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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


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さよなら2月



2月が終っていく。
ああ、冬も終わりだなと思う。この湿気はもう冬ではない。
冬が好きだなあと感じ始めたのは、いつ頃からだろうか。昔はそれほど冬は好きではなかった。あんがい最近だと思う。冬の陽の光が本当に美しいと感じる。切れるような冷たい空気を爽快だと思う。春が近くなるとむずむずしてくる、なんだか痒いような……そういう季節だ。
もちろん春も好きだ。なにしろ春には花が咲くからね。
夏も好きだ。早起きができるから。夏なら四時に起きてもうすら明るい。冬じゃあ、真っ暗だからな。夏の早起きはほんとうに楽しい。秋だって好きだが、秋はとても短い。そんな気がする。

この2月は「オトヒトツ」とのライブを中心に周り、それで終ったという感じだ。ライブ、楽しかった。でも、その前後はぜんぜん仕事にならなかった。それもいいかと思う。あまりにも日々引きこもりの生活だから、たまにはハメをはずさないと淀んでしまう。

3月は特になにもない。大きなイベントもないし、出張もない。女友達と温泉旅行を企画しているくらいだ。たぶん、ひきこもって執筆の一ヶ月だろう。そのあいだに花見とかあるかもしれないが、なんにせよ地味に家と仕事場を往復してチューリップの開花を待つような一月だ。しっかり気功太極拳を続けよう。

やはり内気功八段錦を続けると体調はいい。わかっているのだが、ちょっとサボるとサボりクセがついてしまう。続けられるようにがんばろう。いつも2月に体調を立て直す。今年もそうなってしまった。流れがあるのだ。十二月の忘年会、一月の新年会、肝臓、胃腸、腎臓がボロボロ。それを立て直す2月。2月に体調を戻すと、だいたい一年が無事に終る。今年もうまくいった。この一年、無理をしなければ、それなりに集中して仕事ができるだろう。おいしく食べて、おいしく飲めるだろう。

身体が調子がいいと、生きているのが楽しい。ほんとうに、気分は身体先行だなと思う。でも、疲れているのが慢性化してしまうと、自分が具合が悪いことすらわからなくなっちゃうんだよな。いつも気にかけてはいるが、それでも、ドツボにはまってしまうことがある。自分を知るのは難しいものだ。この年になっても。
by flammableskirt | 2011-02-28 17:34

戦争と文学みたいなこと

集英社から「戦争と文学」という全20巻の全集が出る。
6月の初旬から配本が始まるらしい。
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第一回目の配本が「アジア太平洋戦争」と「ヒロシマ・ナガサキ」という巻で、
私の短編が2作ほど収められているのだが、そのうちの「似島めぐり」という作品が「ヒロシマ・ナガサキ」の巻に掲載されている。もう一作は「死の池」という短編で、それは「戦争の深淵」という巻に入っている。
どういう作品を選ぶか……は、編集委員の方たちが決めるわけなのだが、私はなぜ自分の作品のなかからこの二作が選ばれたのかが、どうにも腑に落ちないのである。
「似島めぐり」は被曝三世の少女が自分の祖母の過去を尋ねて瀬戸内海の似島を歩く……という話だ。「死の池」はアウシュビッツに取材に出かけた小説家と編集者の話である。もちろん、どちらも戦争を題材にしてはいるのだが、どうして、これなんだろうか……と、なんとも釈然としない。
他にも「ヒロシマ・ナガサキ」を題材にした作品はあるにも関わらず、なぜこれなのか……。
とにかく、私にとっては非常に意外な作品が収録されて、複雑な気持ちだ。
というのは、この二作は原爆を扱った短編集「被曝のマリア」に入っていない短編なのだ。
もっと言えば、この二作は、自分的にはまったく「戦争」をテーマにしていないのである。
シチュエーションだけ借りて別のことを描きたかったといえば、妙だが、そんな感じなのだ。もしその方がよりリアルであるとするなら、小説を書くというのは、不思議な行為だなあと思わざるえない。
by flammableskirt | 2011-02-27 16:14
「色えんぴつ」は湯河原町在住のお母さんや町の方たちが集まって活動しています。
子育ての悩みを分かち合ったり、発達の問題を抱えた子どもたちへの支援のあり方を勉強したり、地域と子どもたちをつなぐ橋渡しをしたり、いろんなことをやっています。設立から私も加わって、たくさんのイベントを企画してきました。自分たちも勉強しながら、楽しんでやっています。
講演会は誰でも歓迎、参加は自由です。今回は託児はできません。ごめんなさい。
10時〜12時はお母さんが一番参加しやすい時間帯ということで選びました。
ちょこっと家事を抜け出して、いっしょに朝倉先生のお話を聞きませんか?

※障害があるなしにかかわらず、日々の子育ての参考になるお話ですよー!聞いておいて損はなし。もちろん私も会場にいるので気軽に声をかけてくださいね!

色えんぴつ主催 子育て応援講演会
「大丈夫かな新学期?
 新しい生活のための心構え」

 講演 朝倉新(新泉こころのクリニック院長)

 新泉こころのクリニックは茅ケ崎市にある児童思春期を中心としたクリニックです。
 
講師紹介
朝倉新(あさくらあらた)
昭和37年生まれ
平成5 年 国立佐賀医科大学医学部卒業 
平成16年 埼玉県立精神医療センター第五精神科(自動思春期部門)副部長 平成20年 新泉こころのクリニック開業

朝倉先生は十数年間児童思春期を中心とした精神科医療に従事。そこで培った技術を生かし、子ども大人を問わず、発達の問題を抱える子どもたち(ADHD、PDD)の診断、治療を実践。最近では神奈川県内の教師の方々への研修、講演を通して教育現場に貢献なさっています。子どもたちはとても個性的で、親ごさんの抱える悩みもそれぞれに違います。診断が難しく専門医がたいへん少ない現状です。今回は朝倉先生に、子どもたちが発するサインの読み取り方、ちょっと変った行動をしがちな子どもたちに大人はどう対応したらよいのかお聞きします。新学期の始まりに不安をもっているお母さんはこの機会にぜひ不安解消!元気に新学期を迎えましょう。


開催日 2011年3月10日(木)
時間  午前10時~12時
場所  宮上幼稚園
お問い合わせ先
0465-62-3994(担当.井上)
地図・神奈川県足柄下郡湯河原町宮上184
※駐車場には台数に限りがありますのでなりべく公共の交通機関をご利用ください。
料金  1000円(色えんぴつ会員700円)


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友人の山田スイッチさんが、イラストを提供してくれました。スイッチさん!ありがとうございます。
この講演会にちょうどぴったりのイラストでありました!

スイッチさんのブログはここ! 子育てネタ満載。私も時々登場するよ。
by flammableskirt | 2011-02-24 09:24 | イベントのご案内

日常の情報って?

一人暮らしを始めた男性の友人から「世の中の情報は多くても、日常の情報は少ない」と言われた。
彼はワタシのブログを見て「花ふきん」を注文したのだという。
「ふきんみたいな情報が必要なんだよね」と言われ、ふーんと思った。
それで、日常の情報ってなんだろうと思ったのだけど……。ワタシの場合、一番こだわっているのはお茶かなあ。家にいる時間が異常なほど長い執筆業なので、お茶は重要アイテム。
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午前中にかけて飲むのは、中国茶が多い。
高山茶が好き。さわやかで飲み口がすっとしている。ウーロン茶を朝に飲むと口のなかがさっぱりする。脂をとるからだろうか? それで、朝や食後によく飲む。小さな急須を使って小さなショットグラスで飲む。たくさん飲むお茶ではないから朝にはちょうどいい感じ。お湯は小さなポットに移しておく。でも一人だとあんまりお替りはしないなあ。お茶請けはぜったい、乾燥種抜きうめぼし!
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いろいろ好みはあると思うけれど、いまうちにあるのはこんなお茶。どれもふわっとよい香りがしてさわやか〜。日本茶よりあっさりしていて苦味少ない。
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昼間にがんがん飲むお茶は三年番茶。
葉桐の三年番茶は苦味がなくてさっぱりした味で好き。うちは家族はこのお茶のファン。
それから、友人の向島さんが営む向島園のお茶も年間通して飲む。向島さんのお茶は完全無農薬栽培で作っている。完全無農薬ってお茶では不可能とまで言われていたのだが、10年かけて土壌を作り成し遂げた。向島園の三年番茶もおいしいが、ワタシが個人的に好きなのは「ペパーミントほうじ茶」。ペパーミントとほうじ茶のブレンドなんだけど、すかっとして味わいぶかい。あとは有名な加賀棒茶なんかも。とにかくお茶が好きなのでいろんなお茶を飲む。
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紅茶だとこんな感じ。ハーブティーから、ストロングティまで。ワタシはインド紅茶よりもスリランカティーのほうが好きなので、取り寄せでスリランカの紅茶を買うことが多く、冷蔵庫は紅茶だらけだ。昔、スリランカに旅行してから、日本茶に近い味のスリランカティのファンになってしまった。
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あと、こだわっているものといえば香りで、アロマキャンドルには相当こっている。冷蔵庫の野菜室にはアロマキャンドルしか入っていない。特にディプティックという会社のキャンドルが好きで新作は必ず取り寄せてしまう。お茶とキャンドルくらいしか買い物しない。この二つに一番お金を使うかもしれない。他には本くらい。
よく最初になにを買えばいいか?と聞かれるんだけど、香りは好みがあるからなあ……。まあ、すすめるのはこの「ベス」というピーチの香り。女の子の誕生パーティみたいな香りって言えばいいかな。
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男性にはこれかな〜。冬の松林の香り……みたいな?あるいはヨーロッパの冬のお城の香りかな。
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あと、部屋に花を飾りたいんだけど、花って枯れるじゃない?それでね、小さく花を飾ることにしたのね。これは友人の涼太君のアイデアなんだけど、試験管にベランダのプランターの花をちょこっと差してるだけ。だから花はわざわざ買わなくても大丈夫だし、思いの他長持ちする。
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こっちは別バージョン。時々、ベランダのプランターから切って差すだけだから、簡単。こういう一輪挿しっていまどこのホームセンターでも1500円くらいで売ってるよね。
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あと、ワタシがすごく重宝しているのはこの帆布のリサイクルで作ったエコバック。別にエコバックじゃないんだろうけど(笑)ワタシはエコバックとして使っている。ものすごく丈夫だし、大きいし、それに濡れたもの入れても平気だし。だって帆布だからね。帆布っていっても一澤帆布みたいな昔の帆布じゃなくて、今風の帆布ね。風見もついていてかわいい。買い物とか、洗濯物入れとか、なんにでも使える。
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なーんてことを、書けばよかったのかな?日常の情報って……。
うーん? 違ってたらメールくださいね、友よ。
ではでは、一人暮らしを楽しんでください。(完全に私信だ)
by flammableskirt | 2011-02-23 16:24

気分は上々でしょう。

今日はこんな気分、天気いいし。
なんか新しいこと始めたりして。

by flammableskirt | 2011-02-22 13:01
「ワトソン」というIBMのコンピュータが、クイズで人間を負かしたそうだ。
 二十一世紀になってもこの手の記事は「いつかコンピュータが人間の知能を超えるかも?」というような非科学的なことを言う。
 人間という生物の身体のてっぺんに「脳」が装着されている……というイメージは二十世紀の産物かもしれない。私は私の時代の価値観しかわからないのだが、昔の人はたぶんそのような身体イメージを持っていなかったと思う。脳の研究が進んだのはこの百年の間だが、それでも脳は今もって謎だし、脳というよりも「生命」そのものの謎が深まるばかりである。脳は「生命体」に属するもので、身体からひっぺがして脳だけあっても役に立たない。脳についてわかっているのはメカニズムだけであり、そもそも「生命とは?」という大枠がさっぱりわからないので、人間は大腸菌、麹菌一匹すらオリジナルを作り出すことはできない。

 にもかかわらず「脳」がこんなに特別扱いされるのは、脳についての解明が進むと同時に「私が世界をどう認識しているか」というメカニズムがはっきりしてきたからだ。そしてわかったことは、人はみな個別に世界を「認識」しているということだ。あなたと私が感じ取っているものは同じではない。同じパチンコ台を使っても、大当たりする人とダメな人といるように、似たようなシステムを使ってもそれぞれにまったく別なのだ……ということ。脳のメカニズムがどのようであっても、個々の行動の結果はばらつきが出て、小さなばらつきはどんどん次の展開につながり、よって、人は自分の人生を生きざる得ない……ということ。

 だが個別であること、よりも「同じであること」のほうがわかりやすいので、脳は機能論で語られるほうがウケるし、機能論をつきつめれば人工知能になり、さらに突き詰めれば「そのうち人間を超えるコンピュータが出現する」という話になるのだ。

 IBMが発展した背景には第二次世界大戦がある。戦争で暗号制作や暗号解読が必要になったために暗号技術が発達、それがITに繋がっていった。別にそれがいいとか悪いとかそんなことは思わない。必要は発明の母だ。国益をかけての戦争に国家は惜しみなく金を出す。
 
 全く話は違うのだが、コンピュータ、IT でアメリカは世界を凌駕してきた。それはアメリカの国益と覇権のために使われるはずのものだったし、ある時期はそうであったかもしれないが、次第に雲行きが変わってきた。ウィキリークスが登場し、twitterで人々が自由に情報交換できるようになり、YouTubeで意図的編集の少ない映像が流れるようになると、人間は想定外の行動を個別にとり始める。エジプトで起きた革命はどんどん飛び火している。アメリカにとっては面白くない話だろうが、人間という生命体は脳が合理的だと判断したことをするとは限らないし、そもそも脳というものが増改築を繰り返した家のように複雑でグロテスクなものであるし、およそ人間が起こしうるすべての不条理な行動こそ、真に人間らしい多様性として語るしかない不思議な生物である人間の脳を、機械と比べることは近代の戯れだ。
by flammableskirt | 2011-02-21 10:51

花ふきん

中川政七商店というところの「花ふきん」という木綿のふきんを愛用している。
ふきんは花ふきんでなければいやなのである。もうずっと愛用している。
たかがふきんというけれど、ふきんはほんとうに毎日使うのである。
毎日、毎日使うのである。だから大事なのである。
「花ふきん」はよく水気をとり、すぐ乾くところがすばらしい。
絞りやすく、乾きやすく、手触りがいい。
使い始めはややごわごわして毛羽立つのだけれど、使い込んでいくといい感じになる。
かなり使っても切れたりしない。薄いのに丈夫なのだ。
干しておくとあっという間に乾いて清潔だし……。
いろいろ種類があるけど、やっぱりシンプルなのが一番使い勝手がいい。
ふきん一つでも、気に入ったものを……と思うのは、食器は毎日洗わなければならないからだ。
お茶を飲んだら洗うのである。めんどうだが、洗うのである。
だからせめて、洗ったものをふくときに手もきもちいいものをと思うのである。
めんどくさがりだから、よけいにそう思うんだろう。

お茶だっていれるのはめんどいのである。だからせめてと、好きな湯飲み茶わんで飲もうと思うのだ。
さらに好きなお茶を飲もうと思うのだ。めんどくさいという横着さが、それを打ち消す方向に行動させている……というべきか。

どうでもいい、ふきんの話なんだが、ふきん一枚と毎日向きあわざるえないのが日常というものだ。
ほとんど家で執筆している身としては、ふきん一枚のウエイトが大きいのである。
基本、作家はすごくシンプルな職業なので、身のまわりのことさえやっていれば、一生、終れる。
めんどくさがりにはぴったりなんだが、それではネタの尽きるので、わざわざしがらんでみたりする。

こうして一日、パソコンの前に座っていて、そのまま死ねば孤独死だろうか。
私としてはそれで本望なんだが……。
孤独死というのも、人間の有り様のひとつとしてありではないかと思う。
一人死んでいく人にも、大切な一枚のふきんがあったかもしれない。
それを使う日々のささやかな落ち着きというものが、わかる年になるまで生きたら、一人もいいかなと思う。
さんざん傷ついた人は、人としがらむことさえ苦痛のはずだ。
その気持ちもわかるんだ。
なにしろ人間は生ものだから、消化に悪い。




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by flammableskirt | 2011-02-20 17:14
私の担当編集者である矢坂美紀子さんが「蛇と月と蛙」について紹介している。
矢坂さんはホントに強烈な人でね。よく喧嘩するけど、私の一番のファンであり読者。
「キュア」の編集でもある。私の書く世界が無条件に好き!という人。
もしかして、そうとう屈折してるんじゃない?って思うけど(笑)
でも、おかげで10年がんばってこれた。
出版社じゃないんだよなあ。本は編集者と作っているって感じ。
だって、最初の読者だからね。執筆している時の唯一の仲間であり、相談相手。
しかし、これ私、始めて読むよ。
偶然知ったんだよ、なんで教えてくれないんだよ〜!

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表題作の構想を得た、諏訪の御柱祭り。
ここで、偶然に縄文土器を研究している田中基さんと出会って、それで書いたのが
「蛇と月と蛙」という短編。
by flammableskirt | 2011-02-19 16:50

写真帳

「月がきれいだよ」
と、電話をもらったので外に出てみた。ゆうべのことだ。
ほんとうにきれいな月だった。写真を撮ってみた。
そしたら月はとても小さくなってしまった。
人間の目ってすごいね。
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私が、みるものが一番きれい。






くつ下あんだ。
友達のために。顏を思い浮かべながら、こんなの履いたらかわいいだろうな、って。
かわいいって年でもないが、でもさ。
人は生きた年齢すべてが詰ってる存在だから。


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手づくりってなんだかな〜と思ってたけど、くつ下って、あんがい照れずにあげられる。しょせん足元に履いちゃうから見えないし、多少歪んでても踏みつけるものだし。帽子や手袋だとそうもいかないが、くつ下ならいいかって思う。




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ラップするとけっこうかわいい。かさばらない。















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これ、どこの写真だっけかな?
あ、そうそう飴屋さんのインスタレーションに行った時に撮ったんだった。
なんかいい感じ。窓だけなのに、さすが飴屋さん。建物が飴屋ワールドになってる。







不思議な生け花。エアプランツの生け花ってめずらしいよ。
岡庭夜宵さんのコンサートで……。
活けた方のお名前を忘れてしまってごめんなさい。

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by flammableskirt | 2011-02-19 14:01

タマネギの皮をむく

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NHKで放送された「無縁社会」が過剰演出ではないか?
という記事を読んだ。ネットを「現実逃避の場」と決めつけている……と。

テレビや雑誌の取材を受けていて「最初からシナリオがあるんだな」と思うことはままある。しょうがないとも思う。自分も書く仕事をしている。自分の考えで相手を切り取っている。そうしか書けないからだ。だから、自分もどう切り取られても文句を言う立場にない。

私は30冊以上の本を出版しているが、その一冊を読んで「田口ランディは……」と私を切り捨てる読者もいる。すべてを読んでくれとは言わない。表現の方法は違っても底通しているトーンがありそれが私だ。だから、一冊を読んで「こういう奴か」と思うならそれでいい。そう思う。自分も同じだからだ。一冊読んで気が合わなければ、なかなか同じ作家の別の本に手を出さない。そういうもんだろう。

昔は「決めつけないで欲しい」と思った。「決めつけられるのがイヤだ」と。そこに必死で抵抗していた時期があった。抵抗するというのはしんどいことだ。このごろ抵抗しないのだが、抵抗しなくなって、わかったのは抵抗している時、私はすごく弱っていたなということだ。

抵抗というのは弱いほどするんだな。自分の場合である。他人は知らない。私はそうだった。抵抗するればするほどしんどくなる。抵抗ってのは攻撃ではない。抵抗っていうのは、かなり受け身である。自分から打って出ない。出れない。相手に押されぎみの状態だ。

自分が表現できるようになると、つまり、開き直ったり、どうでもいいと諦めて、無駄な抵抗よりも自分が好きなように自分を展開させることに興味が向くと、関心は他人ではなく自分の方に移行する。自己愛が強くなる。自己愛というのは悪いイメージをもたれがちだが、自己愛こそ愛の根拠じゃないのか。

破滅型でわがままな人を自己愛の強い人の代表みたいに考えるのは妙なことだ。そういう自己愛は自分のことを思っていないのだから、自己愛とは言えない。身勝手に見える人ほど自分の都合では生きていない。自分の都合はあんがいと他人とのいいバランスの空間にぶらぶらぶら下がっているものだ。

あるべきシナリオはわかりやすく「弱者」と「悪人」をはっきりさせればおおかた成立する。弱者が被害者権力をもったり、悪人が時として善人になったり、というのはひっくり返しただけだから、これもわかりやすい。昔のレコードのA面とB面程度の違いしかない。

物事はすべて空間的、時間的なひろがりをもち、幾つもの系がからみあっている。それを立体的かつ歴史的に見ていくことでようやく全体の「相」のようなものが見えてくる。それが一番面白い。きっと多くの現場の人たちも、そのような「相」をすくいとりたいという野望をもっていると思う。

組織が提示する時間的、予算的な制約によって断念せざる得ないことも多いのだろう。「会議」という場でたくさんの企画が潰れ、路線を変更させられ平べったい薄っぺらいものになっていかざる得ないことも承知している。

世界にかかった洗脳が、ゆっくりと、いや急速に溶け始めているのは確かだが、なにかが間違いだったとしても、ではなにが正しいのかがわからない……というのが現状だろう。善も悪もない。主観というものは存在しない。カントからニーチェへ。物事の本質というものはない。だからこそ、今ここの生命を生きる超人となる……。

このごろなぜかニーチェの言葉が甦る。だが、私はニーチェが好きではない。どうしてかな。ニーチェよりもカントに共感を覚える。ニーチェの思想の跳躍が苦手なのだ。人間はそう簡単に飛べないものさ。……と私は思っている。
でも、ニーチェが目指した孤高の超人像に魅かれるのも事実。

ああでもない、こうでもない。
考えてタマネギの皮をむく。人間はそれぞれに嬉々として自分のタマネギの皮をむき続けるサルなのか。楽しければオタクなサルでもいいのか。
そんなことを考えつつ、今夜の夕食のカレーのタマネギをむいていると、遠近感がわからなくなり、夢の世界に入ってしまう。
そして、けっきょく疲れて眠りにつき、また朝が始まる。
その繰り返しだ。

もうどうでもいい、すべては日常に押し流されていく。それぞれの日常だ。無数のそしてたった一つの日常。
悪くはない。なにがあっても。
それなりに、きらきら、かわいいなと思う。
by flammableskirt | 2011-02-18 15:24