山に行く

イタリアから戻って、すぐに岩手……と旅が続いた。
出張していると雑務がたまり、家にいる間はなにかを決めたり、変えたり、調整したり……ということばかりが続く。それをこなしているうちにだんだん自分の頭のなかに見えない塵がたまっていき、常に常に常になにかを考えていないといけないような、ひどくせわしない、あぷあぷした状態になる。

呼吸やや早く浅く、ぜいぜいしている感じ。気持ちはせわせわしており、頭はくるくるしている。こんな状態はしょっちゅうである。とても気持ち悪い。以前はこの状態に自分がいることすら気がつかなかったが、最近は認識できる。ああ、なにか気ぜわしい。イライラの一歩手前である。ここにさらに用事が重なると次第にイライラになる。

こんな糞忙しいのに、あえて、新花巻から早池峰神社に周り、一泊してきた。盛岡で神楽公演を行なっていた早池峰神楽保存会の小国さんと合流し、公演の後の神楽衆の車に載せてもらい早池峰の大和坊まで。民宿にお客さんは私一人しかいなかった。ここは携帯電話が通じない。静かだった。ほんとうに静かで、なんの雑音もなく人の気配すらなく、雨のなかを神社の境内まで散歩して、山の方へ少しだけ歩き、霧にけぶる早池峰山を眺め、バスに乗り継いで新花巻まで戻って来た。
たった一晩、早池峰に泊まっただけなのに、神様がいるあの場所はほんとうに静かで清らかで、なにか気持ちがすうっとした。戻って来れば相変わらず、雑務ばかりに一日だったけれど、気持ちが静まり、今日は昼間に気功をして、それから出かけていたために弱っていた植物の手入れもした。

人間の心はとても弱くて、すぐに慌ただしさや忙しさに巻き込まれてしまう。人間の思念は強く、いろんな人が「さあたいへん、さあたいへん」と言うから、自分も「さあ、たいへん」のような気持ちになって、わあわあと大騒ぎに渦のなかに飲み込まれてしまう。でも、やはりほんの少し、山に登れば、そこにはただ自然がゆったりと悠久のなかで息づいている世界があり、その懐に抱かれるようにして私たちは生きているのだ。
山はとても優しかった。
こんなダメダメな私な私に、早池峰はいつも優しい。屋久島もそうだし、白神も、訪ねていけばそこにある山も川も森も、そして人も、なんとあたたかく優しいことか。

いま、この部屋の外の道路では、大きな音をたてて改造バイクの一群が走り去って行った。社会という皿の上で私も、そして人も自分が何者かを確かめようとして、声を上げたり音を出したり、つるんだり、さげすんだり、横目で見たりと気ぜわしい。何者かになるために、声を上げていなければ消えてしまいそうな人の群のなかで、なんとか立ち後れないように、埋もれないように、損しないように、抜け目なく必死である。みんなそういうことに少しずつ疲れているけれど、だあれも「お疲れさま」とは言ってくれないし、ねばならないことをいつしか目的も見失ってやらねばならない。

街の外側には山があり、山の上はしんと静かで、その上の空は無限の宇宙に続いているけれど、山すら目に入らない。

死にそうに忙しい時こそ、一日を自分のために使おうよ。
それで死ぬってことはまずない。
by flammableskirt | 2009-11-10 21:13

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