快晴

良い天気です。
経済は上がったり下ったり、ヒステリックに動いていますが、今日も空は青い。
アメリカが風邪をひけば世界が感染する……。天気も、経済も、つながっている。誰も世界と無縁ではいられない。それは昔からずっとそうだったのだろう。世界はつながっている。そのことを考えると、昔は「そんなの窮屈だな」と思っていた。結局人間は、大きな歴史の渦のなかに飲み込まれ、翻弄されるだけのちっぽけな存在じゃないか……という、みじめな感じがしたりした。30代の頃まではそう思っていた。

40代は世の中を見る目や、価値観が大きく変わった。
私の40代は、著作でもそうだけれど「生きる意味を問う」という40代だった。人間はなぜ生きるのか。その問いは、実は、命ってなんだろうとか、魂ってなにか、世界ってどうなってるのか、人間存在とはどういうものか、ほんとうにすばらしい生き方ってなんだろう、そういう問いとつながっていたと思う。霊的なことや、生命の不可解、宇宙の神秘、そんなものもひっくるめて考えないと生きる意味ってさっぱりわからない。もちろんいまもわからないが、40代を通してこのことを考えているうちに、だんだん問い自体が消えてしまった。

50代を目前にひかえて、いま自分にあるのは「どう生きるか」という問いであり、「なぜ生きるか」という問題は、もう興味も関心もなくなってしまったのだった。生きる意味がわからないから死にたい、そう言って自殺する人の気持ちを変えることは私にはできない。兄が自殺することだって止められなかった。ましてやアカの他人になにができるか。ただ、悔いているのは、兄が「生きた」ということ見なかったことだ。なぜ死んだのか……ばかり気にしていた。そしてその理由を探す40代だった。だが、兄が「どう生きたのか」について、なにも知ろうとしなかった。そして、その話を聞こうともしなかったのだ。

父が死ぬときの最後の言葉。「どうだ、オレはよく生きたろう」
兄もそう言って死んだかもしれないのに……。
がんばってよく生きたじゃないか、こんなに悩んで苦しんで、よく生きてきた、そう思えなかった自分の小ささや狭さが苦しい。生きていることは称賛に値する。
今日一日、いまこの瞬間、どんなに苦しくても生きているのなら、そのことを共に祝う気持ちがなかった。

どれほどの人が、日々の重さにたえながら、それでも懸命に生きているだろうか。
それは称賛に値する。そのことを、祝福する。たとえ明日死んでも、死ぬ瞬間まで生きることを貫いた。自殺だろうが、他殺だろうが、よく死ぬ瞬間まで生きた。すごいことだ。そう思うことが、まったくできなかった。そんな人間が偉そうに鎮魂なんて言葉を口にしていたのだから、自分でも情けないと思う。

死ぬまでのあいだ、どう生きるか。その問いをかかえた私に、佐藤初女さんはこう言った。
「ランディさん、言葉をこえてね」
言葉を超えて……。言葉ではなく行為なのだよ。
私は言葉を扱う仕事の人間なのに……と、思った。でも、同じことをメキシコのシャーマンからも言われた。
「あなたの言葉は、世界に投げ込む石となる。言葉も行為なのだ。言葉のための言葉ではなく。言葉を超えた行為として、言葉を使いなさい」
それはどういうことなのか、言葉をこえる……ということをずっと考えてきた。
それはこういうことかな……ということは、ひと言ではいえない。
by flammableskirt | 2008-10-29 09:29

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31