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傷と気づき

「なぜ過剰なセックス描写のある小説を書くんですか?」と聞かれることがある。私の作品の一部は確かに「官能小説」とか「エロ小説」と呼ばれる部類に入るほど性描写が多いし、最初にそれを読んだ人はたぶん「田口ランディはエロ作家」と思い、そういうものが嫌いな人は二度と読まないだろうし、そういうものが好きな人は他の作品を読んでがっかりするだろう。

 実は、なぜ過剰なエロスを描きたいのか……ということについて、もちろん私はまったく自分でわからないで、十年以上が過ぎてしまった。それは、出てくるから書いてしまうのだ……としか言いようがない。
 単純に解説してしまえば、それは作者本人の性欲の発露ということになるかもしれない。だが、性欲がたまっているなら現実にセックスすればいいわけで、それを書いたから発散できるというものではないのであり、書いてしまうほうが逆に性欲が高まるのではないか、と思う時がある。

 正直に言うが、セックスを描いてしまうということと自分の性欲とはほとんど無関係だと思う。自分なりに十年を経て、そのような結論に達した。では、なぜか……。セックスを描けば売れるなどと思って戦略的に書いているわけでもない。そんなものは逆効果だと思う。私の読者は30代前後の女性が多く、あんなものは読みたくないのではないかと思う。そういうあざとい気持ちがあって書いているわけではなく、とにかく書かずば済まないので書いてしまうのである。

 そして、昨年「私の愛した男について」という短い作品を描いてから、なんとなく、もうこういう性描写は最後かもしれない、もう書かないかもしれない、これが最後かもしれない……と思ったのは、描いているうちにその痛さ……のようなものに、自分が耐えられなくなったからだった。

 これは自分でも不思議な出来事だった。描いている自分が傷ついていることにようやく自覚できたというべきか。しかし、なぜ「痛いのだろうか」と、また自分でしばらく考えてみたのだが、なかなかわからなかった。自分の心というものは自分が一番わからないものだ。都合の悪いことはわからないように防衛しているからだろう。
 性というものは、私のなかに残っているかなり「野性」の部分だと思う。「野性」というのは抽象的な言葉なので、なにをもって野性とするか人によってずいぶん違うと思うけれど、私にとっての野性は本能に近いかもしれない。本能というものを人間はなかなか意識化できないけれど、セックスは誰もが体験できるのに特殊な行為であるから……男女が密室で裸になる、というのはそれなりに特殊な状況であると思う……意識化しやすい野性という意味だ。

 私はたぶん血筋的なこともあると思うのだけれど、思春期の頃から感情的で興奮しやすく、情緒不安定な自分というものを、どうやってコントロールして社会生活を営んでいくか、それがずっと大きな課題であり、挫折を繰り返しながらも必死でバランスを取り、社会の中で落ちこぼれないようにがんばってきた。
 外側から見れば自分で会社を作ったりして、それなりに立派な社会人をやっているように見えたかもしれないが、20代から30代は暴れ馬に乗っているような感じで、自分の野性をなだめて走らせることに全精力を使ってきたと言ってもいい。エネルギーも並外れて大きいが、暴走したら身の破滅であることは理解していた。

 境界性人格障害の父も、引きこもりで死んだ兄も、たぶん自分の中から吹き出してくるえたいの知れないエネルギーを、うまく解放することができなかったのだと思う。もしかしたら、私は二人を間近で見ていたから「失敗したら危ない」という危機感を常にもっていたので、十代の頃から心理学書を読み、サイコドラマのワークに参加したり、分析を受けたりして、無意識からわきあがってくるエネルギーの一部を社会生活や趣味に使う方法を習得していったように思う。

 私の趣味の範囲は相当に広く、特にマリンスポーツ……ダイビング、ヨットレース、シーカヤックなど、わりあいと命がけのことばかりチャレンジしてきたが、それも、海という無意識の象徴と対峙し、命をかけて自分をコントロールする方法の習得だったかもしれない。

 40代から作家の仕事を始めて、私はたぶん自分の中にあるとても暗い野性というか、女性性の暗部のようなものを、あえて書くことで表出したかもしれない。それは常に「侵食される性」として捉えられてきた。そのように女性性を感じていたのは私が家族として過ごした父や兄による、母への偏った愛情表現によるのかもしれない。
 暴力を受ける母親……というものは、私の中にとても根強く残っている。それは、あまり記憶にない……ということに証明されるように思う。映像の記憶としてはほとんど2つくらいの場面しか思い出せないのである。あとはすべて、無意識の底に沈んでへどろと化しているのだろう。

 忘却してしまいたいことを、別の形で意識化していたのかな、と思う。ある意味、私の女性性は(あくまでも内的に)傷を受けていたようだ。それを回復することができたのかどうか、私にはわからない。少なくとも、性を描くということは、回復するどころか傷口を広げていたような気がする。

 作品というものに投影された「暗い野性」に、たぶん読者のある一部の方は傷つけられ、読みたくないと感じたと思う。そして、ついに自分もそれに傷ついてしまうようになったことは、ほんとうに意外な気づきだった。私は自分の作品によって自分がずいぶんと癒えてきたけれども、激しい性描写の作品によって癒えたと感じたことは、そういえば一度もなかったことに驚いた。
 では、なんでわざわざ自分を傷つけるために書いていたのだろうか……と不思議だった。もしかしたら自傷行為のようなものだったのか。人間の心はわからないものだなあ……と思う。たとえそれが外側の世界の思考からすれば、無意味で無価値に思えようと、それが出てきたということは私の内面の世界にとってはどうしても必要なことだったのだろう。どう必要なのか、理論的に考えてもわからないかもしれない。

 とにかく、私が学んだことは「無自覚に外部に投影した野性によって自分がダメージを受ける」ということだった。
 それはあらゆる暴力に関してそうなのだ……ということだ。他人を殴ることでも、リストカットでも、人を口汚くけなすことでも、子どもを感情的に叱ることでも……。外に向けて放った暗い本能で傷つくのは相手と同時に自分で、それは外傷ではなく内傷で、外傷は時とともに治っていくけれども、内傷は自覚することによって意識の光を当てないと回復できないものらしい。

 内傷によってなにが起きるかといえば、魂の一部が岩にこびりつくフジツボのようなもので覆われてしまうということ……のように感じる。これは私の、私だけが感じるイメージにすぎないけれど、ある部分がとても固くなってギザギザになっていたような感覚があるのだ。だが、ギザギザになったから気づけたのかもしれない。
 そういう感覚的な気づき……のようなものが、なぜ感じられるようになって、ああ、もうこれで終わりだなと思えるようになったのか……。たくさんの時間が経過したからとしか言いようがない。
 いつか、この気づきについて、……この名状しがたい不思議な感覚について、他者に伝えられるような物語にできたらいいなと思うのだけれど、まだ当分、時間がかかりそうだ。
by flammableskirt | 2012-02-27 11:05
もう数年前になるけれど、東京大学にまだ上野千鶴子先生がいらっしゃった頃、上野先生の企画で「べてるに学ぶ降りてゆく生き方」というシンポジウムが開催された。
上野先生は「浦河べてるの家」に何度も通われて、べてるの家の思想……というか、たぶん、べてるという場の持っている価値観に共鳴されていたのだと思う。東大という「昇っていく生き方」の象徴のような場所に、べてるの家の人たちがたくさん呼ばれて、そこでシンポジウムと分科会が行われた。私はその時、パネリストとして参加していた。

「べてるの家」のことを知らない人もいると思うけれど、ここで説明をすると長くなってしまうので、興味のある方は「べてる本」と言われる、べてるに関する書物を読んで、べてるの家とはどういうところかご自身で感じてほしい。
私は2002年頃からだろうか……、べてるの家という存在を本で知り、ここの方たちと交流し始めた。かれこれ十年近くこの存在を気にかけているけれども、なにかまとまった作品として発表したことは……そういえばなかった。

シンポジウムの席で、他の出席者の人たちは、たいへん高学歴で地位のある場に着いていながら「降りてゆく生き方は、今の時代にたいせつだと思う」とおっしゃった。私にはさっぱりわからなかった。ほんとうにわからなかった。私はそのときこう発言した。
「私は降りたくありません。一生懸命に上ってきたし、これからも降りたいとは思わない。できればもっと上りたい」……と。
その場でだったか、後でだったか忘れたけれど、Mr.べてると呼ばれる、かなり重い統合失調症の潔さんという方が、
「ランディはビョーキだな。いつでも、辛くなったらべてるに来ていいからな。身体ひとつでべてるに来いよ」
 と、私に言うのだ。
私はこれまた、驚いてしまった。
「私がビョーキなの? 私は正直なだけだよ。みんなだって本当は降りたいなんて思っていないと思う」
潔さんは笑って、
「だから、ランディはビョーキなんだよ」
 と、また言うのである。
「いや、私はぜんぜん精神的には病んでいないし、医者にもかかっていないし、申し訳ないけれど、かなり健全に生きていると思うよ」
すると、潔さんは
「ははは、だからビョーキなんだべ」
と、譲らないのである。でも、これ以上、自分は正常だと言い張ると、なんだか統合失調症の潔さんに悪い気もしてきて、私は渋々「そうか、ビョーキなのかなあ」と言い、「でも、具合が悪くなったらべてるがあるから安心だね」と笑ったのだった。

その頃、私は本当になぜ自分をビョーキだと潔さんが言うのか、私には謎だった。私は家庭をもち、職業をもち、かなり立派に社会に適応して生きているのではないか……と。私の家族は確かにビョーキだったが、私は健常である……と思っていた。
あれから、ずいぶん時間が経って、ようやくこの頃になって、潔さんの言っていた意味がわかるようになってきた。

あの時、潔さんはたぶん、私を「仲間だ」と思ってくれたのだ。それはなぜかと言えば「私は降りたくない」と言ったからだ。

なんらかの精神的な病を発病してべてるの家に集まって来ている人たちは、たぶん、必死になって「降りたくない、降りてはいけない」と階段にしがみついていた人たちなのである。こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を、昇れない自分は情けない、昇らなければいけない、だから昇るのだ。降りてはダメだと、相当にねばってきたのだ。

でも、社会が望む生き方は、彼らの心の内側からあふれ出してくる「自分らしい生き方」と対立してしまい、その対立によって自分の内面が引き裂かれてしまい、どうしようもなくなって精神病として発露してきたのである。ほんとうの自分を生きる……ということがどういうことなのか、多くの人はわからないし、私もわからなかった。自分は、ほんとうの自分を生きているように思い込んでいるし、それで、案外とうまくやってしまえれば、一生、社会が決めた価値観に添って生きることを不自然とは思わない。

だから、自分をたいせつに生きる……という点から見れば、べてるの家の人たちは「選ばれた人たち」だろうと思う。おおよそ、病気になるという体験を強いられる人たちは「自分とはなにか」を知ることのために、選ばれた人たちなのだ。いったい誰から選ばれたのだ?と質問されれば、私は「人類から」としか答えようがない。神などではなく、人間という意識をもった種のなかで選ばれた人たちなのだと思う。

潔さんは「降りたくない」と主張する私の内面にある、「降りたいけど、降りられない」という対立を、素早く、察知したのである。内面に「降りたい」という欲求があり、それに気づいているから反動形成として「降りたくない」という強い抵抗が出てくる。その対立が激化すると、時として発病という形になるのである。だから、潔さんから見れば、すでに私はビョーキであり、ただ症状がまだ表面化していないだけ、と思えたのだろう。

「降りていく生き方はすばらしい!これからの日本人には必要な価値観です」と、まったく自分を勘定に入れずに客観的に蚊帳の外側で語る人たちのことを、潔さんは「対立を避けている人たち」として全く相手にしていなかった。そういう人たちは、永遠に自分の問題として「降りるか昇るか」など考えず、実はほんとうの自分というものにも興味も持たず、ただ、社会の価値観を受け入れて生きることができるのだ。

そういう人たちに、いくら降りていく生き方なんて言っても、頭でわかってくれるだけで、自分には全く関係ないこととして素通りしていくだけだ。そう感じていたのだと思う。
そして「降りたくない!」と言う私の、私ですら気づいていなかった内面の葛藤を、感じとったのだろう……。

最近、ある知人から「べてるの家に対する批判が出ている」という話を聞いた。べてるの家のことはマスコミにずいぶんともちあげられてきたから、そうなったら自然の法則としてあがったものはさがる。それは納得できる。たぶん「べてるの家の人々は選ばれた人々だ」などと私が言うと、それも批判の対象になるのだろう。彼らを過剰に評価しすぎだ……というように。

ことばは難しい。選ばれた……ということを「選民」のようにとらえてしまえば、確かにべてるの家の人たちを特別扱いして敬っているように見えるかもしれない。でも、私が伝えたいのはまったく違うことなのだ。 

選ばれる……ということは、受難なのである。それは、苦しむ者として選ばれたということなのだ。人は一人ひとり違う。バラバラに生まれてバラバラに死ぬ。一人として同じ人はいないけれど、おおむね同じ環境に生まれれば、同じ環境で同じようなシステムの中で育てられる。

それでも、どんな親に生まれて、どういう家庭で育つかは、かなり違いがあり、生まれてみたら親と環境が待っているのであり、そこで生きていかざるおえない。

かなり違うのに、かなり同じ社会条件のなかで、人は生きていかなければならない。私はアルコール依存症の父親の元で育った。一見、普通の家庭に見えるが親がアルコール依存症だと、その家庭で育つ子どもの内的な世界は全く異なる。親は自分を保護してくれず、嘘つきなのである。子どもの頃から欺かれる。理不尽な対応をされる。そういう中で、逆に人間とはどういう存在か、とか、この自分の苦しみはなんだろうか、とか、考えざるえなくなる。社会がどんなに「人間のすばらしさ」を説いてくれても、それをおいそれとは信じられない。「そんな単純なものじゃないんだ」という気持ちが育つ。社会と自分の内的世界の亀裂を子どもの頃から体験する。対立する二つのものの間で緊張しながら生きていく。

疑い深いと言ってもいいかもしれない。なにか違うと思っている。なにか違うと思っているのに、我慢して社会に合せているから、内的な自分が統合できずに統合失調症となるわけで、この病名はうまく症状を表しているなと思う。

私はかなり努力して、社会性を育ててきたし、この社会の中で適応するために努力もしてきた。家庭をもち、子どもも育て、両親も看取った。そうしながらも、自分のなかには別の自分もいて、その自分はとてもあまのじゃくで、世論とか、正論というものにいつも疑問をもっていて、なにか違うと思っていた。

死刑には反対だが、死刑反対にも反対なのである。原発には反対だが、原発反対には反対なのである。なぜなら、そこの道に進むとほんとうの自分とはズレてしまうからだ……。私の個別の考えを他者にわかるように説明することのなんという困難。このような内的葛藤は、とてもストレスで、心のなかでいろんな考えが渦巻いていて、時々、軽く発病する。

内的な葛藤に興味のない人……というか、あまりそれを経験しないでもよい人生を送って来れた人たちは、自分の自我を揺るがすような葛藤を怖れるがゆえに他者を批判して叩きつぶすことがよくある。怖れから生まれる怒りという感情は、とかく正義と結びつきやすい、人間の心の恐るべき影だ……。

震災以降、自分のビョーキは重くなっているように思う。原発に関しても、支援ということに関しても、心のなかでいくつもの自分が対立し、言い争い、その背後にある自分らしい行動……というものと触れ合えないことで、苦しんでいる。発病しないために、この対立に耐えるだけの強い自我と、自分をより深く知るための内向性が必要となった。たぶん、私がアール・ブリュットという絵画表現にとても惹かれているのは、自分の内的な世界を守ることと関係していると思う。

べてるの家の価値を社会的に見てどうか……という議論は、私には無意味に思えてしまう。私が彼らから学んだのは「私は降りたくない」と思っているとうことであり、それゆえに彼らの仲間だった……という自分自身の二重性だった。「降りましょう、降りましょう!」と言って降りられる人、「降りるのはすばらしい」と言って自分とは関係ないと思っている人、そのような人たちにとっては、べてるは全くどうでもいいことなのだと思う。

自分にとってほんとうではない生き方のために、病気になる……という、この受難を受け止めた個々が、あの場に集った。そこで三〇年の時間をかけて生まれてきたものは、彼らにとって意味あるものかもしれないけれど、受難を「受難」として経験しない者が(罰や報復だと思っている人たちが多い)同じものを作ろうとしても無理だし、外側からいくら研究してもわからないだろう。

いつだったか、べてるの下野くん……もう亡くなってしまったけれど、彼が言っていた。「いいんだよ、俺たちはないを言われても、どうせわかってもらえるわけないんだから、怒っても無駄なんだよ」
その時、私はあまりにも外側からべてるを分析しようとする研究者に対して、怒っていたのだ。下野くんはそんな私に「まあまあ、そんなに怒らないで」と言ったのだ。

あの時、分析している研究者も、怒っている私も、下野くんには同じように見えたんだろうなと思う。どちらも中心に自分がいない。そうなんだよ、私はあのとき、まだ自分のことすらわかっていなかったんだよ、下野くん……。

※現在発売中の小説新潮に「サンカーラ」という連載を書いています。震災以降、自分がどのように自分の内面にあるさまざまな自分と対話し、矛盾と向き合おうとしつつ、挫折しているか……について書いています。もし、興味のある方は読んでみてください……。
by flammableskirt | 2012-02-25 13:13
「暮れる」ということばにつかまってしまいました。
きのうの夕方、ぼんやりと外を歩いていて「ああ、今日も暮れていくなあ」と思ったとき、ふと、暮れるって、不思議なことばだなと思ったのです。
暮れるって、どういうことだろう。
陽が落ちて暗くなっていくことだと思うのだけれど、このことばには、なにかこうとても温かな響きがあるように感じる。
「暮れなずむ」という表現があるけれど、暮れなずむ町って、どんな町だろう。イメージとしては浮かぶのだけれど説明がうまくできませんし、説明するととてもつまらない感じがします。
「暮らす」と「暮れる」はとても似ています。じゃあ、暮らすってどういうことなんだろう。暮れていく日々を受け止めて生きることなのかな。
もし「暗れる」「暗らす」だったら……ずいぶんみじめな感じがします。
「暮らし」というのは日々の生活だけど、これが「暗し」だったら、ちょっと悲しい。だけど、暮れるということばには、暗くなっていく様が確かに感じられるから、暗くなる……ということを、別の視点から見たことばが「暮れる」なのかな。
 一日が終って暮れていくとき、ほっとします。暮れるということばのなかには「さあ、夜の休息の時間になりますよ」という、なぐさめが含まれている。途方に暮れる、という言葉は「どうしていいかわからないので、ちょっと一休みしている」みたいな感じがある。
 夜の闇は、ただ恐ろしいのではなく、孤独なのではなく、ぼんやりとした世界に人を包み込んでくれて、そこには、意識の届かない眠りがあり、眠れば夜は明ける。暮れるというのは、意識が夜の世界の休息に入っていく感じがある。
 「暮らし」というのは、そういう休息の状態を大切にしながら生きることなのかなあと思う。ただがむしゃらな生活ではなくて「暮らし」と言われたときに、なんだかふっと肩の力が抜けるのは、この言葉が夜をとても優しいものとして含みこんでいるからなのかな。
 明るいと比べてしまうと、暗いというのはどちらかと言えば否定されてしまいがちなことばだけれど、暮らしというのは「暗い」ことの優しさを教えてくれている感じがある。ぴかぴかの明るさが作る影は濃い。でも、うすぼんやりした暗さというのは、心が落ち着く。そういう落ち着きのなかで、生きていく生活を「暮らし」というのかもしれないなあ。
 そんなことを考えて、昨日は暮れていき、そして今日も……。
by flammableskirt | 2012-02-23 13:03

埋葬

年を重ねるごとに、じぶんはごうまんであったと思う。
あまりにもものを知らなかったし、知らないということに気づくことすらできなかった、わたしというものが誰なのかもわからなかったし、なにがほんとうでなにが嘘かもわからなかった。
いまも、わたしはあまりにもものを知らないし、一日のなかで知らないということに気づいていられる時間は短く、わたしがどのような顔をいくつもっていて、日常にあふれかえるたくさんの言葉のなにがほんとうでなにが嘘かもわからない。あいかわらずわからないのだけれども、年を重ねるごとに、じぶんはごうまんであったと思うようになったのは、以前よりもずっとことばがざっくりと身体に刺さってくるからだろう。
だれにたいしての何にたいしてのことばも痛いのだ。
その人のことをなにも知らない。その人が朝起きたときなにを最初に考えるか。その人にどんな父や母がいて、どんな子ども時代を送り、なにを大切に思っているか。なにも知らない。それでも、ほんのわずかな、聞きかじりのことばでもって、ばっさりと相手を切断し、てきとうに調理し、並べて、ほらねこんなくだらないのよ人間って……と言っているかのようなことばに触れると、哀しい。
バラバラになった頭や、腕や、足や、指、その断片を拾って、大地に穴を掘って埋めて祈りたいと思う。ことばを悼んで、ことばをもういちど土に埋めて、地中のみみずや蟻たちの力で分解させ、泥にもどして原初のちからを復活させてあげたいと思う。
どうじに、じぶんもそのようにことばを大地から分離し、その力を奪い、ごうまんにもことばで世界や人間を切り取り、切断し、並べて、悦にいっていることを思い出し、しかも、それはわたしに属しているきわめて人間的な一面であることに間違いはなく、このごうまんさと、死ぬまでつきあっていかなければならないこと、それがまぎれもない自分であることに、やりきれなくなる。
気をぬけば、無自覚に、ことばを使ってしまう。
「ほらね、すべては単純なのよ。こんなにくだらないのよ、世の中は。こんなに俗悪なのよ世界は」と、笑いながら切り刻み、安っぽいことばの器に腕やら足やら頭やら並べて、さあ、わたしのお手並みはこんなもの……と、人間存在を手玉にとるごうまんさを、あたかも力であると勘違いして、誰かのたましいを踏みにじってしまうのだ。
それを、見るのも聞くのも辛いが、そのくせ、おなじことをしてしまう。
見ないわけにはいかないが……、それでも、哀しい。
ことばが死んでいくのを、感じながら、一日の終わりに「ごめんなさい……」と祈る。
どうか、どうか。明日、埋めた死骸から、新しい命が芽吹いていますように……。
by flammableskirt | 2012-02-15 16:20

荒れ野に立って

 このささやかなブログを、友人のみなさんが読んでいてくれることに、今回、あらためて気づき、あたたかな気もちになりました。身体の具合もずいぶん良くなってきているし、インフルエンザの菌ともそれなりに調停を結び、いまは少しずつ、身体を動かして、とくに《歩く》という日課を取り戻そうとしています。続けていた気功太極拳も、朝陽の温かい日をきっかけにして呼び戻せたらいいなと思っています。

 3月11日から一年……という原稿を、いくつかお願いされています。
一年といえば……実は昨年の2月13日は、佐世保の「オトヒトツ」というバンドを招いて六本木でライブを企画していました。ですから、その日のことはとてもよく記憶しているし、あの時、自分がなにを感じてどんな気分だったか……ということもありありと……思い出すことができます。

 その日は朗読会も行い、いろんな音楽家の友人とコラボレートで朗読をしてたいへん刺激的で楽しかったのです。小説を書く以外のことで、気晴らしをしていた……ような感じでした。

 今年の2月13日は、まったく違う気分で違うことを考えていました。インフルエンザで体調がいまいち戻っていない……ということもありましたが、とても内向的になっていて、自分の内側の海、わたしという海へ潜り込むようにして、これまで見ることがなかった私の海の世界を一人で探険しているような気持ちでした。ほとんど外に出ることもなく、誰かに会うこともなく(菌をうつしてしまうから)、追想のなかを漂っているうちに、気がつくともう一日が終ったりしているのです。

 ここ数日、わたしがひっかかり感じていることは「犠牲」ということです。どうしても「犠牲」ということばの意味を頭でしか理解できないでいました。でも、いまはっきりと「ああそうか……犠牲とは……こういう感じだったんだな」と、なにかがすとんと腑に落ちて、ことばがわたしの血肉となりました。ことばのリインカネーションは、ふいに起ります。ことばが再受肉される瞬間はとても神秘的ですが、それを、使い古したことばでどのように表現していいのかわからない。それは、夢で体験したこととよく似ていて、わかっているけれども、ことばにできないもどかしさをともなうのです。

 なので、忘れてしまわないように、ことばにできないことは忘れるのがとても早いので、この《感じ》を忘れてしまわないように、日に何度も確かめて、身体で《感じ》を思い出し、皮膚や神経に刻みつけようとします。
 それでも、数日経つと、消えてしまっていることもあり、そういう時、とてもがっかりするのです。あんなに確かだった《感じ》が消えてしまった……と。もう一度、あの《感じ》をつかまえることができるんだろうか……と。

 この一年で、わたしは、自分でも気がつかないうちに、ものすごく内向的になっている……という気がします。ずっと外に外にと向って活動してきたように思っていたけれど、外に向うのと同じエネルギーで内へ内へと向っていたのかもしれない。あまりにもエネルギーの落差が大きかったから、たぶん、へとへとにくたびれて、それで精神力を使い果たしてしまい、身体がすり切れて停止状態になったんじゃないか……そんな気がしました。

 昨年は義母と義父が相次いで亡くなり、特に義父は在宅で看取ったものですから、年末にかけてケアマネージャーの方や、介護師さん、訪問看護の看護婦さん、在宅医療の先生……、介護ベッドの営業の方から、葬儀屋さん……と、ほんとうにいろんな方たちが日々家を出入りし、家でのお通夜、そしてお葬式でしたので、のべにしてどれくらいの地域の人たちのお世話になったか。すべてが終って家の掃除をしたら、気持ちがぽかんと空白になって、今年のお正月はほんとうに、きらきらと光が散乱するような、まるで、あの世がこの世に重なって見えるような、静かで透明な日々が続きました。

 そういう中で、体調はどんどん悪化していき、何度も検査を繰り返し、病院で血をとったり、造影剤を飲んだりしていると、たくさんの病んだ方たち、もう歩くこともずベッドに寝たまま点滴につながれているお年寄り、そういう方たちとすれ違います。

 最期まで家族と会話し、口から水を飲み、自然に呼吸が止まって亡くなっていった義父の最期を思うと、死ぬことをどういうふうに家族がとらえていくかで、死の意味合いがずいぶん違うこと……、なにが良いとか悪いとかではなく、たとえ認知症であったとしても、誰もがもっている内的な世界を大切に思うことがどれほど難しいことか……を痛感するのでした。

 十四年前に母親を看取ってから、実父、義母、義父とさらに看取ってきて、母親の時とは自分の考えや行動がとても大きく変化していることに気づきました。母親が脳出血で倒れたとき、わたしはなにもわかっていなかったし、わたしの内的世界はとても小さく空疎でした。だから、昏睡状態になった母親の心の世界、無意識の世界で起っている変化にほとんど気づくこともできず、看取りの余裕がまったくなかったことを、痛感するのです。

 そして、あの時、なぜ母が目を開けたか、あの時、なぜ母の顔の上に小さな蜘蛛が糸を垂らして落ちてきたか、あの時、なぜ母はだれもいない部屋で息を引き取ったか……、意識化されてこなかった記憶が、ふっと甦ってきて、ああ、そうだったか……と思うのですが、それもまた夢のなかの出来事のように言葉にはうまくできない《感じ》として察知されます。

 わたしの一年は、ことばにできないものを《感じ》として受け止め、それをつなぎとめようとする一年、ことばにできない想起を、手で触って形を確かめているような一年、そんな一年だったかもしれない。
 あまりにも、自分がないがしろにしてきてしまった、内側の世界に目を向け、甦らせるための一年だったような気がしてしょうがないのですね。
by flammableskirt | 2012-02-15 10:50

インフルエンザ

年末に義父が亡くなって、しばらくぼう然としていました。看取りの疲れというのは時間が経ってから感じるもので、なんだか身体の調子が戻らなくて、ひとつひとつの不具合をていねいに検査していったのですが、けっきょくのところ、最先端の科学技術を使って細胞まで調べても、どこも悪いところはなかったのです。疲労とストレスでしょう……と言われてしまいました。
人間がいつまでも元気でいられるわけはない……とわかっていても、昨日と違う今日の体にうまく馴染めなくて、雪崩の埋もれた人が雪のなかでもがくようにもぞもぞとしていたら、すこしずつ雪とのあいだに隙間ができて、ある日、自力で抜け出すことができました。ああ、よかった……と思っていたら、講演旅行に行ってインフルエンザに感染し、先週の月曜日から高熱が出てまたしても寝込みました。
毎晩、大汗をかいて何度も着替え、そうしているうちに菌もおとなしくなってきて、金曜日から外出許可が出たので仕事を再開、イタリア大使館でいろいろな国の方たちにお話をしてきました。人と会うとインフルエンザをうつしてしまいそうで、気が気ではなかったのですが、ようやく今日あたり、いつもの身体の落ち着きが戻ってきて、やれやれ……とほっとしています。

いろんな用事が、もう手のつけようもないほどたまっていて、確定申告の季節でもあるし、締めきりや、キャンセルしてしまった約束や、そういうことを考えると、少し憂鬱になります。考えてもしょうがないことを考えて憂鬱になるほどつまらないことはないので、考えずに淡々とできることから片づけているのですが……。こういう時、ほんとうに自分をとるにたらないちっぽけな生き物だなあ……と思います。この私が、なにかしようとしまいと、世界はなに一つ変わらずにちゃんと動いていくのに、自分ができなかったささいなことを気に病んで、朝のお茶も味わえないような……。そんな心のありようでいては、ものごとを大きくとらえて流れにまかせつつ、変えるべきところを変えていくような力技はできるわけもない……。バタバタせずに、脱いだ靴はちゃんと揃えて、そっと歩く……。空気を柔らかく保つにはゆっくり動くことが大切だなと思う。空気を錬るようにゆっくりと……。
by flammableskirt | 2012-02-13 11:51
友人の月乃光司さんが朗読会を開催します。月乃さんの笑いと毒と愛のある朗読は、もうご存知の方も多いと思います。お寺の僧侶でもある福島泰樹さんの朗読は、朗読という芸術です。詩情と哀切とユーモアをたたえた、朗読表現にぜひ一度触れていただきたいと思い、ご紹介いたします。
2月24日ポレ東レ東中野で!

福島泰樹×ドリアン助川×月乃光司ジョイント朗読会
〜真冬の夜の魂〜


失意と混乱の寒さの中で、震える者たちよ、
男たちの言葉で「暖」をとれ!
「短歌絶叫歌人」福島泰樹、
「旅の言葉、生きる言葉」ドリアン助川、
「こわれ者の祭典」月乃光司、
朗読道を歩む三人の表現者たちによる魂の癒やしの朗読会。

■日時:2012年2月24日(金)18:30open/19:00start (22:00end)
■出演:福島泰樹、ドリアン助川、月乃光司
■会場:ポレポレ坐(東京都中野区東中野4 4 1 ポレポレ坐ビル1F)
 詳細・アクセス http://za.polepoletimes.jp/
■伴奏:永幡正人(ピアニスト)、タダフジカ(ギタリスト)、田村輝晃(ギタリスト)
■入場料:予約3,300円/当日3,800円(ワンドリンク付)
■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)
    Email : event@polepoletimes.jp
    件名に「真冬の朗読会予約」、[お名前][人数][電話番号]の記入をお願い致します
■主催:月乃光司
http://sky.geocities.jp/tukino42/
☆福島泰樹(ふくしま やすき)
歌人・僧侶。「歌謡の復権と肉声の回復」をスローガンに、「短歌絶叫コンサート」という新たなジャンルを創出。自作の短歌のほかに、宮沢賢治、中原中也、寺山修司などの作品を30年以上にわたり絶叫。全国でのライブは千数百回を数える。
☆ドリアン助川(どりあん すけがわ)
創作家・道化師。1962年、東京生まれの神戸育ち。作家名、明川哲也。
大学卒業後、フリーライターを経て、1990年、ポエットリーディングバンド「叫ぶ詩人の会」を結成。世界を旅したことから生まれた言葉で歌をつむぐ。2000年同バンド解散後ニューヨークに渡る。明川哲也としての執筆活動を始める。2002年に帰国。2011年、活動の原点に戻り、リーディングを再スタート。朗読者ドリアン助川の復活である。
☆月乃光司(つきの こうじ)
作家・会社員・病気ライブ「こわれ者の祭典」代表。20代をアルコール依存症、
引きこもり、自殺未遂で無為に過ごす。精神科病棟3回入院。当事者グループで回復。
「生きづらさ」脱出のメッセージ活動を続ける。著作「人生は終わったと思っていた」
(新潟日報事業社)他。2010年新潟弁護士会人権賞、第5回安吾賞新潟市特別賞。新潟市在住。
by flammableskirt | 2012-02-13 11:33