天才バカボンの境地

人間とは不思議なもので、昔は「田口ランディって……どうよ」みたいな書き込み、ブログ、その他なんでもネット上における自分に対する批評、批判、感想、賞賛、すべてにおいて「なにか違う……」と思い悩んでいた。なにか書かれるたびに「私ってそうじゃない」という反発の心が生まれていた。

もちろん、最近もそうである。前にも書いたように人間は変わらない。他人から好き勝手なことを言われておれば「私は違うのよ」と言いたいのは当たり前である。が、最近は正直に「こいつはアホだ」と思うようになったのである。私もあなたを誤解するのである。あなたも私を誤解しているが、私だって私を誤解しているあなたを誤解するのである。私についてインチキを書いている奴はアホなのである。それでいいのである。お互い様である。私はいい人ぶるのをやめてしまった。しょせんアホはアホなのである。尊敬出来る人は尊敬できるのである。それすら私の幻想である。書き込みなんかで人はわからない。私が行き倒れて、どうか水をくださいと、手を差し伸べた時に、私に水をくれる人が私にとっていい人である。だが、水をくれるかどうかはその時になってみないとわからない。いまバーチャルにどんなことを言おうと、その人が水をくれるかどうか、その時になってみないとわからない。そしてまた、私は、誰かがのたれ死にそうな時に、その人が「水、水をください」と言ったら、汲んであげるだろうか。それもまたわからない。ものすごく機嫌が悪かったら、うるさい死ね、と思って立ち去るかもしれない。

人間と人間のつきあいというのは、そういうものだ。このバーチャルな空間に誰がなにをのたまおうが、私たちは触れ合うこともなく、ただムカつきあうのみで、それ以上でもそれ以下でもない。くだらん、実にくだらんが、ムかついてしまうのが人間だ。なぜなら、そういう脳の構造だからである。会ったこともない誰かと言葉を介してやりとりし、出会ってもいないのに相手の発言にムかつく。なんとも効率がいいのやら悪いのやらわからない妙な脳細胞を有しているのでこうなる。想像力という悪魔が私たちには住んでいる。そら恐ろしいことである。それゆえ、日々は穏やかであり、なおかつ、苦痛でもある。

大方の人間の悩みは、この想像力のなせる悩みである。ああでもない、こうでもないと苦しむのである。目の前にいない相手、目の前で起こっていないことについて……。それが人間なんだ〜それでいいのだ! という天才バカボンのパパの気持ちが最近になってよくわかるのである。さすが、赤塚不二夫先生はすごいのである。

私はこの年になって、ようやくアフリカに興味をもち、アフリカに行ってみようと思い準備をすすめ、アフリカって変なところだなあ……と勉強している。アフリカについて考えると、なにかもう、途方に暮れる。なんてことだと思う。アフリカについて考えると、我々、アホちゃう?と思う。なにがエコだ、なにが世界平和だ、なにがロハスだ、アフリカはそのような近代文明人を笑う笑う、これでどうだ、オマエらのやってきた資本主義が産んだこの悲惨を見てみろや! と云わんばかりに、とんでもなく大変な大陸である。ああ、こんな訳のわからないものすごい大陸について、私のごときバカが若いうちから考えられるわけがないな、と、アフリカを無視しつづけた理由も飲み込めた。関わったら自己矛盾に陥るのは必死である。でもまあ、死ぬ前にちょっとでもアフリカについて考えておこうと思い、アフリカというものと向き合うに至った。

するといきなり、バカボンのパパが降りて来るのである。これでいいのだ〜!という声が天啓のように響き渡る。
なんかすごい、と思う。人生というのは生きても生きても、どんどん皮が剥けてなにか新しいものが出てくる。生きていることそのものが表現なのであり、作品というのはその副産物のようなものだろうか。そうでありたいと思う。早くその境地に、生きている間に到達したいものだ。天才バカボンの境地。
by flammableskirt | 2009-09-22 15:35

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31