初夢
2009年 01月 04日
それでも、年末年始とすこぶるお天気が良かったので、気分がいい。
新年から予定通り、仕事をする。
久しぶりに元旦に初日の出を拝みに行った。
九十歳の両親もいっしょに行きたいというので、近所の星が山まで登った。
すばらしい初日だった。日の出を見たのは何年ぶりだろうか。
毎日、太陽はこうして昇っているのだなあ、と、あたりまえのことを不思議に感じた。
そういえば、今年は早寝早起きをしたが、初詣でに行っていない。
毎年、元旦に行くのだが、富士山を見て戻って来たら娘が寝てしまって行きそびれたのだ。
二日は仕事をし、三日は用事があって新宿に出かけた。
今朝、妙に体が疲れていて、めずらしく10時まで朝寝してしまった。
でも寝れるというのは元気な証拠だと思う。ほんとうに具合が悪いときは眠れないから。
そして、またしても、正月から「トイレ」の夢である。まったくこの夢が多い。
しかし、今回は新たな展開があった。
毎度のことながらトイレに行きたいのに、トイレがすごく汚い。
なんと今年は、自分でトイレを掃除したのだ。
新年からうんこまみれである。夢のなかでも「げえ……」と思っているが、
とにかくきったねえどこかのトイレをついに掃除したのである。
これは長年トイレが汚いという夢を見続けているが、初めてのことで感動した。
「わ、私、トイレを掃除している!」
夢のなかで、そう思っている自分までいた。
ほんとうに気持ち悪くて夢のなかで吐きそうだった。匂いもする。リアルな夢である。
しかし、私は糞尿にまみれながらも必死で掃除をしている。
そして汚れたぞうきんみたいなのも、洗って、干しているのである。
そのあと、自分の手の匂いをかいで「あんがい臭くないな」と思うのである。
目が覚めてから「ついに掃除しちゃったよ……」とぼう然とした。
二十代の頃から、この夢とはずっと仲良しだった。ことあるごとに見る夢だった。
いつも「汚いトイレ」にうんざりして、逃げてきた。ついに掃除したのだ。
しかし、掃除したからといって、トイレはそれほどきれいにならなかった。
掃除が足りないのである。まだ汚い。清々しい高貴なトイレにはほど遠い。
昔、メキシコに行ったときに、マジックマッシュルームの儀式を受けて、
そのときにトランス状態になり、トイレに行ったら、トイレがあまりに神々しく美しいので仰天したことがあった。そのトイレは糞尿に汚れた実に汚いトイレであり、汚れたティッシュがうずたかく積まれていたのだ。それなのに、トランス状態の私には、あまりにもトイレが高貴で美しく、燦然と光り輝いていたため、「ああ、自分はやっぱり幻覚状態にいるのだな」と自覚した。同じトイレがこうも認識の仕方で違って見えるものかと感動した。
いったい、どちらの自分がありのままを見ているのだろうか。
感覚過敏の状態で見たトイレの美しさそ、ほんとうのリアルな世界なのじゃないだろうか。
いったい誰がウンコを汚いと思ったのだろうか。なぜそう認識してしまったのか。
自分の腹から出てくるものを、汚いと思う感性の方が変ではないのか。
私はもう一度、あの光り輝く美しい便器を見たいんだが、
夢のなかですら、あれを見ることができないのを悲しく思う。