対立ではなく対話を
2009年 10月 21日
対話を推進するコーディネーターはいったい誰になるのだろうか。議連レベルで国に陳情している時間があるなら、立場の違う人たちが一つのテーブルについて話し合う場を設けてほしい。国民の代表として選ばれた県議の方々に「対立から対話を」を促したい。頭数を揃えて国に陳情するという昔ながらの方法から、地元のことは地元で合意を……という対話を機軸にした地方づくりへと方向転換する時期ではないか。
まず、地元の人たちが中心になって、反対派と賛成派という枠を超えてこれからのために話し合い、その結果、これからどんな支援や救済措置が必要であるかについてお互いの利害を超えて話し合い、統一見解として国に要望を出したほうがよいと思うのだ。そのための手助けをするのが議員さんたちなのではないだろうか?
いつまでも、違う立場の相手を敬遠して、距離をもったまま自己主張するのでは、地元活性化も進まないだろう。長い年月共に暮していかなければならない地元の人たちの対立を少しでも軽減し、ストレスを軽減し、協力して町造り、村づくりに挑めるような、そのような環境創造のために対立を超えた対話は不可欠のはず。
テレビに登場するリベラルな知識人の方たちも「ダム反対」を唱えるばかりでなく、反対派と賛成派の人たちが自分の地域の問題を自分たちで解決できるように対話の場を創造する手助けをしてほしい。とかく環境や平和を唱える人たちは、地域において対話よりも対立を扇動する傾向もなきにしもあらず。当事者でない人たちができるのは、当事者が解決するためのおぜん立てであろう。それ以上の介入はおせっかいというものではないか。平和や環境を唱えて声を張り上げるのが、そもそも平和でないと私は常々思っている。
沖縄の基地の問題にしても、地元に行けば賛成派と反対派は半々ずつ存在するから選挙の争点になり、反対派が負けることもある。それくらい地元が割れているのであり、地元に合意がない以上、国がどんな政策を打ち出しても、そこには反対が出てくるのは必至。沖縄の問題は根深いが、沖縄が沖縄でひとつの合意をつくらなければいけない。沖縄は沖縄でまとまるために、沖縄で反対派と賛成派は同じテーブルについて意見を戦わせなければならないだろう。歴史的な問題には個人の怨念、その他、感情的なものがからむのは仕方のないことであるが、それも含めて、対話をすすめるという時代にいよいよ入ったのであり、対話の先にしか合意という解決はありえない。それをおぜん立てし、中立的にすすめる人は双方の立場から「こうもり」と呼ばれて嫌われるかもしれないが、あえて対話のために苦しい立場に立つ人がいなければ、これまでの歴史の流れを変えていくことは難しいだろう。対立ではなく、対話を。それは二一世紀の課題であり、まさに、いま私たちの日々の生活の課題であると思う。