冬至
2008年 12月 21日
朝風呂に入りに温泉に行ったら(湯河原は温泉街)、冬至でゆず湯だった。
そうか、今日は冬至なのか……と、ゆずの香りのお風呂につかりながら思った。
私が死ぬときは冬がいい。
できれば冬に死にたい。冬は自分の季節だと思う。
白い冬の陽のさす朝に、湯気がもうもうとたつ朝風呂に入りたい。
そしてさっぱりして死にたい。
冬の朝風呂というのは、ほんとうにいいものだ。
そのためだけに湯河原に住んでいると言ってもいい。
大きな湯船に燦々と朝の光がさし込んでいる朝風呂は、もう現世におけるあの世である。
白い蒸気がたつ湯船は命の寝床だ。
ぬくぬくしたお湯につかって、水面が朝陽を照り返し天上で綾になって揺れているのを見るのが大好きだ。お湯に濡れた石の感触が大好きだ。風呂場にさし込む朝陽を見ただけで、泣けてくる。湯気と光の産着に包まれて生まれ変わった気分になる。
冬の朝風呂、……ああ、たまらん。
おまけにゆず湯である。
湯河原に住んでいてほんとうによかった。
あまりに温かいので、千歳川べりを散歩した。
いま、鴨や白鷺やセキレイなど、鳥がたくさんいて楽しい。
竹やぶのなかで鳥たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。
なぜ竹やぶのなかの鳥は騒いでいるのだ、竹やぶで何をしているのだ。
竹やぶの側を通るといつも気になる。
冬至が来たということは、今日は一番夜が長く、そして明日からは少しずつ夜が短くなっていくということか。
私は冬至の頃が一番好きなのだが、ということは私は夜が好きなのだろうか。
そうかもしれない。なぜなら、この季節が一番、朝が美しく昼が優しいからだ。
そして明日から、夜は一歩ずつ退いて、春分の日に昼と夜は同じ長さになる。
ああ、なんていい天気だろうか。
あたたかく、でも空気は冷たくすっきりとして、冬の優しさそのものだ。
冬の優しさも、冬の残虐で冷酷な厳しさもどちらも好きだ。
そうか、今日は冬至なのか……と、ゆずの香りのお風呂につかりながら思った。
私が死ぬときは冬がいい。
できれば冬に死にたい。冬は自分の季節だと思う。
白い冬の陽のさす朝に、湯気がもうもうとたつ朝風呂に入りたい。
そしてさっぱりして死にたい。
冬の朝風呂というのは、ほんとうにいいものだ。
そのためだけに湯河原に住んでいると言ってもいい。
大きな湯船に燦々と朝の光がさし込んでいる朝風呂は、もう現世におけるあの世である。
白い蒸気がたつ湯船は命の寝床だ。
ぬくぬくしたお湯につかって、水面が朝陽を照り返し天上で綾になって揺れているのを見るのが大好きだ。お湯に濡れた石の感触が大好きだ。風呂場にさし込む朝陽を見ただけで、泣けてくる。湯気と光の産着に包まれて生まれ変わった気分になる。
冬の朝風呂、……ああ、たまらん。
おまけにゆず湯である。
湯河原に住んでいてほんとうによかった。
あまりに温かいので、千歳川べりを散歩した。
いま、鴨や白鷺やセキレイなど、鳥がたくさんいて楽しい。
竹やぶのなかで鳥たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。
なぜ竹やぶのなかの鳥は騒いでいるのだ、竹やぶで何をしているのだ。
竹やぶの側を通るといつも気になる。
冬至が来たということは、今日は一番夜が長く、そして明日からは少しずつ夜が短くなっていくということか。
私は冬至の頃が一番好きなのだが、ということは私は夜が好きなのだろうか。
そうかもしれない。なぜなら、この季節が一番、朝が美しく昼が優しいからだ。
そして明日から、夜は一歩ずつ退いて、春分の日に昼と夜は同じ長さになる。
ああ、なんていい天気だろうか。
あたたかく、でも空気は冷たくすっきりとして、冬の優しさそのものだ。
冬の優しさも、冬の残虐で冷酷な厳しさもどちらも好きだ。
by flammableskirt
| 2008-12-21 13:09

