内省的でない内省

若い頃、と言っても20代から30代にかけて。
自分は内省的な人間だと確信していた。心理学など聞きかじっていたし、自己啓発セミナーのようなものにも参加していた。自分の内面と向き合うことにかけては人よりも自発的にやっていると思っていた。
しかし、今になって振り返ると、ぜんぜん内省的でない内省をやっていたと思う。
確かに自分の内面に関心は向いていたが、その関心には方向性があった。
「自分探し」とよく呼ばれていた、あの方向性である。本当の自分というものを内面に向かって探求していた。
しかし、内省とは自分探しをやめることであり、自分を探す内省などありえないのである。

このことは、今になれば「あ、そうか」と納得できるが、若い頃はさっぱりわからなかった。
というのは、若い頃というのは「ありのままの自分」というのがそもそも受け入れがたいのである。
ありのままを見るのが嫌だ、というのが、若いということであり、まあ、それはそれでいいのだ。
いまでもありのままを見ているかどうかは、主観でしか過ぎないので、八〇歳になったときに
「あの頃は若かった……」と思うかもしれないが、とにかく、今現在では昔より「ありのまま」に見ることができているように感じる。
この「ありのまま」というのも、若い頃は「あるがまま」と混同していた。
「ありのまま」と「あるがまま」は違うのである。ありのまま、というのはなんかこう、諦めちゃったというか、他人事というか、どういうのかなあ、どっか覚めた感じである。しょせん自分はこんなものだからいたしかたないや……というような境地に近い。五〇年も自分とつきあってくると「相変わらずの自分」を「もう変わりようもないか……」と、どうにかしようとも思わなくなるのである。自分と闘わなくなると、それなりになんとか折り合いをつけていくものである。やだな、とか、めんどくさいな、とか、いろいろ思うが、それはそれとして「相変わらず」であり、「こんな自分」であり、「しょうがない」のである。そして、人生は「やるべきことはやらなければならない」し、「ほっておけばいつかは自分で尻拭い」であるのもわかっており、だから「しかたなくやる」のである。
その「しかたなくやる」という、あまりポジティブでない感じを、ネガティブだと思わなくなった。人間、しかたなくやっているくらいがちょうどいい。あまり熱心なのもはた迷惑であったりするものだ。
「あるがまま」の人は、まあ、それはそれでいいのだが、それを強調され過ぎると「わがまま」に感じる。「わがまま」も、それはそれでいいのだが、度が過ぎる場合は敬遠する。
嫌なものは遠ざけるし、好きなものには寄って行く。しょせん、無理をしてもいつしかそうなる。
あまり内省的でない内省を、長いこと続けてきた。
あまり内省的でない内省をしている人は、実によく他人のためにがんばる。
内省すればするほど人はよけいなことをしなくなるので、あまり内省的な人が増えると資本主義も破綻してしまうだろうから、こんなもんでいいのかもしれない。
by flammableskirt | 2009-11-05 06:11

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