世界はどんな風邪をひいているのだろう。

 私大生への仕送りが過去最低なのだそうだ。
 春から新入生として都会に上京しても、節約生活だろうし、その新入生を支えている田舎のご両親はさらに節約生活だろう。未曾有の不景気であるが、日本はまだマシなほうらしい。「らしい」とか「だろう」の語尾ばかりなのは、ネットのニュース速報を見て私が想像したことだからである。
 世の中は不景気なんだろう。だから私も不景気なのだ。しかしながら私にとっての不景気は本が売れないことであり、本が売れないのはもしかしたら全く不景気とは関係ないかもしれない。ただ、私の本の内容が面白くないから読者離れが続いているのかもしれない。しかし、そう考えると心淋しいので、本が売れないのは不景気であるから、ということにしておきたい。これが私にとっての不景気である。
 
 世界的な不景気は、アメリカの低所得者向けの住宅ローンが破綻したことに端を発している。これも、さまざなニュース解説で知った。いろんな人が経済音痴にもわかりやすく説明してくれた。テレビはありがたい。なるほど、アメリカの風邪が世界に伝染したわけだが、では、アメリカはなぜ風邪をひいたのか。

 NHKが、住宅ローンにあえぐアメリカの低所得者を取上げて番組を制作した。それを見て、妙な気分になった。住宅ローンで住宅を購入したのは、多くが移民である。アメリカに住む移民の人たちは、一戸建て住宅、つまりマイホームをもつのが夢であり、それは日本人と変らない。
 しかし、驚いたのは彼らの「物欲」であった。番組では、ローンが支払えず家を手放さなければならない移民家族を数組取上げていた。彼らはそれぞれに、日本人から見るとかなりの「豪邸」を買っており、その豪邸をいっぱいにする家具や調度品もすべてローンで買っていたのである。
 まず、大きな家を買う。そして、その家をモノでいっぱいにする……という病気に取り憑かれたかのようだった。ソファからダイニングテーブル、システムキッチン、絵画、そしてプールと、まるで熱病のように「夢の家」を作りあげようとする。南部からやってきた老齢の女性は、南部のキッチンを再現しようとしていた。メキシコからやってきた男性は、家の裏庭にサボテンを植えてメキシコを再現しようとしていた。
 ベッドルームが5部屋ある家は、かなり大きいほうなのではないか。兎小屋に住んでいる日本人とは感覚が違うだろうが……。そして、その家を完璧にしたいという彼らの衝動は、なにか、空恐ろしくすらあった。
 ローンが払えず、家を明け渡さなければならない彼らは、家具も処分を迫られる。しかし、家具を捨てるに忍びないのだ。それゆえ、わざわざレンタル倉庫を買って家具を預ける。そのレンタル倉庫に隠れて住む者も多いそうだ。自分たちの家を失っても、家具は倉庫に預けてレンタル代を払い続ける。そのような人間の業によって、世界が風邪を引いたのである。

 興味深かったことは、ローン破綻した低所得者の人々が「ローンの金利が、突然上がることは知っていた。でも、その時は別のローンに借り換えができると言われたので、なんとかなると思った」と、証言していたことだ。
 住宅ローン会社は確かに、英語の不得意な彼らをうまいこと説得したのであるが、家というものを手に入れてから、彼らが狂ったように家をモノで満たしていく、その、激しい購買欲求までローン会社の責任とは言えないだろう。インタビューに応えていた人たちは、まだ夢のなかにいた。そして、自分がなぜ家を手放さなければならないのか、我が身に起った不幸の原因についてまったく自覚がなかったのである。
 うまく言えないが、彼らが低所得者の移民として、長年社会から押さえつけられていた「なにか」が噴出したようだった。かつてアメリカンドリームと呼ばれていたものの残滓かもしれない。
 家を立ち去っていく彼らのみじめな姿、涙、を愚かだとは思えなかった。いや、愚かだからこそ自分に重なった。誰が見ても愚かなのである。だが、人間は夢を見る。愚かだからこそ夢と現実を見誤る。誰かが手にしている幸せを、なぜ私は手にできないのか。誰かが手にしたものなら、私にもできるはずだ。なぜなら、人間は平等なのだから。yes, we can!
  
 アメリカがまた同じ夢を見るなら、もうアメリカは破綻するしかない。そのことをなぜ、アメリカ人は気がつかないのかと不思議に思いつつ、いや、日本人だって、気がついていやしないんだ、とも思う。
 この不景気の本当の理由。アメリカの住宅ローンが破綻したのは、低所得者を騙すように住宅を売り続けたからだが、その、ローン会社は自分たちも気がつかないうちに、人間の欲望に火をつけたのだ。その欲望は、物欲の皮をかぶっているが、それが本性ではない。
 私たちが、望んで望んで望んでやまないもの。根源的な欲求。
 自分の生まれた場所、帰るべき場所、私が安心できる場所、私が私として認められる場所。私が死んでゆく場所への帰還。そんな場所はすでに亡く、もうそこへ戻れないとしても、その面影を求めてしまう人間の根源的なノスタルジー。
 人間がその郷愁に目覚めた時は、我を失う。それは、存在の根拠にかかわるせつない欲望である。つながりを失った者はみな、その夢の前で発狂する。

 私たちもそうである。無自覚だけれど、果てしない郷愁があるのだ。つながりを失いつつあるこの社会と国土のなかで、もし、このノスタルジーに誰かが火がついたなら、日本という面影を求めて、発狂することは十分にありえる。
by flammableskirt | 2009-04-07 12:10

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