ただ生きているだけで
2009年 08月 22日
子供が塾の全国模試の成績をもらって帰ってきた。飛び抜けて社会の県平均点が悪い。19点……? 問題を見せてもらうと「世界地図と地球儀の見かた」という出題範囲であった。地中海を中心にして見たスペインとトルコの位置関係とか、時差とか、緯度経度の問題。かなり難しいと思う。私が中学生だったら出来なかった。
そもそも、私は中学高校を通じて、勉強はまるでダメだった。受かる大学が皆無な成績であり、まともなのは国語と歴史くらいで、物理や英語、地理、数学に至ってはおこぼれで卒業できた感じである。
だが、ただ生きてきただけで、いま子供の中学の模試くらいはすらすら解けるのに驚いた。世界地図もちゃんと頭に入っている。それは、そこに自分で行ったからであるし、その国を旅したのでその国の歴史や産業もだいたいわかる。地中海だってアテネからトルコの近くまでヨットで走ったし、ヒマラヤだって超えたし、シベリアからヨーロッパにも行った。
私は中学の時に、たぶん一生分くらいの本を読んだのだが、その本はちっとも学校の勉強の役には立たず、学校の成績は悪く、ずっと劣等感をもっていた。だが、けっきょく知識ってのは、ただ生きているだけで身につくのであり、中学の時にスペインとトルコの位置がわからなくても、どうってことないと思うに至った。知っているに越したことはないが、それでスペインとトルコがわかったわけではないし。私はいろんな場所に行った。逆に兄はひきこもりの末に死んでしまった。しかし、兄の人生が私の人生に比べて面白みがないと思うのはまったく傲慢であると思う。かつてそう思って兄を気の毒がっていた時期もあった。兄は高校生の頃からジャズが好きで、膨大な数のジャズのレコードやCDを残して死んだ。私はそれを相続したが、ジャズなどに全く興味も関心もなく、ついぞ聞くことがなかった。だが、この年になって、兄の残したレコードなど聞くにつれ「すごくいいじゃん!」と思うようになった。もともと私にガルシア・マルケスの存在を教えたのも兄だった。
かつてあんなに勉強が苦手だったのに、私はいますごく勉強好きで、勉強するのが楽しくてたまらない。だから娘に「どうやったら勉強が好きになるの?」と言われても「時が来たら」としか答えようがない。発見していく楽しみというのを知ったのだ。何かに夢中になっていると、ある出来事とある事柄の組み合わせから「ああそうか!」という目から鱗の瞬間がやってくる。それが面白いんだと思う。でも、それを知らない人に教えてあげることができない。人生においてほんとうにすばらしい体験は絶対に他人から教えられることができない。だって、すばらしい体験とは「自分がする」という条件づきだからだ。だから教えることはなにもない。教えてあげたいのだが、教えればどんどん遠くなる。突き放したほうがいいくらいだ。
人間はただ生きているだけで死ぬまでにずいぶんと利口になる。でも、なぜかそれも捨てて行く。