自己愛
2009年 02月 12日
「新しいタイプのうつ」について、学ぶ。
かつて「メランコリー親和型うつ」と呼ばれた典型的なうつ病は、昭和のたそがれをイメージされる哀愁があったと先生は言う。なるほど、確かに中年期の生真面目なおじさんが「俺の人生これでいいんだろうか?」とため息をつく、そういう「うつ」は昭和のゴールデン街の雰囲気があり、そのようなうつの人には最近は会わなくなった。
平成の「うつ」はまったく違うのだという。もちろんさまざまなパターンがあり、ひと言で説明などできないが平成の「うつ」に自己愛が深く関わっているというのは、実感できた。
自己愛は、誰でももっているものだが、自己愛が傷ついている人が多いという。誰でも自己愛には多少の傷があり、50も近くなれば人に言えない心の傷はひとつやふたつではない。でも、なんとか修復可能ではあった。自己愛の大きな傷は、親が子どもを自分の手足のように利用して、必要のない部分は切り捨ててしまう……という、親との関係で切り捨てられた子どもの魂の傷のようなものらしい。
というわけで、なにをやっても、どうしても、満たされない。結婚しても、成功しても、満たされない。その満たされなさをさらに子どもで実現しようとして、自己愛人格障害を生産していく。……この場合、「うつ」という症状に本人が同一化できないので、うつは潜在化し、うつなのにうつに気がつけないという、複雑なうつとして発症するという。
最近、若い人に増えているという「双極型のうつ」ということが、話題となった。
単極のうつは、ひと目でうつをわかるが、双極型のうつは、うつの極と躁の極、二つの極が重なっているため、目まぐるしくうつと躁の状態が入れ替わり、その両方に巻き込まれてるため、くたくたに疲れてしまうという。だいたいにおいて、自分が「うつ」であることに否定的で、なにかに追い立てられているような焦燥感をもっている。一見、落ち込んでいるように見える。「辛そうだね」と言うと、ぱっと笑顔になり「なに言ってるんですか?わたし元気ですよ、ほらね〜」と明るく返答するが、次の瞬間には暗い顏で沈み込む。そのような自分の一貫性のなさに矛盾を感じていないし、無邪気であり、悪気もなく、多少、場違いでとんちんかんだが、いい人。
……そういう若い女性は、私もよく出会う。なんとなく地に足がついていなくてふわふわしていて、わりとスピリチュアルなことが好きで、美人だ。
症状としては「不全感、ルールに従おうとすると具合が悪くなる、会社に行けないが遊びに行くと元気、過食、他人が自分を疎ましがっていると思う……等々」
うつの時は、メランコリー親和型とよく似ているが、うつであると同時に躁でもあるので、会社を休んで平気で旅行に行けてしまう。他人から見るとさぼっているだけに見える。なので理解されないが、本人は上がり下がりがあって、心がいつも二つに割れていて、自分をコントロールできず、たいへんに消耗している。とんちんかんなので他人の気に障ることを平気で言ってしまい、いじめられたりもするが、本人にはまったく自覚がなく、なんで私が?と、被害者意識をもっている。
いる、そういう人がいる! と思う。
しかし、そういう人たちにどう対処したらいいのか?
答えはシンプルだった。
自己愛は一度、徹底的に満たされる必要がある。褒めてあげるのがよかろう、ということなのである。
昭和型うつの典型のような私には、信じられない。
そういうのは甘やかしと呼ばれて、恥ずかしいことだと思ってきたからだ。だいたい、他人のナルシズムを増長させるような、そんな、オナニーの手伝いみたいなこと気持ち悪くてできるか。
……とおもったとき、晩年のエリザベス・キューブラー・ロスの言葉を想い出した。
エリザベス・キューブラー・ロスは、生涯にわたって「自分を愛しなさい」と言い続けてきた。まず、自分を愛してあげること。自分に了解すること。そこから魂の成長が始まる……と。
しかし、晩年になってエリザベス・キューブラー・ロスは、
「確かに私は自分を愛せと言ったが、自分が教えたことを自分が実行できるとは限らない。私はいまだに自分なんか愛していないし、そんなマスターベーションみたいな気持ち悪いこと冗談じゃないわ」
と、言い切ったのである。
実に、エリザベス・キューブラー・ロス自身が自己愛に傷をもっていた。そして、自己愛を満たす必要があったのだろうが、そんな気持ち悪いことしたくない、と言ったのだ。
面白い人だ。さすがだ。
エリザベス・キューブラー・ロスはたくさんの称賛と愛を受けていたように思えるが、でも、彼女自身はそれを否定しているようなところがあった。どんなに褒められても、まだ足りない……、つまり満たされることがない。エリザベス・キューブラー・ロスは自己愛障害の人たちのことを、実によく理解していたかもしれない。彼女はいつも「自分の人生はなんだったのだろう? 自分のために生きてこなかった」と悔やむ末期の人たちに寄り添っていた。
「いま、この瞬間から変えることができる。死は自分を生きるための最後のチャンスなのだ」
……と。