田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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友人の文化人類学者上田紀行さんからメールが届いた。
以下転載。

上田紀行です。

先週よりチベット情勢に心を痛めております。
何かできないかと思い、NHK出版を通じて、書店に働きかけを行いました。

その結果、紀伊國屋書店本店、ジュンク堂池袋、大阪店、丸善丸の内オアゾ本店、青
山ブックセンター本店で、
「緊急・ダライ・ラマ・ブックフェア」の開催が決まりました。

また、この情報を「ボーズ・ビー・アンビシャス」メンバーに流したところ、高松の
僧侶の方が働きかけ、高松の宮脇書店本店、南店でも緊急フェアが開催されることに
なったとのことです。
書店の方々の「打てば響く」対応に感動しております。

この動きがもっと広がっていくことを念じております。
# by flammableskirt | 2008-03-22 18:50
きつかわゆきおさんの出版記念会に行ってきた。

「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ」 バジリコ

きつかわさんの新刊、これは詩集です。
きつかわゆきおさんは、ひと言では言えませんが私がもし「あんたが尊敬している人を一人だけあげろ」と言われたら「きつかわゆきお」と答えると思う。そういう人です。ほんとにからっぽです。つまり達観してるってことです。難しい言葉で言えば解脱とか言うんでしょうか。そういうもってまわったつまんない言い方をしなくても、この人と20年もつきあっていると、からっぽってこんなことか、そしてこんな力があるのか、と思います。
きつかわさんは中心に我がありません。そんな人はめったにおりませんが、この人はそうです。だからただの器です。でっかい器ですが、とても強いので虚勢など張らずにふつうに暮らしています。なんでも入ってしまいます。なにしろからっぽなので……。
そもそも、私がネットに文章を書き始めるきっかけをつくったのはきつかわさんです。海外出版のきっかけをくれたのもきつかわさんです。打ち出の小槌みたいに相談すると必ず返事をしてくれます。だからって、きつかわさんに頼ってもなにもしてくれないのだけど(笑)きっかけをくれます。あらゆる人のとっかかりになってきた人です。とっかかりだ作って去って行ってしまいます。風のようです。まったく妙な人です。
でもきつかわさんの言葉を読むと、きっと納得できます。
とっても短いシンプルな詩集だけど、ものすごく深いです。
わかる人にはわかるし、わからない人には永遠にわからないと思うけれど、読むとほっとするんだよなあ……。
# by flammableskirt | 2008-03-17 18:51

生ききるって難しい

三月二十三日は、ポレポレ東中野で小栗康平監督とのトークがあります。

来週は青森に出張だ。戻ってきたらオフ会があり、そして三月も終わりだ。あっという間だよ三月。海外に行くと一月が早い早い。

四月もまた、いろいろイベントに呼ばれている。こんなふうに人生は過ぎていくのか。ああ、なんだか時の経つのが早すぎて不思議だ。誠心誠意、一所懸命、一瞬一瞬、気合いを入れて生きていきたいと思うが、なかなかそんなに力を入れ続けるのも疲れるし。生ききるって難しいなあ……。
# by flammableskirt | 2008-03-17 18:51

「恋空」を観た娘たちへ



 イタリアからの帰りの飛行機で、映画「恋空」を観た。
 わたくし48歳ですが、不覚にも泣いた。基本的に涙もろいのである。うちの娘はまだ11歳だが、あと5年もすれば主人公と同じ年。今だって、ホワイトデーのお返しが来るかとわくわくしている。ああ、うちの子もそのうち男に夢中になる年齢になるのだな。
 
 生まれて初めて男子にチョコをあげたのは小学校五年の時だった。初恋と言えるものは十三歳で体験した。ちなみに初キスは14歳だった。「恋空」に描かれていた女子の気持ちは、年増になった今でも十分理解できる。心のなかにはまだ十代の記憶が生き生きしている。

 もちろん、私はその後、人生の紆余曲折を経て今にいたる。男にふられた数も半端じゃねえし、結婚して、子どもも生んで、亭主の親といっしょに地味に暮らしている。恋に終わりがあることも知ったし、終わりがなければ始まりがないことも、永遠に持続する恋愛感情などありえないことも、経験的にわかってしまったが、経験でわかったことが人生の真実ではない。恋を体験するのはすてきなことだ。だからこの映画がヒットし、携帯小説が読まれることは十分に理解できた。

 ただ、この映画には、ちょっと足りない部分があるなあと思ったので、おせっかいだが補足しておく。注釈的に読んでもらえたら十分である。こういうのを老婆心と言うのだろう。

 主人公の美嘉が、ヒロの家に行き、いきなりヒロとエッチをする。これは唐突ではないだろうか。少なくとも美嘉は初めてのエッチなわけだし、こんなに簡単に男を受け入れるのは設定としておかしいのではないか。ふつうは「えっ?」とか「マジ?」とか「ちょっと待ってください、私はまだ気持ちの準備が……」となるだろう。ここで美嘉がすんなりヒロとやっちゃうのは、あまりに美嘉が軽すぎないか? おいおい娘、こんなに簡単にやらせちゃったら男からなめられるぞ、と私は思う。それに、最初から気持ちいいってことあるだろうか。タンポンすら入れるのが痛かった私としては、初体験で最初から気持ちいいという設定は「絶対にありえない!」と異を唱えたい。
 娘たち、初セックスはけっこう苦痛だし、みじめなものだ。お互い場数を踏みながら上達していくものである。この映画は初体験を美化しすぎている。だいたいこんなに簡単に男にやらせてはいかん。

 そしてまた、このヒロという男はすごく優しくていい奴なのだが、全く避妊する気がない。でもまあいいか、赤ちゃん出来たら生む気満々だったからそれは許そう。しかしながら、こんな少年はいないぞと思う。男というのは結婚していたって、子どもができたときは「え?子ども!」とショックを受けたりする。子どもっていうのは男にとって脅威であり、自分の自由を束縛する異物。あるいは自分の妻を奪う敵でもある。だから、最初からすんなり子どもを受け入れて、やったあ!などと喜ぶ青少年など、ありえないと思うし、もし本気でそう思っているなら現実感覚のない相当なロマンチストである。子どもできたらもっと苦悩しろよ、おい!おめえは安易すぎるぞ。だいたい、ここまでステレオタイプの優しい男はヒロかヨン様だろう。こんな男がいたらほんとに凄いと思うけど、絶対にいねーよ。だが絶対にいないから憧れの対象にもなるのだろう。私も憧れるちゃうよ、でもいないということを知っている。おばさんだから。

 ヒロの家庭はやんきーな感じで、家族全員がジャージをはいていた。素晴らしい。私も家ではジャージをはいている。そんなことはどうでもいいが、やんきーなヒロの元カノもやんきーで、手下に指示して美嘉をレイプさせる。犯罪だろう?それは。ここで、この映画はレイプは犯罪である、ということが十分描かれていないのは憤慨だ。これは刑事事件で警察が介入していよい犯罪なのだ。そのことをちゃんとわかってるのか? 何度でも言うがレイプは重大犯罪だ。
 そしてこの映画においては、レイプシーンがきれいすぎる。レイプというのは、あんなあっさりしたもんじゃない。レイプというのはどこの誰かもわからない薄汚い男にごりごり突っ込まれて、しかも映画ではマワされている。複数の男にじゅうりんされるのだ。こんな屈辱的なことはない。優しくやられるんじゃない、殴られて乱暴されてマワされるのだ。性器は傷つくし、バイキンは入る。もちろん妊娠の危険もあるし、なにより、複数の男に強姦されるとそれだけで将来、子宮ガンになる確率がものすごく上がるのだ。
 子宮ガンだぞ。そんなリスクを負わされて、しかも精神的にもものすごく傷つく。レイプされた女子は、自分が汚されたという気持ちになり、自分を大切に思えなくなる。ショックは無意識下に影を落とし、その傷をなんとか克服しようとして、同じ状況を無自覚に作り出す。レイプされた女子がまたレイプされる確率が高くなるのはそのためだ。また初体験がレイプ体験である場合、男性に対して自信がもてなくなり、DV、つまり自分に暴力をふるう男を無意識に選んでしまったりする。ほんとうに、女子にとってこんなひどい行為はないのだ。身体も心も傷つきまくる。だが「恋空」では、あまりにあっさりとレイプ体験が描かれている。こんなにあっさりレイプがはびこっては困る、冗談じゃない。大事な娘をやんきーの女の指示でレイプされてたまるか、おまえら全部刑務所に送ってやるぞ、と母は決意せんでどうするか!レイプは犯罪だし、絶対にやってはいけないことだ。
 女子は、レイプがあんなものだと思ったら大間違いだ。もっと汚くて、痛くて、ひどくて、後々まで自分の人生に影を落とす最低な事態であり、そのような状況からは必死で回避しなければならないし、もし、レイプされたとしたら、申し訳ないが映画の美嘉のように簡単には立ち直れない。
 もっと怒って怒って怒って、自分がされたことへの怒りをぶちまけて、自分は悪くない、悪いのは男どもだ、と自分に言い聞かせ、納得し、自分を許し、自分を愛さなければ、とうてい立ち直れないようなことなのだ。そのときに必要なのは男の愛じゃない。自分を愛する自分への愛が必要なんだ。

 映画では、美嘉はレイプの傷をヒロの支えで乗り越えて、図書館でエッチして妊娠する。レイプされてすぐにエッチができるようになるというのが、考えにくい。レイプされた直後は男性との接触は、イヤな記憶を思い起こさせるのでなかなかできなくなることが多い。愛の力でそれを乗り越えたとしても、すぐに妊娠するなんて子宮の状態からして考えにくい。まあいい、奇跡が起きて、美嘉は図書館のエッチで妊娠してしまった。しかし、またやんきーの元カノが現われて、妊娠中の美嘉を階段から突き落とし、流産させてしまう。
 この場合は死産だったので、気を失っている間に麻酔をかけられて子どもはそうはされたのだろう。だから主人公は記憶がない。気がついたら赤ちゃんはいなくなっていた。でも、これはラッキーだったね、と私は思った。赤ちゃん生まれていたら大変なことだったよ。なにしろヒロはがんで、すぐ死んでしまうのだから、赤ちゃんが無事生まれていたら主人公は17歳の子持ちとして、一人で育てていかなければならなくなる。たぶん、主人公の母親がまだ若かったから、母親が自分の子どもとして孫を育てる……というようなことになるんだろう。などと、勝手に想像してしまった。
 若い二人が死んだ赤ちゃんを悼む姿には心打たれた。なんて優しい子たちなんだろうか。赤ちゃんには罪はない。
 ここで都合よく流産したが、現実はなかなかそうはいかない。たいがい堕胎ということになるが、堕胎もまたひたすら女子だけの身体に負担をかけるものだ。セックスは気持ちいいが、女子にはリスクもともなう。男子とは違う。女子はそのことを十分自覚してほしい。避妊しない男は信じないほうがいい。コンドームなんかヒロがつけたら、この物語はちっともロマンチックじゃなくなってしまうが、私は娘の母親としてヒロに言いたい。私の大事な娘とセックスするなら、絶対に避妊してくれ。頼む。コンドーム代くらいけちるな。コンドームつけない男子はクズだ。たとえあんたがどんなに優しい男だろうと、母さんは許さん。避妊しろボケ。
 娘よ、おまえも簡単にエッチさせるな。もう少し気をもたせたり、いやがったりしろ。そして男にちゃんと避妊させるくらいの、智恵をもて。それもできない子どもな女子は、最後までヤルな!途中でストップして、家に戻ってマスターベーションでもしていなさい。
 堕胎は子宮が傷つくし、金はかかるし、子どもは殺すし、百害あって一利なし。こんなリスクを女子だけが背負う。その意味を考えてくれない男に愛はない。美嘉の母親はなんで娘にちゃんとセックス教育しないのか。この母親もまったく気がしれない。娘がこんな大変なことになってるのに、ぼんやりしすぎている。もっと怒れ母親。レイプされたんだぞ娘が!私は怒っているぞ。だって、自分の大事な娘がこの男子をつきあったためにボロボロになってんだぞ。そりゃあ二人が愛しあってるのだから、周りがどうこう言っても無駄かもしれないが、夫婦喧嘩なんかしてる場合か。まったく腹が立つ。
 なんだか、お互い甘い甘い甘やかしの関係のなかで、ちゃんと腹を立てる大人もなく、でれでれと若者を包んでいるこの不気味な家庭の空気に、私は親として堪え難い窒息感を感じた。なんじゃいこの家族、それで最後に笑ってハッピーエンドかよ。ふざけんな。なんてふぬけた両親なんだ。こんなぼんやりした両親の元で、娘がまともに育ったことが奇跡だ。
 ところで、私は今年に入って父をがんで亡くし、また続けざまに友人も二人がんで亡くなった。なかなかすさまじい死に様だった。がりがりに痩せて、顔に黄疸が出て目まで黄色くなった。映画だから……ということもあるが、ヒロは死ぬまで美しかった。
 それでも、どんなにリアリティがなくても、最後に携帯で美嘉の姿を見ているヒロの臨終場面には泣いた。二人が結婚式をするところも泣いた。ようするに人間というものは、お涙ちょうだいを見たら素直に泣けるのである。メロドラマで感動することと、現実を知っていることは矛盾しない。暗い機内の中で私は涙を拭いていたが、だからと言って、この映画がまったくリアルでないことも、レイプや妊娠やセックスを美化しすぎていることも十分わかっている。わかっていても、映画は映画としてちゃんと楽しめる。現実を知ったおばさんになったからと言って心まで鉄面皮になってしまうわけではないのだ。
 だから、映画を映画として楽しむと同時に、この映画がいかに現実を美化しているかについても、認識してほしいと思う。まったく矛盾しない。シビアになったから泣けないなんてことはないのである。
 
 娘とは、この映画をいっしょに見て泣きたい。それから、鼻をかんでいろいろネタにして話しあいたいと思う。
# by flammableskirt | 2008-03-14 13:17
イタリアから戻りました。
今回はudin市の文化祭が「Geisya No Geisya」という日本女性をメインテーマにしたもので、現代の日本女性についてたくさんのシンポジウムが開かれました。
日本からは、私こと田口ランディ、金原ひとみさん、桜井亜美さん、長谷川純子さん、の4人の女性作家が招待されてシンポジウムを行いました。

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シンポジウム会場で。日本女性がテーマということで着物にしてみた。しかし、このテーマすごいなあ。芸者か、no芸者か、って言われても、芸者という単語自体がピンときませんが……。場もちがいいのだけが取り柄の私は、芸者だと答えておいた。


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イタリア語の翻訳者のジャンルーカ。いつもイタリアでのイベントでは通訳も、マネージャーもこなしてくれる大親友! とってもすてきで誠実な青年。古風な日本人のような几帳面な性格で、いつも「これだからイタリアは……」とイタリア人のアバウトさにげんなりしている不思議なイタリア人。


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日本の女性文学のシンポジウム、右から金原さん、桜井さん、長谷川さん。私のシンポは前日だったので、この日は会場で観客として聞いていました。イタリア人から出た質問がおもしろかった。「源氏物語をどう思うか?」ちゃんと読んでいたのは、イタリア人のジャンルーカだけ(笑)


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日本語の研究者で、日本文学にも詳しいアントネットさんを囲んで。私と長谷川純子さん。アントネットさんは大阪に住んでいたので、彼女の日本語は大阪訛り。なんだか日本のおっかさんという感じで、とても楽しい頼れる人でした。すっかり仲良しになり、三人で夜中まで飲んじまったぜ〜。

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イベントがあるので、町の本屋さんには私の本がポスターといっしょに並べられていた。これは、「アンテナ」と「コンセント」。この夏には「モザイク」が発売予定。こうして宣伝してもらえるととてもうれしい。イタリアの書店はみな大きくてきれいで、すてき! イタリア人は本好きなのだなあと思う。


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これは、イタリアで売られていた、村上春樹さんのイタリア語版の「海辺のカフカ」。
イタリアの本の装丁って、かっこいいんだよ〜。



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イベントが終ってからみんなと別れて、ジャンルーカとミラノへ。ミラノの駅は古くてかっこよかった。ほんとうに古くて、大戦後みたいな感じ。

c0082534_16143877.jpgミラノ大聖堂。めっちゃきれいだぜ。大聖堂を中心にした広場がミラノの繁華街。土曜日なのですごい人だった。ミラノはなんとなく新宿に似ている。駅前なんて「新宿西口みたいですね」とジャンルーカが言う。大聖堂の広場は歌舞伎町のコマ劇あたりと、雰囲気が似てる。……ってミラノの人が聞いたら怒るかな。目抜き通りに大きな本屋がたくさんある。ミラノの丸善書店みたいなモンドリーに入ってみる。

c0082534_16161066.jpg本屋で「アンテナ」を発見して、喜ぶ翻訳者のジャンルーカ。あったぜ!よかった。平積みされていたのは、もちろんばななさん、村上春樹さん、意外に北野武さん。本屋のなかはだいだい色の柔らかい照明に照らされていて見やすい。スペースも広い。そして、ほんとうに装丁がかっこいい!
イタリアの本を見ると「最近の日本の本って字がデカ!」と思う。





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ミラノから、電車でスイスのローザンヌへ。国境を越えるといきなり車内アナウンスがフランス語に変って面白かった。ここは、ローザンヌのアール・ブリュット・コレクション。かわいいお城の美術館だった。

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アール・ブリュット・コレクションでは、いま日本人展が行われていて、この大阪の帽子のおじさんのパフォーマンスがビデオで流れていた。字幕が間違っていて「岡本太郎」が「okada taro」になっている。直してほしいと伝えたが、もう DVD になっちゃってるって。世界の岡本太郎を間違えないでくれ〜。

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ローザンヌのセントラルの夜景。ほんとうに美しい町です。ヨーロッパに行くと、人々の暮らしぶりの質素さに衝撃を受けます。自分が日本人としてこれからどう生きたらいいのか、考えるよい機会になった。そして、ユーロは強かった。なんと1万円で60ユーロ。イタリアからスイスフランになったとたん、物価が安く感じた。スイスはとても暮らし良さそうだったなあ。スイス人って賢いと思う。ホテルも快適。しかし、ずっとチーズと生ハムばかり食べていたので胸焼けした。

日本に帰って来て、納豆ごはんにみそ汁を食べて心底ほっとしました。
# by flammableskirt | 2008-03-12 16:03

イタリア・スイス旅行

明日から、イタリアとスイスに出かけてきます。
今回はイタリアのUdinの文化祭に招待され、UdinからMilano経由で、アール・ブリュットの聖地とも言える、ローザンヌ・アール・ブリュット・コレクションを見学してきます。
いま、まさに「ジャポン展」の開催中です。
戻って来たら、また現地の様子などお知らせします。
では行ってきます。
# by flammableskirt | 2008-03-03 15:13
3月2日(日)放送の「新日曜美術館」NHK教育に、ゲストで出演します。

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今月から、滋賀県の「ボーダレスアートミュージアムNO-MA」で開催されている「アール・ブリュット交差する魂」という企画展を紹介しています。
アウトサイダー・アートは、いま私が一番関心をもっているアートです。この魅力をぜひたくさんの方に知ってほしい、そう思い紹介役をお引き受けしました。
5月から東京の汐留でも巡回展が始まります。
ぜひ、アール・ブリュットの魅力を感じてみてください。

3月4日からイタリアに出張しますが、その後、アール・ブリュットの聖地であるスイスのローザンヌのアール・ブリュットコレクションを見学に行って来ます。戻って来たら、またご報告します。

写真の作品は坂上チユキさん。
# by flammableskirt | 2008-03-01 13:03 | イベントのご案内

小栗康平全作品上映会

ついに、映像の魔術師、小栗康平監督の全作品一挙上映会が実現しました!

c0082534_12492473.jpg小栗作品の大ファンである私は、とにかくうれしい。
彼の映画は大きなスクリーンで見なければもったいないです。
究極の映像美を身体全体で浴びたい。
2008年3月22日〜4月11日まで。

3月23日(日)は、初回が終った後に小栗監督との対談(1時間)があります。
詳しくは小栗康平オフィシャルサイトで。
# by flammableskirt | 2008-03-01 12:57 | イベントのご案内
「ヤマケイJOY」2008春号に記事を書いています。

「屋久島 ひかりのあめの森を行く」

c0082534_12282988.jpg昨年、屋久島の永田岳から花山歩道へ、山小屋一泊で登った記録です。
花山歩道は「ジュラ紀の森」と呼ばれるほど、古くて雄大な森。ほんとうにジュラ紀の森と植生が似ているそうです。どこからか恐竜が出てきそうな深い森。すごいでしょ。
田淵睦美さんの写真が、とてもすてきです。

ちなみに今回の特集は「三十歳からの山登り」や「すみれ新聞」(日本中のすみれの名所を紹介)など、とっても楽しい企画だった。ずいぶんと誌面が変って親しみやすくなった気がします。

私の記事は季刊連載です。今年の夏は憧れの霊山、早池峰山に登る予定。
いまから足腰を鍛えないとなあ。
# by flammableskirt | 2008-02-28 11:06 | ヌー!のお知らせ
新刊が、早い書店だと今日あたりから並んでいます。
タイトルは「生きる意味を教えてください-命をめぐる対話」(バジリコ)

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「死ぬってどういうことか、生きてるってどういうことか」
そんな直球勝負の対談集です。
藤原新也、内田樹、鷲田清一、西垣通、竹内整一、玄田有司、森達也、宮台真司、板橋興宗……という、すばらしく個性的な方々に、三年かけてお話を伺いました。
読者の方の、人生を考えるヒントになればいいな、と思っています。
とてもかわいい表紙です。
# by flammableskirt | 2008-02-27 12:05 | 新刊のお知らせ

雪の金澤



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仕事で金澤に行って来ました。友人のカメラマンの桝野さんが東山で写真を撮ってくれました。金澤に行く前に、髪を切った。この人生で最も短くした……という感じ。父の四十九日が終って一区切りつけたかったのかもしれない。写真を見て「うわっ。髪が短い!」と改めてショック。

翌日は近江町市場に買い物に。市場のなかでお寿司を食べた。「シラエビちょうだい!」と言ったら、寿司屋のおじさんに「シロエビだよ。日本語は正確に!」と注意を受ける。とほほ……。
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金澤での仕事
北國新聞に掲載された講演要旨
「がんと生きる智恵・小説「キュア」の取材を通して学んだこと」

北國新聞政経懇話会二月例会は二十五日、金沢市の金沢エクセルホテル東急で開かれ、作家の田口ランディ氏が「がんと付き合う知恵〜小説『キュアcure』の取材を通して学んだこと」と題して講演した。肺がんで余命半年といわれ今年一月に死去した父の介護体験を紹介した田口さんは「日本の医療はがん患者にも生きる希望を与える取り組みが必要。治るか治らないかにこだわり過ぎず、どう闘い、どう生きるかという視点がこれから大切だ」と強調した。講演要旨は次の通り。
 日本では、がんが絶望の代名詞になっている。そう思わせる構造があるからだ。昨年六月、骨折で整形外科病院に入院した父を例に指摘したい。入院して肺に影があると分かったため、私が近くの県立がんセンターへ行き写真を見せると、肺がんだろうと言われた。治療を依頼すると、「骨折の治療ができないから」と転院を断られた。

 実は私も知らなかったが、父はアルコール依存症だった。幻覚症状が出始め、退院を通告された。三十以上の病院に当たったが、受け入れ先はなし。ある人の助言を受け、退院した上で救急車で救急病院に入ったが、そこでも退院か、家族が二十四時間付き添うかだと言われた。

 家族でもそれは無理だ。何とかお願いすると、雇った付き添いを病院は認められないが、家族だと申告すれば可能で、そうした。ここで初めて検診を受けることができた。医師から余命半年と言われた。それも、七十八歳、精神的障害もあるし、もういいのでは、といった感じで。

 ショックだった。余命をどう過ごすかを考えた方がいいと言われても、病院は何も相談に乗ってくれない。どうしたらいいのか。何かしらの代替医療の話でもしてもらえば、まだ頑張れる。しかし、科学的根拠がないから言えないのだ。これが不幸を招いている原因の一つになっていることも分かってほしい。

 病院探しを手伝ってくれる協会の存在を知り、相談し精神病院に転院。アルコール依存症と、それによる認知症は幸いにも一週間ほどで治った。この時点で父はまだがんであることを知らない。悩んだ末、私から告げた。二日後、父に会うと、告知は記憶から欠落していた。絶望に等しく意識が拒否したのだ。

 このころ激痛が始まった。実は日本の医療には痛み止めのモルヒネを適切に扱える麻酔科の医師が不足している問題点がある。私は医師を探し、行き着いたホスピスに父を入れた。そこは末期患者に対して緩和処置はするが、それ以外は患者自身がやるのが原則で何もしない。

 食事が取れなくなり、寝た状態が多くなった父は、ある日、「そろそろお迎えが来たようだ」と体を起こし、遺言を私たちに伝えた。末期患者はいろんな機器につながれ、ぜぇぜぇ言っているイメージがあったが、父は何か植物がゆっくり枯れていくような感じだった。

 ホスピスには随分感謝している。最後の最後には必要だろう。しかし、父のように生きようと思う人が入るのはつらすぎる点も否めない。医者側から何かしら希望の持てるような手助けがあってもよいのでないか。

 科学的根拠はないが、米国で、祈る人の多い患者の治癒率が高いという統計がある。免疫力も治るかもしれないと信じれば高まる可能性があり、そんな話一つで、がんとの付き合い方が違うように思う。末期でも余命何年と見放すのでなく、ケアを考える医療を患者や家族は望んでいるはずだ。
# by flammableskirt | 2008-02-27 11:31

喪あけの贅沢


父の四十九日が終った。
これでやっと、喪があけた。喪あけの贅沢は供養になるのだと聞いた。
今日は「しゃぶしゃぶ」にした。
ささやかな供養だな……。
# by flammableskirt | 2008-02-22 19:39

風の旅人ホームページ

雑誌「風の旅人」のホームページがリニューアルして、とても読みやすくなった。
記事も増えました。

風の旅人

自分のホームページのリニューアルがなかなか進まない……とほほ。
# by flammableskirt | 2008-02-20 13:29

ときどき、「スピリチュアルですよね?」という質問を受けます
読み手の方がどのように私の作品を読むか、それを書き手がとやかく言うことはできない。
でも、私個人は「スピリチュアルではない」です。

スリピリチュアルというのは、たとえばオーラの泉に出ている江原さんは三輪さんのような方を言うのだと思います。私は生まれてから一度も霊を見たことがないし、いわゆる、霊的な人たちがするような、スピリチュアルな体験というのはしたことがありません。

「ドリームタイム」をエッセイだと思い、私が特別な体験をしていると思い込んでいる読者の方も多いのですが、あれは小説で、すべてフィクションです。本にも小説だと書いてあるのだけれど、誤解する方が多いのはそれだけリアリティがあるということなのかな。それはそれでうれしいことです。同じように「オカルト」もフィクションです。

見えない世界は存在すると思っています。この世界は人間が知覚し、意識できることだけがすべてではないと思っています。死後も魂は形を変えて存在すると思っています。

でも、この「現世」において、この「三次元空間」において、一番、エネルギーが強いのは生きている人間、生身の生命だと思っている。生きている人間のエネルギーはとてつもない。そう思っています。

正直に言いますと、私は六十年代頃、アメリカからやって来た「ニューエイジムーブメント」というものに影響を受けていますが、いまはあまりニューエイジが好きではありません。なんとなく乗れないのです。同じように「スピリチュアル」にも乗れません。それは私が、おばさんだからかもしれません。

「しゃらくせえ」と思うのです。

地べたはいずって生きている人間が一番強い、という泥くさいものの考え方が、私のなかの根底にあるからかもしれない。私が育った茨城や栃木の田舎の親戚のおじおばたちは、土着で、なにかえたいの知れないパワーをもっていました。そういうものがあまりにどろどろしていて、子どもの頃は怖かったから、都会に出てもっとおしゃれなものを目指してきたけれど、だんだん年をとるにしたがって、自分の原体験の方に惹かれていくのです。そして、外国語を駆使して語られる精神世界を「うさんくさい」と感じてしまうのです。

二十代の頃に好きだった作家は、深沢七郎と石牟礼道子でした。
いま、この二人の作家を読んでいる若い読者なんているのでしょうか? この人たちの作品はすごいです。でも、これが、スピリチュアルの神髄だ、と私には思えるほどの霊的な力をもっています。ここでは、生きている人間が主役です。
霊や、前世が生きている人間に与える影響など、ほとんどないと、思っています。主役はいつも生きている人間です。それが生きているってことです。
生きている人間の、圧倒的な霊的パワーを描いているのが、深沢七郎と石牟礼道子だと思っていました。それはいまも変りません。

ただ、私にはこの二人のような土着性をもちあわせていないので、どこかで自分の表現はうすっぺらいな、と感じていました。だけど、それはもちあわせているとかいないとか、ではないのかもしれない……と、このごろは考え方を変えつつあります。
これは、私のなかにあらかじめあるものではないか。深い沼の底に降りていけば、きっと、あの人たちと同じような恐ろしいものを引っぱり上げることが可能なのではないか。

ただ降りていけばいい。死ぬまで降りていけばいい。
どこまで降りられるか。
興味があるのは、自分がどこまで降りられるか、そういうことになってきました。
深い深い深い、沼の底まで、たどりつきたい。
そしてそこに眠っている、得たいの知れない、人間性にたどり着きたい。
# by flammableskirt | 2008-02-19 11:12

算数の勉強

小学五年生の子どもといっしょに、算数の勉強をしている。
学校で「割合」の授業が始まったのだそうだ。子どもはこの「割合」がわからない。
この数学的抽象概念がわからない。
百分率と少数と分数の関係がわからない。
応用問題になると、なにがなにやらわからない。算数の教科書を見てみた。
うーむ、この教科書では確かにわからないかもしれない。

分数の計算も、少数の計算もできる。
だが「割合」というのは、基準にするものによって変化する「概念」なのだってことがわからないようだ。説明していると私までこんがらがってくる。

「これがわからないと、バーゲンで買い物ができない!」
「え〜?」
「定価29000円のコートが20%引きになっている。いくらだ?」
「一冊五百円の文庫本の印税は10%だ、1万3000冊売れると、母さんはいくら儲かる?」

割合は実生活にもっとも必要な「算数」だと思うわたしは、必死で教えるが、私自身は誰に教わったわけでもなく……というか、学校で勉強した記憶はまったく残っていなけれど、原価計算など、社会に出ると「割合」の知識がどうしても必要だったので、恥をかきながら覚えた。だから、いまやらなくても必要ならそのうちわかるようになるか……とも思うのだが、勉強していると面白いのでいっしょに家庭学習をしている。

高度な応用問題になると、パズルのようだ。私にもわからん。なにしろ数学苦手だった。
へー、こうやって割合を調べて、未知なる長さを導き出すのか……、などなど、こんな年になって感心しつつ、算数を勉強しているのである。ふだん、まったく使わない頭の回路で、とことん錆びついていて、マジで五年生の問題が解けず、夜中まで二人で悩むことも。

子どもは翌日なると、ゆうべの勉強はきれいさっぱり頭から抜けている。うらやましいほどだ。どうもまだ回路がつながらないらしい。あるとき、つながったら、私など簡単に追い越されてしまうんだろうが、つながらないうちは、わからないことはわからない。なぜ、わからないのかと言われてもつながっていないのだからどうしようもないのだろう。本人も、頭ではわかっていても(記憶していても)納得できず、悔し泣きしたりする。ほんとうに、わからないようだ(笑)

脳って面白いなあ……と、子どもを見ていてよく思う。
いつ、つながるのかな。ぱちんとつながった瞬間が見たくて、つい、毎日勉強を見てしまう。

「あ、そうか!」
と、子どもが言うときは、頭に電気がともったのが見えるようで笑える。
「なんでわかんなかったんだ〜、じーん!」
と、わかったことで感動していて、人間って、わかるって快感なんだなあと思う。
なんて好奇心の強い、不思議な生き物なんだろう。
# by flammableskirt | 2008-02-15 13:48

サボテン

このサボテンは、三年前にスーパーで買った。
電磁波を吸収するサボテン……と書いてあったので買ってみた。
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電磁波を吸収しているかどうかわからないが、あんがいと元気に成長して、三倍くらいの大きさになっている。なんどなく、形が「イエーイ」と言っているようでかわいい。
ようやく年をとって、植物を枯らさなくなってきた……。
長生きはするものだ。
# by flammableskirt | 2008-02-13 17:42
父の葬儀を終えても、なかなか休みがとれず、貧乏性なのでつい働いてしまう。
疲れがたまっていて、目がかすむようになった。老眼もある。
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屋久島に行きたいな、と思う。
緑色だけの森のなかでぼんやりしたいなあ。
急に視力がよくなった気分になるんだ。
湿った森の水蒸気のなかで深呼吸してみたいな。
そんなことを考える。
春になったら、屋久島に行こう。

写真は、友人の写真家田淵睦美さんから、もらったもの。
去年、いっしょに行った屋久島の写真。
# by flammableskirt | 2008-02-12 14:44

罪と罰と許し

わけあって、最近、遠藤周作さんの本を読み返している。
ここ数日で、五冊ほど読んだが、なかでも印象に残ったのがこの二冊。
そして、この本のテーマは、先日紹介した森達也さんの「死刑」ともつながっている気がした。
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「イエスの生涯」は評伝であり、「死海のほとり」は長編小説だが、この二冊は対をなしている。同じ主題の変奏曲というのか……、こういう書き方もあるのだなと興味深く読んだ。
遠藤周作さんは、キリスト教徒であったけれど、日本人としてキリスト教をどう理解するかを、ご自身の生涯のテーマとして描いた方ではないだろうか。たんなる読者である私が、口はばったいことを知ったかぶりで語るのは、とても気がひける。どうか、これは一読者のたわ言として読んでもらいたい。
遠藤周作さんが描く「イエス・キリスト像」は、菩薩のようだ。それゆえ、この二冊を読んで最初に思い出したのは、法然がひらいた「本願念仏」の思想であり、イエスと阿弥陀仏の姿がぼんやりと重なった。

私は阿満利麿先生の勉強会で、少しずつ法然について勉強しているところなのだが、どうしても「阿弥陀仏の名を呼べば誰でも浄土に行ける」という、本願念仏の思想が腑に落ちない。そもそも阿弥陀仏とはどういう存在なのかがイメージできない。頭では理解できるが、心で納得できない。そのようなジレンマを感じていた。しかし、遠藤周作さんの「イエスの生涯」を読むと、もしかしたら阿弥陀仏とは、ここに描かれているような存在ではなかったか……と、あるリアリティをもって感じることができたのだ。物語を作る作家の筆力というのは、やはり鬼気迫るものがあるし、いったい、いかなる理由で、遠藤周作という人は、これほどの救済を求めていたのか、その人となりにも興味をひかれるに至った。

「死刑」という制度と向き合うとき、私のなかにはいつも「許していいのか」「許せない」という思いが立ち上がる。身勝手な理由で無差別に人間を殺すような凶悪殺人など、いかなる理由をもってしても容認できぬし、許し難い。それはもう、ごく一般的なあたりまえの人間の心情である。だが、あらゆる人間の罪を哀しみ、共に罪を背負うという「超越的な存在」を、物語としてリアルに想定されたとき、自分のなかのなにかが壊れ、別の感情がわきあがってくるのを、感じずにはおれない。なぜだろうか……。この読書体験は。不思議なのだ。たかだか小説なのに、私を根底からひっくり返す力をもっている。たぶん、いまの私の問題意識と作品のテーマが共鳴しているから、このようなことが起こるのだろう。

なので、この三冊をセットで読んだ、という事実は、私にとって偶然とは思えず、なにか必然を感じる。本がテーマによって引き合ってしまったのだろう。
# by flammableskirt | 2008-02-10 12:43

「キュア」の表紙

この表紙はなんですか?
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と聞かれることがある。
帯をはずせばよくわかるはず。
表紙は最初から、深い底なし沼のような緑と決めていた。
なぜだかわからないが、そういう気分だった。
青ではなく、深緑。
色のイメージが最初に浮かぶなんて、初めてだった。
# by flammableskirt | 2008-02-09 11:01

死刑

森達也さんの新刊を読んだ。
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森さんとは古い友人、まだ作家じゃなかった頃からの友人だ。
私が作家じゃなかったころ、森さんも作家じゃなかった。
最近、森さんの本が売れててちょっとしゃくである。でも、いい本だからしょうがないか。
この「死刑」も、悔しいがやっぱりいい本だ。読む価値のある本だ。
なによりおもしろい。
森さんに誘われて、初めて「拘置所」という場所に、これから死刑になるであろう人、
死刑を求刑されている人に面会に行った。
行くまえと、いまとでは、死刑に対する考え方が変ってしまった。
どう変ったか……は、この本を読むと、わかってもらえるかもしれない。
ごくふつうの人が、ごくふつうに感じる、とまどいや、変化がていねいに描かれている。
本を読むと、森達也は、なんていい奴なんだ!と思う。
実物はともかく(笑)


また、来月からイタリアに行くことになった。
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これは、去年イタリアで出版された「アンテナ」だ。
なかなかシュールな表紙である。
今回はイタリアのとある市の文化祭に招待されて「アンテナ」の上映会もあるようだ。
映画と原作はまったく別物なのだが。初めてミラノに行く。
ミラノからスイスのローザンヌへ旅する予定。
だから2月は、死に物狂いで仕事をすることになった。
「死に物狂い」という言葉がなんか好きだ。
この字面が妙にかっこいいと思う。
「死」と「物」と「狂い」だもの。すごい。
死に物狂いで仕事ができたら、最高だな。
# by flammableskirt | 2008-02-08 09:14