魚のことをぼんやりと
2009年 09月 06日
曜日感覚、完全に失せた。年中無休の自由業。今日も当然のごとく仕事場に来る。というか、家にいると落ち着かないので仕事場に来てしまう。家で落ち着かないのは、やはり義父母との同居が始ってからだ。高齢なので、ものすごく動作がゆっくりだし、耳も遠い。その圧倒的な老人の存在感というものに、こちらが引っ張られる。自分、そこに同化してしまうと、やばいと感じた。それで仕事場を作ったのだ。湯河原なんていうド田舎にいて、しかも、家に九十歳が二人いると、もうそれだけでどこか遠いところに連れ去られてしまってもおかしくない。
毎日、海岸を横目で見ながら、朝から仕事場へと歩く。
そして、パソコンに向かう。そして日が暮れる。
また、夕暮れの海岸を見ながら自宅に戻る。
そこにはとてつもなく平坦な日常があり、ご飯を食べて寝る。
まあ、振り子のようにこの繰り返しである。他には何もやっちゃいない。
地域活動とか、学校の行事とか、コーラスの練習とかたまにあり、
仕事関係の人が月に一回か二回、やって来ることはあっても、
基本的に、私の振り子の生活は実に単調である。もちろん、東京に行ったり、講演で地方に行ったりもするが、
またここに戻って来て、仕事場と家を行ったり来たり。
日中は黙々と原稿を書くのみである。なんとまあ、くだらない人生だと昔は思ったこういう人生。
だが、人間は戻って行く規則正しい日常があるから、ハメを外せるのであって、
日々、外しっ放しではやはり疲れちゃうのである。私の場合はそうだ。他の人は知らない。
昨日の夕ご飯のおかずは秋刀魚だった。
おばあちゃんは「この魚うまいなあ」と食べていたが「なんの魚かわかる?」と聞いたら「わからない」と言う。
「秋刀魚だよ」「ああこれが秋刀魚か」
しかし、今年にはいってもう何度秋刀魚を食べたことか。ボケているわけではなく、秋刀魚だとわからないでずっと食べていたらしい。
「じゃあ、これは?」とカブの酢漬けを指してみたら「わからない」と言う。「カブだよ」と言うと「ほう、カブか」と関心していた。おばあちゃんは「デイケアセンターのおかずは味がうすくて不味い」といつも言うのだが、あまり自分が食べているものが何なのかに関心がないようだ。たぶん、おばあちゃんの認識できないおかずなんだろう。どうもおばあちゃんは、新たに秋刀魚の味は記憶できないらしい。これまでにも何度も「秋刀魚だよ」と秋刀魚を出し、その度においしいおいしいと食べるのだが、秋刀魚が秋刀魚という記憶として保存されない。
私はあと、どれくらいまで新しいものを許容できるんだろうか。味にしろ、機能にしろ、価値観にしろ、美意識にしろ、いつまで新しいものを吸収できるだろうか。やはり限界はあるのだろうなあと思う。
先週、夫が買ってきたカマスはうまかった。あの白身の魚がよく脂がのっていて、なんとも趣深い味だった。カボスを絞って、日本酒が実にあう。さが、秋刀魚はやはり白米がないと落ち着かない。秋刀魚と大根おろしと白米、この取り合わせは最高だな。ちなみに私が大好きな魚はキンキである。最近はあまり出回らないが、昔は居酒屋のメニューに載っていたのだ。キンキの塩焼きが死ぬほど好きで、誕生日に何が欲しいと言われると「キンキの塩焼き」と頼むくらいだ。ちょっとぬめりのある白身魚が好きなのだ。もちろんハタハタも。去年、ハタハタを釣りに青森まで行って百匹くらい釣って、冷凍にしたのにすぐに全部食べてしまった。あれが十二月だったから、またハタハタの季節がやってくる。もう一生分のハタハタを食べたと思ったけれど、やっぱりまた食べたい……。釣りたてのハタハタの塩焼きはうまい。海外で魚をいろいろ食べたけど、やっぱり日本の魚が一番だよなあ……と思う。日本の海の味だ。沖縄に行ったときは必ずグルクンの唐揚げを食べる。大好きだ。屋久島に行ったときはトビウオの唐揚げを食べる。それから首折サバ。タチウオも好きだ。あの透けるような白身がたまらない。たぶん、私は相当に魚が好きである。基本、白身の魚で赤身魚はあまり食さない。川魚も好きだ。特にアユとイワナ。もう目がない。たぶん、死ぬまで魚が好きだろう。実にいろんなものを食べてきたが、だんだんと食べることに疲れるようになった。食べることも肉体労働であり、かなりの体力を必要とするのだ。若い頃あんなに食べられたのはほんとうに代謝が良かったのだな……と思う。魚も一匹食べればもう充分。どかどかと魚売り場に並んでいる魚を見るとなんだかせつなくなる。売れなかったらどうしようと思うのだ。誰かが獲った魚を一匹分けてもらい、手を合わせていただくような、そういう暮しもあるのだろう。漁師だった父は、魚が安いと買って来ては干物にしていた。父が死んでから父の干物はあんがいおいしかったなと思う。私の魚好きも父の遺伝なんだろうか。父の暮らしぶりは、いわゆる「エコ」そのものであり、生き方としては最先端であった。そんなことも死んでから思うのだ。生き方の伝承というものは死んでから起こる。親について本当に知るのは、親が死んでからだ。なので私も子供に「母さんの言ったことは今はできなくてもいい、わからなくてもいい。母さんが死んだ時にすべてわかる」と言っている。