へろへろ

東北から九州へ。
鹿児島と熊本をまわってきました。昨日、家に帰り着きました。
いろんな人のお世話になり、泊めていただき、車で送っていただき、ごはんごちそうになり、まるでバックパッカーのようでした。みなさんほんとうにお世話になりました。ごちそうさまでした。ありがとうございました。

ゆうべはさすがに爆睡し、今朝はたまった事務処理に朝から四苦八苦しています。ゲラも届いています。原稿の締め切りもあります。そして明日から木更津へ。そのあと、帯津先生との対談のためお茶の水のホリスティック医学協会のシンポに行きます。用件ぼろぼろ抜けています。メールもらっても読む暇ないので、お返事できません。大切で急な用件は電話ください。電話してくれないと対応できないです。……というのも、メールでの仕事のやりとり、ほとんどしてないんです。メールでやりとりできるほど仕事場にいない。移動してるんです。電車や飛行機に乗ったり、山に登ったり、どこかのおうちの台所に立っていっしょに料理していたり、たち魚を釣りに行ったり、そういう状況なのでメールというのが機能しない。メールだけ送って連絡をとった気分でいる人が多いのですが、それが不思議です。何十年も前から私はモバイルしない、と言い続けているのにな。メールで用件を送って待っているって、なんだか妙なコミュニケーションのスタイルだなあと思うのですが、変だと思うのは私だけなんだろうか。もう25年もメールを使い続けているし、とっても便利で大好きだけど、やっぱり仕事は電話と手紙と打ち合わせをバランスよく組み合わせて使い分けるのが、身体の芯に届く気がします。メールだけですべてをすませるのは、いやだ。

出張に行く前に、教育テレビで、山谷のホスピス「きぼうの家」のドキュメンタリーを観た。私の父みたいな、肉体労働に従事してきた人たちが、最期をホスピスで過していた。運営している看護士の女性が、ラストの場面で、入所者を看取ってシャボン玉を吹いていた。すごく遠い眼をしてシャボン玉を吹いていた。

このシーンは、たとえば「やらせ」にも見えなくない。わざわざいい年をした大人がシャボン玉遊びをする、それはなにかとても違和感がある。その違和感がおもしろかった。あれを不快に感じる人もいるのだろう、というのは、その女性は自分が看取った老人たちを思い、なにか夢見るような表情でシャボン玉を吹いていたからだ。そこには、私たちが日常感じている現実感がなく、なにかこうロマンチックすぎるような苛つきを感じる。

だけど、それが真実なのだろうと思った。人を看取るという行為は、その時点でもう現実感覚から抜けて、死者の魂の感覚へと移行することなのだ。そうでなければ看取れない。だけど、こちら側にいる人間にとっては、意識状態が死の方へ向いていて、ぼんやりとあちら側の世界に行っている人は「ちょっと変」に見えるのだ。

ホスピスという場所で、現実的な問題と対処しつつ、死者の魂に寄り添い変性意識状態へ入るのは、とても難しいことだろうなと思う。でも、それが日常になれば、人はバイリンガルのように自由にそこを行き来することも可能なのだろうか。それを聞いてみたい気がした。
by flammableskirt | 2008-11-07 11:40

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