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「祈り」を待つ日

滋賀でのアール・ブリュットの講演を終えて、家に戻り、ようやくしばらく家での時間を過ごせるようになりました。気がつけば11月も終ろうとしています。お芋を送ってくれたみよのさんにルームソックスを編みました。毎年冬になると、くつ下を編みます。今年の第一号……うっかりして写真を撮るのを忘れました。もう送ってしまったので、自分が編んだくつ下を、もしかしたら二度と見ることがないかもしれないです。

 「地震が来るから、お米をたくさん買ったんだ」と言っていたみよのさんが住んでいる浦河で震度5の地震がありました。心配になって電話をしたらご無事とのこと。アイヌの人の直感のよさにはいつも驚かされます。
 以前に、もう亡くなられたアイヌのおばあちゃんが「昔のアイヌは、みんな黙っていてもいつお客が来るのかわかったものだ」と言っていました。「なぜ?」と聞いたら「カラスが噂する」と……。実際に、人が訪ねて来るのがわかるようで、それが昔のアイヌ社会ではあたりまえだった、つまり、そういう直感力をみながふつうにもっていた、と聞いて驚いたのでした。

それもまた「繋がりあって生きている」ことを心身で実感している人たちだからなのかもしれない。私の身に起こることとあなたの身に起こることを、ひとつづきの命の問題として考える……。鳥の身に起こる事、魚の身に起こること……それをひとつづきの命の問題として考えるから、鳥や、魚からいろんな伝言を受けとることができるんでしょう。

そういう人たちを、私はとてもうらやましく思うけれど、中途半端な田舎の新興都市に育った私は、土地との結びつきなどとっくの昔に失ってしまっているし、いつも自分のことばかりに精いっぱいで、他の人たちに起こっていることが、自分に起こっていることと同じに感じて危機を察するような、そういう能力もあるとは思えない。こんなに身勝手な生き方が身についてしまってどうしたらいいのか、いつも途方に暮れるばかりです。

この「繋がりあったいのち」の感覚は「祈り」というものと深く関係していると思います。あなたとわたし、そして、鳥や魚や動物たちと自分がとても強く結びつき、自分一人が生きているのではなく、まわりの生き物と支え合って生きているから、自分一人が助かるということはありえない……という、この感覚に根ざしているのが「祈り」のような気がするのです。

わたしにはこの感覚がどうしても体感できないので、祈りということがわからなくて、ずいぶんといろんな場所に行ってはいろんな人たちに「祈りってなんですか?」「どうしたら祈ることができるんですか?」という質問をして歩きました。その答えがほしかったんです。答えがあると思っていたところが、いま思えば幼かったなあと感じます。でも、みんな良い人たちですから、そういう質問を受けても笑っていろんなことを言います。「ここでおいしく弁当を食べればいいんだ」と言われたこともあるし、「歌えばいい」と言われたこともあるし、「自分の言葉で祈ればいい」と言われたこともある。

このごろわかってきたのは、祈りというのも「祈ろう」としてするものではないのだ……ということ。祈りはわたしのなかからわきあがってくるある情動で、たとえば、人を愛してしまうことと近いかもしれない。愛そうと思って愛することはできないし、恋をしようと思って恋をすることはできない。そのような情動は、いつも自分の内側から勝手にわきあがってきて、自分はもうそこから逃れることができないもの。

祈り……というのも、そういうパッションであるように思えてならないのです。祈ろう……として祈れるものではなく、それは、もうその行為にとらえられ、祈りに連れ去られてしまうような、そのような「体験」そのもので、その「体験」のなかにあって初めて人は祈りを知るのです。祈りとはなにか……なんて、教えることはできないのです。それは、愛とはなにか、を教えることができないように。とても個別でありながら、とても普遍的な体験……。言葉を超えており、意識を超えており、内発的な衝動によって、意識が逆に掴まってしまうような体験、それが、祈りなんでしょう。

魚の悲しみ、鳥の悲しみ、動物の傷み、そして、周りの人たちの苦しみ。苦しみがわがこととして感じられるときに、人は祈りを体験するのかもしれない。祈りを、いったいこの人生で何度体験できるのだろうか……。
それも、私のはかりしるところではないのだけれど、私はいつも、それがやって来るのを待っています。
by flammableskirt | 2011-11-29 10:42
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アール・ブリュットとの出会い そしてその可能性について

ゲスト:田口ランディ(作家)

宗教、福祉、医療、スピリチュアリティ、自然など様々なテーマを、小説、ノンフィクション問わず精力的に執筆されたきた田口ランディさん。彼女がアール・ブリュットといかにして出会ったか。そのエピソードをきっかけに、現代社会におけるアール・ブリュットの持つ可能性を探ります。

日時:2011年11月26日(土) 14時半〜16時半
会場:(※)近江兄弟社学園 教育会館
住所:滋賀県近江八幡市市井町177 TEL:0748-32-3444
協力:学校法人近江兄弟社学園

※チラシには「ヴォーリズ平和礼拝堂」と表記されてましたが、諸事情により会場が同住所内の「近江兄弟社学園 教育会館」に変更となりました。参加者の方には当日スタッフが会場までご案内いたします。ご了承下さいませ。

問い合わせ・予約
お問い合わせ・予約お申し込み先:
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
〒523-0849 滋賀県近江八幡市永原町上16(旧野間邸)
TEL / FAX:0748-36-5018 [お電話の受付時間:10時〜17時半]
E-mail:no-ma@lake.ocn.ne.jp

※お申し込みの場合は、予約希望企画名/お名前/電話番号 をお書き添えの上、お申し込みくださいませ。
by flammableskirt | 2011-11-21 11:20

にのみやさをり写真展

友人の写真家、にのみやさをりさんの個展が国立で開催されています。
http://www.ne.jp/asahi/mirror/0605/exb/index.html
彼女の新刊に一文を寄せました。
とてもナイーブな内容を描いた本です。
この本を必要としている人が、たぶんたくさんいるでしょう。
必要としている人に届くように……と願います。


この写真は……私の部屋。最近はこんな感じ。
ことしは花を育てる余裕がなくて、緑ばかり……。
ランも、みんな枯らしてしまった。ちょっと哀しい……。出張が多すぎたみたい。
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by flammableskirt | 2011-11-21 10:51 | イベントのご案内

生きることのレッスン 

仕事場でごろんと寝ころんだら、目に飛び込んできた「生きることのレッスン 竹内敏晴」
竹内先生……亡くなってしまったんだよなあ。もうお会いできない。そうです誰かが亡くなるというのは、もうお会いできないということなのです。先生が生きていたときはいつも夏に公演の案内をもらっていた。そして、いつも行けずにいた。なにかの用事と重なってしまって。でも、また会えると思っていた。

内発するからだ、目覚めるいのち……
「生きることのレッスン」

あらためて、竹内敏晴先生の本を読み返してみました。
どうしてだろう、どうしてだろう、まるで脳にじゅうっと染み込んでいくみたいに、言葉が身体に入ってくる……。先生が伝えようとしていたものが、言葉を越えて身体に入ってくる。どうしたことだろう。
いままで、お話を聞いていてもなにもわかっていなかったのだ……!

でも、なぜ、今日で、なぜ、いまなのだろう?

理由はないのだろう。
私の心が受け入れる準備が整ったということだけなのかもしれない。
人は大切なものをほとんど受けとれていない。
その時が来なければ、どんなにわかったつもりになっていてもなにも見えていないのだ……。
いつもそう感じるけれど、今日もまた痛感する。

今日、生きていてよかったと思う。
こういう瞬間のために日々を生きているのかもしれない。
ていねいに、落ち着いて、手にとったものにじっくり目を通す時間を、
大切にしよう。
何万回聞いたことばであっても、新しい意味をもって輝く瞬間があるのだから。
by flammableskirt | 2011-11-18 18:32

みよのさんのお芋。

みよのさんから、突然電話があった。
「北海道のふかざわだけど、覚えてる?」
「あーみよこさん!」
「みよのだけど」
「あ、そうだ、まちがった、ははは」
みよのさんは、北海道の浦河町に住んでいるアイヌの女性で、ずっと前に浦河べてるの家に行った時に知りあった。べてる祭りの時だったかな、浦河の保存会の人たちがアイヌの踊りや歌で歓迎してくれた。その時、みよのさんの踊りは、すごかったんだ。どういうのかな、風の精みたいに見えた。それで、声をかけたのがきっかけ。みよのさんと一緒に山に入っていろいろ話をした。みよのさんはすごく元気で、背は私くらい小さくて、飛ぶように山道を走る。自分では「私はへそまがりで憎まれものだから」と言う。確かに口は悪い。ものすごく辛辣で、つまり正直ってことだ……。どれくらい会っていないだろう、五年、いやもっとかな。たった一度、会って、二回くらい手紙を書いたかもしれない。
「あのさ、今年、ものすごく芋がたくさんとれたんだよ」
「へえ?」
「送るからさ、あの神奈川の住所でいいんか?」
「え、ああ、ほんと?うれしいなあ!」
「もうもうそりゃあたくさんとれてさ、うちの芋食べたらほかのは食べられねえから」
「楽しみだなあ、でも、なんで突然、思い出してくれたの?」
「いっつも、首飾り見てなんかお礼しなきゃなあ…って思ってたんだよ、芋を送ろうと思っていたんだけど…いろいろ忙しくてさ。今年はいい芋がとれたから、よっしゃ送ろうと思ってさ」
「そうかあ、うれしいなあ。私もね、いつもみよのさんのこと思い出してたよ」
「なんで?」
「なんでって、みよのさんの歌と踊り、かっこいいなって思ったから」
「私はうまくないよ」
「そうかな。でも私にとっては、すごくすてきだったんだよな。むっくりもつむじ風みたいだった。魂を感じた」
「あんた元気でやってんの?」
「元気だよ。みよのさんは?」
「元気だけど、もう年だからな。でも、歌ったり踊ったりしないと生きていけないから。なにかあると歌ってるよ」
「そうかあ…」
「あんた、福島とか東北に知りあいとかいる?」
「え、ああ、いるけど…なんで?」
「芋、送りたいんだよ。わたしは知りあいがいないからどこに送っていいかわからん。あんたの知りあいのとこに送るから住所をさ、手紙にしてよ」
「わかった、きっと喜ぶと思うよ」
「あのさ、寒の水って知ってる」
「寒の水?」
「1月の9日過ぎのころを寒っていうだろ、その時期に水をためるんだよ。そうすると寒の水はよ、一年経っても腐らないんだよ。昔からの言い伝えなんだよ。だから、来年になったらあんたは寒の水をタンクにためておきな。高い金だして水買うことないから、わたしも寒の水、貯めておいといたけど、一年経っても普通に飲める。だからいっぱい貯めてあるよ。米もな、玄米にして大目に貯めておきな、そしたらなんかあった時、周りの人も助けられっから…」
「うん…」
「まだ、これから大変なこと起るから、ちゃんと準備しとかないと。なんかあったとき、地震で亡くなった人たちが浮かばれないだろう? 自分たちが最初に犠牲になって、これから起ることを教えてくれてんだからなあ。そう思って、準備しとかなきゃ申し訳ないだろう」
みよのさんは、そう言って、無駄になるかもしれないけど今年は米を200キロ買ったと言った。そうしたら、近所の人たちにも分けてやれるからさ…と。

みよのさんたち、絶対に自分のことだけ考えないんだよなあ。
ほんとうにお金なくて質素な暮らしぶりなんだけど、芋がたくさんとれたら分け与えたいと思い、災害の備えは近所の人のことも考えて行うんだ。人と人は互いに助け合っているから生きていらる。人間は一人じゃ生きられない、その考えはアイヌの人たちにとってはあたりまえのことで、自分のことだけ考えていたらいつか死ぬと思っている。でも、そういう発想がわたしにはない。自分の家族だけがなんとかなればいいと、私は思っている。それなのに、みよのさんはこんなに遠くに離れている私のことも思って、一生懸命に何かを伝えてくれようとしていた。

「なんか偉そうに説教しちゃってごめんな!」
そう言って、がはははは!って豪快に笑って、じゃあね、と電話を切った。
たった一回だけ会っただけなんだけれど、私はみよのさんを絶対に忘れないし、時々思い出していた。人と人の繋がりってなんだろう。誰とでもというわけにはいかない。時空を超えて結ばれ合う人はごくごくわずかだけれど、確かにそういう人がいる。
みよのさんのお芋が届くの、楽しみだな……。
by flammableskirt | 2011-11-15 13:28

私のなかの二つの国

中野でのアール・ブリュットの講演、さまざまな仕事上の打ち合わせと取材……そしてまた週末になだれこみ、福島に行って戻って来た。

ほとんど9月からずっとイベントや海外出張の慌ただしい日々が続いており、自分のキャパシティを超えて人と会っているため、頭も心も混乱している。混乱している……というか、ちょうど湖面に風が吹いてざわざわさざ波立っているあの感じである。木立に風が吹いて葉が一斉にざわついているあの感じである。それが続くと皮膚も頭の表皮もざわざわして、毛穴がとんがっているような落ち着かない気分になる。全体に頭に血と気がのぼり、足下がふわふわして、安定しない。私はもともと気が頭に上りやすいので気功を始めたのだが、生活のリズムは完全に崩れ、平均睡眠時間は四時間くらいになり、気功など、とてもできる状態でなくなる。気ぜわしくなり頭に気が上がると、あのゆったりした動きに精神が耐えられなくなるのだった。

でも、そんな日々のなかで11月11日のドストエフスキーの誕生日に、両国のカイシアターで観た「白痴」の舞台は、現世のつきあいのなかでおぼれている私を、一瞬だけ「もう一つの場所」へ戻してくれた。ドストエフスキーは偉大だと思う。残念ながらこの舞台は13日で終了してしまった。東京ノーヴィレパートリーシアターのみんな、そして演出家のアニシモフさんに心からお礼を言いたい。ほんとうによい舞台を体験させてもらった。
「白痴」のテーマは、その翌日に移動した福島での出来事とも深く関わっているように感じた。12日の夜に、私は新白河で、水俣からやってきた漁師の緒方正人さんと合流し、翌日、いっしょに飯館村の友人を訪ねたのだった。

緒方さんは、私にとって特別の人である。どう特別なのかうまく言葉にはできない。緒方さんを初めて「見た」のは、水俣湾の埋め立て地で上演された能「不知火」の公演の夜だった。この能は作家の石牟礼道子さんが、水俣事件で垂れ流しにされた有機水銀によって亡くなったすべての生命の鎮魂のために書き上げたもので、有機水銀のへどろを隠蔽した埋め立て地で上演された。そのとき、水俣病の患者でありこの地に生きる人間として精霊舟を流し海に祈りを捧げていたのが、杉本栄子さんと緒方正人さんだった。私は群衆のなかから、この二人が海に祈る姿を見ていた。実は翌日、友人のはからいで二人に会ってお話を聞く段取りとなっていたのだ。が、しかし、お二人が海に向って祈る、その姿のなにかこう……迫力というのか、尊厳というのか、美しさというのか……とにかく圧倒的な霊性のようなものに、ただただもう畏れおののき、とてもこんな人たちに今の自分が話を聞くなどおこがましく恥ずかしい……と感じて、約束をキャンセルして逃げて帰って来てしまったのである。その緒方さんとやっとお会いできたのは、それから一年後のことだった……。
私は杉本さんと緒方さんには、人間としての覚悟のくくり方というのか、もうまったく、お会いしていると自分がぺらぺらのうすっぺらい、幽霊のようにすら感じてしまい、会うたびに恥ずかしくおこがましく、情けなく、、身が縮むような思いだった。それでも、お二人はとてもよくしてくださった。
緒方さんと、お会いするのは五年ぶりだったろうか……。あまり体調がよろしくないと伺っていたので、水俣に行く機会があってもお訪ねしていなかったのだ。その、緒方さんと今回、福島でお会いすることになって、久しぶりにゆっくりとお話をする時間を得た。と、言ってもせいぜい三時間程度なのだが……。

緒方さんは、「もうひとつの世界」の言葉を、この世界の言葉に翻訳して話をしてくれる。だが、この世界の言葉に翻訳されてしまうと、言葉はどうしてもこの世界、つまり現代日本に流通している意味の制約を受けてしまう。それゆえ、緒方さんの言葉は、たぶん、緒方さんが伝えようとしていることの10分の1くらいに薄まってしまうように思える。それがもどかしい。ふつうに聞き流してしまえば、緒方さんの言っていることは「とるに足らないこと」になってしまう。とくに、都会のなかに緒方さんを連れてきて、聴衆の前に引き出してマイクで声を拾ってしまえば、あちら側の世界の言葉は、この世界ではとてもあやふやになってしまうのだった……。

福島での講演会で、緒方さんの第一声は「私は魚の代表としてここにまいりました」だった。
その言葉を、聞いている人たちはどのように受けとっただろうか。たぶん、動物愛護的な感覚の延長で受けとったのではないか。ああ、この人は魚も生命だから大事にしようという考えの人なのだな……と。だが、そうではないのだ。
海まで数メートルという場所に家を立てて漁師として生きてきた緒方さんにとって、海も魚も私たちの思い描くものとはまるで違うのだった。

緒方さんは自分の国は「生国」であり、それは魂の還る国であると言う。生国、つまり魂がやってきた場所、命が生み出される場所、それが自分の国であり、制度国家として日本は、もう一つの国であるが、自分は制度国家としての国は信じていないし、その国とは今生でのおつきあい程度と考えていると語る。自分の国は生国である……と。この生国という言葉にはとても重層的な意味が含まれている。それは生みの国であり海であり、同時にあの世であり、同時にすべての生命の発生の場であり、この世界の背後に存在する見えない世界をも示す。そして、緒方さんは、その「生国」に生きる魚として、自分は言葉を発していると語っているのである。

魚とは、もちろん海にいる魚類でもあるし、同時に、海という広大な無意識のなかを泳ぐ魂の象徴でもある。キリスト教においては、キリストが人間として描かれる前は魚として描かれていた。人間は子宮のなかにいるときは肺呼吸をしておらず魚のように羊水を泳いでいる。生物は海から陸へと上がってきた。魚もまた重層的なイメージとして多様な意味をもち、それを曖昧に感覚的に受け止めなければ緒方さんの言う「私は魚として発言する」という言葉の指し示す「こと」は伝わらないのである。緒方さんは言葉を記号として使わない。緒方さんは「こと(事)のは(波)」としてことばを使うのである。だから緒方さんが「海」という時、海は「海という出来事」である。緒方さんが「魚」というとき、魚は名詞としてものを指していると同時に「魚という出来事」を指している。つまり、神話的な言葉の遣い方をするのであるが、それはたぶん現代人にはほとんど理解できないかもしれない。

制度国家である日本の言葉をつかって、魂の国である生国の出来事を伝えることは容易ではない。それでも、緒方さんは「魚として語る」として宣言して、壇上に立ち、マイクに向って話し続ける。そのおのれの言葉にどれほどの不毛を感じているか……。きっと翌朝にはぐったりと落ち込み疲れているのではないかと思う。

「白痴」という芝居のなかで、主人公である公爵(白痴の青年)が、自分は言葉を語るべき人間ではないと嘆く。自分の言葉はいつも不適切で、自分の言葉は周りの人間たちの行為を否定するどころか「無」にしてしまうからだ……と。だから、言葉を語ってはいけない人間なのだと……。

緒方さんの言葉が、容易に受け入れられないのは、緒方さんの言葉を真っ向から受け止めたら、私たちは発狂するからである。緒方さんの言葉はこの制度国家日本に生きている私の、根底の部分を根こそぎひっくり返し、それがいかに幻想であるかを暴き、そして、私の存在意義をぶち壊してしまう、いわゆる「次元の違うことば」なのである。だから、それを理解しようと努力すれば努力するほど、自己矛盾に入り、自己を問い続けることになる。そして私は「無」になってしまう。緒方さんのような存在を、ドストエフスキーは「最も美しい人間」として「白痴」という作品に描いたのだ。彼らが尊く美しいのは、彼らが「別の世界」の大切さをよりどころとして生きているからであり、それを私たちは「無垢」と呼んできた。でも、イノセントは同時にこの現世の価値観に生きる人間にとっては、あまりにも危険であるから、その存在は「とるに足らないもの」とされてきたのかもしれない。

緒方さん自身が、「狂う」という体験を通して苦しみもがきながら、十数年もかかってようやく許されたという……つまり「生国」の籍に入ることを。「わかっていても、なかなか許してもらえんかった。苦しみから逃れることができなかった、どうしてもこちらに引き止められてしまう、いかしてもらえんかった。ほんとうに、辛かった」と語っていた。私は緒方さんを通してかろうじて、緒方さんが住まう「生国」という存在をかいま見る。その国は私がかつて生まれた場所であることに間違いはないのだが、その国に入ることをいまだ許されてはおらず、その国への憧れゆえにやはり苦しい……。その場所へ近づこうとするはかない試みによって、あちらへ、こちらへと旅を続けているのだが、その旅もまた、自分がしているのか、させられているのか判然としない。気がつけば電車に乗って、どこかに向っているのだが、いつも「もうやめたい」と思っている自分がいる。それなのに、身体は動いているし、一銭にもならぬことにお金をつぎこみ、それを書くわけでもありゃしない。どんどん貧乏になるばかりだ……。やっぱり少しずつ変になっているのかもしれない。
でも、緒方さんに会うと、そっちへ行きたいと思ってしまうのだった。どうしようもなく、もう一つの国、生国に戻りたい……と。
by flammableskirt | 2011-11-14 12:50
出張を終えて久しぶりに家に戻り、娘とお茶を飲みながら話をした。
「自分にとって都合の悪い人、いやな気分を与える人、苦手な人、そういう人が自分を一番育ててくれるものだ。そういう人がいなかったら自分は成長などせず同じままだよ……」
などと私が言ったのは、自分の父親を思い出してのことだった。あの父が死んでからもう三年が経ち、もうすぐ四年目に入る。寒くなると父のホスピスに通った日々を思い出すのだ。ほんとうに大変な父親だった。酒乱のあげくアルコール依存症になり、おまけに境界性人格障害でめちゃくちゃな人だったが、あの父がいなかったら……今の私はない。それは絶対にそうなのである。私の人生はひたすら父との葛藤と闘いの人生だったが、結果的に私は父を尊敬し好きである。なにかと父を思い出す。そして父亡き後、私をあれほど困らせ、怒らせ、悔しがらせ、悩ませ、落ち込ませ、奮い立たせる存在がこの世界にないことを、とても淋しく思うのだった。父が死んで、私の人生はたいへん安定した。ハラハラし、ムカムカし、ショックを受け、泣き叫ぶようなことはなくなってしまった……。同時にそのような感情から立ち直り、自分を見つめたり、相手を理解したり許したりするくだんの努力もしなくなってしまった。なにか自分は父が死んでからどんどん傲慢になっているように思えて怖い。
そんな話を娘としていたのである。娘は自分が苦手な学校の先生を思い出したようで「じゃあ、あの先生のおかげで私は成長したのかなあ……」と言う。
「うん、それは間違いないね、ものすごく成長した。がまん強くなった」
「そうだよなあ……。確かに」
「だからね、あなたも誰かの嫌な奴になることを恐れちゃだめだよ。嫌われることを怖がっていたら、誰の役にも立てないからね」
「えー? 嫌な奴でもいいの?」
「いいんじゃないの。だってそういう人がいなかったら他の人も成長できないわけだし。お互いさまってことだよ」
ともあれ、私が誰にとっていい人で、誰にとって嫌な奴か、それを決めることはできない。決めるのは相手なのである。私は同じ私であり、私の好き嫌いは相手が決める。これはもうどうしようもない。受け入れるしかないのである。そのことを作家になってから嫌というほど学んだ。同じ私を好きな読者もいれば、さげすむ読者、呼び捨てにして毛嫌いする読者もいる。私は私の評価に対して無力である。
だから、どう生きるかは自分で決めるしかない。相手に合せていたら気が狂う。そしてまた、私が誰かにとって私が誰かにとって嫌な奴であるなら、きっとその人の人生になんらかの貢献をしているのである。少なくとも、私は私が苦手な相手、私にとって都合の悪い相手からさまざまな事を学んできた。愛であれ憎しみであれ、感情が動くということは、その相手となんらかの見えない繋がりがあるのだ。それは私が選んだものというよりも、おのずからそういうことになっているような不思議な感覚であり、受け入れていくしかないのだろう。

おととい、竹内さん、上田さんと鼎談が終った後の飲み会でも、同じような話題が出た。そのとき「パッションは常に受け身である」と竹内先生が言う。「恋愛のような情熱も、自分が好きになろうとしてそうなるわけではなく、どうしようもなく好きになってしまう。つまり、情熱に対して人間はいつも受け身なんだ……」と、
すると、上田さんがしみじみと言ったのだ。「そういえば、パッションには受難という意味もありますねえ」
激しい感情体験は苦しみである。愛することも信じることも自分の自我を超えて、逃れることのできない情熱につかまって起る。それは確かに身を焼き尽くすような苦難をも伴い、受難だろう……。
でも、それを体験することが「生きている」って感じなんだよなあ……と思うようになった。そんなことを思うのは、父が死んであまりにぼんやりと幸福だった三年の休息期間、自分のなにかが少し失われたように感じたからかもしれない。
by flammableskirt | 2011-11-14 11:11
アール・ブリュットとの出会い そしてその可能性について

ゲスト:田口ランディ(作家)

宗教、福祉、医療、スピリチュアリティ、自然など様々なテーマを、小説、ノンフィクション問わず精力的に執筆されたきた田口ランディさん。彼女がアール・ブリュットといかにして出会ったか。そのエピソードをきっかけに、現代社会におけるアール・ブリュットの持つ可能性を探ります。

日時:2011年11月26日(土) 14時半〜16時半
会場:(※)近江兄弟社学園 教育会館
住所:滋賀県近江八幡市市井町177 TEL:0748-32-3444
協力:学校法人近江兄弟社学園

※チラシには「ヴォーリズ平和礼拝堂」と表記されてましたが、諸事情により会場が同住所内の「近江兄弟社学園 教育会館」に変更となりました。参加者の方には当日スタッフが会場までご案内いたします。ご了承下さいませ。

問い合わせ・予約
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ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
〒523-0849 滋賀県近江八幡市永原町上16(旧野間邸)
TEL / FAX:0748-36-5018 [お電話の受付時間:10時〜17時半]
E-mail:no-ma@lake.ocn.ne.jp

※お申し込みの場合は、予約希望企画名/お名前/電話番号 をお書き添えの上、お申し込みくださいませ。
by flammableskirt | 2011-11-14 10:31 | イベントのご案内

11月20日(日)12時30分受付開始・1時開始
 文学研究の部
  テーマ 文学のリアリティ
 シンポジウム
  画期なるものと生           北條 勝貴(上智大学)
   ――震災後に噴出した歴史叙述=物語りの欲望――
  震災と言葉              赤坂 憲雄(学習院大学)
  リアルの所在・内と外とあいだ     田口ランディ(作家)
   討 論              司会 藤木直実・松田 浩

 総 会 11月20日(日)5時~6時
 懇親会 11月20日(日)6時開始
 会 場 東京大学 本郷キャンパス
 (会員に限らずどなたでも参加できます。参加費・資料代は無料)

問い合わせ先 日本文学協会
  〒170-0005 東京都豊島区南大塚2-17-10 Tel/Fax03-3941-2740
         e-mail bungaku1946@piano.ocn.ne.jp
by flammableskirt | 2011-11-14 10:27
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アール・ブリュット(野性の芸術)という言葉を聞いたことがああるでしょうか。
日本では「アウトサイダー・アート」と言ったほうがわかりやすいかもしれませんね。でも、私はこのアール・ブリュットという言葉の響きがとても好きなのです。いわゆる美術教育を受けず、文化的な影響も受けず、作品を発表しようともせず、黙々とただ表現したいという衝動によってのみ支えられている作家が作り出す芸術、それがアール・ブリュットです。多くの作家はなんらかの障がいをもっていたりします。でも、アール・ブリュットは障がい者芸術ではありません。そもそも芸術に障がい者か健常者かという線引きが必要でしょうか。ですからアール・ブリュットは「印象派」とか「シュールリアリズム」のようなジャンルの一つなのかもしれません。アール・ブリュットは「こういうものだ」という囲い込みを嫌います。を定義しようとすると「芸術とはなんぞや?」という問題に突き当たってしまうのです。アール・ブリュットの定義は困難です。定義の困難さこそアール・ブリュットの定義かもしれません。
ですから、感じてもらうしかありません。なぜ「野性の芸術」と呼ばれるのか、それは、アール・ブリュットの前に立てばおのずとわかるはずです。
いよいよ、中野がアール・ブリュット一色になります。ぜひこの機会にアール・ブリュットを体感してください。裡なる野性が目覚めてくるかもしれません。私自身、アール・ブリュットと出会ったことによって自分の表現が確かに変わってきました。表現へと向う真摯さを呼び覚まされたのです。それはほんとうに衝撃でした。すごく自由になった気がしています。それからずっとアール・ブリュットを追い続けています。
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11月5日には私の講演もあります。アール・ブリュットは魂の甦る場である……というお話をします。人間にとって表現とはなにか……それは、シャーマニズムにまで遡っていきます。今回は演劇や仮面の発生、洞窟壁画、そして神話……とアール・ブリュットのつながりについて考えてみたいと思っています。
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ほんとうに、アートって、なんだろう???
by flammableskirt | 2011-11-01 16:20