山に霧がかかっている

台所でぼんやりしていたら、テレビで村上春樹さんの新作が百万部を越えたというニュースを聞いた。小説のなかに登場する音楽CDまで売れているそうだ。新潮社は儲かってよかったなあ、とか、この時期に小説を出した人はたいへんだなとか、いろんなこと考えた。でも、ハリーポッターと村上春樹の新作は「この時期に出すとまずいです」と編集者がアドバイスしてくれる。それくらい書店の棚は占領される。売れるのだから当然だが露出するからさらに売れるという相乗効果。その影で、店頭にすら並ばないでダンボールのまま返品される作品がたくさんあるのだ。こういう書物の流通形態や販売形態は、佐野眞一さんが言うように多くの本を殺すことになるのだけれど、だからと言って、一著者である私にはもはやシステムに対して無力である。せいぜい自分の本を講演で売り歩くなどという焼け石に水的な対策しか取れない。だから、ハリポタと村上春樹の新作の出る時は出版しない……という、ものすごく消極的な防衛策に出るのであった。情けない。

この、とてつもない売れ行きのニュースを聞きながら、あまりに桁違いに売れるのでうらやましいのを通り越して、むなしい。百万部という部数は、本という枠組みを越えてすでにファッションだなあ、と思う。買ったまま読まない人もたくさんいるんじゃないか。本棚にずっと飾っておいても村上春樹ならインテリアとしてかっこいいと思う。田口ランディがあると「変態?」とか言われそうだが(笑)
日本の書店の数はどんどん減少していて、その少なくなった書店のなかの、せいぜい2000店舗にらいにしか私の本は置かれていないだろう。全国津々浦々の2000店であり、当然、地方の小さな本屋に読者が探しに行っても置いていない。そういう現実のなかであくせく書いている私にとって、百万部という部数は想像を絶する数字であり、同時に、本の流通や出版のシステムも含めたなにか大きな見えないものが、極まって転ずる兆候のようにも感じられ、人生の変転のような予感じみたものを自覚した。それはまえまえからうすうす感じていたことなのだが、うまく意識化できなかったのだ。
このあとにやってくるのは、おそるべき細分化、専門化ではないか。もはや文学はごく一部の人たちのマイナーな趣味の領域となるのだろう。でも、抽象性の高い小説が好きな人たちにとっては、深い変性意識を体験できる合法ドラックのようなものになる。最初から私の目指していたものはそこであり、血迷って売れ線を目指したりして紆余曲折したが、ようは最初に戻ればいいだけのような気がしてきた。ただ、混乱した狂気というのはしょせん狂気であり、さらにその奥にあるディープな変性意識まで潜りたいというのが、いまの願望だが、そのためには自分がそこを体験する必要があり、ちょっと怖いな。
by flammableskirt | 2009-06-10 09:14

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