一夜限りの金持ちドリーム
2009年 08月 26日
でも、私の場合、せっかくそんなにお金持ちの成功した人たちと会いながら、その合間に東京拘置所に死刑囚の林さんの面会に行って、林さんの「もう死んでいいと思っていますから」というひと言を聞き、それがとても冗談とも嘘とも思えないリアリティをもっていて、なんだかしゅんとしてしまった。
りんごが食べたいとおっしゃるから、拘置所の外の差し入れの店でりんごを差し入れしようとしたら、お店のおじさんから「夏のリンゴは冷凍でまずいんですよ、うちはね、まずいと言われても責任取れないから、夏はりんごは置かないんです。みかんのほうがいいですよ、みかんならあります」と言われ、でも、いつ死ぬかもわからない人がりんごが食べたいと言っているのに、夏の冷凍リンゴはまずいからという理由でみかんに代えていいんだろうか。でも、まずいりんごを食べるよりも、おいしいみかんのほうが冥土のみやげになるのだろうか、いや、やっぱりりんごを食べたいのだから、りんごを食べなければきっと不本意であろう……と、かなり悩み、結局、りんごとみかんを差し入れしてしまったのだが、一日の差し入れの分量が決まっているため、明日の分まで差し入れしてしまい、そうなると、明日面会に来た人が差し入れできなくなるのでまた悩み……。
そんなことをしているうちに、成功とかお金とか、そういうことからどんどんまたはずれて行ってしまい、暑い川沿いの道を綾瀬駅まで歩きながら、おいしいりんごが食べれる季節まで生きてほしいなと思った。彼が生きたいかどうかに関係なく、しょせん執行命令が出ればさっくりと殺されるわけだ。
私は支援者として交流しているので、彼のことを個人的に知っており、彼に生きてほしいと思っている。もちろん、彼によって殺された人や遺族は、彼を許せないだろう。それは個人の感情であり、私が同じ立場なら当然私も自分の家族を殺した人間を許せないだろう。
だけど、私はいつも思う。国家は国民を国家の権限でもって殺してはいけない。国家が国民を殺す手段をもっていてはいけない。国家が国民を死でもって罰してはいけない。人間は、個人は、私は、感情にあがなうことはできないかもしれないが、国家は、国民感情と共鳴してはいけない。国家は倫理であってほしい。私には人を許すだけの裁量がないけれど、国家はいかなる国民の人命も救ってほしい。国家は国民の集合的無意識になってはいけない。国家は、国民の感情よりも上位の倫理と正義をもつ存在であってほしい……。私がこんなに感情的なのだから、国家は、そして法律は、私の感情によりそって人を死刑にしてはいけない。そう思う。
そんなことを考えているうちに、なんかまた貧乏臭い自分に戻ってしまった。ははははは。一夜の夢か。