別にいいけどね。

「別にいいけどね」
というのは、子どもに限らず最近の若い人がよく口にする言葉だけれども、たぶんちっとも「別にいいけどね」とは思っていないのであろう。それは推察できる。
この言葉の背後には「できることなら……したいが、それが無理だと思うのでこれでよしとすることにしました」というようなニュアンスがこめられている。

だったら「できることなら……したい」という方を強調すればいいのにと思うのだが、それを強調するのは「めんどくさい」のだそうである。この「めんどくさい」もダブルの意味をもっていて「めんどくさい=やりたくない」ではなく、「できることなら……したい」という強い欲求をもつことによって生じるその後の責任や困難について、あらかじめわかっているので、それに向き合いたくない、というような感じだろうか。

で、私が常に感じるのは「先を読む」という若者の癖なのであった。
つまり、困難や責任などのめんどうなことは「今はない」のである。だけれども「先にはあるかもしれない」と思い、先のことを考えて「めんどくさく」なってしまうのである。よって、こうしたらいいのだが、でもまあ、それは大変だということがわかっているし(わかったつもりになっているだけだが)、別にいいけどね、ということらしい。

小学生からして、先を読むのが得意なのであるが、これはどういうことだろうか。
そもそも、いま起っていなことに対して「きっとこうなるからめんどくさい」と言い始めてしまったら、生まれてくることじたいがバカらしい。だってどうせ死ぬのである。あなたも私も死ぬのである。
「できることなら……したいが、しょせん死ぬのだからめんどくさい」ということはないであろう。
将来起るべきことについて、今考えてしまう習慣というのはいつから出来たのだろうか。
この習慣はかなり蔓延しているように感じる。

未来の先取りというのは手堅いように見えて、実はとてもリスキーなことだと思う。
ものの見方を変えてみて、いま、起っていることが未来からの予兆だとしてみよう。
未来に起るべきことの予兆として、なにかの予感を感じるから人は「やってみたい」と思う。
この予感は、現実的な生活のなかから立ち現われているのではない。
なぜなら未来は物理的にはまだ存在しないが、すべての事象の放物線の先に点線で予測できる非現実の世界だからであり、その世界からのメッセージをキャッチするから人は未来を予知できる。
ところが、現実レベルから一歩も出ないような意識状態で未来を先取りすれば、その未来は当然ながら現実が矮小化したものにならざるえない。この現実に大満足ならそれでもいいが、意識による未来の先取りなどものすごくリスキーであると思う。

なぜ、そんなリスキーなことをするのか?と不思議に思うのし、それでいいのか?と聞くと、
「別にいいけどね」と言われてしまうのだった。
意識の呪縛がすごい。ひとつの場所に居座ったらそこからテコでも動こうとしないほど呪縛されている。
いったいこれは、どういうことなんだろう。
by flammableskirt | 2009-05-15 11:33

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