教育費は年々高くなる。公立学校の人気が落ちて、親が私立に行かせたがる昨今、子供はそうたくさんは産めない。
少子化が進めば、国力は衰退する。統計学的にそうである。エビデンスがある。ほぼ間違いない。だからどの国も少子化対策に必死である。ましてや、中年以降の世代はだんだん短命になってきている。我々の世代はかなり化学物質に汚染された食品を摂取しているから、たぶん、皆、ガンとか免疫力の低下による肺炎とかで早く死ぬ人が多いだろう。寿命も短くなるのである。若い子たちに白血病が増えているのも、化学物質の影響だと私は思う。
自分たちの口に入るものを自分たちで安全に作り、子供を安全な環境で健やかに育てていかなければ、国は衰退するのである。あたりまえのことだ。それをすみやかに成し遂げた国はもうちょっと持続して人々が種をつなぎ、それを間違った国は、経済的に破綻して崩壊する。子供がいなければ誰が将来税金を納めるのか。ましてや、子供が成長して働かなければ、誰が将来税金を納めるのか。市民としての自覚や労働意欲や政治への参加意識をもった国民がいなくなれば、国家なんて、ただの共同幻想みたいなものだ。機能しなくなる。