ハチロクに思う
2009年 08月 05日
忘れられない言葉がある。
河野義行さんに会ったときのことだ。河野さんは松本サリン事件の被害者であると同時に、警察やマスコミによって犯人の疑いをかけられ誤報に苦しめられた。ご自身もサリンによって健康を害し、奥様は意識不明の植物状態となり昨年亡くなった。今年、テレビでも特別番組が放送され、事件当時の河野さん一家の苦難がやっと多くの方に理解してもらえたが、あまりにも長い間、河野さんが受けた屈辱は「マスコミの謝罪」の一文で片づけられてきたと思う。
その河野さんにお会いしたとき、私は河野さんが「もうこの事件に関して自分は誰も恨んでいない、憎んでもいない」と言ったことに衝撃を受けた。実際に、河野さんはその後も社会復帰ができずに悩むオウム真理教の元信者の訪問を受け、友人として相談にも乗っていた。また、自分に冤罪をかけた警察に対しても積極的に関わり体質改善に協力し、またマスコミに対しても一切のうらみ事を言わない。いや、恨んでいない。だが、正直なところ、事件の報道はあまりにも一方的で河野さんの人権を無視しており、それに対して河野さんが冷静かつ寛容であったことが私は信じられなかったのだ。
つい、自分を比べて人を判断してしまう。だから自分にできないことを実践する河野さんが理解できなかったのである。河野さんだって心の底では恨んでいるし、憎んでいるのだろうと思った。そうであってほしいとすら思った。それが人間というものではないか。と。だけども、いくら、何度、質問しても河野さんは「ほんとうに、なにも思っていない。誰のことも恨んでも憎んでもいない」と淡々と繰り返すのである。
「どうしてですか? なぜそんなふうに人を許せるのですか?」
「なぜと言われても。私は人生で何度か死ぬような目にあっているのです。それでわかったのです。人は死ぬと。どう生きても死ぬと。だとしたら、この短い人生で人を恨んだり憎んだりしているような暇はないんですよ」
「それは理屈ではわかる。でも、いくらそう思っても、どうしようもなく恨んだり憎んだりしてしまうのが人間でしょう?」
「それはまだ、自分がずっと生きられると錯覚しているからではないですかねえ。自分が死なないつもりだから、そういう無駄なことに気持ちを向けるんでしょう」
「そうかもしれません。確かに。私はふだん死なないような気持ちで生きていると思います。ずっと、生きていることを前提で生きているように思います。でも……、それでもやっぱり納得できません。河野さんの奥さんは寝たきりになってしまいました。そのことが悲しくないはずはありません、奥さんをそのような身体にした人を恨まないはずがありません」
「恨んで、どうなるんですか? そんなことをしても妻は元気にはなりませんよ」
「そうだけれど、やはり、私だったら、恨むと思います。憎むと思います。殺してやりたいとも……」
「それで、田口さんは相手を殺しますか……」
「わかりません……。苦しむと思います。相手に苦しんでほしいと思います。同じ苦しみをあじわってほしいと願うと思います」
「なるほど。でもね、私はこう思うんです。どんなに他人を欺くことはできても自分の心は欺けない。人を殺したら、殺した本人が一番わかっているんです。自分のやったことを自分はすべて知っています。だから、他人が裁く必要はないんですよ。本人が自分を裁きます。自分を裁けるのは自分だけなのです。私はそう思っています」
「自分を裁けるのは、自分だけ?」
「そうです。どんなに他人をごまかしてうまくやっても、最期の最期には自分がすべて知っているのです。どんな生き方をしたか、どんなことを他人に対してしてきたか、すべて自分がお見通しなのです。それをごまかしていても、死ぬときにはすべて思い出しますから。だから私はそれでいいと思っているんです。なにをやったか、自分がすべて知っているのだから、その人は自分で自分を裁くでしょう」
私はそのあとずっと、この時の河野さんの言葉を反すうして生きてきた。考えれば考えるほど、重い言葉だと思った。それは楔のように私の心に打ち込まれてしまった。私は日々、歳を重ね、いわば日々、死に向かっているわけだけれど、そう思うと、自分のやったことはすべて自分が知っているという言葉は恐ろしく、そのまま自分の生き様に返って来るのだった。そして、確かにこの言葉を噛みしめるようにして生きていると、私は私がなにをしたかを自分に問うしかないし、人は人であり、その人がなにをしてもその人しか真実は知らないし、自分を裁く者は自分しかない、という現実に圧倒されるのである。人間は自分を律して生きるしかないのだ、という河野さんの人生観は強靱だった。日々をどう生きたいかはその人が決定する。自分は自分の生きたいようにしか生きないものだ、河野さんはそう言った。
ぐちと不平で生きるのも、感謝と自愛で生きるのもすべてその人次第。環境には関係なく、人は生きたいように生きる……と。
だから、田口さんはどう生きたいですか?と問われた。
だって、あなたの感情はあなたのものだから。あなたが感じたいように感じる、それが人生でしょう、と。
なんと冷徹な人生観と思った。その通りなのである。どのような逆境に立たされようと人間として自分が生きたいように生きる。生きた。それが河野さんの姿だった。冤罪をかけられても、奥さんを殺されても、恨まない憎まない。それよりももっと有意義なことに自分の残された時間を使う。しかし、そのように自分を律することのできないから人は苦しむのであるが、その苦しみもまた、自分が選んでいることとして、彼は突き放すのである。
初めて河野さんとお会いしたとき、私は強い衝撃を受けて家に戻った。こういう人が現実に存在し、たまたま、松本サリン事件に巻き込まれて世の中の注目を浴びたことが偶然とは思えなかった。これは神様が仕組んだことではないか、多くの人の彼の存在を知らせるための画策ではないのか……と。
河野さんと会ってから、私は改めて「謝罪」ということを考えるようになった。いま、なにかにつけて「謝罪」を求めることが多い。そして、謝罪のあるなしで、刑の重さが変わったりもする。私たちの感情に訴える謝罪をすれば、その者は反省しているとされる。しかし、それなら反省したふりなど簡単ではないか。命が惜しければいくらでも謝罪したらいいのである。しかし、そのような謝罪がいったい何になろうか。
「なにをしたかは、自分が知っている。それで充分です」
そう言う河野さんの言葉が、ニュースを見ているとき、新聞を読んでいるとき、私の耳に蘇ってくる。そして、私はいつも同時に我が父のことを思い出すのだ。父は私の兄が自殺したあとも、ずっと兄のことを蔑む言葉を吐き続け、あいつは人間の屑だとか、あんなダメな人間に育ったのは母親の教育が悪かったからだ、と言ってはばからず、私は父がちっとも兄の苦しみを理解しないことに腹を立て、父をひどい親だと思っていた。
だけど、そんな父がガンになり、病院に入院して認知症になったとき、自分の歳すらわからなくなった父の病室に家族の写真を持って行ったら、父は、なんと兄の顔を指さして、子供のように号泣したのだった。父がどれほど兄を死なせたことを悔いていたのか、私は父が認知症になって始めて知ったのであった……。
人間の心にあるものはわからない。もしかしたら父は自分でもわからなかったかもしれない。兄に対する思いと愛情と懺悔、それがいかほどのものであったのか父以外には誰が知ることができよう。だから、ほんとうに河野さんのおっしゃる通りかもしれないと私は思った。人の心はその人しかわからない。だから、自分を裁けるのは自分だけなのだ……。
そう思うようになると、ネット上に書き込まれるさまざまな罵詈雑言、誹謗中傷や心ない言葉なども、これを書いた本人は自分がなにを書いたのか知っているのだ、その人はすべてを知っている。そして、そのことに苦しむのもその人だけなのだ、と思うと、なにかせつないような悲しいような気持ちになる。なぜなら、それを悪いとわからないはずはないからだ。だが、それを止めることができないのであれば、その自分の弱さも含めてすべて自分は知っているのである。それは、なんと残酷だろうか。およそ自分が自分の悪を知るほど辛く苦しいことがあるのだろうか。次第に河野さんの言葉があるリアリティをもって腑に落ちてきたのである。最初は人間は自分をごまかすものだし、反省しない人間は大勢いるだろうと考えたのだ。だけども、これまで生きてきていろんな人の死に様に出会ってきたが、人間は確かに、最期の最期に自分のしてきたことを悔いるのである。実は全部わかっているのだ。ボケようと、狂おうと、ごまかそうと、忘れようと、すべてわかっている。そう実感するようになったのである。ほんとうに恐ろしいことであり、考えただけでぞっとする。
明日は8月6日で、この時期になるといつも「原爆を落としたことの謝罪」ということが話題になるが、私はもう謝罪を求めることを止めたいと思うようになった。もし、私が逆の立場で、原爆製造に関わった者であるなら、とうてい原爆被害の事実など認められない、認めたら狂ってしまうのではないかと思う。あまりにも重い歴史的な事件の責任を個人が引き受けることは不可能である。誰も責任など取れない。アメリカ人も日本人も戦争の責任を個人が取ることは不可能である。そうではないか?
私の友人であった被爆者のマサじいがこう言った。
「核兵器は人間の心にある、恐怖が作り出したものなのだ。たくさんの人間の恐怖が集積して原爆を作るというエネルギーになって、作りあげたものなのだ。その恐怖のエネルギーはとても大きい、だから、多くの人が反対しても結局は作り出されてしまったのだ。もし、人間が恐怖心を捨てたならば核兵器は必要なくなる。だが、恐怖というのは人間と共にあったもっとも古い感情だ。だから、恐怖というものがあることを認め、その恐怖と共に生きて行く智恵を取り戻さなければならないんだよ」
誰に心にも恐怖がある。そして恐怖を刺激することで人は簡単に洗脳される。恐怖を与えれば簡単に殺人者にもなれる。恐怖は人を支配するのに最も効率のよい方法なので、他者を支配する時は必ず恐怖を利用してきた。そのようにして、恐怖は何世代にも渡って人類に植えつけられ、しかも恐怖に対して無自覚であるように教育されているのが、私たちなのである。
あらゆる闘いの根っこに恐怖がある。あまりにも身近なので、自分が怖れていることすらわからなくなっている。でも、私たちは怖いのだ。私は怖がっている。なにかを。常に。それがトリガーになって、あらゆる事件は起るのだ。
冤罪を着せられたとき、河野さんは怖くなかったのだろうか。国家権力とマスコミという強大な相手に袋だたきにされたようなものである。それに対して怖くなかったのだろうか。
「自分がしていないことを、知っているのは自分だけ。だが、私は知っている。それがすべて」
私は、そこまで自分に対して強くなれるだろうか。私は「おまえがやったんだ」と言われ続けたら「そうかもしれない」と思ってしまうほど弱い人間だ。自分でそう思う。恐怖にとてつもなく弱い。脅されたらひとたまりもない。そして、たぶん、そういう私だから私は危険なのである。簡単に人殺しにもなれるだろう。弱いから。弱さを自覚し、自分を見つめ、自分がどう生きたいかを現実に行動していくことは、ほんとうに困難だ。
けれども、私がこの世界から核兵器をなくすことを望むなら、私はそういう生き方をこの瞬間から選択し続けて行くのだ。それが道なのだ。
「あなたが憎しみや、恨みや、怒りを、他人に向けることなく、執着せず、それが消えていくのを許せばいいのだ。それが、平和への唯一の道なのだ。田口さん、平和はあなたの外にあるのではないのだ。平和というのはあなたの心の状態のことを言うのだ。あなたの内側にあるもの。あなたを満たしている慈愛。もし、平和に実態があるとするなら、あなたがそうなのだ。あなたの外にあるのではなく、あなた自身の問題なんだ」
マサじいはいつもそう言っていた。でも私は自分が変わりたくはなかった。私はいまのままでよくて、他人を変えたい、世界を変えたい、そう願っていた。でも、マサじいは、それは違うよと言ったのだ。
世界は変わらない。他人も変わらない。でも、あなた自身はこの瞬間、たった今、変わることができるよ……。
マサじいが、亡くなってしまってから、かえってマサじいの声がよく聞こえる。この頃はまるで耳鳴りのように、響いてくる。
田口さん、私はあなたに伝えてほしい。平和は自分の外にあるのではない。平和は誰かを無理に変えて作れるものではない。平和を目指せばきっとまた誰かを不幸にする。平和を目的にしてはいけないよ。平和とは形のないものだから、平和を目的にすると人間のエゴと結びつきやすいのだ。平和は、あなたの内側にあるもの。心が平安であること。もし求めるなら、あなたの心のなかに求めてください。
もし、心が平安であったなら、私たちはもっと多様な議論ができるだろう。反対意見の相手と話し合いができないなら、闘いは永遠に続くしかない。人間の恐怖を見つめるためには、それが、外部に表現されることが必要だ。芸術はもっと原爆を題材にして自由な表現をしていいはずだ。映画も、文学も、想像の自由によって、さまざまな方法で、アプローチでこの問題を扱っていい。タブーを作ってはいけない。囲い込んではいけない。恐怖はみんなで見るのだ。そして、それを自由に扱えるようになるのだ。怖れのあまり、原爆のすべてを葬ろうとして、それを表現にタブーを作ってはいけない。被爆者と若い世代やアーティストは積極的に対話したほうがいい。オバマ大統領に広島に来てほしい。そして、彼がなぜこんなにも核兵器廃絶に本気なのか、その本当の理由を語ってほしい。平和は運動になっていはいけない。平和を目的化してはいけない。対立しないこと。さまざまな意見に対して開かれていること。自分の考えであること。ミーハーであること。私なりであること。そして、私の心が穏やかであることを望むこと。たとえ、怒りや憎しみをもっても、自分を責めないこと。恐怖も、怒りも、憎しみも、悪すら、不要なものはなにもない。人間に起るすべての感情は自然であり、ただ、見つめていれば、消えていくものである。自然から学ぶこと。自然と生きる智恵のなかに、怒りや憎しみとのつきあい方もすべて含まれている。私たちは自然である。だから、自然に学べばいい。