闇サイト殺人事件の報道を見て

 闇サイト強盗殺人事件、と呼ばれる事件の公判があったという。朝のテレビニュースでは、三人の加害者の残虐な犯行や、公判での様子が報道されていた。

 法廷で、殺人の様子を「サスペンスドラマを見ているみたいだった」と語ったことや、被害者殺害の模様を淡々と語ることなど、加害者の異常性を繰り返し伝えた。被害者の女性は「銀行カードの暗証番号を教えろ」と脅されたが拒否、最後にはウソのカード番号を教えて、その後、殺害された。死をもって守った口座には母親のマイホーム資金を貯金していたのだという。母一人子一人。残された被害者のお母さんの毅然とした姿が、加害者のやさぐれた男性たちのふてぶてしさをさらに際立たせていた。

 コメンテーターの大谷さんというジャーナリストは、よくテレビで見かける人だが、一貫して死刑を訴えていた。
「いままで一人殺して死刑というのはなかったが、この残虐性は死刑に値する。ただ、三人全員死刑になるかどうか。裁判所は国民の○○○(この言葉うまく聞き取れなかった)にこたえてほしい」
 要約すれば、すでに二十九万人の死刑嘆願の署名も集まっているのだし、国民が死刑を望んでいるのだから裁判所もそれを考慮して、できれば全員死刑にすべき……。というような事を言っているようだった。
 そして、その場にいたコメンテーターも、さらに司会者のアナウンサーもほぼその意見に同意したようなそぶり、発言を示したのだった。

 この大谷さんという方は、何者なのだろう?
 と、不思議に思った。国民がギロチンだーと叫べば王様を絞首刑にしたというような、そういう時代ではない。裁判所は、被害者に同情的な国民感情を反映させる場でないと思うのだが。 一般人ならともかく、もう還暦も過ぎたようなジャーナリストの発言としてはずいぶんとヒステリックで気色悪かった。

 三人の加害者は三、四十代の男性。いわゆる働き盛りだ。派遣社員として働いているうちに世の中が嫌になってしまったらしい。そういう彼らの個人的な屈折の背景に何があるのかを探るのが、ジャーナリストという職業なのだと思っていた。真実を知ろうとする意思があれば「国民の意思を尊重して人間三人を極刑に処せ」と大衆に向かって叫ばないだろう。テレビは人を変えるのだろうか……。

 闇サイトという存在の是非は問われないのか。プロバイダーは犯罪の巣窟になるサイトをどう規制していくか、インターネット内で犯罪が起った時に、情報の流通・提供をした責任は問われないのか、考えなければならない事件の背景について、この番組では何一つ語られなかった。そして、テーマとして絞り込まれたのはただ一つ。加害者の男性たちの残虐性、反省のなさ、非人間性……だった。

 人間の残虐性には果てがない。それは歴史が証明している。ごく普通の人間が、状況によっては簡単に殺人者になることは戦争が何度も示した。事件が何度も示した。そのことを熟知しているはずなのに、どうして残虐性を特別なものとして排除しようとばかりするのかな。それを増長させている装置としての闇サイトがなぜ、成立しているのかは番組にならないのか?

 私が知りたいのは、残虐になりうるという可能性をどう回避するか、社会が人間を自暴自棄や激しい行動に突っ走らせないために、どのように柔らかな人間関係のセーフティーガードを構築するか、という智恵だ。その智恵のために利用しなければ、ただ犯罪者を死刑にしても何も得るものがない。報復感情のための処刑を国家が代行するのは怖い。被害者の遺族の感情を、もっと社会がいっしょになって悲しみ、受け止め、世界を包み込むものへと変えていけないだろうか……。それは、夢なんだろうか。
 子どもの頃はみんなかわいい。幼稚園や保育園に行くたびそう思う。小学校にあがり中学校になると、子どもたちに差が出てくる。やさぐれる子もいる。非行に走る子もいる。からみついた人生の重さで背中が曲がって行く子もいる。もちろん、自分の人生を受け止めるのは自分しかいない。でも……。社会を形成して人間が生活しているのは、一人では生きていけないほど弱いからだ。
by flammableskirt | 2008-11-21 10:53

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