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アール・ブリュットと福祉

福祉という領域が西欧のアール・ブリュットという概念を日本に持ち込んできたことはとても興味深いです。福祉の対象となるのはなにかしらの障害をもった人たち。お世話をする健常者とうまくコミュニケーションがとれない人たちです。

相手の行動がわからない。わかりたいと思うから、悩みが生まれてきます。福祉の現場では「なぜこんなことをするんだろう?」と、相手を、理解しようとする営みが常に続けられています。
さっぱりわからない他者の行動を「なにかしらの表現」として受け止めるために、新しい切り口が必要になります。その切り口のひとつが「アール・ブリュット」だったことは想像できます。

アール・ブリュット作品の魅力は「伝えようとしていない」ことです。健常者の表現はどうしてもなにかしら伝えようという作為を帯びてしまいます。伝えるにしても伝えないにしても作為が出てきてしまいます。それが良い悪いではなく、意識が働くので自然のこととしてそうなります。

意識はとても強く自己主張してきますが、たぶん、いまのようなコミュニケーションの形はせいぜい100年くらい前に生まれたもので、江戸時代までコミュニケーションの方法はかなり違ったものだったと思います。
遡って平安時代、奈良時代、弥生、縄文時代、もっと前、人は人とだけでなく、動物や虫や植物などともコミュニケーションをしていたのでしょう。その名残は世界の少数民族の文化のなかに残っています。
縄文土器が弥生土器と違い、色濃く生の息吹を発するように、アール・ブリュット作品も「生命」のさまざまな断片を垣間見せてくれる。民族的記憶、傷、カンブリア紀の海の生物のようであったり、人間の神経系のようであった、植物の胞子のようでもあり、土中のバクテリア、葉緑素、サンゴ礁、森、苔、カビ、動物、爬虫類……。森羅万象。
互いに喰らいあい協調していく地球の自然界の、命のつながりのなかで生物が出会い、位相を越えてコミュニケーションは成立しています。その無限ほどの生きものの声を、感じとる感性を人間は持っていたと思います。ミミズの声を聞き、亡霊を見て、風の色を読んだでしょう。

福祉の現場には、障害をもつゆえに健常者とは違うコミュニケーション能力をもつ人たちがいて、福祉に携わる方たちはその人たちを理解するためにたいへんな苦労をしてこられたと思います。どうしてウンチをなすりつけるのだろうとか、同じ場所から動かないのだろう、なにを見て、なにを思っているのだろう。意味のわからない行動に混乱したり、絶望したりしながら、それでも、理解したい、わかりあいたい、わかりあえる、という願望と希望。

アール・ブリュットは、障害者の問題行動に「表現」という新しい解釈を与えました。繰り返される無駄な行動が実はその人の自己表現であり、なおかつオリジナルな芸術的行為であるという発見は、福祉現場にいる方たちに驚きと感動を与えたと思います。

「創造している」「表現している」という意識が生まれた時に、それまでコミュニケーション不能だった相手との回路が開きます。相手を敬いお互いを尊敬しあう心がうまれたとき、劇的な変化や奇跡は起きます。そういうことがたぶん全国各地の施設で起きたのではないでしょうか。言い換えれば、日本におけるアール・ブリュットという現象は芸術革命ではなく、コミュニケーション革命だったのです。

私たちは同じ人間、障害があるなしに関わらず同じ命。それを頭でわかっていても、言葉が通じないと、どうしても相手を見下すような心が育ってしまいます。それはどんな人でももっている弱さだと思います。だから、毎日、相手と出会い直し、新たに発見し、驚き、畏敬を感じ、友愛を育み、笑いあうことを、続けていく。転んでも、つまずいても、また一から出会い直していく。福祉の現場とは、そういう場なのではないかと想像します。

そういう、人と人とのコミュニケーションが試される場においてアール・ブリュットが必要とされたのは、とても必然的なことだと感じます。アール・ブリュットは相手を理解するための一つのツールでした。「もしかしてこの行為はすごく創造的なのかも?」という驚きをもって、他者を再発見するために、すべての人に平等に与えられたツールでした。

でも、ツールを使うことにも慣れてしまったら感動は消えていきます。何度でも出会い直し、何度でも、繰り返し繰り返し、発見を続け、驚き続けるという、びっくり力を鍛えていくしかないんです。
わかったつもりになっても、けっしてわかりえない。他者は神秘の存在です。同じように自分だって神秘なのです。自分だってなにをしでかすかわからないような存在なのです。たぶん、福祉の現場にはこの「わからない、びっくり!」があふれ返っていて、びっくりするための、新しいツールを常に探し続けていないと、相手のわからなさにマンネリ化して、わからないことに慣れてしまうんだと思います。考えてみると厳しくて恐ろしい現場です。

問題行動と呼ばれていたものが「表現だった」と理解され、回りが受け入れれば、もう表現する必要がなくなります。だからアール・ブリュットの作家さんはいきなり創作を止めてしまうことがあります。表現衝動とは「理解されないことの深さ」と比例して強いです。人はみな人生の謎を抱えています。神秘を知っています。でも「なぜ?」という問いの深さは人によって違います。宗教的な問いを抱えている人は深く深くその問いの答えを探しているので、他者には理解不能な行動に出たりします。福祉の現場には、理解されてこなかった体験を抱えた方が多くいらしゃり、それゆえにその表現も多様なのかもしれません。

なかには人間とのコミュニケーションを閉ざしてしまう人もいるかもしれないけれど、それもまたその人のコミュニケーションの有り様なのだ、としないと、見えない世界と交感しているような方と、共に在ることすら難しいのかもしれないです。一人ひとり違う存在だから、その違いと向きあうとき、じぶんの違う部分にも光が当たっている。そういう内面への意識の向けかたをしていくなかで、もはや、アール・ブリュットは、あってもなくてもいいものになっていくでしょう。むしろ、アール・ブリュットを必要としたのは、社会のほうなのだと思います。
by flammableskirt | 2017-09-11 20:24
アール・ブリュットと時代

アール・ブリュット作品と初めて出逢ったのは2008年に開催された展覧会「アール・ブリュット 交差する魂」(ローザンヌのアール・ブリュットと日本のアウトサイダーアート)の時でした。この展覧会はNHK教育テレビの「新日曜美術館」で特集を組まれ、私は番組のナビゲーター役として北海道旭川の展示会場で初めて、スイスのローザンヌにあるアール・ブリュットコレクションと日本の作品の両方を観ました。
私にとっては日本のアウトサイダーアートのほうが、ヨーロッパの作品群よりも衝撃でした。……どこが違う……とうまく言えませんが日本の作品たちはチャーミングでした。ヨーロッパの作品が暗黒から生まれた怪物の様相だとしたら、日本の作品は人間に対して悪意がない精霊のような存在に感じました。私が慣れ親しんでいる妖怪や怪獣たちのような……。作品から愛おしさや、古い時代の信仰を感じとることができました。それは、私が日本人だから……かもしれません。

この展覧会を観てから、私はローザンヌのアール・ブリュット美術館に行ってみたくなり、イタリアの文学際の仕事のあとにイタリアからスイスに入りました。一緒にイタリア人の翻訳家の青年も同行してくれて、楽しい旅になりました。現地ではスイス在住の日本人宅に招待されて夕ご飯をご馳走になったりしました。
アール・ブリュットコレクションの作品群は、圧巻でした。ある作品の前から一歩も動けなくなりました。それはオーガスティン・ルサージュ(1876−1954)の大作で、その作品のポスターを買い、いまでも仕事場に貼ってあります。
この人の描く摩訶不思議な迷宮を観ているうちに、時空間が歪んでいくような錯覚を覚えます。この絵は特別な意識状態で描かれており、観る者の意識に影響を与えてくるのだと感じました。私は似たような絵を観たことがあります。それは、タイプは違うけれどメキシコのオイチョル族が幻覚キノコペヨーテを食べて描く神話「ネアリカ」や、バリ人が描く細密な森と精霊の絵です。
アール・ブリュット美術館の収蔵作品は多くが「トランスパーソナル」な意識状態と関わりがあるように感じました。それに比べると、日本のアウトサイダーアートはもっと安定していて、優しくて、自然に近い感じがしたし、実際に美術館に来ているヨーロッパの人たちも、同じような感想を述べていました。
 その後、ルサージュについていろいろ調べると、彼のライフヒストリーがわかってきました。ルサージュはやはり神の啓示を聞いて創作を初めていました。
 ヘンリー・ダーガーは熱烈なファンも多い作家で、愛らしい少女たちの壮大な叙事詩を描いた作品はどこか日本のアニメ文化と通じるような部分もあり、元祖オタク的な彼の作風に親近感を持ちました。作家という職業柄もあるのでしょうけれど、作品と同じくらい作家のライフヒストリーに興味をもっていきました。
 描かれたもの、作られたもの、同時にそれらをどのように創造したか……も、表現の一部のように感じて、作家個人と作品を切り分けられないのです。アーティストというのは、職業ではなく、全身全霊で表現を続けることを指すのかな。アートする、なんていうちゃらいことじゃなく、そのようにしか生きられないという宿業のようなものかもしれない。
 だとしたら、自分の生き様をあざとく「ふるまい」として見せる考えも余裕もない障害者の芸術は、宿業を背負って生きる者の全身全霊の叫びであり、その魂の叫びに人は戦慄してしまうのだと思いました。
 これらの作品のなかに、呪術的な要素や、人類の普遍的なシンボルや、生命の起源のビジョンを感じて、感じることで内臓が喜ぶような気がしていました。体内の臓器が感応するのです。臓器が意識される……というほうがわかりやすいかもしれない。表層とか顔の見てくれではなく、臓器に響いてくる。顔面皮の下の筋肉や血管に響いてくる。この身体感覚はとても奇妙で心地よいものでした。そして、たぶん、なんらかの形で作り手は神秘体験をしているのだろうと予測しました。
 そうでなければ、これらのビジョンが出てくるわけがない……と。
 研究者ではないので、彼らがどういう神秘体験をしているかとか、創作のために自ら秘密に行っている儀式はどのようなものかとか、あるに違いないと感じていましたが、そこを積極的に調べたいという気持ちにはなりませんでした。
 こういう人たちがいるんだ。そして今日もなにかを感じて表現せざるえなくて、黙々と描いたり、作ったりしているんだなあ。
 作品と出逢うことで、無数の無名の作り手たちとつながっていくような広がりを感じました。だから、観るだけでよかったし、もう観なくたってよかったんです。なにかしら手応えのようなものがありました。全世界で行われている、かすかな自己犠牲をともなった、小さな宗教的な祭司として、創作者の存在を感じることで、とても心が落ち着くと同時に、そのつながりのなかにいる自分というものが、確認できました。
 誰かが一本の線を描いている。その無為な行為のなかに神は宿っている、という確信でした。そして描かれた線は、誰に発見されることなくとも、線としての形と力をもち、この世界の一部として書き加えられることで、世界を毎日創造しているのだ、という奇妙な安心でした。だから……大丈夫なんだ……と。
 そういう人たちが、絶対的なロジックの対立の世界からなにかを守っているのかもしれない。単なる妄想でしかないけれど、私はその無記名性の無為な創作行為こそ人類の神聖さであると感じて、畏敬の念をもつのでした。
 その思いは、毎日、日が昇り日が沈む太陽の運行を信仰し感謝する少数民族の祈りとどこか通じるところがあるかもしれないです。
 ですが、こんな馬鹿馬鹿しい話は、もちろん「障害者芸術支援フォーラム」ですることではなく、作品の聖なる力……など、私の個人的な感傷に過ぎないことは重々承知しています。表現が、個人を超越したような大きな存在に対しての帰依であり、個を通して現われる神や自然の意志であるように感じることは、妄想に過ぎません。なにが降りてきて創作をしているのかは作者自身にしか(自信にすら)わからないと思います。
 表現されたものの価値は、思考・ロジックが決めていることで絶対的なものではなく、常に相対的なものです。もし、作品に多くの人が共鳴するのであれば、その表現には強靱さがあるのでしょう。表現するだけの肉体の精度や、そのビジョンの強さに耐えるだけの精神力もあるのでしょう。心の強さというよりも、霊的な強さ、に守られて、アール・ブリュットの作家たちは創作を続けたのだと感じます。でも、自我が少しでも疑問をはさんだら、たぶん発狂してしまうのではないかと。健常者にはとても難しいことを彼らはやっているのでしょう。

「霊性」が市民権を得るようになり、スピリチュアリティ、霊魂の存在、見えないエネルギー、そういうものがしだいに肯定されるようになってきました。アール・ブリュットはそういう時代に日本に受け入れられ、作品のもつ霊的な側面に観客は魅力を感じたと思います。
しきりと近代文明の批判が行われる21世紀、神仏や自然や精霊、気やプラーナ、そういった見えないものとのコミュニケーションの回路を、開きたいと願う若い方たちは決して少なくないです。そういうニーズもあって、アール・ブリュットは日本で一気に花開きました。
これは、民衆の潜在意識が働かなければ起きえないことです。以前に国鉄が民営化するとき「E電」という言葉を定着させようとしたのに、結局誰も使わずに消えてしまいました。言葉は大衆が選んでいます。大衆にとってフィット感があったからこそアール・ブリュットは受け入れられたのだと思います。作為が働く余地はあまりないだろうし、大衆はイヤなものはイヤとはっきりしています。
この社会で無為であることはたいへん難しい。マインドフルネスや坐禅で心を静めてみてもエゴが落ちるような体験はめったにすることができない。障害者の可能性は最初から社会的な自我が淡いところにありました。だからと言って、障害によって誰もが深い潜在意識からビジョンを汲み出せわけではなく、障害者の芸術だからアール・ブリュットというわけでもなく、アール・ブリュットは、アール・ブリュットなのでしょう。それはアートよりもむしろ、信仰に近いのかもしれないと、感じてしまいます。だから、アートじゃなくたっていいじゃないか……と。もちろん、これも個人の雑感の域に過ぎません。私はアートにそれほど関心がないのです。テーマや、表現される題材、社会性があるかどうかにも関心がないのです。むしろ誰にも影響を与えそうにない無為の「行為」と「営み」に畏敬を覚えます。そこに共に立ちたいし、そのいとなみに感謝し手を合せます。


by flammableskirt | 2017-09-11 14:19

アール・ブリュットと私


「障害者芸術支援フォーラム アートの多様性について」の第二部のシンポジウムに参加しました。この会には、友人の美術家中津川浩章さんのご推薦で参加。共に出演する第二部の登壇者は、死刑囚の描いた絵の展覧会を企画している櫛野さんや、アール・ブリュット・ジャポン展で一緒にパリに行った社会福祉法人グローの斎藤さん。その他、障害者芸術に広くかかわっている方、障害者の描いた絵画を売っている画商の方など。
 控室で初対面の方たちと挨拶。「今日はいったいどんな話をしたらいいのかしら?」と、それぞれが自己紹介をしているうちに、打ち合わせというものもなく会が始まりました。
 こういうことはよくあるので、ぶっつけ本番でいいのだなと思い、第1部を見るべく会場へ。第1部に登壇されていた方はほぼ全員初対面の方たち。障害者アートに取り組んでいる施設の責任者の方たちなので「あ、あの作品のつくられた施設だな」「あの作家さんのいる施設だな」創作の現場ってどんな感じなんだろうな、と思いつつ議論を聞いていました。
 最初は服部さんという方の基調講演で、この方は画家の山下清さんが日本の画壇や評論家からどういう扱われ方をしたのか、を話してくれました。山下清さんの生きた時代を少しばかり体験している私は、山下さんを「はだかの大将」として記憶しています。私は1959年生まれで、東京オリンピックもかすかに記憶にある感じ。子どもの頃、障害者差別はあったと思いますが、一緒に遊んでいた記憶もあり……。
 覚えているのは見せ物小屋です。「へび女」とか「狼少女」という見せ物小屋が立ち、そこで客寄せをしている人も出演している人も障害者でした。私は母に連れられて神社の境内に行き「見せ物を見たい」とよくせがんでいました。小学校の低学年の頃の話です、とても興味がありました。「やどかり女」という見せ物が来たことがありました。「やどかりって……。どんな姿なのだろう?」と不思議でした。お金を払って中に入ると長い口上があって、やどかり女が登場するのですが、その方は今にしておもえば脳性小児麻痺の女性でした。場内は暗くてよく見えなかったので、いざって歩くだけの赤いセーターを着たやどかり女を、目を皿のようにして見つめた記憶があります。
 女性は会場内をぐるりとはいずってから、両手をあげて拍手を求めるしぐさをしました。それで観客はしぶしぶという感じで拍手をしました。さらにもっと、というしぐさをしたので、私は精いっぱい拍手をしました。拍手を浴びた彼女はとてもうれしそうで、子どもだった私は、この一団の人たちは楽しそうだなと思っていました。
 そういう時代、山下清画伯のことを私の母は「ちょっとかわいそうな人」として見ており、「でも一生懸命に生きていて偉い、知恵が遅れていてもああして絵を描いて稼いでいるのは大したものだ」という感想を口にしていました。
 服部さんの話を聞いて、山下清さんが健常者の絵に近づくような……つまり、彼のオリジナリティを無視された指導を受けたことを知りました。でも、それは山下さんに限ったことではなく、あの時代の学校教育はそんな感じで、私も小学校の美術の時間に「この空のいろが黄色いのはおかしい」と先生から言われ、黄色の上から青を塗らされたことがあり、それから先生の顔色を見て絵を描くようになりました。
 中学生になった頃に寺山修司さんの著書に出会い、高校の頃に寺山さんの映画や、天井桟敷の舞台を観ます。障害者も登場する舞台で、私には子どもの頃の見せ物小屋のように感じ、懐かしさと同時に不条理の世界に夢中になりました。あの「見せ物小屋」は私の原体験になっている、思春期のころは無自覚でしたが、今はそう言えます。
 あの見せ物小屋の延長線上で、私は「奇異なもの」を見ることに関心を持ってしまうんだなと。幼い頃、なんの娯楽もなかった田舎にやって来る見せ物小屋は刺激的でした。決して上品とは言えない色彩や、調子はずれの音楽も、妙な口上も、なにもかも鮮烈で忘れ難く、母と二人で手をつないで入った暗い小屋の雰囲気が今も蘇るのです。
 成長してから、障害者差別が見せ物小屋と結びつくようになったとき、この記憶はどこか後ろめたいものになっていき、だんだん思い出さなくなっていました。

 「アール・ブリュット 交差する魂」展で、初めてアール・ブリュット作品に出会ったとき、見せ物小屋と再会したような気持ちになりました。寺山修司さんの世界を発見した時のような興奮に陥り、思春期が再燃したような。久しぶりに胸を射ぬく快感と衝撃でした。パワフルで、おどろおどろしくて、土着的で、ああ、これだ、これが私の原体験とつながっているものだ、と、狂おしいほど懐かしい感じなのです。
 ちょっとすましたような、現代アートがさっぱり好きではなく、アートってわからない。アートっ興味ないなあ、と思っていたものですから、一気にアール・ブリュットの世界にのめり込んでしまいます。私にとって、それがアール・ブリュットであろうとなかろうと、自身の原体験と繋がっていくものであれば、よかったのかもしれません。
 服部さんは、アート寄りの視点から、日本におけるアール・ブリュットの定義が曖昧であることを指摘しており、障害者芸術がアートの仲間に入りたいなら、現在のアール・ブリュットでは、障害者に寄りすぎて逆に弊害がある、とお考えなのかな、と、感じました。
 アンダーグラウンドと呼ばれた演劇芸術が消えて以降、私は長いこと芸術に興味を持てなかった。あの時代の荒々しい息吹、エロスというか、カオスというかを、ちょこっと経験したことがある世代なので、なんかこう、現代アートはまったく自分とは相いれない感じでした。
 私は「福祉」というジャンルから再発見されたアンダーグラウンド的なものに夢中で、それがアートだろうとなかろうとどうでもいい、というようなところがあり、どちらかといえばアートなんかに入らないほうがいいんじゃないか、アール・ブリュットはアール・ブリュットで、そういう表現として屹立してしまえば面白いな、くらいの立ち位置でいました。ある意味、観客の一人として、アール・ブリュットに巻き込まれていくことを楽しんでいた感じです。
 アングラが現象であったように、アール・ブリュットも一つの現象として消えていくのかもしれない。アール・ブリュットという「現象」はすごい波及力をもっていて、日本の障害者芸術を一気に花開かせました。各地で埋もれていた作品が発掘され展覧会が開催され、旋風吹き荒れたという感じです。
 だけど、「障害者芸術を支援しましょう」という流れが国や自治体を動かしていくに従って、私はだんだんアール・ブリュットに興味を失っていくのです。あまりに均質に全体的な力が働いていくと、誰もが無自覚なうちにある枠がはめられて、今風にアレンジされてしまうから、かもしれません。実際に、障害者アートはだんだんポップになってきており、その展示の方法も含めて、私が感じた「原体験」から遠くなっています。
 アート作品としての市場や売れ筋を考えたら、やっぱりあんまりおどろおどろしいものはウケないだろうし、プロダクト化するなら無難にならざるえないでしょう。事業展開していくことで障害者の就労支援になるなら、それはいいだろうけれど、そこには私を揺さぶったものが消えているような気がしました。こんなことは個人の感傷だからどうでもいいことです。私は個人の感傷以外の思いがないのだな、そうだよ部外者だもの……と、またしてもどこか後ろめたい感じを覚えつつ服部さんの講義を聞いていました。

 第1部が始まると、アール・ブリュットという名称の原義と日本のアール・ブリュットは違うということが議論されていました。たぶんアール・ブリュットという現象が起きたことで、さまざまな弊害も出ているのだなということが予測されました。でも、この名称のおかげでこれまで注目されることがなかった障害者アートが発見されたのだから、それはそれで良かったのだと感じました。
 議論はわりと現実的なことばの定義や法案の解釈のような方向に行きました。でもたぶん、私も含めてそういうことに興味をもっている観客は少ないのではないかと思いました。もっと障害者アートの魅力が多角的に語られる場かと思っていたので、残念な感じもありました。多様性は作品に向けられていると思っていたのですが、作品の多様性に関して語られることはありませんでした。ですが、私が観てきたアール・ブリュット作品群は、ものすごく多種多様で、ぐりぐりと潜在意識を刺激してくるものが多かったから、異端としてのアール・ブリュットが語られないのはもったいないことでした。

 第2部が始まりました。段の上に座り一人ずつ司会進行の方に質問されて話をする、という形式でした。対話というよりも、おのおの自分の話をする、ということですが、これも日本ではよくあることなので、司会者に指名されるまでは黙っていました。みんな映像資料など持って来ているのかな?と思ったけれど、そういうものを用意している方はいませんでした。
進行の中でいきなり「相模原のやまゆり園の事件についてどうおもうか?」という質問が出され、困ったな、と思いました。この話題は、アートの話をしているなかで、トピックスのように取り上げられるには重過ぎて、とても一言でコメントできる話題ではなく、答えようがなかったからです。この展開自体がとてもシュールに思えてきて、そのとたんに浮かんだのが「劇団態変」の金満里さんのことでした。態変は金さんも含めて役者全員が重度の身体障害者です。
 金さんの劇団は「イマージュ」という雑誌を発刊していて、その雑誌に「相模原のやまゆり園について記事を寄稿してくれ」と、依頼され、執筆したのです。私は、金さんになにか頼まれると彼女の勢いに完敗してつい引き受けてしまいます。金さんはとてもナイーブな人でもあり、彼女のアンビバレントな人間性に惹かれていました。同時に彼女が取り組んでいる身体表現にも惹かれていました。ただ、そこには子どもの頃の見せ物小屋の原体験が潜んでいるので、ちょっと後ろめたいような感じもありました。
 私にこの事件についての原稿を依頼してきたのは金さんだけでした。だけれども、私にはこの事件を小説にはできるかもしれないけれど、評論的な記事を書くのは難しく、たいへん苦労しました。
 私は「原稿を書いてくれ」と頼んできた金さんから、事件への強い怒りと憤りを感じました。それが唯一、私が身体で体験した「相模原やまゆり園」でした。金さんを通して私に届いた……という感じでしょうか。なのでとっさに金さんのことが浮かんでしまったのだと思います。
 そういうぐじゃぐじゃしたことではなく、もっとすっきりとした言葉で感想を述べるべきだったのだろうけれど、そういうことがとことん下手なものだから、ぐじゃぐじゃしたままをしゃべってしまい、聞いている人はなんだか訳がわからなかったろうと思います。
 ああいう場面で、スパっと気が利いたことが言えるのは「テリー伊藤さんか北野武さん」という話しを聞いたことがありますが、ほんとうにあの人たちはすごいです。私はシャクを無視してしゃべるし、ことばの整理もとっさにはできないので、自分はほとほとシンポジウムには向いていないと実感した次第です。
 会場にいた人たちに、もっとわくわくした話題が提供できなくて申し訳ない気持ちでした。まさかいきなり、見せ物小屋や寺山修司の話しをするわけにもいかず、自分のなかにあるアール・ブリュットは、福祉から発見されたけれど、支援の対象になっていくなかで消えていくものかもしれない……ということを、考えていました。でもそれは個人的感傷なのだよな……とも。
 長く、アール・ブリュットを見続けてきましたが、それを作品化したことも文章化したこともなかったのは、私が書くと、きっと差別的なものになってしまうと危惧してたからでした。
 あの見せ物小屋が来る時のぞくぞくするような興奮。ピエロの格好をしたせむしの人や、指の数が多いひげ面の口上男。白塗りの身体障害者の女性。そういう一団のテントの内部に招き入れられ、子どものわたしは頭をなでられたり、笑いかけられたりしていました。私はあの人たちが好きでした。ああやって旅をしながら歩くの楽しそうだなと思っていました。まだ小さかったし、差別をしない心をもっていました。じぶんの恥部をさらけだして生きていることが、すがすがしいような感じがしました。
 私にとっては、ふつうであることのほうがどこかしら嘘っぽくおぞましいようにすら思えたのですが、そういう自分は悪趣味ではないかと怖れてもいました。どこかで洗練されたまともな趣味の人になりたいと思っていたのは、教育のせいかもしれないです。そうかと言って、お洒落なアート系の雑誌がかっこいいとするものには、なんだかなあ……と乗れない感じがありました。
 なんにしても私は芸術に対する強いこだわりもなければ、愛着もないのような気がします。たとえば私が興味をもつのは、絵を描く時の障害者の姿勢、奇妙に身体を折り畳んで不自然な姿勢で長時間書き続けたり、することです。姿勢は良くしろと言われ続けてきているのですが、ほんとうは私は姿勢が良いのが苦痛であったりします。猫背が楽なんですね。まともであろうとする努力を取っ払ったら、じぶんはどういう人になるのかな?と思います。言葉遣いとか表情も含めて、これはどこまで本当のじぶんなんだろうか、ってわからなくなることがあります。なんていうかなあ、人間っていう着ぐるみを着ているような気がしてきて、それを脱いだらどうなるんだろう。でも、もう完全に一体化してしまって脱ぐことはできないのかも、みたいな。
 きれいとか。汚いとか。いいとか。悪いとか。そういうこともどうでもいいようなところがあります。そこにこだわりがないというか、関心がないというか。関心があるふりをしているだけというか……。
せっかく選ばれて壇上に上がっているのに、こんな見せかけの自分しか出せないのか……と、がっくりしてしまい、ちょっとくらいは本音を書いてみようかと思いました。私はあざとい人間なので、他者のあざとさにも敏感です。同じものを嗅ぎわけることができるのでしょう。
 編集され、構成され、そのなかでさまざまにいじられて、ちょっとお洒落っぽくなったものを、哀しいと思います。じぶんもそうやって適応して生きてきたんだよなあ、と。
 


by flammableskirt | 2017-09-10 22:27