田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
プロフィールを見る
画像一覧

<   2011年 04月 ( 24 )   > この月の画像一覧

晴天、風強し。

今年2月に同居していた義母が脳梗塞で倒れて入院。
リハビリのための転院の直後に地震があった。原発事故、義母の死……慌ただしい日々があっという間に過ぎて、もう四月も終る。

昨年末に70個植えたチューリップの球根が、今年はやや遅れて開花して、義母の葬儀の時にとてもきれいだった。毎年、いろんな種類のチューリップを植える。そして切り花にして部屋に飾り、また近隣の人たちに分けたりする。義母の遺影の前にも毎日飾った。そうして、チューリップの季節も終る。

初夏に向けて、ダリアの球根を買った。50個ばかり植えてみることにした。グラジオラスも……と思ったが、とりあえずダリアだ。ダリアも品種改良されていろんな形、色の花がある。今年は花が咲いてくれることが、やけにうれしく慰めになっている。植物は夏に向ってぐんぐん伸びている。新芽が吹いてくると、ふと、屋久島の新緑を思いだし、懐かしい。

義母が亡くなり、一人残された義父はずいぶんと落ち込んでいたが、いい感じにぼけてもいるので、悲しみに暮れることはなくなった。92歳。18歳からの7年間を戦地で過ごした。つい先日、ナスの苗を買って来たのだが、植えるでもなく庭に放ってある。根気が続かないようだ。

「蕎麦を打とうかな」とか「ランを分けようかな」とか、いろんなことを思いつくのだが、いざとなると腰が上がらない。自分もいつかそうなるのかな……と義父を見ていて思う。こうして元気にしている時間もいつか終わり、身体も動かなくなり頭もぼけてきて、他人から見たら無能な人になるんだろうな。そういう自分の姿を思うと、義父にはもっと充実した毎日を送ってほしいと願わざるえない。

だが、私の考える充実と義父の充実は違うんだろう。いったい日々のなにが充実なのか92歳まで生きてみなければ92歳のことはわからないに違いない。

「足がじんじんするんだよ」と、夕ご飯の時に言う。「どうしたんだろうねえ?」「わからん。年をとるとみんなこうなるんだろうか。足がじんじんする」
「おじいちゃんは、元気なほうだよ」と私が言う。
「まあそうだな」と言い、今度は「背中がかゆい」と言う。

身体のことが気になるというのは、よいことだと思う。
自分の身体の不具合がわかるのが健康というのだ。不健康な人は身体の不具合がちっともわからないのでひどい無理をする。

今日から朝型の生活に戻した。いろいろあってすっかり生活のリズムが狂ってしまった。でも、暖かくなったし、朝5時前に起きて仕事をするという生活に切り替えた。今日は暗いうちに仕事場に来たら、やはり朝はすごく能率が良い。

夜半の雨が嘘のように晴れて、よい天気になった。今日はダイアローグ研究会で東京に行くので、今夜はまた夜更かしになるのだろう。だが、明日の朝もちゃんと起きて、神田明神にお参りに行って気功をして、それから出かけよう。

連休に、夏に向けて花を植えよう。植え替えのシーズンだ。観葉植物の土も変えよう。そしてふと、被災地には花があるかなあと思う。福島は花の美しい土地だけれど、花は咲いているのだろうか。神戸の震災のときに、花はとても喜ばれた。無駄なものかもしれないが、生きるためにはたくさんの無駄が必要だ。無駄なことを省いてしまったら、人生、なにも残らない。精魂込めて無駄をすることを、美学というのかもしれない。
by flammableskirt | 2011-04-28 07:31

いのちの繋がり

「NHK短歌」という番組にゲスト出演をさせてもらった。
短歌のことは詳しくはないけれど、でも好きな世界。歌人の来嶋靖生さんは佇まいの美しい方で、人としての清々しさを感じた。歌の世界の方は小説家と違って爽やかであるなあと思った。

私の新刊「蛇と月と蛙」を紹介してもらった。
この本は、生物や草木や動物といのちの繋がりについて書いたもので、短歌にもそのような題材が多く歌われるということだった。とはいえ、短歌が短い言葉で世界を描写して意味を削ぎ落としていくのに対して、私のやっていることはあまりにもごてごてと意味をなすりつけている気がする。歌の世界に踏み入ると、そこには詠嘆としての感動が満ちていて、言葉を盛りすぎる自分の作品に敗北感のようなものを感じた。

意味から離れてみたい、と思う。
無意味であることを伝えるために、また意味を重ねている。
歌の世界には、別の感動の形がある。
万葉歌人のおおらかさを思うとき、心の狭さが表現の狭さだと思わざるえない……。
落ち込んでいたら、来嶋さんが慰めてくれた。

歌をよんでみようか……。そんな気になった。

放送は5月1日の午前6時〜と5月3日の午後3時〜。NHK教育テレビ
蛇と月と蛙  朝日新聞出版
c0082534_1444948.jpg

by flammableskirt | 2011-04-23 14:11
4月28日(木)開催のダイアローグ研究会からのお知らせです。

参加者多数のため、教室が変更になりました


追加の応募も定員になりましたので、締め切らせていただきました。28日にお会いするのを楽しみにしています。


第五回ダイアローグ研究会
福島第一原発事故をめぐる対話
3.11から近未来へ


4月28日(木曜)18時-21時場所: 明治大学駿河台校舎
     リバティタワー12階
     1123教室

     会費 1000円

※ 参加希望の方は以下のメールアドレスにご氏名と連絡先を明記の上ご予約をお願いします。
     dialogue@tatsumix.net




第一部 18時~18時40分
「事故の経緯と現状の確認」

いったい何が起こったのか?
いま、ほんとうはどういう状況なのか?

 発表者 北村正晴


第二部 18時40分~20時00分
 「対話(コミュニケーション)はなぜ必要なのか?」
 参加者 
    田口ランディ
    林志行
    八木絵香
 オブザーバー 北村正晴

※シンポのメンバーが変更になりました。辛淑玉さんにかわって林志行さんが参加されます。
twitterは役に立つ?それともストレス?
情報の格差が、支援の格差になる?
あまりにも多い情報が飛び交うなかで、意見が違う人間同士がどうやってこの問題を語りあい、いっしょに問題と向きあったらいいんだろう?
不安や罪悪感、怒りと差別をどう乗り越える?
 

 休憩


第三部 20時10分~21時
 「そして、これから起こりうること」

放射能汚染で健康被害はあるのか?
環境汚染はどう進むのか?
事故はどのように収束するか? etc...

  野口邦和
  北村正晴


 全体進行 竹内整一




参加者プロフィール

北村 正晴(きたむら・まさはる)
1942年生まれ。工学博士。東北大学大学院工学研究科博士課程(原子核専攻)修了。東北大学名誉教授。研究分野はリスク評価・管理学、大規模機械システムの安全学。著書に『安全の探求』(2001年、ERC出版:監修および共同執筆)、代表論文に「大規模人工物運転支援における人間中心設計」(システム/制御/情報、vol.45,No.11, 16-23, 2001)などがある。原子力の問題について「対話」する「原子力対話フォーラム」を主催。


竹内整一(たけうちせいいち)
1946年生まれ 東京大学文学部教授を経て、現在は鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。日本倫理学会会長。日本人の精神的な歴史が現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。専攻は倫理学・日本思想史。著書に「『かなしみ』の哲学」(NHKブックス)「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」「日本人は『やさしい』のか」(ちくま新書)ほか多数。


野口邦和(のぐちくにかず)
1952年生まれ 東京教育大学理学研究修士課程修了
日本大学歯学部歯学科専任講師(放射線防護学)
人類が遭遇している様々な放射線被ばくの実相を解明することを生涯のテーマとし、①高所山岳地域の環境放射線に関する調査・研究、②航空機乗員の宇宙線被ばくに関する調査・研究、③原子力発電による放射線被ばくに関する調査・研究、④核爆発実験などの核兵器被害に関する調査・研究、⑤広島・長崎の原爆被害に関する調査・研究、などを行っている。


八木絵香(やぎえこう)
東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)民間シンクタンクにおいて、災害心理学研究に従事。多数の事故・災害現場調査を行うと同時に、ヒューマンファクタの観点からの事故分析・対策立案に携わる。2002年~2005年、東北大学に社会人大学院生として在籍。現在、大阪大学コミュニケーションデザインセンター特任准教授。原子力に代表される科学技術の問題について「対話」する場の企画、運営、評価を主な研究テーマとしている。


林志行(りんしこう)
早稲田大学理工学術院 教授(2010年就任)、国際戦略デザイン研究所代表
金融系経済研究所にて黎明期の金融工学の理論研究に携わった後、大手シンクタンクの創設時に参画して、経営戦略コンサルティングに従事。2003年に独立し、シンクタンクを創設、CEO。2006年より、ビジネススクールにて後進の育成にも尽力(東京農工大学大学院技術経営研究科教授など)。専門は、経営戦略、国際戦略、リスクマネジメント。コラム連載多数。趣味は海外秘境の旅。日中英台の4ヶ国語を操る。


田口ランディ(田口ランディ)
1959年生まれ 作家 2010年10月より、広く科学技術の問題について「対話」するための「ダイアローグ研究会」を立ち上げる。著書に「コンセント」(新潮文庫)「被曝のマリア」(文春文庫)「蛇と月と蛙」(朝日新聞出版)「生きる意味を教えてください」(バジリコ)「寄る辺なき時代の希望」(春秋社)「できればムカつかずに生きたい」(新潮文庫)「パピヨン」(角川学芸出版)など多数。





by flammableskirt | 2011-04-22 11:08
イタリアの友人からメールが来た。
「新聞では、レベル7ということでたいへん怖い記事が載っていました。田口さんは大丈夫ですか? とても、恐ろしいです」
日本語を母国語としない彼の日本語は、時として妙なリアリティをもつ。
たどたどしいような「恐ろしい」という言葉に私のほうが恐ろしくなる。

海外の専門家の冷静さと逆に、海外の一般の人たちの放射能への恐怖はとても強い。

五年前に、チェルノブイリ原発の事故により放射能汚染地域となったベラルーシの村に取材に行ったときのこと。避難命令が出て閉鎖された村に入るのに、私たちは平服だったが、イタリアの援助グループは白い防護服を着ていた。そのものものしさ、我々との感覚のズレのに驚いた。「日本人は放射能が怖くないの?」と逆に聞かれた。
c0082534_1112017.jpg

あのとき、私は自分が怖いのか怖くないのか、はなはだ心もとなく「怖いような、でも、そこまで怖くないような……」という不思議な気分だった。村に入れば老人たちが牛を追い、畑を耕している。どこまでも続く平原は広大だった。空は青く、ちょうど秋だったので紅葉が美しかった。この村は避難ゾーンに指定されているため地図から抹消されて20年が経っていた。町の生活に馴染めない老人たちが戻って来て、自給自足のような生活をしているが、みな長寿で元気そうだった。
c0082534_1115716.jpg

チェルノブイリ原発事故が起こった時の様子を聞いた。皆、最初は何が起こったのかまったくわからなかったという。ラジオで「大きな爆発事故が起こった」ということはわかったが、情報はなにもなく皆が脅え慌てた。原発の事故を知ったのは事故発生から一週間も過ぎてからだった。日本とは全く違う状況だ。突然に飼っていた動物たちを置いて追い立てられるように土地を棄てなければならないことが、ほんとうに悲しかったそうだ。

チェルノブイリはウクライナの原発だがベラルーシとの国境近くにあり、風下のベラルーシの村には風で運ばれた放射性物質が雨となって落ちる《ホットスポット》と呼ばれる汚染地域が多数存在する。私が訪れたブジシチェ村もその一つだ。
c0082534_1124939.jpg

政府の指導に逆らって汚染地帯に住む老人たちを、近隣の人たちはサマショーロと呼んで、いわゆる差別の対象としていた。サマショーロとは「わがままな人」という意味。つまり、逃げろと言っても逃げない勝手な人たちということだろう。

サマショーロの数はもちろん少ない。他の村にはたった二人、無人となった土地で生活し続けている夫婦もいた。なぜそこにいるかと言えば、そこが「私が生まれて育った場所だから」と答え、「ここが小学校」「ここが私の実家があった場所」と村を案内してくれたりした。誰もいなくて、なんの音もしなかった。それが五年前で、まさか五年後に日本でレベル7と政府が発表するような原発事故が起こるとは、想像もできなかった。

福島原発事故は運転停止状態での水素爆発によって放射性物質が大気中に拡散された。そのため放出された放射線量はチェルノブイリの10分の1。そうは言っても私はあの広大なロシアの大地、ぐるりと水平線が見えるあの汚染地帯を見てきただけに、狹い日本において放射能汚染は環境にどんな影響があるのかと考えてしまう。

ブジシチェ村ではセシウムが主な汚染物質だと聞いた。「きのこやイチゴは汚染されているから、しばらくの間は食べないようにしていた。でも、いまは……食べているよ。だって、すごくおいしいんだ……」じゃがいもが主食。自分たちの土地でとれた野菜を飲み、飼っている牛たちのミルクを飲む。
c0082534_1134599.jpg


「放射能が怖くないの?」と聞くと「若い子たちは町へ行ったよ。その方がいい。だが、俺たちはここがいい。ここでしか生きられないし、ここで生まれて育ったんだ。ここは俺たちの土地だからね。町に馴染めなくて死んだ者もたくさんいるんだ」と言う。「それに、俺たちは生きている。それだけだ。そうだろう?」その通りです、と私は思った。高齢になっても自分たちですべてを作り、自分たちの力で生活している。それは私よりもずっとたくましい。ロシアの厳しく寒い冬を、皆で協力しあいながら乗り切っている。

私は少しセンチメンタル過ぎるのだろうか。村を一歩出て会った人たちの、サマショーロに対する反応は厳しかった。ウクライナから来たという科学者の女性は「ここで食べる気がしない。すべて汚染されている」と顏を歪めたし、イタリアの救援隊は防護服だった。「あんな汚染地帯で暮らす気がしれない」と町の人たちは言った。「あのじいさんたちは、頭がどうかしているんだよ」と。

サマショーロの村から見る世界と、外からサマショーロを見る世界と、まるで違った。外の世界の人たちはどうしたあんなに、冷たいんだろうと思った。まるで汚染地帯に住んでいる人たちまで汚染されているように忌む。その理由がわからない。汚染地帯で元気に生きていることを咎めているようにすら感じた。もしかして外の世界の人間にはサマショーロの存在が都合が悪いのか? でも、なぜ?
c0082534_11134682.jpg

チェルノブイリ原発にはいまも千人近くの従業員が働いていると聞いた。私が行った時は30キロ圏内に立ち入り禁止となっていた。(50キロとも聞いた……実際どちらなのか。新しい工事が始まると変るらしい)

いま、日本で原発事故が起きて、あまりにも海外のメディアが偏った報道ばかりするので、私は日本から原稿を書いてを送った。イタリアとフランスの新聞社から地震発生と同時に取材依頼が来ていた。だから、イタリア人の翻訳者に頼んで、日本人の現状を原稿に書き翻訳して新聞社に送ってもらった。その原稿は6つの新聞社でボツになった。理由は「楽観的すぎる」だった。政府がレベル7と発表した現在では、ますます相手にされないだろう。
c0082534_1183186.jpg

「でも、私の日常はいつもと変わらないし、放射能汚染が広がっているわけではない」と言っても、信じてはもらえないのだ。そのとき、私もまた、世界の認識からすれば「汚染の内部に入った」のだなと思った。

飛行場では日本人は放射能チェックされると友人が言った。ビジネスマンたちは腹を立てていたそうだ。汚染された乗客を乗せたくない気持ちはわかるが、日本人から見ればあまりに過剰だと感じる。ヨーロッパでは日本の製品が放射能チェックを受ける。そうだよ、彼らは20年経った風下の村を防護服を着て歩いていたのだから当然なのだ。

日本ではチェルノブイリ連帯基金という団体が、風下の村へのスタディーツアーを行っていた。子どもたちが汚染地帯を訪問するというツアー。だが、それも今回の原発事故で中止になってしまうのではないかと危惧する(不安が広がっているから)。放射能とは目に見えないし、その影響のエビデンスは微量であるほど困難だ。つまり心配すればきりがない……という不安の迷宮に入ってしまう。

認識は多様だ。いま、日本内で展開されているさまざまな議論、原発に反対するか、原発を増やさないようにするか、原発を推進するか……。どのような意見をもっていようと、世界から見たら同じ。地震が活性化している火山列島日本において、大量の原子力発電所とともに生活している私たちは「汚染」された、あるいはさらに「汚染を拡大させる」可能性をもった人々、でも、あるのだ。
c0082534_119912.jpg

人はなかなか自分の認識の外には立てない。レッテルを貼るのが好きで、思い込みが強く、自分は正しいと思い、相手のことをよく知らないでもわかったふうなことを言いがちだ。他人の意見に左右されやすく、同時に、自分に不安を与える相手を攻撃したり、自分の言ったことと違う意見を言う人間の言葉は最初から否定しがちだ。そのような傾向は誰にでもある。どんなに高学歴であっても、人は他人の意見に負けるのを嫌い、過ちを認めたがらず、保身に走りがちだ。

また、自分が正しいと思ったことが人から認められるとうれしくなり、それを絶対だと思い込むことで有頂天になったりする。都合が悪くなればあの葡萄はすっぱいと言い出し、そして、自分が匿名であれば、露悪的になれる。人を貶めることで自分が優位に立ったような気になり、世論に同調することで力を得たと錯覚しがちだ。不安であれば攻撃的になり、一つのことを盲信するとヒステリックになりがちで、子どもと弱者を持ち出すことで自己正当化しようとしたりする。
c0082534_11352465.jpg


すべて私にもあてはまる。自分のことだからよくわかるのだ。原発という問題と関わると、この人間としての弱点をこれでもか、これでもかと味わうことになるのだ。非常にストレスが多く、不毛で、そして出口のない状況に迷い込む。

だが、それは他人を変えようとしたからだ……ということに気がついた。
人は変えられない。賛成の人を反対には変えられない。反対の人を賛成には変えられない。それぞれに信念がある。信念のない無責任な人、無責任であることの自覚がない無責任は、無関心よりたちが悪く、信念で対立している人たちの対立をより増長させることで、他者をコントロールしていると錯覚し快感を得ている。そのような人も変えられない。聞きかじったことを検証もせずに平気で吹聴する人も、匿名のにわか批評家も、不安で眠れない人も、楽観的な人も、思慮深い人も、すべての人は、自分らしくそのように生きているのだから、他人が変えることなど不可能。ましてや私が変えることなど、できるわけもない。

他人を変えようなどという傲慢さが、ストレスになっていたことは明白である。それで、ガンになってはもともこともない。……微量の放射線被曝よりもストレスのほうが発ガン率が高いのだ。
自分の判断で生きること。自分がどうしたいか。
それがすべてだ。これは、生き方の問題である。
「どう生きるか」を、問われているのだ。
自分を離れたところに、答えはない。対立はしない。決して。
あのサマショーロたちの苦渋の思いが、いま少しだけわかる気がする。

※写真は私がベラルーシのブジシチェ村で撮影してきたものです。きれいな村です。アレクセイとアンナの家に泊めてもらい、ごはんをご馳走になりました。海外の救援隊はこの場所で食べ物を食べないとも聞きました。それも認識の違いだと思います。この村は本橋誠一監督の映画「アレクセイと泉」の舞台です。泉は深い地下からわいており汚染されていません。その飲料水が村人の心の支えでした。絵は、貝原浩さんの画文集「風しもの村から」から。とてもすてきな本です。

c0082534_11142287.jpg

by flammableskirt | 2011-04-18 11:37
「レベル7」について知りたい
 なぜいま、レベル7なのか。その危険性は?

4月12日、震災から一ヶ月が経過した翌日に、政府は今回の福島原発事故に関する国際評価尺度を「レベル7」に変更しました。レベル7は25年前のチェルノブイリ原発事故と同じ規模を示すということで、多くの方が驚きを不安をもってこの発表を受け止めたと思います。

この発表に対して海外の専門家も多数のコメントを寄せています。
(社)サイエンス・メディア・センター ・SMC-Japan.org

福島原発事故評価の「レベル7」引き上げ:海外専門家コメント
http://smc-japan.org/?p=1738

海外の専門家のはこの評価に対して「保守的」「放出された放射線量はチェルノブイリの10%」「大気汚染の広がりや周辺住民の生活への深刻な影響が長期化していることによる評価」として、かなり冷静に「これ以上悪化することを意味しているわけではない」と判断していました。
詳しくはサイトをお読みになってください。わかりやすく翻訳されています。

しかしながら、一ヶ月が経過して政府が突然に「レベル5」から「レベル7」へのいきなりの引き上げを行ったのは(しかも統一地方選挙後)、どういうことなのでしょうか。

この問題に関して、原子力の専門家である東北大学名誉教授の北村正晴先生とMLを通して意見交換をした文書を以下にまとめてみました。



田口
「レベル7になったことで、私たちはとても不安を感じるのですが、これはどういうことなのでしょうか?」

北村
「事故の内容や放出された放射性物質の量は,評価の誤差はあってもすでにおおまかには決まっています。私はレベルをあまり気にしても仕方ないのではないかと思っています」

田口
「先生は専門家ですから、そうでしょうが、なにも知らない素人の私にとっては、ちょっと怖い発表です」

北村
「それは理解できます。ただ、この発表をするのがなぜ今なのか,目的は何なのか.自分にはわからないが原子力専門家とは別の観点からの配慮が強く働いているとしか思えない、ということです」

田口
「専門家が議論して出した評価ではない……ということ?」

北村
「言い換えれば,『仮に自分が政府内に専門家として召集されていたとしても,自分の意思はほとんど反映されない形で意思決定がなされるだろう』という状況認識がありました。

原子力専門家の役割に関しては、もうひとつ関連する先行認識がありました。すでに多くの方が指摘されていることですが、東京電力,原子力安全・保安院、安全委員会、総理官邸などの後ろに、それぞれ別の原子力専門家集団が配備されていて、それなのに密接な情報交換はなされていないように思われます。この点に関しても、専門家は政治的意思決定者として中心的な役割は認められていない、という実態が見えるように思います」

田口
「保安院と安全委員会の違いは最初からよくわからなかったのですが、いつも会見に出ていらっしゃる原子力安全・保安院は経済産業省の管轄ですね。http://www.nisa.meti.go.jp/ここには原子力の専門家は入っていません。安全委員会は内閣府の審議会でhttp://www.nsc.go.jp/こちらには原子力の専門家がいらっしゃいますが、この二つの組織はコミュニケーションがとれていませんね。それはテレビを観ていてもわかりました。

つまり、どのような政治的な力が働いて「レベル7」になったのかは不明だけれども、それが保安院や安全委員会、東京電力とよく話しあった上での合意ではなく、決定に関しては、あまり専門家の意思が反映されているとは思えないということですね。この評価は政治的な決定であり、事故の状況が悪化したので変更したのではないわけですね。

いったいどういう圧力で政府は評価値をいきなりレベル7に変更したのでしょうか。なんにせよ、国民が動揺することよりも優先されるべき圧力だったわけですね……。

そんななかで、東京電力側から「復旧のめどが立たない」と言われるとますます不安になるのは当然だと思います。長期化したらどうなるのか……と。

北村
「復旧のめどが立たない……ということに関して。私見では『いついつまでに,どのような方法で1~4号機(4号機は使用済燃料プールが主要着眼点)を安定で低温の状態に導くか、また高濃度汚染水を閉じ込めるか、という明確なプランは提示できない』という意味だろうと解釈しています。

比較の問題ですが,以前に記したように3月17日ごろまでの状態よりは脅威の程度は明確に小さくなっていると思います。だから『現状は悪い方向に向かっているのではないか』という質問に対しては、「いいえ、悪い方向には向っていません」とお答えします。

田口
「言い換えれば、一番悪い状況は事故発生から17日頃まで、特に2号機が水素爆発をした頃で、最も多くの放射性物質が放出されたということですね……。それ以降は、だらだらと付近の環境が汚染され続けてはいるものの、大爆発や、それによる放射性物質の拡散という事態は起こらない、ということなんですね……。ただ、これが長期化するかも……ということでレベル7になった……という認識でいいんでしょうかね。

北村
そうですね。望ましくないがありうるシナリオとして、検討しておくべき事項は多々あるとも思います。強風や豪雨,落雷などの自然現象による建物や機器の損壊、火災の発生、新たな水素爆発などがその例です。

これらのシナリオはいやな内容ではありますが、いずれに対しても、現在配備済の、高い位置から注水できる高圧放水車、外部電源車、消防車などがリスクを小さくするのに効果的だと思います。また国や東京電力も対応を考えているはずです。

繰り返しますが、現状については,『復旧のメドは立っていない.しかし現状は3月11~17日頃よりは明らかに改善されている。警戒しなければいけない悪いシナリオもまだある。しかし現在,以前より悪い方向に向っているとは小生は思わない』ということです。

なお,東電の説明として,以下の記事がありました。
/原子力安全・保安院は同日午前の会見で、福島第1原発事故の放射性物質の放出量について、チェルノブイリ原発事故の1割とみられるとしている。ただ、福島第1原発では1~3号機の圧力容器や格納容器が損傷している恐れがあり、松本本部長代理は「原子炉から放射性物質が100%外に出れば、チェルノブイリを超える可能性もある」と説明した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110412/dst11041212400027-n1.htm/

この東電本部長代理の発言の真意は不明ですが、東電のこれまでの発言とは異質な印象です。ひとつの解釈としては『レベル7という評価が行き過ぎで,6くらいが妥当』とするフランスやIAEA,ロシアなどの専門家の見解(BBC
News, Euronewsなどで放映)およびそれを受けた国内意見に対して、東電なりにレベル7という評価の根拠を提示したものではないかなと思います。

さらに深読みすれば『(レベル7は)3基の原子炉からすべての放射性物質が放出される、というほとんどありえない想定を含めた評価です』という留保条件を示したかったゆえの発言かも知れません。

田口
「こんなまわりくどいことを言われるからますます不安になるんですよ。ネット上でも、いろいろな情報が氾濫していて、困惑することが多いです。私は原子力関係の方に直接意見を聞くことができますが、そうでない方は情報が出るたびに《ほんとうだろうか?》と心配になる。でも、いくら考えたところでこのような科学知識を勉強し直すことはできませんし、途方に暮れてしまいますよね」

北村
「小生のような原子力屋が何を説明しても頭から疑う人もいます。政府や電力会社に不信感をもち『報道されているよりはるかに恐ろしいことが起こっているに違いない』という極端な確信を持っておられる方もいらっしゃいます。

英米で編集されている総合科学誌「ネイチャー」がオンラインで「福島原発事故に関するQ&A」を行っています。このQ&Aは、「ネイチャー」側が読者の質問に答えるカタチになっており、筋の通った、読みやすいQ&Aです。和訳がされていますので、いろいろな面でご心配をもたれている方の参考になるかと思います。
英語圏の総合科学誌「ネイチャー」の福島原発事故Q&Aの日本語訳



レベル7という評価に関して、北村先生の見解、海外の専門家の方々の見解がおおむね一致いたしましたので、妥当な判断と考えて公開いたしました。

この記事は判断材料の一つとしていただくために、できる限り公正な内容を提示することを心がけていますが、「なにを不安と思うか」は人それぞれに違います。やっぱり危険じゃないか、と思うのも、ほっとするのも、個々の価値観やお考えによると思います。最終的なご判断はそれぞれでなさってください。
文責 田口ランディ


参考
INES国際評価尺度レベル
•レベル1:異常。このレベルは核施設内の安全部品、動作制限や低活性の放射線物質の紛失や盗難に対しての極めて小さな問題が発生した時に使われる。」
•レベル2:レベル1の10倍相当の事故。被ばく総量が1時間で50ミリシーベルト以上。原発内で広い汚染。
•レベル3:レベル2の10倍深刻な事故。施設内の被ばく総量が1時間で1シーベルト以上、広い範囲で汚染。一般人の被ばく率が低い。
•レベル4:レベル3より10倍深刻な事故、施設周辺に影響。燃料の漏れか損傷により原子炉内に多くの放射性物質の送出。一般人の被ばく率が高い。少なくても1人が被ばくの影響で亡くなればレベル4と判定。放射性物質の送出量が低く、原発周辺の食料品管理が必要とされる。
•レベル5:レベル4より10倍高い事故、広い範囲で影響。原子炉に大きな損傷ち大量の放射線物質が送出。一般人の被ばく率が極めて高い。被ばくによって数人が亡くなるか、計画放射線管理が必要とされる時に判定される。
•レベル6:より広い地域への影響。レベル5の10倍の事故。大気に送出される放射線物質量が多く、計画的な放射線管理が必要。
•レベル7:レベル6より10倍高い、大規模な事故。原発事故基準としては最悪。大量の放射線物質が大気へ送出され、国民の健康に影響を及ぼす可能性がある。長期的な放射線対策の安全プログラムの計画と実施が必要。
一般社団法人サイエンス・メディア・センター ・(社)SMC
by flammableskirt | 2011-04-17 13:20

たったいま、震度3ほどの揺れを感じたために、仕事を中断してネットの地震情報を見た。震源地は茨城南部で震度5とのこと。

ゆれるたびに、思い出すことがいくつかある……。

この週末も多くの友人知人が、被災地に支援に入っている。神戸の震災のときは私も若く、すぐさま被災地に飛んだが、あの時の自分をいま思うとどこまで人道的支援の気持ちで腰をあげたかははっきりしない。現地に行ったとたんスイッチが切り替わったが、出かける前まではどこか「なんでも見てやろう」的な気分だった。あの時は、まだ兄を生きていた。そしてアパートにひきこもっていた。

私は神戸に出かけるときに兄に言ったのだ。「おにいちゃんも地震が来たらひきこもってなんかいられないわよ」と。そして「暇なんだから被災地でボランティアでもすればいいのに」と。兄は東京で彼の被災のまっただ中にいたわけなのだが、私はまだそこまで兄を理解するに至っていなかったのだ。いろんなことが見えてくるのは、兄が死んでからである。

兄が腐乱死体で見つかってから、私は仕事を辞めてぶらぶらしているうちに妊娠した。子どもがお腹にいる時に伊東群発地震が起こった。臨月でふうふう言っている時期に家は毎日揺れに揺れた。日に何度も地震が来て、そのたびに大きなお腹を抱えて家の外に逃げる。家がぐらぐら揺れているのをぼんやり見ていた。怖かったが、妊婦というのは妙な精神状態にいるのか、ふわふわと現実感がなく「なにがあっても大丈夫」という楽天的な気持ちだった。

子どもが生まれた時は神戸で酒鬼薔薇聖斗の事件が起こり、テレビは猟奇殺人事件一色になり、おしめを取り換えながら犯行声明文を何度も聞いた。14歳の犯行だと知った時は驚いた。その時の子どもがいま14歳である。

東北での震災に際して、自分がすくに被災地に向おうという気持ちになっていないのは、年をとったからだろうか。実は、いま、あのとき神戸に飛んでいった自分を少し恥じているのかもしれない。そこでいろんな体験があったが、けっきょく私にできたことなどたかがしれていたし、現地で食と宿をめぐんでもらい、施されたのは自分だったのではないかと思う。家に戻って布団に寝たとき、私は心からほっとした。そしてうしろめたさも時とともに消えた。

神戸で出会った友人のうち、二人がその後に自殺した。その理由はそれぞれだが、二人とも現地で寝食を忘れて活動していた若者だった。二人とも神戸から戻ってからうまく就職できなかった。その原因が震災ボランティアにだけあるとは思わない。だが、あの場所で得たやりがいと同じものは日常生活のなかにそうはなかったろう。一人は私の自宅に泊まってくれたことがある。

彼は最初のうち震災ボランティアとして皆から信頼され人望を集めた。ほんとうにがんばったのだ。だがある時期から全く眠れなくなり、仕事ができなくなり、イライラして人望を失った。
その後、休職していた職場に復帰したが、精神科から薬をもらうようになり、薬の飲みすぎで亡くなった。

彼に電話番号がいまだに私の携帯に入っていて、なぜかそれを削除できない。

私も神戸から大阪に出たときに、そこにあまりに普通の生活があることにとまどい、ぼう然とした。「なんだこれは?!」と思った。だからぼんやりだが、こことは全く違う現実が、東北にあることは想像できなくはない。ただ、想像の域を出ない。行かなければワカラナイことがある。だから、みな行くのだ。そこで体験しなければ発言すらできないような、そんな雰囲気を感じるからだ。

だが……、行ったところで家や家族を失った人とは違う。人はそれぞれに個別である。惨状と接していると自分の問題などどうということのないように思えてしまうことがある。それは、本人にとっては不幸だ。私の心の問題は他の誰とも比較しようがない。自分が抱える問題を過小にしてしまうことは、後のち重くのしかかってくるものだ。なぜなら、いつか平常に帰ったときに、それぞれ自分の問題を背負い自分の人生を歩かなければならなくなるからだ。

年若い友人が、また被災地に向った。彼もまた自分の人生の問題に悩んでいる青年だ。被災地での体験が彼自身の新しい一歩になってくれればと願う。人は誰にも支援されずに生きることが一番望ましく、町が復興に向けて立ち上がったときに、あなたが行き場を失う支援者であってはならない。被災者に依存する支援者にだけはならないようにと願う。

長期的な支援は熱意と根性だけではなく、プランと事業力によって継続されなければ、誰かが犠牲になる。外部からの支援は感情論ではいけないと思うが、もちろん今はそんなことを言っても大きな流れとして「支援の輪」が広がっているのだから、それはそれですごいことだ。素直にうれしいし、感動する。おばさんは若い子たちを応援しているよ。だけど、君らの熱血には時々ついていけない。そういうメールをこの間も送ってしまった。
「それはそれ」「これはこれ」だ。
理屈っぽい腰の重い大人も、バランスのために必要だろう。
by flammableskirt | 2011-04-16 12:32
京都で講演会とシンポジウムがあります。
シンポジウムは帯津先生と、写真家の藤原さん。
お二人とも個人的に親しくさせていただいている大先輩です。
楽しみですが、ちょっと緊張します。

死といういのちの相
開催日:
2011年 5月15日(日
開催時間:
13:00~16:30
講演者:
田口 ランディ氏(作家)
※講演者はパネリストも兼ねています。
パネリスト:

帯津 良一氏(帯津三敬病院名誉院長)
藤原 新也氏(写真家)



コーディネーター:
門脇 健氏(大谷大学教授)

くわしくはこちら
http://www.higashihonganji.or.jp/goenki/gyoji/inochinosugata/

会場:
京都 真宗本廟 御影堂
by flammableskirt | 2011-04-15 15:44

言い回し

いつも思うことは、自分がどういう言葉をつかってものを考え、人と会話するか……で、わりあいと人生の質のようなものを決めてしまうのだなということ。内容はともあれ、言葉の選び方というのが逆に思考を支配するし、関係にも影響を与える。言葉を扱う仕事をしているから、言葉には注意している。言い回しというのはクセであることが多いが、いつも自分を悪く言う言い回し、子どもを下げて言う言い回し、被害者であることを主張する言い回し、誰かのせいにする言い回し、同じ内容のことをしゃべるにも「言い方」というものは千差万別なのだ。

もちろん個性というものもあり、この「言い回し」はその人の人となりを表現している。語られている内容そのものよりも、それをどう「言い回す」かということのほうに、あんがいと聴き手は注意を向けているように思う。

そして、それはネット上のつぶやき、たとえばtwitterのようなもの、 ブログの書き込みにもはっきり現われる。言い回しというのは、なかなか変えることが難しい。やっぱりクセなんだろう。クセは個性の一つであるけれど、クセを変えてみるとたぶん、髪形を変えたり、服の趣味を変えたりと同じくらいの新鮮さがあるように思う。自分がいつもしない「言い回し」をしてみたときに感じる、ある解放感というものがある。

だから、突然に「オネエ」になる人もいるんだろう。オネエの言い回しをしたときに、なんともいえない自由さを感じたのだと思う。そういうことはよくある。

斜め下を向いているような言い回しや、親を罵倒する思春期の子どものような言い回しや、噂話の延長のような言い回しなど、いろいろな言い回しがネット上に散らばっている。言葉を感じる人間の感性はなんとすごいのだろう。たとえば俳句の「鳥啼き魚の目は泪」の「目は泪」を「目に泪」と変えただけで印象が全く違うのだ。

自分を変えてみたいときは、言葉遣いを変えたらてっとり早いと思う。言葉を変えるのにはお金もかからない。
どういう言葉を使う自分でいたいか……と、よく考える。自分のもっている道具として言葉というものを距離を置いて眺めてみると、面白い。私と言葉は一つではない。私は言葉を選ぶことができる。言葉は道具だけれど、うっかりしていると言葉に自分が振り回されていたりする。不思議な道具だ。
by flammableskirt | 2011-04-15 14:26

 ほんとうは「行く春や鳥啼き魚の目は泪」という、有名な芭蕉の句です。
とても好きな春の句でしたのに、今年は、たくさんの人が亡くなり鳥は悲しみに泣き、魚も涙している……と聴こえてしまいます。俳句というのは不思議なものだなあと思います。

冬に植えたプランターが春の花をたくさん咲かせました。
写真を撮ることも忘れていたけれど、花は今年もきれいに咲きました。
チューリップが満開です。

c0082534_13582987.jpg

by flammableskirt | 2011-04-15 13:59

いろんな支援のカタチ

被災地のレストランに予約して、復興したら5000円のランチコースを食べに行く。

http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2011/04/07/new1104070902.htm

八戸近郊の野菜や魚を使った料理で人気を集めるイタリアレストラン「オステリア・デル・ボルゴ」を営む滝沢さん。3月16日にインターネット上でランチの受け付けを開始。ランチコース5000円のコースに400人の予約が集まりました。200万円です。寄付した人は、いつか復旧したら、レストランにいって食事をし(またそこで地元にお金を落とすのですが)、シェフの滝澤さんは、半分の100万円の予算で、被災地においしい食事を届ける活動をしています。

デジタルメディア研究所の橘川幸夫さんのアイデア。
なんか、楽しくて夢があっていいね!
by flammableskirt | 2011-04-15 13:47