私は昆虫である
2008年 12月 17日
ゆうべは、風の旅人の忘年会で池袋に行っていた。
いつも思うのだが、武道の達人の前田さんは、視線や姿勢がゆるがない。
ゆるがないというだけで迫力がある。
ふつうの人は飲んでいると腰が定まらなくなり、上半身がしゃべるたびにふらふらする。
ところが前田さんはぴくりとも揺らがないのだ。視点も、視線も。
知識とか、論理とか、そういう問題ではなくて、
体が揺れない前田さんはそれだけで美しいし、迫力がある。
前田さんは、土台のしっかりした家という感じがする。
その土台の上にかなり個性的な家を建てている。
上がり口がどこかわからない妙な家だが、とにかく土台がいいのだ。
いいなあ……と思う。
私はしゃべっているとき視線もあちこち揺れるし、
ぜんぜん腰が定まらない。気がつくと揺れている。
運動もしていないし、腹筋も背筋も落ちてしまったのであたりまえなのだが、
体に筋を通している人を間近で見ると、自分がとてもふにゃにゃした人間に感じて恥ずかしい。
そもそも自分には土台というものがない。寄る辺ない……というのが常に自分が感じていることだし、自分をたとえるとクラゲとかナマコという感じだ。流れが変るとそっちにもっていかれてしまう。これはいまだに私のコンプレックスである。
私は目の前を通過するものに食いついて行く、カエルみたいな人間であり、
火に寄っていく蛾みたいでもある。
自分を動物にすらイメージできない。自己イメージはいつも海洋生物か昆虫である。
自分は人間離れしているなあ……と思う。
感情移入も植物や、昆虫にしやすい。
だから次の本も「蝿男」や「スッポン」というタイトルが続く。
なぜなんだろうか?
せめて、動物になりたいが、私にとって動物は人間以上に揺らがなく、
それこそ崇高で、とても近寄り難い。
私は虫けらなのだ。根性が虫けらである。卑下しているのではなく素直にそう感じる。
海でつかまえた蟹を水槽で飼っていたことがある。
ある晩、蟹はなにを思ったか水槽をよじ登って外に出ることにしたらしい。
水槽を昇り始めたのだが、もちろんつるつるすべって落ちる。それを延々と繰り返し始めた。最初は面白がって見ていたが飽きてしまった。
夜半になっても、蟹が水槽をのぼって、落ちるガサガサした音が聞こえる。
三時になっても、四時になっても、五時になっても聞こえる。
蟹が一晩中、水槽を昇っていた。朝になっても、昼になってもやっている。
私はだんだん怖くなった。蟹はなんて執念深いのだと思い、いやこれは執念なんてものではなくて、これは……蟹の本性だと思った。ほんとうに怖くて海に返してしまった。
越前海岸に蟹を食べに行ったとき、
巨大な水槽に蟹がうじゃうじゃいた。あの蟹のことを思い出して、
「蟹ってのは業が深い生き物だ……」と呟いたら、それを聞いていた蟹民宿のおばさんが、
「そうよ。よく知ってるわね、蟹ってのはほんとうに、怖いよ」
「やっぱり?」
「こいつら、なんとか這い上がろうとするんだけどね、ときどき相手がじゃまになると、相手の足をはさみでぎゅっと挟むのよ。そのまま何日もじっと挟んでいてね、挟まれた方も何日も相手の頭の上を押さえ込んでいてね、なんかぞっとするのよ。沈黙の闘いって感じよ」
しかし、私はこの蟹の本性が自分にあると感じる。
昆虫とか、蟹とか、蝿とか見ると、これが自分だと思う。
動物占いじゃなくて、昆虫占いとか作って欲しいと思う。
人間の本性はゼッタイに、昆虫に近い、蟹とかザリガニとか、そっちに近い。
私はそう確信している。少なくとも私はそうだ。
いつも思うのだが、武道の達人の前田さんは、視線や姿勢がゆるがない。
ゆるがないというだけで迫力がある。
ふつうの人は飲んでいると腰が定まらなくなり、上半身がしゃべるたびにふらふらする。
ところが前田さんはぴくりとも揺らがないのだ。視点も、視線も。
知識とか、論理とか、そういう問題ではなくて、
体が揺れない前田さんはそれだけで美しいし、迫力がある。
前田さんは、土台のしっかりした家という感じがする。
その土台の上にかなり個性的な家を建てている。
上がり口がどこかわからない妙な家だが、とにかく土台がいいのだ。
いいなあ……と思う。
私はしゃべっているとき視線もあちこち揺れるし、
ぜんぜん腰が定まらない。気がつくと揺れている。
運動もしていないし、腹筋も背筋も落ちてしまったのであたりまえなのだが、
体に筋を通している人を間近で見ると、自分がとてもふにゃにゃした人間に感じて恥ずかしい。
そもそも自分には土台というものがない。寄る辺ない……というのが常に自分が感じていることだし、自分をたとえるとクラゲとかナマコという感じだ。流れが変るとそっちにもっていかれてしまう。これはいまだに私のコンプレックスである。
私は目の前を通過するものに食いついて行く、カエルみたいな人間であり、
火に寄っていく蛾みたいでもある。
自分を動物にすらイメージできない。自己イメージはいつも海洋生物か昆虫である。
自分は人間離れしているなあ……と思う。
感情移入も植物や、昆虫にしやすい。
だから次の本も「蝿男」や「スッポン」というタイトルが続く。
なぜなんだろうか?
せめて、動物になりたいが、私にとって動物は人間以上に揺らがなく、
それこそ崇高で、とても近寄り難い。
私は虫けらなのだ。根性が虫けらである。卑下しているのではなく素直にそう感じる。
海でつかまえた蟹を水槽で飼っていたことがある。
ある晩、蟹はなにを思ったか水槽をよじ登って外に出ることにしたらしい。
水槽を昇り始めたのだが、もちろんつるつるすべって落ちる。それを延々と繰り返し始めた。最初は面白がって見ていたが飽きてしまった。
夜半になっても、蟹が水槽をのぼって、落ちるガサガサした音が聞こえる。
三時になっても、四時になっても、五時になっても聞こえる。
蟹が一晩中、水槽を昇っていた。朝になっても、昼になってもやっている。
私はだんだん怖くなった。蟹はなんて執念深いのだと思い、いやこれは執念なんてものではなくて、これは……蟹の本性だと思った。ほんとうに怖くて海に返してしまった。
越前海岸に蟹を食べに行ったとき、
巨大な水槽に蟹がうじゃうじゃいた。あの蟹のことを思い出して、
「蟹ってのは業が深い生き物だ……」と呟いたら、それを聞いていた蟹民宿のおばさんが、
「そうよ。よく知ってるわね、蟹ってのはほんとうに、怖いよ」
「やっぱり?」
「こいつら、なんとか這い上がろうとするんだけどね、ときどき相手がじゃまになると、相手の足をはさみでぎゅっと挟むのよ。そのまま何日もじっと挟んでいてね、挟まれた方も何日も相手の頭の上を押さえ込んでいてね、なんかぞっとするのよ。沈黙の闘いって感じよ」
しかし、私はこの蟹の本性が自分にあると感じる。
昆虫とか、蟹とか、蝿とか見ると、これが自分だと思う。
動物占いじゃなくて、昆虫占いとか作って欲しいと思う。
人間の本性はゼッタイに、昆虫に近い、蟹とかザリガニとか、そっちに近い。
私はそう確信している。少なくとも私はそうだ。
by flammableskirt
| 2008-12-17 11:05

