それでよし、という私は誰だ?

世の中連休らしいが、自由業にはまったく関係なく、いつも通り仕事をしている。
休みというものがない仕事であり、休みたいという気持ちも起きない。自己責任である。休むのも働くのもすべて自分の責任において私が決めるのであり、これはかなりしんどいことである。
私は作家になったのが40歳になってからなので、そろそろ人生を見切っていたし、ある意味、遊びたいという欲求も萎えてきていたので、自然といまのペースに落ち着いていったが、自分が30代だったら、この仕事をやりきれなかったろうと思う。自分ですべてを決めていくのはきっと辛すぎたに違いない。

自分で自分をよしとする、という点において、私はかなりやれていると思う。
自分にダメ出しすることはない。やれることをやり、やったことは「よくやれた」と思える。誰から褒められなくても、100パーセント自分を褒めている。だから粛々と売れない本など書き続けられるのだ。誰も褒めちゃくれない。いや、そんなことはないが、たまには褒めてくれるが、まあ、それでもたまにであるし、売れないというダメ出しは相当なプレッシャーなのだが、自分がダメだとは思わないところが自分でもすごいなあと思う。
以前はダメ出ししてた。こんな私じゃダメなんじゃないかと思っていた。
しかし、最近は、そういうことを考えない。そんな発想自体が消えてしまっている。そういう思考回路が消滅してしまったのである。思考回路は使わないと消えるというのは本当なのだな。

つい最近も、ある気功の先生から「あなたは自分に対してポジティブ100パーセントですね。こういう人はめったにいませんね。自分で自分を応援してますから、気功など必要ありません」と言われた。
そうなのか? それってなんだかちょっと恥ずかしような気がするが、しょせん自分を応援できるのは自分だけなのである。どんなに他人ががんばってくれても、自分で自分を応援するのが一番てっとり早いのである。なぜなら私のことをすべて見ているのは、私だけなのだ。ゆうべ寝ても原稿のことを考え夢にまで見ていたことを知っているのは私だけなのだ、私の生活は私以外の人が知りようもない。私だけが私のすべてを見ている。だからその私が「それでよし」と言わない限り、誰がそれでよしと言ってくれるのだろう。

しかしながら、私に対してそれでよし、と言っている私というのはいったい誰なのか。
それは私であるはずなのだが、なぜ私が私にそれでよしと言えるのか。
言われてる私は誰で、言っている私は誰なのか。
うーん、ときどきわからなくなる。
by flammableskirt | 2009-05-02 17:51

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31