歪みと、不完全さ。

 明治大学生田校舎に初めて行く。
 菅啓次郎さんの企画で、作家の宮内勝典さんの講義がありそれを聴講しに行った。
宮内さんの著作は、私が作家になるずっと前から読んでおり、いわゆるファンというものである。作家になってよかったのは単なるファンに過ぎなかった自分が、どこか関係者みたいな顏をして作家の方と会えることだ。ものすごく役得だと思う。

 その日は思いもかけない出会いがたくさんあり、役得の上にさらにラッキーという良いことづくめの一日で、菅さんにほんとうに感謝である。以前から本を読んで知っていた文化人類学者でシャーマニズムの研究をしている蛭川さんとも話しができた。5年ぶりくらいに精神科医の宮地さんとも会って、近況のやりとりをした。

 この日、写真家の佐藤文則さんの「ダンシング・ヴードゥー」という写真展が、図書館内のギャラリーで開催されていた。偶然なのだが、前夜にいま私がはまっているラース・フォン・トリアーの「キングダム」という映画を観ていたら、ヴードゥー教とハイチのことが出てきて、登場人物の一人である女医が、「これからは自然療法だ」と力説し、脳神経外科医に「ハイチに行きましょう」と誘うのだ。なんでハイチなんだろう……と思っていたが、なるほどこういうことか……と、写真を観ながら思った。映画ではそのあと、麻酔アレルギーの患者が、催眠術にかけられて脳外科手術を受ける、というシーンが出てくる。やけに不気味な映画だったが、その翌日に明治大で「ダンシング・ヴードゥー」を観るわけなのだ。
 ちなみに、「ヒーローズ」にも怪しいハイチ人が登場する。ハイチ人というのは欧米人にとってよほど得たいの知れない存在のようだ。
 佐藤さんに話しを聞いたところ、ヴードゥー教は、アフリカのコンゴ川流域の土着信仰で、奴隷として連れて来られた黒人がカトリックに改宗を迫られるのだが、彼らは故郷の宗教をカトリックにトレースして復活させてしまう。それがヴードゥー教らしい。いちおうキリスト教の体裁をとっていながらあまりに異質なのでキリスト教文化圏の人たちには脅威なのかもしれない。
 ホワイトでもなく、ブラックでもなく、イエローの私にはホワイトもブラックも怖い。どちらもファナティックに感じて、うんざりする。黄色なんていういいかげんな肌の色で草を食っている私はそのぶん、白も黒も相対化しやすいのかもしれない。
 ブラックはホワイトを冗談のように取り込む力があるが、ホワイトはブラックを拒絶する。
 トリアーはヨーロッパの陰湿さを嘲笑い、アメリカの民主主義をこきおろしているけれど、黒人問題を扱った「マンダレイ」では、完全にコケている。彼はブラックを相対化できていないんだ、と感じた。人間は完璧な作品を作ることはできない。なにかに焦点を当てればなにかを削ぎ落とすことになる。完璧なのは自然だけで、人間が作るものは常に不完全だ。だとしたら不完全であることを怖れてはダメだ。こんなに不完全なのにどうして完全でないことを恥じてしまうんだろう。
 とてつもない不完全さ、それがトリアーであり、だから鬼才と呼ばれるのかもしれない。

 精神科医、中井久夫さんの「兆候 記憶 外傷」を読み直す。この本の巻末の原稿は「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」というタイトルで、ヴードゥー教について考えていたらなぜか思い出した。中井さんの洞察は個性的で、この人は天才だと思う。ピュイセギュールについて調べてみたが謎だ……。

 宮内さんが取り組もうとしている全く逆方向から、同じ水脈を探しているような不思議な気持ちになった。私が掘り始めているのはヨーロッパの暗い森、占星術やオカルト以前の巨木信仰、そして黒い天使。
 不完全で歪んでいていい。そのかわり一点突破だ。なんだかそんな勇気がわいてきた。私が探しているものは一貫している。それでいいんだ。他者ではなく自分に対して誠実であること。
宮内さんと会って、そう自分に答えを出した。
by flammableskirt | 2008-12-21 11:49

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