田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
プロフィールを見る
画像一覧

<   2013年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

漱石の悪夢に入る。劇団新転位21公演
c0082534_1342167.jpg
他者の表現に触れて戦慄することなしに、表現に向うことってあるんだろうか。「戦慄する」という体験は、そう多くはないが、生きていて最も幸せな瞬間だと私は言いきる。
激震する、震撼する、どうでもいい、とにかく「ぼう然とし」「あっけにとられ」「魂ごともってかれる」そういう体験だ。それなくして生きていると言えるんだろうか。

山崎哲さんの芝居は、常に、かなりの確率で、私を《戦慄》させる。
ぶっ壊す。どうしようもないほど落ち込ませる。
ああ、ここまでやるんだ……と思う。

「僕と僕」という芝居は、とりわけ凄かった。私はこの芝居で受けた《戦慄》を「聖なる母と透明な僕」という随筆にまとめた。この芝居は、幼児を殺してその首を切断し中学校の校門に置いた、あの酒鬼薔薇聖斗の事件を題材にしている。そして、私が知りえるなかで、最も深く加害者の家族に踏み込んだ作品だった。あの少年がなにを感じ、どんな世界を生きていたかを、もちろんそれは現実とは違うかもしれない。だが、マスコミが報道する世俗的な感性から見た少年像ではなく、今日的で切実な青少年の心的風景を彼らの側から描いて見せた。そこにはタブーはなく、自由で、大胆で、グロテスクで、嘘がなかった。

芝居なのに、嘘がないとはどういうことか?

わたしは自分の感じた《嘘がないということ》の意味がわからなかった。芝居は虚構であるはずなのに、そこに《嘘か本当か》をなぜ問わなければならないのか。いったい私はなにを感じているのか。

それを知りたくて、その後も山崎哲さんの芝居を観続け、そして昨年から山崎さん個人をほとんど追っかけのように追い、ロングインタビューをしてきた。たぶん私は山崎さんに憑依されたんだと思う。

いま、山崎哲さんは「夏目漱石シリーズ」として、夏目漱石の小説を題材に芝居の公演を行っている。昨年は「こころ」だった。

中学校の教科書にも載っている「こころ」という小説。私も十二才の時に読んだ。だが、内容はすでにうろおぼえ。確か、親友の恋人と結婚する話し……。そんな話だったな……と思いつつ。

なぜいまさら「こころ」を? そう思いながら芝居小屋に足を運んだ。上野の小さな小屋で、観客も少なかった。だが、そこで上演されたもの、その狹い芝居小屋の中で展開された世界は……、やはり、私を《戦慄》させた。

いったいこれは何だ? どういう呪術を使えばこんなことが可能になるのだろう? 芝居が終ってからも自分が体験したことを整理できない。

山崎さんが、打ち上げに誘ってくれたので、私は近くの居酒屋に行った。そして「自分が体験したものがなんなのか、わからない。だが、とにかくものすごいものを見たことはわかった。だから、しばらく山崎さんに個人的にインタビューをさせてもらえないか。発表する予定もないし、目的もわからない。だが、自分が感じたことを言葉にしたい。しなければいけないと感じる」

そう伝えると、山崎さんは照れながら「いいですよ…」と受けてくれた。

山崎さんは「新転位21」という劇団を主宰している。劇団では俳優修行の教室も行っていたがいまは、山崎さんの体調不良のため生徒を受け入れていないようだ。

「新転位21」の芝居の特徴は、山崎さんの独自の俳優の育て方、指導の仕方にある。それはうすうす感じていたが、どこがどう違うのかがよくわからなかった。

それで今回、稽古の段階から見学させてもらった。すでに、三回、稽古場に足を運び、六時間〜八時間に及ぶ長い稽古に参加した。そんな長い稽古をただ見学しているだけで退屈じゃないか? と思う人がいるかもしれない。実は私もさすがに長いなあ……と最初は思っていたのだ。

ところが、稽古場に入って稽古が始まると、数時間が一瞬に感じる。マンションの一室の狭い稽古場だ。そこで役者が立ち稽古をし、それを山崎さんが指導するのだが、この場の緊張感、そして、立ち上がってくる世界観が時空を超越してしまい、頭がぼうっとしてしまうのだ。

ただ、俳優がセリフを読んでいるだけなのに、見えてくるのだ。すべてが。いったいこれはなんなんだ……。この現象はどういうことなんだ。そこで、お願いして自分もこの役者さんたちを相手に、台本を読ませてもらった。体験稽古をしたのである。

目の前に俳優が立つ。その静かさに驚いた。冥想をしている人のようだった。なんて静かなんだろう、この人たちは……。これが俳優というものか……。彼らの前に立つと私は挙動不審な統合失調症の患者みたいだった。

山崎さんが笑って言った。
「田口さんは世間でいうとこの、一般的な演技ってのを無自覚にやっちゃってるんですよ。それはみんなそうなんです、みんなそういうことをやって演技しちゃうんです。だけどね、演技はいらないんですよ。だって、あなたは人間だから。すでに感情をもった人間だから、もってるんだから演じる必要ないんです。ただ、素直に台本を読めば、伝わるんです。それが言葉の力なんです。あなたは小説家だからそれをわかってるはずでしょう」

「私、演技してましたか?」
「してましたよ、でもまあ、面白かった。病気の人みたいに見える」
「確かに、自分はいま挙動不審だなって思いました」
「はははは、それはそれで面白かったですよ、めずらしいものを見せてもらった」

私は、翌日も、翌々日も、稽古場に通ってしまった。自分が体感しているものをもっとはっきりと確かめたかったからだ。

今回の演目は夏目漱石の「道草」だ。淡々とした芝居だ。だが、この緊張感はなんだ……。稽古なのに息もできない。私はこの芝居をなるべくたくさんの人に見てほしいと切望する。山崎さんは欲がなさすぎるんだ。たいして宣伝もしないし、だいたいお客に見せようという商売っけがなさすぎる。

「山崎さん、もっとちゃんと宣伝してお客さんにたくさん見せましょうよ。そうしないともったいなです」
 
私がそう言うと山崎さんは「でもなあ……。お客さんのためにやってるっていうそういう芝居じゃないんだよ……俺のは……」
「じゃあ誰のためにやってるんですか?」
「役者が、ちゃんと自分を大事にして、言葉を伝えることをすれば、演技せずに、言葉の力を信じて、それを伝えるために自分という肉体を捧げることができることが先で、それができないで観客のために演じたら、芝居はもう成立しないんだよ……」

私は今なら、山崎さんが何を言いたいのかわかる。どうしても役者が台本の言葉を読めないときは《言葉を理解せず演技でごまかしてしまうようなときは》、上演をやめて公開稽古にしてしまうという。これまでもそういうことがあったそうだ……。

今回の「漱石の道草」は山崎さんの演劇を理解し支えてきた名優陣が多数参加しており、彼らの言葉、所作、において、石のごとく自然だ、確かに演技をしない。常に自分であり、正確に台本を読む。正確に、自然に、ムダなく動く。ただそれだけのことがいかに困難か。それは、芝居が身体的コミュニケーションだからだ、と山崎さんは言う。

「つまりコミュニケーションなんだよ。だから、やってて気持ちいいし、観ていても内容が伝わるんだ。コミュニケーションしていない役者の芝居はたいくつなんだよ……観てられんのよ」

演劇は上演を観てからでないと「良い芝居だから観に来てください」とは言い難い。私は通しで稽古を見てきているので、自信をもって言う。
夏目漱石という文豪が、近代化する日本という国のなかで作家としてどんな苦悩を抱え、なにを考えていたのか。この芝居は夏目漱石の心の深い深いトラウマを描いている。百年前と現代とか時空を超えて転移し交差する。

そうだ、漱石はいまだに作家として本屋の棚を占領し、私などほんとうに腹立たしい。百年も本屋の棚に君臨する文豪とは何者なのか。その正体を案外知らない。

夏目漱石が抱えている胃痛が、実は我々の、私の胃痛でもあること。それを身体的傷みとして体感できる、それが芝居のすごさだ。夏目漱石の悪夢を、一緒に見よう……。そんな舞台だ。



物語
ある小雨の日、健三は道端で帽子をかぶらない男を見かけた。
かれはその男に見覚えがあった。島田といい、健三の養父だった。
島田夫婦が離婚したため、健三は七歳のとき実家に戻された。
その後、実家が養育費を島田に支払い、島田とは縁が切れたはずだったが、
かれはなぜか不安に怯えた。
島田は生活が苦しく、健三の宅へ金の無心をしに現れた。
かれは断ることもできたはずなのに、いくらかの金を渡した。
すると島田はたびたび健三の宅を訪れるようになった。
そしてその島田の出現を境に自分の姉や、
事業に失敗した妻の父まで健三にまとわりつき、金を無心するようになる。
健三はなんとか金を工面して島田とは区切りをつけるが、
「これで安心ね、すっかり片付いちゃったんですもの」と妻のお住が言うと、
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。
一遍起こった事は何時までも続くのさ」
と苦々しく吐き出すのだった。

---------------------------------------------------------

時●2013年12月4日 - 12月8日
所●シアターバビロンの流れのほとりにて
東京都北区豊島7-26-19
03-3927-5482
mobile 090-2439-7639(新転位21・天野)
<交通>
東京メトロ南北線「王子神谷駅」徒歩12分

---------------------------------------------------------

●開演
平日19:00
土曜14:00 / 19:00
日曜14:00 / 18:00 
●料金
前売3000円
高校生2500円
当日3300円

Confetti(カンフェティ)好評前売中!!

取扱
●Confetti(カンフェティ)
http://confetti-web.com/
0120-240-540*通話料無料
(受付時間 平日10:00~18:00)

●新転位・21
Tel&fax 04-7193-2924
mobile 090-2439-7639(新転位21・天野)
e-mail s.tenyi-21@ymdmail.jp
by flammableskirt | 2013-11-22 13:45
「憑依とは表現の最高のかたち」
c0082534_10584616.jpg


「風の旅人」第三号
妣の国へ 来し方、行く末
http://www.kazetabi.jp

 田口ランディ
 

わたしの場合なのだけれど、文章を最初に読むのは誰か。そして、文章がどんな媒体に載るのか……は、文章の内容にかなり強い影響を与えてしまう。

書く前から最初の読者である編集者がなにを望んでいるのかを、無自覚に探っているみたいなのだ。
それは作家という職業は、どこか憑依体質のようなものを備えているからではないかと思う。なにものかに自分を差し出すことが表現だとすれば、私はわたしという存在を「祭りの場」であることの雑誌に差し出すことで表現をしているのだと思う。

「風の旅人」という雑誌は、特に《祝祭的》雰囲気の濃い雑誌で、一号一号が《ご神事》の《場》なのである。
作り手がそれを意識しているので、この《場》に参加している表現者たちも、《供物》である自らの存在を表現として差し出す覚悟をくくっている。

今回も《妣の国》というテーマで《祭り》を行うという趣意書が送られて来た瞬間から、脳のどこかがある種の変成意識状態に入る。ぼんやりと現実世界を見ながら、そこに二重写しになっている《妣の国》の気配を探しているのだ。

表現は、私のものであると同時に、その雑誌をどう作りたいかという編集者の意図にかなり委ねられる。もともと作家は《自分が書きたいもの》などないのである。そんなものを求めたらスランプに陥るだけだ。

作家は《書かされてしまう》ことが一番幸せなのである。

何に書かされてしまうか……。それが、編集者の個人的なこだわり、個人的な世界観であってもいいし、社会という集合的無意識の要請、あるいはむくわれない個人の怨霊の声であってもいいし、先祖の因縁であってもいい。

どういうものであれ、聞こえざる声、見えざる言葉によって、突き動かされて書くことが最も幸福な状態であり、私という個人が書きたいものなんて、実はなに一つないのである。

しかしながら、最近はなにをしたいのかわからない編集者と、なにをしたいのかわからない雑誌が増えてしまって、編集者から憑依されてしまう経験は少なくなった。

私のデビュー作は「コンセント」という作品なのだが、この作品はまったく無名だった私のところに、一人の編集者がやって来て、私に憑依したことで書くことができた。

彼はいきなり我が家にやってきて、私の前にバーンとヤン・ソギル氏の「血と骨」という作品を置き「田口さん、あなたならこの女版が書けるはずだ。家族の怨念を書いてください」と、すごい形相で迫ったのだ。

あれが最初の憑依であり、彼が何を望んでいるのかがはっきりと伝わり、同時に、私は死んだ兄の声を聴きそれを言葉に翻訳する……という術を体得したのである。

当時は自分に起こったことが自分でも理解できなかったが、十年近く小説を書いてきて、なにがうまくいき、なにが失敗するのかがやっとわかってきた。そうか、私は単なる触媒だったのだとようやく諦めがついた。私個人には書きたいものなどないのだ。私という肉体をもったこの存在を差し出し、憑依させることで、私はなにかを表現しているのだ。

言葉は光である。言葉は光となって私という有機結晶体を通過する時にプリズムとして分光するそれが《表現=作品》だったのだ。

私を通過していく言葉、その妙なる光を発しているもの、その光源はどこか別のところにあるが、だがその光源は外にあるのか裡にあるのか定かでない。とにかく光は満ちており、そこに《念》という偏りが生じるものを私は感じとる。すると光がこちらに差してくる。

個体である私がその光を通過させると、それは私の個性をともなったプリズムとしてこの世に現れる。
それが、私の作品、表現だったのだ……。

「風の旅人」は、明確な《祭り》の意図をもって私に憑依を迫る洗練されたオカルト雑誌だ。
それゆえこの雑誌に寄せる文章は、私という有機結晶体を実に見事に通過して、プリズムを投射させる。今回の文章も、私が書いたのではなく、私を通過して現われたプリズムだ。そういう文章を書ける場はほんとうに少なくなった。

よかったら体感してみてください。
面白い雑誌です。


追伸
本屋さんでは売っていません。通信販売でしか購入できません。
by flammableskirt | 2013-11-22 11:03

石から立つことを学ぶ

c0082534_14104791.jpg
石を立て続けている。
いろんな場所で、時間があれば、そこに石があれば立ててみる。
最初は、石を立てていた。
わたしが、石を、立てるのだ……と思っていた。
たくさんの石を、立てているうちに、なにかが違うと思うようになった。
私が石が立てているのか、石が立とうとしているのか、わからなくなった。
私が石を立てたいというよりも、石が立とうとしているような気がする。
石を手にとり、重さや、手触りを確かめる。
それから、石を台石の上に垂直に置く。
するり、するりと、石は中心から弾かれていく。
ところが、ある範囲に入った瞬間に、石は立とうとする。
石が立とうとするエリアがあり、その場においてのみ、石は意思をもつ。
あとは石の力だ。
私は石に従わなければならない。私が立たせることを断念して、
石の意思に添う。
そして、石から立つことを学ぶ。
どのように、立つのか。
by flammableskirt | 2013-11-13 14:11

コーヒー豆を買う

この秋に、札幌の安斎さんのカフェで中川ちえさんに会ったことがきっかけで、コーヒー豆をひくようになった。
近所のスーパーの隣に焙煎屋さんがある。一週間に一度、だいたい月曜日の午前中に豆を買いに行く。250g。ほぼ一週間でなくなる。次の週に、また別の豆を買ってくる。
c0082534_1414189.jpg

味とか、香りとか、いろいろあるらしいが、なにしろ初心者なので行き当たりばったり。焙煎屋さんの奥さんがとても良い方で、ていねいにコーヒー豆について教えてくれるので、アドバイスに従って自分の好みを探っているところだ。比較しないと、なにが好きなのかがわからない。もしかしたら、男も、コーヒー豆といっしょかな。

この人〜!なんて決めないで、やっぱり比較してみたほうがいいのかな。じゃないと何が好きなのかよくわからない。この頃、自分の味覚とか好みとか、とっても疑う。じぶんはかなり大ざっぱで、吟味に足りないことにようやく気がついてきた。もう遅いか……いや、人生に遅いってことはない、ということにしておこう。

今日は以前から気になっていた「タイ・ドイキャン」という、タイの豆を、深煎りしてもらった。
十五分、待っている間に、モカをごちそうになり、しかも、おまけにルワンダのコーヒー豆を一杯分、もらってしまった。いいんだろうか……、250gしか買わないのに。

申し訳ないなあ……と思いつつ、ルワンダの豆を見る。君はアフリカから来たのか……。なんだか豆の顔がアフリカっぽい気がしておかしかった。
c0082534_1421952.jpg


仕事場に行ったら、またダリアの花が咲いていた。このダリアはホームセンターのお花やさんで、半額になって売られていたのだ。君が半額で叩き売られていいのか? こんなにきれいなのにね。花が咲くと切って一輪咲きにする。ダリアは枯れた風情も老女優の品格を感じるな。薔薇とはまた違う艶やかさ。個人的な好みとしては、ダリアのほうが薔薇よりも好きだ。ダリアは天竺牡丹というらしい。オリエンタルな風情がいいな。
by flammableskirt | 2013-11-11 14:03

山のなかの陶工展へ

熱海のちょっと先、多賀にある友人の望月さんの陶工展に行って来た。
今日はとても天気が良かったので、山のなかの望月さんの家はきっと気持ちがいいだろうと思ったのだ。
山道をくねくね登って、通い慣れた望月邸に入ると、清流の音がする。
c0082534_16392134.jpg

今年の作品のテーマは「風見鶏」だそうだ。
かわいい鳥のオブジェがいっぱい。秘密の小箱の中に金の卵が入っていて、
なんだか
c0082534_16411332.jpg
愛らしいよ。
今日、目を引いたのはこの「羽のカップ」。
いまにも飛び立ちそうでおもしろいので、買ってしまいました。
望月さんの器って、実用的じゃないんだけど、不思議の国の食器みたいで好きです。
c0082534_16452065.jpg

帰りに道端でこの花、摘んできたけど、これなんという名前の花だっけ?
好きな花です。この花瓶も望月さんの器。
赤い実の枝は、奥さんの明美さんが分けてくれました。
見事な赤。秋らしい感じ。
c0082534_1652167.jpg

良い一日だったけれど、相変わらず、親知らずが痛い……。

静岡県熱海市上多賀1152−3
0557ー68−2232
TAGA陶房
伊東線伊豆多賀駅下車

TAGA展
11月8日〜10日 午前10時〜午後六時まで





c0082534_16523128.jpg

by flammableskirt | 2013-11-08 17:02