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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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こちらの朗読会は「絶叫系」なので、しみじみと映像の世界に浸る……というものではありませんが(笑)
今週末、渋谷のアップリンクで開催します。月乃光司さんの絶叫詩、聞いたことがない……という人はぜひ。詩の朗読において「月乃光司」というスタイルを確立した人です。パフォーマンスと呼ぶべきかもしれない。

なんにせよ、いま、朗読は地味にブームなので、うれしい。
朗読人口が増えるといいな。聞くのも楽しいけれど、読むのも楽しいんだよ。
朗読する楽しみをもっと若い人たちに知ってほしいです。


■6月4日(土)19時00分スタート(終了予定21時30分)

田口ランディ×春日武彦×月乃光司×しんぞう ジョイント朗読会
〜『臨床の詩学』(医学書院・春日武彦著)出版記念〜

■イベントスケジュール
第一部「心の問題」をテーマにしたトーク
(田口ランディ・春日武彦・月乃光司・しんぞう)
第二部 しんぞう朗読
第三部 月乃光司朗読
第四部 春日武彦朗読
第五部 田口ランディ朗読
ギター伴奏:タダフジカ ライブペイント:しんぞう
■出演
田口ランディ(作家)
http://www.randy.jp/
春日武彦(精神科医・『臨床の詩学』著者)
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=81925
月乃光司(アルコール依存症当事者・こわれ者の祭典代表)
http://sky.geocities.jp/tukino42/
しんぞう(画家・『臨床の詩学』挿絵)
http://www.sinzow.com/

日時:2011年6月4日(土)開場18時30分 開演19時00分(終了予定21時30分)
料金:3000円(ワンドリンク付)
※障がい者手帳、精神科・心療内科診察券、持参の方は500円割引
問合せ:070−6666−9940(実行委員会)

■ご予約はアップリンク・ファクトリーHP
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003955.php
by flammableskirt | 2011-05-31 11:11
俳優の佐野史郎さんの朗読を聞くため、六本木の「音楽実験室 新世界」へ。
宮澤賢治の「風の又三郎」をノーカットで朗読。薩摩琵琶と舞踏とのコラボという実験的な試み。二時間の朗読を聞いたのは初めてで圧巻だった。

「風の又三郎」は不思議な転校生と岩手の子どもたちの短い夏の出会いと別れが描かれている。南部煙草の葉の産地であった大迫を中心に早池峰のふもとの風景がていねいに刺繍するように綴られた美しい小説。しだいに朗読の世界に入っていくと、あのミルクみたいな濃い霧や、水晶のような渓流が脳裏に浮かび上がってくる。一時間もすると、映画を観ているように言葉が映像として見える。それが朗読の楽しさで、つい目を閉じて脳内映像に集中してしまうので舞踏の人には申し訳なかった。

落語と同じ。語りが脳内で映像として見えてくるようになると、自分だけの映画を観ているような感覚になる。カット割りも、アングルも自分の脳が編集しているのだけれど、それは無自覚に自動的に行われるので白日夢のようでもある。見えないぶんだけ、脳が視覚を補強してくれるため、はっきりと絵が浮かぶ。その楽しみを覚えてしまうと、朗読を聞くのは、幻覚物質でトリップしているような感覚になる。

実際、マジックマッシュルームでトリップしている時には、目を閉じると音楽がサイケデリックな映像となってはっきりと見える。あらゆる音が色と形に変換されて動き出す。シラフの時はさすがに色の質や明度、彩度は落ちるけれど、集中して朗読を聞いていると似たような状態に入ることができる。風景の細部を見ようとして意識を集中すれば、どこまででも奥に入って行ける……という、あの感じを、体験できない人はまったく体験できないらしい。

落語好きの友人が「落語が好きか嫌いかは、言葉を映像で見れるかどうかの違いかもしれない」と言っていたけれど、たぶん、朗読もそうなんじゃないかな……と思う。よい語り手の朗読であれば、脳内の映像はより鮮明になる。それは語りが自然だから。耳障りの悪いイントネーションなどで集中力が途切れることがないと、どんどん、脳内映像の世界が展開していく。

二時間という時間は、「風の叉三郎」のなかの早池峰の大自然に潜っていくには十分な時間で、六本木にいながら、あの岩手の夏の山々を歩き回って帰って来たような不思議な気分になった。二時間を読み切るのは読み手も大変だろうけれど、佐野さんが最後に言っていたように、朗読は読み手と聴き手がいっしょに緊張感を維持しながら場を作るという、実は観客の自己関与度がものすごく高い芸能なのだ。聴き手の聞く力が読み手と呼応していく。実は聴き手と読み手は無意識で対話している。

聞くことは「受け身」な行為ではない……ということを、朗読を体験していつも再認識するなあ。

東北の自然への鎮魂のような朗読会。すてきだった。
同時に、自分でも二時間くら読みきってみたい……という妙な野望がわいてきてしまった。
朗読、やっぱりおもしろい。精進しよう。
by flammableskirt | 2011-05-31 11:00

薔薇の季節

薔薇のシーズンがやってきた。
毎年、薔薇のシーズンになると友人の涼太さんが、畑で育てた薔薇を持ってきてくれる。
今年も待ちに待った薔薇のシーズンが到来し、たくさんの薔薇が千葉からやって来た。
香りのよいオールドローズを中心に、めずらしい薔薇がたくさん。
部屋のなかは薔薇だらけ。
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ていねいにアレンジメントして飾ってくれた。
ほんとに花が好きなんだね。

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観葉植物も夏に向けて剪定したり、植え替えたり。
梅雨入りだ。
もうすぐ夏至。
ベランダの空いていた植木鉢の中で、鳩が卵を抱いている。
妙な居候だが、なんだかだんだん馴染んできた。

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平塚で薔薇を育てている、横田農園の横田さんのところに遊びに行った。
横田農園は珍しい品種の薔薇をたくさん作った有名な薔薇農園。
ほんとうなら薔薇の最盛期なのだけれど、温室の薔薇は植え替えのために処分されていた。
「今年は、震災の影響で結婚式とかイベントがみんな延期になってバラは売れなかったんです。だから秋に向けて植え替えをしているんですよ……」
刈り取られしおれたバラの花の山を見て、ああ、これを届けられたらなあ……と思った。
誰に……?
花を見たくても見れない人たちに……。

横田農園では食用のバラを育てている。
シャリっとした歯触りのよい甘いバラをちぎって食べた。
口のなかに甘酸っぱい香りが広がる。サラダに入れたらおいしそう。
でも、バラの需要も世相で変る。
ここにも一人、不安を感じて悩む農家の人がいた。
秋には、満開のバラが見れるといいな。

バラの一日だった。
by flammableskirt | 2011-05-27 10:07

長編小説「マアジナル」

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長編小説「マアジナル」(角川書店)が5月30日に発売になります。



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6月25日に同じテーマをノンフィクションで描いた作品
「アルカナシカ」(角川学芸出版)が出版されます。
by flammableskirt | 2011-05-26 17:53

ことばを見つめる

3月11日の地震のあと、いろいろな場面で「被災者の方にメッセージをお願いします」と言われることが増えました。

私はこのお願いをされたとき、いつも、とてももやもやとした気分になります。

なにが私を、もやもやいがいがした気持ちにさせるのだろう。理由のひとつは「被災者」という言葉にあります。私は「被災者」という言葉が苦手です。自分に対しても使ってもらいたくない言葉です。「被」という漢字がつく言葉全般が苦手です。

「被害者」「被災者」「被爆者」……これらの言葉はいったいどういう意味をもって私の心に入ってくるのかを考えてみました。

この「被」は「被る(こうむる)」「被る(かぶる)」という意味の漢字です。とすれば「被災者」とは「災いをかぶっている人」ということになります。災いを被っている。被るはもともと頭のついた動物の皮をすっぽりとまとうということを指しています。

となれば、災いという現象を被った人は、それを被っている限りにおいて、その人の本質は隠されてしまいます。いま目の前にいる方を被災者と呼ぶとき、私たちは「災いを被った人」と称して、その人の本質、その人のありのままを見ていません。それが怖いのです。

そもそも、人は「災いを被った人」と呼ばれたいものでしょうか? 私はとても抵抗があります。どちらかと言えば、それは言葉によって「被らされてしまった」もののように感じます。つまり、本人の意思には関係なく、私たちが誰かを「被災者」と呼ぶときには、その人の本質を、こちらの都合で「災い」という言葉の衣で覆い隠しているように感じるのです。

ですから、この言葉が連呼されるとき、なにか暴力的な……他者に対するとても強い、立場の強制として感じてしまうのです。この言葉によって、ひとりひとり個人がもっている歴史や、思い……そういうナイーブなものが、すべて削ぎ落とされ、同じ模様の服を着せられたように感じてしまいます。たぶん、被災者と呼ばれた方は、心のどこかでそれをうっすらと感じて傷ついていらっしゃるのではないかと想像します……。

でも、この言葉は歴然としてあり、その言葉のもつなにかとても支配的な暴力的な力に、うすうす気づいてはいても、つい皆が使ってしまうのです。それが、言葉のもつ恐ろしさではないかと思います。

では、どう言ったらよいのだ? どんな言葉を使ったらいいのだ?

そうです。その通りです。そして私はいつもそれを考えています。とにかくこの言葉を使わないで思いを伝えたいと。すると、もう語ろうとする文脈そのものが変化してしまうのです。

私はだれに対して、言葉を発するのか? 被災者という言葉を自分に禁じると、漠然と見も知らない人たちに言葉を発することができなくなってしまうのです。そこに、個人が見えていないと、なにを言っても「虚しい」ことに気がついてしまうのです。

いま、私の知りえないたくさんの方たちが、どんな状況で、どんな心情で、どんな生活を送っておられるのか、それはほんとうに様々だと思うのです。それをひとくくりにする言葉を失えば、私はただ、自分のことを語るしかなくなってしまうのです。

私は東北が大好きで、よく旅行に行きました。旅先で出会った人たちにほんとうに親切にしていただきました。東北の海や山は素晴らしくて、たくさんの山を歩き、海で遊びました。おいしいものをたらふく食べました。東北に残る民族芸能、食文化、いろんなことを学び、縄文時代から伝わる精神性に魅せられてきました。その思いはいまも変ることがなく、ありがたく、だから、私はこれからも東北に通いますし、旅をしますし、東北のことを見つめ続けます。なにが起こるかを注意深く見聞きし、理不尽なことには発言し続けます。

……そのような自分の思いを語るしかなくなってしまうのです。それを聞いている人が誰なのか、読む人が誰なのかわかりません。相手は見えないのです。ただ、私という個人がなにを思っているのかを、表現するしかなくなります。

でも、そのほうがほっとするのです。そして、自分がどうしたいのかが、おぼろげに確認できたりするのです。
by flammableskirt | 2011-05-24 11:15
ずいぶん先のことだと思っていたのに、渋谷アップリンクでのシンポジウムと朗読会が間近に迫ってきました。月乃光司さんとは、二年ぶりの再会となります。そして、精神科医の春日武彦先生とは7年ぶりではないでしょうか。あまりにも個性的な顔ぶれですので、まだ、なにを朗読するか迷っていたりします。

なんにしても、刺激的で楽しい2時間半になるでしょう。なにしろ春日先生はユニークです。お話を聞くと、あまりに私たちと違う視点で世界を見ているので、びっくりします。そして、なぜかほっとするんですよね。

渋谷アップリンクはカフェが併設されたかわいい映画館で、大きな劇場では見ることのできない問題作や、めちゃめちゃとんがった海外の若手作家の映画を常に上映しています。東京に行って時間があるときは必ず立ち寄る場所です。私はこの小さな映画館をすごく応援してます。大きな配給会社では扱わないような社会的な問題作を、すくい取るように上映し続けてくれているからです。だから、今回もアップリンクでイベントができてとてもうれしいです。みんなに知ってほしい場所です。

■6月4日(土)19時00分スタート(終了予定21時30分)

田口ランディ×春日武彦×月乃光司×しんぞう ジョイント朗読会
〜『臨床の詩学』(医学書院・春日武彦著)出版記念〜


■イベントスケジュール
第一部「心の問題」をテーマにしたトーク
(田口ランディ・春日武彦・月乃光司・しんぞう)
第二部 しんぞう朗読
第三部 月乃光司朗読
第四部 春日武彦朗読
第五部 田口ランディ朗読
ギター伴奏:タダフジカ ライブペイント:しんぞう
■出演
田口ランディ(作家)
http://www.randy.jp/
春日武彦(精神科医・『臨床の詩学』著者)
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=81925
月乃光司(アルコール依存症当事者・こわれ者の祭典代表)
http://sky.geocities.jp/tukino42/
しんぞう(画家・『臨床の詩学』挿絵)
http://www.sinzow.com/

日時:2011年6月4日(土)開場18時30分 開演19時00分(終了予定21時30分)
料金:3000円(ワンドリンク付)
※障がい者手帳、精神科・心療内科診察券、持参の方は500円割引
問合せ:070−6666−9940(実行委員会)

■ご予約はアップリンク・ファクトリーHP
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003955.php

by flammableskirt | 2011-05-24 10:32

アメリカの不安について

第二次世界大戦で、一般人の頭上に無警告で原子爆弾を投下したことは、加害者であるアメリカにとっても痛手になっています。それは「人間としてやってはいけないこと」であることは当然で、どのような立場、視点に立って見ても理不尽で、身勝手な行為だったからです。その歴史的な事実の前でアメリカもまた思考停止をしています。

無警告原爆投下……という歴史的事実は、多くの歴史的事実がそうであるように誰か一人の責任ではなく、複雑な因果のなかで発生し実現されてしまった「現象」でもありますから、もはやその全貌解明は難しいでしょう。しかし、実行したことは事実です。それは永遠に人類史に事実として残ります。

核を行使してしまったアメリカは、抑止力としての核をもつ以外の選択肢がなかった。それはたぶん潜在的な恐怖と不安のためではないかと思います。それゆえ誰の批判も受けない正義の言い訳が必要であったし、過剰とも思える他国への内政干渉や情報操作が行われた。特にキューバ危機の時など、アメリカは自国内が分裂し、完全にコントロール能力を失っていました。

あのとき、核戦争が回避できたのは、ソ連のフルシチョフが冷静な人間だったからだと思います。しかし、このような発言すらも、かつてはするのが怖いような時代がありました。イデオロギーで対立をする人たちがたくさんいたからです。異常な時代でした。

対立的にものを考える人はとても単純です。自分と意見が違うというだけで、相手がどんな人間かなど考えもせずに、すぐに全面批判に転じます。

そういう脳の回路を常に鍛えているのです。反射的に嫌悪感をもち反論し、軽蔑します。本人は無自覚です。

そして、自己を疑うことはしません。そういう迷いのない人たちによって、有益な議論や意見は封殺されてきました。議論とは《違う意見を戦わせること》です。しかし、多くの場合、議論以前に、相手の人格批判に移ってしまうのです。そして、一度思い込んだら自分を正当化するための勉強しかしません。

冷静な議論ができなかったので、原発は「安全」か「危険」かのどちらかの極論でしか語れなくなり、お互いに聞く耳をもたず、着地点を見つけて問題解決をすることができずに突っ走って来ました。しかし、それは仕組まれた構造です。情報操作によって対立を作って、そこに人々を誘導したのです。

民主党政権になって、鳩山前首相が沖縄の基地問題に踏み込んだ時の、アメリカの怒りはすさまじいものでした。たぶん、アメリカにとってはあってはならないことだったのでしょう。
 
私はアメリカの日本に対する態度のなかにも、このごろ「恐怖」のようなものが見てとれるのです。思い込みかもしれません。でも、もしかしたらアメリカは日本人が怖いんじゃないか……と感じる時があります。

もし、日本人が一斉に、あの原爆投下の現実を、夢から覚めて認識し、なんてひどいことをしたんだ、という世論がわきあがったら……、アメリカはそれに対してどういう言い逃れができるんでしょうか。

長崎においての原爆投下は、必要ありませんでした。広島に落とされた原爆のダメージだけで十分、日本は全面降伏したはずです。しかし、長崎にも落とした。しかも、長崎の原爆は教会の真上に落ちたのです。アメリカ国民の多くは敬虔なプロテスタントです。キリスト教徒です。アメリカは長崎に落ちた原爆が教会を破壊し、たくさんのキリスト教信者の命を奪った事実を隠ぺいしました。

破壊された教会は、原爆ドームのように遺産として残そうと考えられていました。ですが、戦後に長崎市長をアメリカに招待し、市長を説得することによって破壊された教会の瓦礫を撤去させてしまい、新たな教会の建築のためにとある財団から寄付をさせ、破壊の事実を過去に残させないように画策したのです。ですから、長崎には原爆ドームのような世界遺産は生まれませんでした。

常に原爆の罪を隠してきました。そのために原子力という虚構の夢まで作り上げました。しかし、それが崩壊しました。アメリカは自分に矛先が向かない方向を必死で考えています。怖いからです。

アメリカは日本の同盟国です。日本にはアメリカ軍の基地があり、安全保障条約によってアメリカの傘下に入ることで、日本の安全を保障されていることになっています。その安全とは、近隣の他国からの侵入や攻撃に備えた安全です。

私には、自分がアメリカによってどういう安全を保障され、いま生きているのかがよくわかりません。国防の専門家の方たちは「アメリカ軍が撤退したら大変だ!」と言います。そうなのかもしれません。

ただ、これまでの日本における「核」にまつわる歴史的な出来事を追っていくと、いつもアメリカという国の影がついてまわり、そして、アメリカはなんとか「原爆を落とした罪」を日本人から問われないようにするために、必死になって情報を操作し続けてきたように見えます。

それは、一つには恐怖。もう一つは国益のためです。日本人がアメリカに対して「悪意」をもつことは、アメリカにとってほんとうに都合が悪いことだったのです。だから限りなく内政干渉を続け、脅しながら日本の政治を操作し続けてきました。そして、それはわりあいと、奇跡的に、うまくいっていたのです。

うまくいっていた……というのは、その関係が日本にとっても国益に結びつくものだったからだと思います。アメリカ側に立つ人たちは多くの利益を得ていたでしょうし、日本は朝鮮戦争やベトナム戦争など、アメリカがアジアで戦争するたびに内需拡大して、豊かになっていったからです。

そして豊かになればなるほど、反米思想は「社会主義思想」と結びついて、イデオロギーの対立構造に単純化することで封殺されてきました。

「アメリカに刃向かう奴は、みんなアカだ」みたいな風潮はずいぶん長いこと日本人を洗脳してきました。これでは、アメリカ批判がまったくできません。メディアも人民も完全な思考停止状態に置かれたのです。

私は、高度成長期に育ち、バブル経済を経験した世代です。資本主義が大好きで、おいしい生活が大好きで、贅沢を夢見て育ち、アメリカンドリームという言葉に憧れた世代です。ですから、自分のことを振り返れば単純なアメリカ批判はできません。私は経済成長のなかで裕福さを得られることを目的に働いてきたのです。

でも50歳を過ぎて、この50年の歴史を自分の体験と照らし合わせながら振り返ることができるようになったとき、いままで見えていなかったことが、見えるようになってきました。だからそのことを若い世代の人たちには、率直に伝えなければいけないだろうと思っています。

単純な善悪では語れない。それが歴史です。だから新しい事実を知ったとしても、すぐに極端な考えに走らないでください。過去に起こったことはなにが本当でなにが嘘かわからないのです。

いま真実と言われていることも、百年後には嘘になっているかもしれません。

ですが、ぼんやりと、大ざっぱにでよいから「戦後から今までに何が起こったのか?」について考えてみることは大切です。いま、よじれてしまっているその原因の大もとがなんなのか、考えてみることはとても興味深いです。

キューバ危機、この歴史的な大事件の時に、ほんとうに世界は核戦争の恐怖に陥ったんです。そのリアリティは失われましたが、関連する本を読めば、どいう不可思議な出来事がその時に起こっていたかわかるでしょう。それを、たぶん若い人たちは「信じられない、ばかばかしい、漫画みたいだ」と思うのではないでしょうか。

世界がものすごく核に対してヒステリックになり、アメリカが核実験を繰り返しいた時代に、日本は原発を作り続けていました。

アメリカの原子力使節団の「全く安全で人畜無害なクリーンエネルギー」という大宣伝によって、原子力政策は実行されてきたのです。

でも、経済復興は潜在的に日本人が望んでいたことだったら、あっさりと洗脳されたのだと思います。どんな人間も深く傷つき悲しみのなかで永遠に生き続けることは望みません。豊かで幸せになりたいのはあたりまえの心情です。敗戦後の日本人がそこにつけこまれたのは悲しいことですが、それほど人々は傷ついていたのです。そして戦争や原爆の悪夢から目覚め、未来に向いたいと願ったと思います。

いま、また同じ状況にあります。深く傷つき悲しみを経験した人は、立ち上がり新しい夢をもちたい。当然です。そのとき、夢を提供しようとして、甘い言葉で寄ってくる「親善使節」には注意しなければならないのです。

私はいまも、学校教育で「現代史」が、あまりきっちりと教えられてないことに危機感を覚えます。すでに21世紀です。米ソの対立から、世界は多極化に向っています。だからこそ、鳩山総理が掲げた日本がアジア諸国と共栄圏を作るような構想はアメリカにとっては驚異でした。

アメリカには、ずっと戦争をし、核を作り、人を殺してきた歴史があります。最近も大統領の命で暗殺が行われました。強さを売りにしていたのですから、それを失うことがいかに恐ろしいことか、それは日本のような弱い辺境の民族には想像できないかもしれません。

しかし、いま、まさにアメリカ人の精神病理を理解して、適切に距離を取りつつ対応しなければいけない時期なのでしょう。反発したり、恐れるばかりではなく理解することが必要かもしれません。

地球規模での民族問題、環境問題に、先進国は対立を越えて協力しあわなければ人類の存続が危ぶまれるような時代になりました。日本はこの度の事故により、放射能汚染という意味で地球規模の汚染の責任を担う立場になりました。

そのような中にあって、日本という枠組みだけではなく、世界のなかの一人として、歴史の問題を高い視点から見つめ、物事を発想していく教育が必要だと思うのですが、それが行われていないことは、私のような大人の責任であります。

私は日本人や国家という意識をもつことを否定しません。でも、それだけでは足りないと思っています。自分が何者かは、関係性のなかで流動的に変化します。それを理解しないと、常に善悪という対立構造に巻き込まれ、気がつかないうちに己の首を絞めていることになりかねないからです。

個人が複雑な国際情勢を分析することは難しい。私にもできません。でも、一つの道筋として、これまで何が起こってきたのかを知ることは、自分で考えていく指針になると思います。なぜなら、歴史には善悪がありません。因果があるだけなのです。

原因があるから今がある。だから、今を生きるためには、歴史を知ることがとても大切だと思っているのです。行動がどんな結果をもたらすのかということも、時を経てみなければわからない。その、歴史という時の流れの前に立つと、どうしようもなく謙虚になれると思うのです。

この大転換の時代、極端で扇情的な意見を述べる人に対しては、やや距離を置いて聞いてみることが大切だと思います。極論に走ることで私たちが歴史的にどのような選択をしてきたかを、私も日々、本を読み、考えています。

以下の文章も参考にしてください。

平田オリザさんの発言について

対立について考えてみよう
無自覚だけどわかりにくいこと
by flammableskirt | 2011-05-22 14:29
数日前、平田オリザさんが韓国で「汚染水の海への放出はアメリカの強い要請」という発言をしたとして、ニュースで話題になりました。

この話題をある友人としていて、私は「平田さんの言っていることは事実だと思う」と言いました。

「事故当初から、なぜかアメリカは今回の原発事故への、世界世論を煽るような発言をしていたように感じています。それは、アメリカ人と日本人の危機管理意識の違いだと指摘されもしたけれど、果たしてそれだけだろうかと思っていたんです。アメリカは今回の福島原発事故をきっかっけにして、日本を原発推進から脱却させようともくろんでいる気がします」

すると、その友人はこう言いました。
「私は、平田オリザさんは確信犯だと思う。彼はすべてをわかっていて、それを報せるためにわざと、失言を装って発言したのではないか。この、平田発言によって、アメリカが何を考えているかは中国にも、韓国にも、たぶんアジアの国にはわかった。そして平田さんは、韓国にも『あなたたちだって同じことをされるんだよ』と言いたかったのだと思う」
それを聞いて、私は「なるほど……」と思ってしまったのです。

あくまで仮説です。あくまで与太話です。だから、ああ世の中にはそういう考え方をする人もいるのだな、と思って聞いてください。

アメリカ政府の情報操作が成功して、核アレルギーだった日本に原子力発電が導入され、原爆のイメージがクリーンな未来エネルギーにすり替えられ、反対意見はイデオロギーの対立構造を利用して封殺した……という話を前回「対立について考えてみよう」で、しました。

今回、アメリカは日本に新しいものを売りつけるチャンスなのです。原子力に代って、今度は「廃炉」の技術と、自然エネルギーの技術を日本に押しつけて日本からライセンス料を取り、さらにこれから何十年間、日本の原子炉を壊し、処理していくための莫大な予算がかかる公共事業になんらかの形で参入し、日本で新たな核ビジネスを展開しようとしていることは明らかであると思います。

このゴールデンウィーク中に各国のソフトエネルギー関連の要人が来日しました。日本が脱原発に向けて舵を切りつつあるのは明らかです。そこで新たな自然エネルギーの市場が誕生します。そこにいち早く乗り込んで利益を得ようと思うのは資本主義の世界では当然のことでしょう。ですから、これから自然エネルギーに関する発言をしている方たち、研究をされている方たちはちょっとしたバブルでしょう。たくさんの外資から、お金が入ってくるはずです。

ルートはさまざまでしょう。でも、原発が導入されたときもそうでした。複雑なルートを経て、いろんな方面から「推進派」にお金が渡り、利益がもたらされ、そして関係者たちは自分が知らない間にいつのまにか、すっかり原発推進に利用させられ、そういう発言を繰り返していたのです。また、その発言をメディアが後押ししたので、自分は正義を行っていると錯覚もさせられました。

たぶんまた同じ現象が起こるのではないでしょうか。そうやって、自分としてはアメリカに加担しているつもりはなくても、宣伝マンにされているということは、この国では頻繁にあるのです。

原発に反対し、自然エネルギーの利用を唱えていた人たちは。これまで社会的にはやや冷遇されていました。発言をしてもあまり受け入れられない悔しい思いをしてきましたから、社会が自然エネルギーに動くとなればたいへんうれしく感じることでしょう。

もちろん私も原発には反対の立場であります。新規建設の停止。段階的で計画的な廃炉へ……というのがかねてからの希望でした。ただ、なんとなくそれをアメリカの思惑に誘導されつつあることが、気分として釈然としません。どうにも詐欺にあっているようなイヤな感じなのです。

導入もアメリカの思うまま。さらに廃炉もアメリカの意志で操作されて……というのでは、あまりに情けない。せめてこの決断は自分たちで……と思うのですが、基本的な方向としては賛成なので複雑です。ただ、また日本の税金を海外に吸い取られると思うと暗澹とした気分になります。

これから日本の復興、エネルギー政策の転換に向けて、莫大な既得権益が生まれることは間違いありません。膨大なお金が動きます。とてつもない長期に渡る大公共事業の幕開けです。そこにはいつも謎の黒幕の影があります。それはなぜでしょうか……。

ただ、これまでと一つ違うことがあります。3.11以降、もう、イデオロギーの対立構造にもっていくことはできません。事故が対立軸などという虚構を吹っ飛ばしてしまいました。現実が露呈しました。ですから、私もこうして発言できるのです。アメリカを批判しても社会主義者とは言われません。刺されたりしません。そういう時代になったのです。

私は、平田オリザさんが、うっかり発言してくれたことの重みを自分で受け止めていかないと……と思う。これを失言問題などという低レベルの議論にすりかえてはいけないと思う。韓国での平田さんの発言は、忠告なのだ……。アジアに対する忠告なのだ。そう思うと別の世界が見えてきます。

これからますますの経済発展を遂げる中国にもエネルギーが必要です。原発のライセンスを買って、原発を作って、それの寿命は五〇年。古くなった原発はどうなるのか……。どこかで事故が起こり、廃炉にするためにどれほど金がかかるのか。それを仕組んでるのは誰か。そのヒントを、平田さんは韓国で呟いたんだとしたら……。

「君たちも、同じだよ」という意味を込めて。

構造を知ることは、構造から脱することの第一歩だと考えます。知ること、は、壊すことです。
対立構造もそれを知ることで、壊すことができます。
原発導入の時と同じシナリオは通用しません。
この大地震が、私自身の強固な思い込み地盤をも崩そうとしている、そう感じています。

つづく

アメリカの不安について

対立について考えてみよう

by flammableskirt | 2011-05-21 16:18

おいしいお水のある生活

原発の事故があってから、ペットボトルのお水が売り切れる……という、ちょっとした水パニックが起こりました。いまでも「水道の水はちょっと……」と思っている方もいるかもしれない。いくら基準値を超えていないと言っても気分的に……。そう、人間は気分の生き物なんですよね。

それで、水道水をおいしく飲もうという企画を提案しました。手ごろな浄化ポットと、飲料水用備長炭、そして、私の友人でもある藤枝の向島園のお茶(完全無農薬栽培)。

この三つをセットにしました。備長炭は紀州で炭を焼いているもりさきさんがひとつひとつ手で焼いたものです。飲料水用に小さな木を使っているため、見た目も美しく水筒やペットボトルの中にも入れられる細さが優れ物。私もいつも愛用しています。この大きさ、なかなか見つからないです。

友人のネットショップにお願いして、セットにして販売してもらえることになりました。すばらしく手のかかったお茶と炭ですが、とても手ごろなお値段で提供してもらっています。

三菱クリンスイのポットは、昨年ラジオのCMに出演させていただいてから、すっかり気に入って自宅で使っています。ほんとうに水道水がおいしくなるので、友人みんなにプレゼントしたりしていましたが、このポットに備長炭を組み合わせたら最強なんだけどな、と思いつき、ショップを運営している友人に相談してみたのです。

向島園のお茶は、先代の頃から愛飲しています。数年前、突然に若くしてお父様が亡くなられ、二十代のご子息の和詞さんが受けつぎ、お父様が10年かけて作った無農薬の土壌で、すばらしいお茶を作っています。「美味しんぼ」にも紹介されました。

お茶は、りんごと同じように無農薬は不可能とまで言われていたので、ほんとうにご苦労があったと思います。友人として、悩んでいる姿を見てきたので、感無量です。私のおすすめは、三年番茶とsakura茶です。

三年番茶は、沖縄の自然塩を少し入れて飲むと、さらに甘味が増しておいしいです。疲れたときはそうやって飲んでいます。

sakura茶は、サクラの葉の香りがする不思議なお茶です。サクラの香りをつけているのではありません。香料などいっさい入っていません。茶葉づくりの肯定で自然にこの香りが出ることを先代が発見したそうです。優しい、ほっとする香りで、ちょっとしたプレゼントやおみやげとしてよくさしあげています。とても喜ばれます。

ほんのわずかな工夫で、気持ちがなごんだり、なんとなくほっとして水道水をおいしく使えるようになると思います。私が自宅で使っているものです。マンションの水道水も浄化ポットに備長炭を加えることでさらにまろやかになり、おいしいお茶がいただけます。ペットボトルのお水を使うより断然、お安いですよ。

こちらで商品を扱っています。
「アムリタ」
http://item.rakuten.co.jp/ispecial/c/0000000425/
by flammableskirt | 2011-05-18 08:48

感じる言葉

久しぶりに、京都で藤原新也さんにお会いしました。
夕食をごいっしょして、いろいろ被災地で感じたことなどお聞きしました。藤原さんの目に見えている世界はいつも新鮮です。写真家の人たちは、言葉にとらわれない自由な目をもっているのだなと感じます。

お話を聞いていて印象に残ったことがありました。東北の話ではありません。ネットの話です。twitterの話題になったのです。藤原さんは十代の若者をたくさん取材しています。そして、こんなことをおっしゃいました。
「twitterってのは30代、40代とわりと年齢層の高い人間がやってるんだよね。若い子たちはしない。なぜかっていうと、若い子たちはネットの学校裏サイトや、携帯の掲示板でもういやってほど辛い目にあってるんだ。だから、ネットの怖さをよく知っているので、あんなに無防備にtwitterに呟いたりしないんだよ。ネットの本当の怖さを知らない世代がやっているんだ」
私は、それは、かなりズキュンときました。というのも、私が震災以降一切読むことだけに徹してブログでしか情報公開をしないのも、ネットの怖さを知っている……というのが一番の理由でした。こんな大変な時期に、うっかりしたことを、無防備に、あるい勢いで呟いたら、作家というだけで「作家ともあろう者が」とか「あなたはそれでも作家ですか」というRTがくるのはわかっていたし、それ以外にも、気力を奪われる揚げ足取りに感覚を逆なでされることも予想できたからでした。

「あなたはそれでも●●ですか?」という揶揄の仕方は、ネットではよく見かけます。「あなたはそれでも政治家ですか?」「あなたはそれでもジャーナリストですか?」。この言葉を相手に向けるとき、発している自分自身は問われません。なぜならこれは、自分が正義であることが前提の言い分なのです。そして自分が正義であると思っている人に対してもし反論すれば、対立しか起こりません。この対立はたいへん消耗します。正義はどこまでも貫けるからです。対話というのは「お互いに絶対に正しいということはない」という認識を共有していないと、議論し着地点を見つけることがなかなか困難です。

内実の伴わない虚構であっても、言葉にリアリティを感じてしまう脳を、人間は有している。それは人間の凄さであると同時に弱みにもなっているのです。
でも、十代の子たちが、そういう体験にすでにリアルにさらされている……ということは、どれほど傷ついたろうと思ったのです。五十を過ぎた人間でもそれなりのダメージを受けます。若ければ……恐怖でしょう。しかし、同時にその子たちには「言葉は虚構である」というブッダの教えを伝えてみたいとも思いました。あんがいと彼らならそれを受け入れられるかもしれない……と、思ったのでした。
世界には「言葉で語られた世界」と「言葉で語られない世界」のふたつの世界があります。それらは重なって同時に存在しています。そのことを案外と、いまの十代の子たちなら理解できるのかもしれない。そんな気がしたのでした。

今日は朝、友人の鬼丸昌也さんと電話でお話をさせていただきました。現在、陸前高田で活動している鬼丸さんが、先日、瀬戸内寂聴さんの言葉で印象に残ったことがある……と言っていました。震災前からずっと東北を回っていた瀬戸内さんは、こんなことをおっしゃっていたそうです。また聞きなので正確ではありませんが、
「東北を復興したいという願いはもちろんありますが、でも、東北はただ震災前に戻っていいものでしょうか。男の人が出稼ぎに行き、家を留守にして年に数回しか戻って来れなかった、そういう東北に戻すということが復興なんでしょうか……」
明治維新以降、東北の歴史は苦難の歴史でありました。地租改正から始まって、度重なる冷害、災害によってひたすら苦渋を強いられてきた歴史でした。中央集権体制のなかで東北は切り捨てられてきた過去があり、それが2.26事件の遠因とも言われています。

明治維新は近代国家に向けての第一歩でした。政府は日本史上始めて地税を制定しました。土地に所有権が認められ税金がかけられたのです。それによって、それまで現物支給されていた年貢は、税金として現金で収めなければならなくなりました。その税率が、非常に高かったのです。そのため税金を払えない農民が続出し、土地を手放さざるえなくなりました。そこに、冷害が襲いました。
江戸時代までは、冷害で米がとれなければ年貢は収められません。ですから、自然現象によるリスクは幕府が負っていました。そのリスクを国民が負うようになったのが、地租改正とも言えます。その変化に農家はついていけなかったのです。

だから、東北出身の宮澤賢治は農民の救済に命をかけたのです。それにはそれなりの理由があったのです。餓死したり、子どもが女の子の場合は女郎部屋に売ったりという、たいへんな時代だったのです。私はそれを調べていましたが、あまりにも東北の飢饉に関する資料が少なくて驚きました。資料がないので詳しい実態がなかなかわからない。たぶん、当時の東北の方たちは自分の生活を記述する余裕もなかったのでありましょう。この事実を知りつつ、賢治の「おっぺると像」などの童話を読むと、背筋が冷たくなるのです。
たぶん、瀬戸内寂聴さんの発言は、いろんな深い意味を含んでいるのだろうな……と思いました。
by flammableskirt | 2011-05-17 12:32