雑感 ソフトの力

鳩山内閣発足、昨日、深夜の会見放送を見ていて寝不足気味。
久しぶりに自分の言葉で上を向いてしゃべる政治家を見て気持ち良かった。そして、こんなことに感動している自分って……と、アホらしくもなった。自分の言葉でしゃべるなんてあたりまえのことが、あたりまえじゃなかった長い時代、それをよしとしてきた私たち、バカ国民。

そしてまた、新しい内閣が発足して、時代の変化を感じるとともに、妙な疎外感が心の中に吹きすぎる。民主党が政権を取ろうが、私には変わらない日常が続く。まだなんの実感もなくテレビ映画でも観ているような気分。女性議員が増えたといっても三分の一。組閣の顔ぶれにも男性の顔がずらりと並ぶ。どうして女性大臣は昔の赤坂にあった巨大遊戯場の女性給仕みたいな服を着るのかな。

民主党を応援していた私としては満足な結果になったはずだし、大臣たちのスピーチもやる気が感じられて良かったのに、なんで私はこんなにむなしいのだろうか……。むなしいと言えばむなしい。小渕優子さんが命をかけて造ると公約していた八ッ場ダムは建設中止にするという。それも賛成だったのだが、なぜかむなしい。漫画の殿堂も中止になるという。それも無駄使いだということだからそれはそれでいいと思うのだがなぜかむなしい。このむなしさの根拠はなんなのか。

国民の生活の安定、無駄使いをなくして、もっと住み安い安心して生きられる国にしましょう。そのように民主党が言い、そうしてほしいと心から願う反面、なにかむなしい。それは、民主党が言う「みんなが安心して住める国」というのが、どういう国なのか、その国の有り様がいまひとつイメージできないからだ。私のなかに、たとえば「風の谷のナウシカ」の住んでいる「風の谷」のイメージがある。牧歌的な暮しである。人々は高い科学水準をもっていながら、自給自足の生活を営んでいる。しかし、いつも不思議に思うのだが、あの風の谷には四十代、五十代のぎらぎらしたような働き盛りの男があまり見受けられない。ぎらぎらした熟女もいない。ぎらぎらした男女は敵国に象徴されている。

平和な安心できる、持続可能なエコな生活を目指そうとしたとき、ぎらぎらした脂ぎった男女はその邪悪さをどこで発散すればいいのだろうか。過剰なほどの性欲や食欲をもちあわせた我々はそんなおきれいな生活ができるのだろうか。高度成長期を経てオトナになった私には、あの70年代80年代の、なんだか能天気なほどアジア的な活力に満ちていた時代の記憶が身体に染みついていて、ロハスだのエコだのという時代の水がきれいすぎて住みにくい。

戦前戦後を生きた私の父母たちは、生まれついてのエコでロハスだった。ティッシュは使わないし、電気製品はコンセントを抜いていた。真冬でも真夏でも暖房冷房も使わなかった。彼らには貧しい記憶があったのだろうが、私にはない。私が身に付けているのはまさに大量生産大量消費の高度成長の習慣であり、その時代を生きてきたのだ。みじめったらしい父母の生活習慣を嫌悪して都会の暮しに憧れていた。まあほんとうに、こうなった今となっては自分ほど時代遅れな人間はいないのではないかと思う。そしてたぶん、政権の座についたのも私と同年代の方々。だから逆に反動形成で倹約に走るのか。

すでに人生の坂をどんどん下っているのにもかかわらず、私には「こうあるべき」という生活スタイルも生活信条も見いだせない。唯一、生き方を決めているのは、老いては身体に従えの思想。ひたすら、自分の身体の老化に従って、生活をしているだけだ。それ以外にはなんのパースペクティブもない。食事は一日一食で事足りてしまい、服もジャージと着物があればどうにでもなる。他人から見れば質素で簡素だろうが、私の心情として質素で簡素なんて大嫌いだ。そんなものに反吐が出る。傍目からどんなに質素に見えようと私の内実は質素なんて好きじゃないのだ。

日本のアニメや漫画は日本が誇るソフトウェアである。だけど、政府はその価値を知らない。悲しいかな、日本のアニメ業界はかなり衰退している。というのは、労働環境が改善されないからだ。アニメ業界は世界に誇る日本のソフト産業なのにあまりにも労働環境が悪い。そしてこのままだと、このすごいソフトは海外に抜かされる。日本のアニメスキルを吸収して海外でアニメーターが育っている。漫画の殿堂という上ものは無駄かもしれないが、漫画やアニメが無駄なわけではない。漫画の殿堂を中止するならそのお金をアニメ業界の振興に使うべきだと思う。漫画やアニメ自体を、この優れたソフトの価値をわからないのであればアホだ。

iphonのソフトの数を見よ。日本の携帯はアプリケーションの面で完全に遅れをとった。これからはソフトの時代なのだ。いやもうすでに完全にソフトの時代であり、日本にはソフトが少ない。というのは日本を牛耳っているオヤジたちがソフトの価値を見いださないからだ。

私たちはただ働いて労働に満足を得るような、そういう前近代的な牧歌的な人間に戻れない。無理だ。人間は変わってきている。私たちにはソフトが必要なんだ。あらゆる場面でソフトが。急病の時に病院を検索できる、困った時に介護を呼べる、必要なとき必要な人と簡単に繋がれれば、コストは安くなる。人件費も削減できる。ソフトの力で繋がって助け合って必要な時に必要なことをお互いに与え合える社会、というのが、私には理想なのだが、やはりまだ、社会はぜんぜん、一般ピープルの力を信じておらず、政府は弱い国民を救済しようとしている。もちろん、救済してほしいのだが、まだ、救済の概念がぜんぜん時代遅れという感じだ。手を差し伸べるつもりでいると感じた。そうじゃないんだ。時代は変わっている通信インフラも整った。ソフトをうまく使えば、個人のポテンシャルが生かせる。

なので、なんだかむなしくなる。だってもう、この世界にはいろんなものが用意されていて、ここにすごい道具がたくさんあるのに、私たちはそれを使えていないし、使おうともしていない……。そんな気がしてならない。政府は通信と情報に関する特別機関を設置して、この社会にソフトをどう利用してコストを削減するか、ソフトを売って儲けるかを、本気で考えてくれないかなあ。とりあえず全員、iphon持って、いま情報というものがどう進化し、ソフトがどうして必要かについてわかってくれないかなあ。
by flammableskirt | 2009-09-17 13:41

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