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原宿のラフォーレミュージアムで開催中の縄文アートTシャツ展に行ってきました。

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会場は不思議な雰囲気。たくさんのTシャツが宙に浮いてる。

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縄文というよりは……う、宇宙??? 

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おおおおおおっ。なんかすごいTシャツ。縄文人もびっくりやろな〜。


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入選作のアートTシャツと、たまたま会場にいた作者の方。このTシャツ、すてきです。作者が美人。

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↑これが「縄文友の会 会員Tシャツ」私のオリジナルデザインですよ。

このTシャツは国産綿100パーセント使用、あの久米繊維さんの生地を使っていて洗濯しても伸びません。着心地最高。そして、会場のなかで「価格破壊的に安い!」と言われた2800円で販売しています。

しかも、このTシャツを買うともれなく縄文友の会の会員となります。いまならまだ在庫あり! ということで、みなさんぜひ、縄文アートTシャツ展に遊びに来てね! 

萩尾望都さん、浅野忠信さん、いろんな人のデザインしたアートTシャツ、展示されていて(意外で笑える)面白いですよー。

by flammableskirt | 2010-10-28 10:59
「スピリチュアルブームと死生観」というテーマで11月27日に新宿の朝日カルチャーセンターで講義をする。
 なぜこのテーマにしたかというと、一つにはスピリチュアルというものが嫌いだからだ。私のことをスピリチュアル好きの作家だと思っていたら大間違いである。冗談ではない。私をよく知る人は絶対にそんなことを言わない。以前にも私の文庫に「スピリチュアルなエッセイ」という帯を書いた編集者と「冗談じゃない!」と大げんかをしたことがある。だが、その本は出てしまったので、きっとそれを買った人は「あースピリチュアルなんだな」と思ったろうし、実際に帯にそう書いてあるんだから思って当然であろう。すべて私の不注意のいたすところで面目もない。
 なぜ、スピリチュアルが嫌いなのかははっきりしている。あのスピリチュアル的な文章がきらいなのである。どういうのかというと、例えば……。

「もしあなたが生きる意味というものについて考えているのだとしたら、それはあなたの魂がまさに成長の時間を迎えているからです。あなたの心を研ぎ澄ましそしてインスピレーションが訪れるのを待ちましょう。あなたの準備はもう整っています。そして、あなたがサムシンググレートと繋がる時はすぐそこまで来ています。あなたにとってこの成長は時には苦しいものかもしれません。でも天使たちがあなたを守護しています。心配することはありません。もし傷ついたとしても、それは必ず癒されます」

 ……みたいな文章が嫌いなのである。これはいま私が即興で作った。私のオリジナルな文章であるが、だいたいこういう調子、こういうリズムで書かれている本は、ぞっとする。この文章の特徴は「上から目線」と「おせっかい」と「他者コントロール」である。まず、この語り手はすごく上から目線なのである。なにもかもわかっちゃってるわよ、というスタンスである。なにをわかってんだか知らないが、わかっちゃってることが大事なのだ。この世の真実の姿、世界のありようを、とにかくわかったことにして話は進む。
 そして「おせっかい」なのである。「あなたは成長の時を迎えている」と断言し、それを教えてくれちゃっているのである。しかし、もしほんとうにそうなら他人から言われなくたって勝手に成長するし、できれば自力で成長したいものだ。見も知らぬ他者が横からやいやい言うなと私は思う。そして、さらに「だからこうしなさい。こうなったらああしなさい。そうすれば……する」と、優しいふりをして徹底的に相手をコントロールしようという意図がみえみえの語りかけをするのである。
 どうしてこんなに露骨なのか。読者はそれに対してなんの違和感ももたないのだろうか。あるいはコントロールされることに慣れてしまっているのかな?とも思う。
 そしてもちだされるのは必ず愛であり、愛こそすべてである。憎しみとか怒りというネガティブな感情はものすごく低く扱われる。しかし、愛ってなんだよと思う。私は愛を知らないバカ者だ。よって愛という言葉を出されるとそれだけで「すみません」と思う。私が身近に慣れ親しんでる感情は「怒り」であり「諦め」であり「哀しみ」である。なにしろ50を過ぎるとやたらと知りあいが死んでいくのでね……。病気になる人も多い。時として愛はそのようなさまざまな感情の通低音として私が認知できない周波数でもって鳴っているのかもしれないと思う。だが、私はそれを意識できない。愛を意識化できないのである。だから俗に呼ばれる愛に近いような感情体験をするのは決まって夢の中であり、夢から覚めると忘れてしまうのである。また、メキシコで幻覚キノコのセッションを受けたときに、ただもうひたひたと降り注ぎ染みとおるようなききしにまさる慈愛が押し寄せてきてぼーろぼーろと泣き続けたのであるが、それもシラフに戻るともう意識化できないのである。私は愛という感情はある種のかなりディープな変成意識状態でしか体験できない。なので、愛は私のごとき凡人にはよほどのことがない限り、体験できないものだし、それでいいのかもしれないと思っている。そして、なぜか知らないが、あの時の感情を愛と呼ぶことに抵抗がある。愛では……陳腐すぎるのだ。そんな単純に言語化してしまったらもう違うよ!!!!!と地団駄を踏む私がいる。それゆえ「愛」を連発されると、萎えるのである。
 しかるに「愛がわからない」などと言うと、さらに上から目線で「あなたはまだ心を完全に解き放たれていないのです。他者を許し自分を許しで大いなる宇宙にすべてをゆだねれば愛はあなたに入ってきます」みたいな上から目線のさらに上から目線の気色悪いことを言うのがスピリチュアルであり、ほんとうにムカつくのである。てめえ、何様だよ!
 するとさらに相手はにっこり笑って「あなたはまだ怒りの感情に……」と言い出し、永遠にきりがないのである。対話不能となるのである(笑)
 まあ、ここまで読んできてきっと多くの人は「なんだ、ようするにこの人は、スピリチュアルの本質ではなくスピリチュアルなものの表現方法に文句をつけているだけじゃないの」と思われたろう。その通りです。中味ではなくパッケージに文句を言っているのである。
「パッケージなんかどうでもよくて、本質が素晴らしければそれでいい」という賢明な方は、ここまで読んできて腹立たしいでしょう。すみません。正直なところ私はスピリチュアルの本質はわからない。自分が体験したことがないのでわからない。守護霊どころか、自分の死んだ親やきょうだいの霊にだってお会いしたことがない。
「でも、田口さんはこのあいだ、トランスパーソナル学会でスピリチュアルにつてシンポジウムに出ていたし……、そういう発言するじゃないですか」
 と突っ込まれるのだが、そうです。あの学会のテーマだって内心「ちょっとやだなー変えようよ……」と言ったのだが、理事会にも出席しないし発言力なきがゆえにガマンした。
 私は原爆というものの取材を始めて「平和」という言葉がほんとうにうさんくさいと思い、平和アレルギーになり、平和という言葉を自分が再び使えるようになるまでに10年もかかった。平和を唱える人間は絶対に自分の正しさに自信がある。だから平和を叫べる。自分の正しさに自信などない私は平和と叫んだだけで、自分が正しいことを主張しているような気分になり、平和という言葉が使えなくなった。だが、10年経ってしみじみと「平和ってのはいいもんじゃないか」という気持ちになれてきたので、ようやく「平和」呪縛から解放されたのである。たぶん時の流れのなかで私の何かが変容したのだ。善悪という対立的な発想からの脱却の証なのか、自分ではよくわからない。だがこの言葉を使う時はものすごく用心する。取り扱い注意の言葉として私の中では相当難易度が高い。スピリチュアルも、愛も、そういう言葉なのだ。私のなかの難易度が高い。スピリチュアルは特にアレルギー、つまり自己免疫疾患状態なのである。これらの言葉は私自身を攻撃する。私の在り方、生き方、ものの考え方、他者との関わり方も含めて、心身に過剰反応を起す。それをもう一度自分のものとして取り込んで攻撃しなくなるまでに、あと何年が必要なのかわからないが、いまはダメである。諦めと達観に至るには相当の時間を要しそうだ。それなのに、宇宙の愛に目覚めてわかちゃってる余裕のあるスピリチュアルの人は、そういう私を優しげな声でなぐさめたり、癒したりしてくれようとする、それが、ますますじん麻疹になるのである。オマエら何をわかったんだか知らないが、気持ち悪いんだよ、と私は叫ぶのである。ほっといてくれ!
 まあ、そういう、スピリチュアルが苦手な私です……というところから、始まって、エリザベス・キューブラー・ロスの話などを突っ込んでできたらいいかなあ……と思っています。
by flammableskirt | 2010-10-25 07:27
 二日間、東京に出張しており昨日の夜に戻って来た。明治大学の教室を借りて行った「ダイアローグ研究会」の第一回目、初めての試みで、会場にも不慣れなため不安だったが、大森正之教授と大森ゼミの学生さんたちが手際よく準備を進めてくれていて、その働きぶりを見ていると、大森先生はかなり厳しく社会的なことも含めて学生さんを指導しているのだなと感じた。こういう作業は学生さんにとっては「勉強以外」のお手伝いの部類に入るのだろうけれど、社会に出るとあらゆる場面でこういった知識は役立つものだ。

■ダイアローグ研究会
 思った以上にたくさんの方が参加してくださった。この場をお借りして参加してくれた皆さん、特に学生のみなさんに心からありがとう!うれしいと同時に緊張した。というのも、人数が多いと対話型の研究会はとても難しい。やり方を模索している初回でもあり、学生の方たちに発言してほしいと考えていたのだが、どちらかといえば声の大きな社会人の場になってしまった。
また、ある学生さんから「期待はずれだった」という意見をいただいた。率直ですばらしいと思った。勇気ある発言だ。率直な意見はお互いを映す良い鏡となる。反省点は多々あるけれど、ただ「学生にとって1000円は安くない、それを払って来ているのに期待はずれだった」とおっしゃられた点に関して、その時私が思っていたことをここに書きます。その時、私は心のなかで「東京マラソン」について考えていた。
「東京マラソンにエントリーして、自分で走らない人はいない。マラソンは自分で走らなければつまらない。たぶんこの場はマラソン会場に近いんじゃないか。私は伴走はするけれども、走るお手伝いはできない。だって自分で走らなければつまらないだろう。ここの場をどうするかも含めて、いっしょに作っていくしかない。走るのはそれぞれであって、私は替りに走れない。でも、コース選択や、コースの整備はちゃんとしなくては」

 私がこの研究会を始めようと思ったのは、北村正晴教授や竹内整一教授との出会いがあったからだ。竹内教授の多分野交流ゼミに四年ほど参加して、そこで得たものがとても大きかったので、それをまた若い人たちに還元できたらと思った。与えられたものは生きているうちにお返ししたいと考えるようになったのは最近のことだ。この年まで生きてきて、世界中の人の恩恵に授かり、こんなによくしてもらってどうやってお返ししたらいいのかと途方に暮れることばかりだったが、同じことを自分が誰かにするしかない、と思うに至った。もしかしたら生きるというのは、そういうことなのかもしれないなあ……というのが、近ごろの私の生きる意味のこじつけだ。
 細々とでも続けていこうと思っている。初回で「つまらなかった」と思った若い人も多かったろう。「こんなこと考えて意味があるんだろうか」「とても自分の問題として考えられない」そう感じた人も多かったのではないかと思う。「原子力をめぐる対話の問題」に関して、心身を貫く切実さをもっているのはスピーカーの北村正晴教授だけだ。その切実さは近しい私には少しだけわかるけれども、それをあの場で初対面の若い人たちが共有するには時間が足りなかったと思う。
 ある意味で「自分の問題ではない事柄」を自分の問題であるかのように「考える」ためには、「その問題を切実に考えている人」と出会い、その人の身体感覚や言葉を通して問題に触れることがとても大切だ。最初は「なんだかわからない、自分の問題として感じられない」と思っていたことでも、「問題を切実に感じている人」との出会いを通して、人間は共鳴できる。これは人間に与えられた素晴らしい資質だと思う。そのよう他者を通して自分の思考が広がっていくことができるのだ。
 私自身の体験で言えば、「水俣病の問題は社会にとって重要な問題だが私の問題とは思えない」と思っていた私が、水俣病患者である緒方正人さん、杉村栄子さん、緒方正実さんとの出会いによって「水俣につかまってしまった」と言っていい。なにしろ圧倒的な存在感だったのだ。「こんな凄い人たちに会ったことがない!」と衝撃を受けた。私は社会問題に対して社会的な興味はなにもない。私が興味があるのはその「問題を生きている人間」の姿である。人との出会いを通して、「問題を生きている他者と自分がどう関わるのか?」という問いを持つようになる……、つまりそれが私の問いの原点。
 だから私は「ダイアローグ研究会」という場を通して「北村正晴」という一人の人間と関わろうとしているのであり、関わり方はたぶん無数にあるのだろうけれど、いろんな経緯や他の方たちとの関わり……「縁」が寄り集まって「ダイアローグ研究会」という場が生まれたのだ。北村先生や竹内先生も「何かを始めざる得ない」という衝動を私に与えるだけの人間的、あるいは学問的誠実さと言える凄さをもっていた。それに触れて影響を受けることが生きていることの喜びだと感じている。
 私の姿勢は一貫している「問いを持ち続けること」生きる限り問い続けること。問うという情熱を失わないために行動しつづけること。私のスタンスは「わからない」である。この中途半端で居心地の悪い場所に死ぬまで立ち続ける。そして「問うことをやめない」である。
 執筆も自己表現だけれど、生きて行動し発言するということはさらなるダイレクトな自己表現で、人間が生きるというのは自由な自己表現をすることそのもののように思える。
 私は長いこと……というかおよそ半世紀生きてきて、自分を正直に表現できるようになったのはごくごく最近のこと……つまり「もう、いつ死んでもさほど悔いも残らないだろう」と思い始めてからのことだ。ということは半世紀近くもこの世に生を受けながら自己表現がうまくできなかったということである。なぜできなかったかといえば「脅え」や「恐怖」や「不安」があったからだ。そんなものである。開き直りにかかった時間が五〇年。アホらしいけれども、それが私なのだからしょうがない。

■身体について
 それにしたって、やはり緊張するのである。私は態度や声がデカいので誤解されがちだがものすごく小心者だ。ほんとうに度胸のある人はもの静かなものである。発言するにしても小心者であるゆえ、心臓はバクバクし過度に緊張し、緊張のあまり興奮しているのである。交感神経は張り詰めた弦のような状態になり、ぱっつんぱっつんで、一度上がったテンションが下げられなくなる。そうなると寝れなくなる。まったく眠らずにしゃべり続け、動き続けることがあり、そうなると自分で自分の身体がコントロール不能となる。おとといがそうだった。夜半を過ぎても頭は冴え渡るばかり。身体が眠るというモードに入らず、結局、ホテルのベッドに入ったのが明け方四時近くであるが、それでも興奮していて一睡もできず、翌朝10時のミーティングに出てから、東京拘置所に面会に行き、死刑囚の友人と短い会話をした。
(死刑を宣告された人との出会いがなければ、およそ死刑という問題も実感できなかったと思う。私の実感は《相手が目の前にいても死刑ということを実感できない、という恐るべき実感だ》だから、一般の人が死刑に賛成していてもそれは仕方ないだろうと思う。およそ被害者感情のほうがよほど実感しやすい。必要なのは、実感しやすいほうに肩入れしているのだという自覚だと思う。私なんぞかれこれ三年、面会に通っていてだんだん感覚が麻痺すらしてくる。最初の頃のほうが死刑に対する緊張感があった。現状に馴染んでしまい、問いを忘れていくのだ。それくらい鈍いのが人間なんだなあとびっくりする)
 それでもまだ興奮しているためまったく眠くならず、身体だけがくたくたで、視力すら低下してきて、さすがに自分でも「このままではヤバイ」と思ったために、綾瀬駅前の「2980円で60分もみほぐします!」というマッサージ屋に飛び込み、身体をもんでもらった。1時間もみもみしているうちにしだいに「なにかがゆるんできた……」という感じになり、それから新幹線に乗って家にたどりついた。
 私は朝5時に起きるので、およそ36時間寝ないで活動していた。完全な興奮状態である。駅に迎えに来てくれた夫に「テンションを上げてしまった。コントロールできない」と言うと「自覚できるだけいいじゃん」と言われた。まあ、それもそうである。
 家の戻ると娘も帰宅してきた。娘が学校で起こったことを不平まじりにぶつぶつしゃべっているのを聴いていたら、だんだん神経の昂ぶりが落ち着いてきた。娘と会うと自動的に「母親モード」に移行するらしいのだ。食卓にいくと92歳のじーさんとばーさんが、二匹の亀さんのようにのんたりと眠そうに座っていて「今日は介護で絵を描いた」と言ってそれを見せてくれたのだが、おじいちゃんの絵に「アメリカ生まれでちんぷんかんぷん」と書いてあり「これどういう意味?」と聞いても、よくわからない。何かのジョークなんだろう。夕飯は私の希望通りの牡蛎雑炊で、それを食べたらなんだかやっとお腹がほっくりしてきた。それから風呂に入り、風呂から出て早々と7時半にはベッドに入り、娘と二人で美術部の子供たちが描いた「マンガ」を眺める。「デッサンへたー!」「怖い〜!」などと大笑いしているうちに、自分たちも絵を描きたくなり、二人でしょうもないマンガを描きあっているうちに、どかっと眠くなって寝た。
 今朝はいつも通り5時に普通に目が覚めて仕事場に来た。家庭力とか家族力という力があるとすれば、私の身体はその力に助けられてなんとか社会的な要求に対応しているのだなと思う。私の育った家庭は問題が多く、私にとって家庭は「いのちの危険を感じる」ような場所であり、だから早々と家を出て一人で生きてきた。家族というのは心配の種でしかなかったのだが、長い年月をかけて自分が「家族」という場を作ったことを実感すると、またしても、ああもういつ死んでも悔いはないなと思うのだった。やるべきことはやったんだなあ……と。

■次回に向けて
 早稲田大学大学院の林志行さんと、西條剛央さん。お二人ともとても若々しいので、なんだか先生とか言いにくい。すごくユニークなお二人で、ほんとうはこういう不思議で経験豊富な若手の先生たちと、学生さんが話す場を作れれば良かったのだなと反省した。林さんはシンクタンクを経験して大学で教鞭をとっており経験豊富。しかも視野も広い。次回は西條さんの提案してくれた、グループ対話方式を取り入れて、学生といっしょに討議に入ってもらったらいいんだなと思う。稲葉さんや、中山さんや、荒川さんという若手で社会人をやっている、いわば先輩みたいな人たちもたくさん参加していたのに、そういう人たちと参加者の学生たちが交流できなかったことは、まったくもって失敗だった……と、考えているうちにますます寝れなくなったのだ(笑)
 12月2日までの、第二回ダイアローグ研究会もあっという間に来てしまうのだろうなあ。次回は自分の発表でもあるし、問題も「核」へと繋がっていくので、また緊張のあまり、自律神経失調症にならなければいいが……。
だがそういう自分の身体や心と向きあうのもまた面白い。興奮しすぎるには、そろそろ更年期ということもあるのだろう。ホルモンのバランスが崩れてきているのだ。
こうして人間は死ぬまで変化し続ける。逆らってもしょうがないので、やりくりを考える。やりくり、手仕事。生活の智恵。あんがい、社会問題や環境問題も最終的には「やりくりと手仕事」の連続なのじゃないだろうかと、このごろ思えてくる。解決も結論もない。やりくりしながら、現時点でも一番いい道を模索する。それも、手仕事で。
by flammableskirt | 2010-10-23 07:47
明治大学をお借りして自主ゼミのようなものを開始します。対話塾だと思ってください

ダイアローグ研究会とは?

科学技術の進歩とともに各領域の多様化・専門化が進んでいます。
細分化によってそれぞれの専門領域が確立する反面、その結果として言語や価値観の著しい相違が生じています。人間の生命に関わるような重大な社会問題に直面しても、この言葉や価値観の壁が障害となり当事者同士の対話が成立しない状況を引き起こしています。違う領域の者同士がどのようにして対話のテーブルに着き、対話を始めるかはあらゆる分野において大きな課題です。
でも、私たちは『対話』とはどのようなものだと考えているのでしょうか。対話の定義自体も曖昧なままで対話を始めていることが多いのではないでしょうか。
このダイアローグ研究会は、学生にみなさんといっしょに『ダイアローグ=対話』を実践的に模索します。身近な問題を題材にしながら対話の可能性について考えるために、まず対話を体験してみること、を目的としています。半年を一期とし、一期を通してひとつのテーマについて、毎回ゲストスピーカーが発表します。その発表を受けて参加者が発言する形式をとります。
まずは、この講義を体験してみませんか?
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第一期初回研究会開催日程
2010年10月21日(木)※隔月の木曜日を予定
18:00~21:00
場所 明治大学リバティタワー1085教室
スピーカー 北村正晴
「対話の可能性を探る~原子力施設立地地域での経験から」
学生 1000円
一般 2000円
主催『ダイアローグ研究会』
*以下のメンバーがゼミナリストとして参加します
北村正晴 東北大学名誉教授  リスクマネジメント
竹内整一 鎌倉女子大学教授   日本思想
大森正之 明治大学教授     環境経済
林志行  早稲田大学大学院教授 経営デザイン 
辛淑玉  人材育成コンサルタント
田口ランディ 作家

●大学、学部に関係なく大学生、大学院生なら参加できます。
●基本的に学生を主体にした研究会ですが、一般の方も参加できます。

第一期第二回研究会
12月2日(木)
18:00~21:00
場所 明治大学リバティタワー1085教室
ゲストスピーカー 田口ランディ
詳細は、10月21日にお知らせします。
by flammableskirt | 2010-10-19 13:05
尊敬する詩人、山尾三省さんの記念シンポジウムに参加します。
第一部と第二部は会場が違うのでご注意ください。
シンポジウムは 京都大学東京オフィスです。
作家の宮内勝典さん、宗教学者の鎌田東二さんと、 「アニミズムと文学」というテーマでお話します。
めっちゃアニミズムなお二人に囲まれて、どーしよう!という感じです。
でも、三人ともお友達同士なので、きっと和やかなシンポジウムになり、めずらしいお話も飛び出すかも。


東京自由大学特別企画
「三省祭り 2010」


日付: 10月30日(土)
第一部 13:00~16:30 シンポジウム「アニミズムと文学」
 出演者: 宮内勝典 (作家)、田口ランディ (作家)、鎌田東二 (東京自由大学理事長)
 会場: 京都大学 東京オフィス (東京都港区港南2-15-1 品川インターシティA棟27階)
 参加費: 前売2500円 当日3000円

第二部 17:30~19:00 即興演奏+ポエトリー・リーディング café SANSEI
 出演者: 野村雅美 (ギター)、宇々地 (古代土笛・他)
 会場: 東京自由大学
 参加費: 1500円(要予約・定員30名)

協力: 地湧社
担当者:吉田美穂子 (東京自由大学運営委員)
by flammableskirt | 2010-10-16 09:11

「身体について、心について、深くもっと深く」
自然治癒力学校オープンセミナー(東京)
田口ランディ&おのころ心平

2010年10月31日(日)

13:00〜16:30
会費3500円

講演スケジュール
-12:30 開場
-13:00 開演
おのころ心平トークセミナー『カラダのスピリチュアル』
自然治癒力学校認定セラピストがお贈りする
『ココロとカラダをつなぐリフレッシュワーク』
田口ランディさん講演『自分の言葉で語るということ』
田口ランディさん × おのころ心平トークセッション
(休憩随時)
-16:30 終了


「自然治癒力学校って、なんだろう?」最初に講演のお話を受けたときは、おのころ心平さんのお名前だけは存じていましたが、どのような活動をされている方なのか具体的には知りませんでした。ホームページを読んでみると「ココロとカラダ」について真剣に取り組んでいらっしゃることがわかってきました。
 これまでも「ココロとカラダ」のことは、多くの方が取り上げてきましたが、おのころ心平さんは特に「自分で」という部分を強調なさっているのにたいへん共感しました。私は、健康のことを考える上でもっとも大切なことは「自分が健康になる意志」だと思っています。これは、あたりまえのように思われてしまいがちだけれども、実はかなり難しいことなのです。
 いまの社会は「あなたに替わって……」というビジネスであふれています。あなたに替わって掃除をします、料理をします……。そしてあいた時間であなたは好きなことをしてください。健康に関してもそうです。あなたに替わって足をもみましょう、肩をもみましょう、気を与えましょう……。ふと気がつくといつもサービスされて受け身の状態でいるものですから、それが癖になってしまうんです。そうすると、どうしても「自分を律して自分から健康を手に入れる」ことがめんどくさくなり、つい安易にヒーリングに頼ってみたり、サプリメントに頼ってみたりしがちになってしまうんです。そうして自分の身体を知る機会を逃していることにも無自覚になってしまう。
 ヒーラーや気功などの仕事に就く方がたくさんいらっしゃいますが、その人たちも「してあげる」という気持ちでやっている場合があり、本来の人間の自然治癒力は自分の裡から生まれてくるものであるのを忘れて、相手の体に手を施し過ぎていることに気がつかなかったりします。
 おのころ心平さんは、そのことをちゃんと見ている人だなあと感じました。
 雰囲気はとても優しいけれど、内面はたいへん厳しい方、芯の強い方ではないかなと思いました。お会いしてお話をするのがとても楽しみです。
 タイトルが「自分の言葉で語るということ」なのですが、ふだんあまりお話する機会のない「カラダとココロ」の関わりについて、私自身の体験をもとに、思いきって踏み込んでお話してみたいと思っています。
by flammableskirt | 2010-10-08 11:26

惰性ってだせーし。

twitterを初めてから、いろいろ新しい刺激的な出会いがあり、面白くてつい集中してしまう。日本人、外国人、日本に住んでいる外国人、外国に住んでいる日本人、いろんなジャンルのいろんな方と簡単に知りあいになれる。とはいえ、興味の範囲が似ている、関心領域が近いということが一つの条件にはなっていると思うけれど。
また、ずいぶん昔に出会っていながら疎遠になっている人とも、再会することが多々ある。インターネットは再会のメディアだと言ったのは友人の橘川幸夫さんだった。とにかく便利で楽しいことに間違いはないが、集中して書き込みをすると時間を忘れて没頭してしまうことがある。たまにはいいが、やはり目が疲れる……。そうタイムラインを読み続けると目が疲れるのである。

そういうわけで、twitterも時間制にした。基本的に10時〜10時30分と、14時30分〜15時までとした。それでも一日1時間もやってしまうことになるのか……。まあ、別にアクセスしなくてもよいのだが(笑)。
原稿書きや資料探しに疲れた時につい覗いて、そのままだらだらということがあるので、自己規制をすることにしたのだ。座り仕事なのでネットに逃避すると、仕事と同じ姿勢で目を使うことになり休憩にならない。休憩するためには目や身体を別の状態にもっていかなければ……。ところがインターネットで休憩すると、身体は働いているのと同じ状態になってしまうのだ(私の場合デスクワークなので)。自分で時間を区切れば、その時間で止める。それくらいの自制心はある。「そこまでして……」と思っているうちは、結局ぐずぐずしてしまった。人間は、いや、私は怠惰だ。まったく、惰性ですぐ流される。それが自分だという自覚がまだ甘い……。

だいたい人は、惰性で生きる。これは生きる智恵なのかもしれないが。
惰性で人は自分の専門領域に閉じこもり、そしてその領域を毎日たがやしているのだという自負でもって生きている。それは狭い範囲ならいいが、大きな抽象的な範囲だと……たとえば自然とか心とか政治とか生命とか、そういうデカイものを扱っている専門家は扱う領域が広いわりには、日々は惰性だったりすると、自分の知識が狭い範囲で閉じこもって重箱の隅をつついていることもわからなくなり、ちょっとひっかかったことがあると「相手の間違い」だととらえ、それをきっかけに自分の問題を吟味するということもしなくなる。小説家なんていうのも、まったく同じだ。扱っている範囲がデカもんだから(何でも小説にできる)、自分の知っている範囲でどうにかしてしまおうと思えば、いくらでも矮小化できる。反面、調べ始めたらきりがない。惰性に入っても辛いし、好奇心を全開してもしんどい。バランスが必要だが、バランスをとるつもりがいつのまにか惰性になっている。よほど注意していても、惰性になる。もうどうしようもない。そもそも、どうしようもないということからして惰性である。はあ……。

とにかく、今日は一つ、惰性で狂ったものを軌道修正した。それでよしとする(笑)
by flammableskirt | 2010-10-06 10:57
小牧野遠足の写真を送ってもらいました。撮影してくれたのは縄文友の会新潟支部縄文笹山遺跡から駆けつけてくれた栗林さん。写真に写っているトランプのキングみたいな人が新潟縄文友の会支部長・新潟笹山遺跡のツネルぺ野澤さんです。縄文ネットワーク、どんどん広がっています。でも、野澤さん、やっぱりそのコスチュームは縄文じゃなくてトランプに見えるんですが(笑)
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お弁当を食べて、遺跡めぐりをして、縄文人のお話を聞いてから縄文の祖先たちに捧げる舞踏を観賞。舞踏が終ると晴れてきました。最後はみんなで踊る……といういつものパターン。それにしてもほんとうに晴れたね。太陽が気持ちよくて自然に身体が動いてしまったよ!
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新潟の縄文笹山遺跡に古くから伝わる(笑)という、縄文式一本締め?に挑戦。新潟の縄文人の子孫のみなさんは本当にノリノリですばらしい。縄文万歳、という感じ。つないで高く掲げられた手は笹山遺跡から出土した火焔式土器をイメージしてるんだそうです。こうして、新潟と青森の縄文つながりの交流が実現したわけです。わははは……。
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夜はスタッフのみんあで打ち上げ。縄文笹山遺跡から「縄文の雫」という銘酒をいただき、みんないい感じで酔っ払いました。青森、食べ物うまい……。このあと、大カラオケ大会でした。いやー久しぶりに歌ったぜ。私が着ているのが「縄文友の会会員Tシャツ」。今年早池峰神楽でこのTシャツを着ている女の子と会ってちょっと感激。私のオリジナルデザインだよ。私の隣にいるのが舞踏家の雪雄子さん。今回の踊りも最高でした。後ろでにこにこしているのが、青森の妹・山田スイッチさん。スイッチさんのバスガイドよかったよ。みんな楽しかったね〜。また来年も縄文遺跡に集合だ〜!
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by flammableskirt | 2010-10-05 14:22
気功太極拳合宿の申し込みは定員になり締め切らせていただきました。
ありがとうございました。



気功太極拳ワークショップ

「内気功八段錦を習得しよう!」
2010年11月19日(金曜日)~21日(日曜日)2泊3日


気功太極拳ワークショップ第2回を開催いたします。
この気功合宿は私の太極拳の師匠である新渡戸道子さんと共に学ぶための、女性オンリーのワークショップです。第一回では整体や気功など、身体にかかわる職業の方や、自身の健康のために初歩から内気功を学びたい方が集まって、とても楽しい会になりました。特に昼間の練習が終った後に広間に集まって、それぞれの「特技」を披露しあうアフターアワーで盛り上がりました。

合宿は年に二回湯河原の温泉とおいしいものを食べて、ごりっと気功を学ぶというものです。なるべく同じメンバーで続けたいと思っています。十年かけて太極拳を習得したい、というのが私の目標です。いっしょに学ぶ仲間になってください。まずは「内気功八段錦」を!ということで初歩からていねいに身体で覚えていきます。前回のメンバーが約半数参加します。加えて新たに参加者を募ります。年一回でも二回でも、参加できるペースで参加して、ゆっくりと時間をかけて太極拳を学んでいきましょう。あせらずゆっくり。新渡戸先生がいつも言う言葉です。「ゆっくりは怖くない。怖いのは止まってしまうことです」

すべてを思考によってコントロールしようとする普段の考え方から離れ、心身をぽわんとゆるめてみると、もともと誰もが生まれながら持っているゆったりした自然体に戻っていきます。人と話しやすくなって、なんだかとっても素直な気持ちになれるんだよ。
気功太極拳のワークショップの会場となる大観荘は湯河原温泉の中でもお湯を大変大事にしている温泉宿です。もちろん源泉かけ流しの温泉で温度は約85度。 水などいっさい入れないで入りやすい温度にしてあります。ちょうどこの季節湯河原紅葉の季節です。身体を動かして紅葉のきれいな「池峯もみじの郷」をいっしょに散策しましょう。


初歩からの気功太極拳ワーク
初心者・女性オンリー


開催日:2010年11月19日(金)から11月21日(日)
2泊3日です!
金曜日の夜、湯河原に集合です。遅くなっても大丈夫ですよ。お仕事終えて来てください。ただし早朝稽古は6時からですよ!

参加費:49.800円(2宿泊費、1夕食、2朝食、1昼食付)
持ち物:動きやすい服装、動きやすい防寒具、運動靴、タオルや手拭いなど

●ワークショップスケジュール
19日 午後8時 大観荘集合 
ミーティング 翌日からのワークショップの説明をいたします。

20日 午前6時 万葉公園にて早朝気功
      8時 朝食(大観荘)
     10時 大広間にてワークショップ開始
     12時 昼食(玄米菜食弁当)
         休憩
     13時 午後の部開始
     16時 終了
         休憩、温泉入浴
     18時 エルルカンビスにてフレンチディナー
     21時 ディナー終了、旅館へ

21日   6時 万葉公園にて早朝気功
      8時 朝食
     10時 湯河原散策(自由参加)
     12時 解散

この季節は秋から冬の味覚のミカン狩りが楽しめます。
また、奥湯河原の紅葉が始まる頃です。状況に合わせて湯河原を楽しんでください。

(20日のディナーはドレスコードではありませんが、とてもすてきなフランス料理店なので、気分をかえて食事を楽しむ準備をお願いします)
参加人数:20名(定員になり次第締め切らせていただきます)
会場:湯河原温泉 大観荘 (お部屋は相部屋になります、お仲間でご参加の方は申込みの時にお知らせください)
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上542
   会場までの交通費は自己負担になります(湯河原駅からの送迎あり、詳細は後日参加者に告知いたします)

詳しくはホームページの案内をご参照ください。
by flammableskirt | 2010-10-02 15:59

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Inspier Live『祈り』

田口ランディ「般若心経」語り〜
 
2010年10月9日(土)

14:00開演(13:30開場)/18:00開演(17:30開場)
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写真家の宮角孝雄さんとお会いしたのは、2000年8月の広島でした。
私が作家としてデビューした年です。宮角さんは「原爆ドームの前で人間を撮っているんです」とおっしゃり、私も原爆ドームの前に立って写真を撮ってもらいました。高校の修学旅行以来初めて訪れた広島でした。その時の私には、なぜ宮角さんが原爆ドームの前で人物写真を撮っているのかよくわかりませんでした。正直に言えば「だからなんなのだ?」と思ったのです。被爆二世としての宮角さんの思いというのも、私には理解できませんでした。あれから10年が経って、また宮角さんと出会うことになるとは……。
今回は、親しくしている経王寺の互井住職のご縁でした。経往寺の本堂で宮角さんの写真展をおこなうので、その時にライブで朗読をしませんか?というお誘いを受けました。名前を聞いただけでは宮角さんのことを思いだしませんでした。「原爆ドームの前で人物写真を撮影しているんです」と聞いて、あ、その方となら会ったことがあると……。
ちょうど今年、私は8月9日に長崎を訪れていました。この10年、だらだらと原爆に関わり続け、でもちっとも事実の内側に入ることができず、このテーマは自分には無理だと思い初めていたとき、長崎の被曝二世三世の方たちが「水辺の森音楽祭」という音楽祭を企画しているのを知り、それがたまたま私が2000年の8月6日の広島での出来事をつづったエッセイを読んで始まったと聞き、長崎へ向ったのです。
長崎の原爆資料館のブックコーナーに、宮角さんの写真集が置かれていました。すごくすてきな写真集でした。他の写真が原爆の悲惨さを表現しているなかで、宮角さんの写真集だけが「原爆ドームの前で祈る人、笑う人、キスする人、踊る人……」10年を経て、改めてこの写真集を見たときに、これは宮角さんの「祈り」なんだと思いました。芸術性とか、テーマ性とか、そういうことではなく、もっとシンプルに、宮角孝雄という人の「祈り」の形なんだなと、そう感じました。かつて私は写真というものに芸術表現としての斬新さとか、とんがった感性とか、そういうものを求めていたから、初めて宮角さんの写真を見たとき「だからなんなの?」と思ったんだとわかりました。原爆ドームの前に立たせて写真を撮る、その手法があざとくないか、と当時の私は思ったのです。たぶんね。
そこには「原爆」というものの「重み」にすでに負けている私がいました。あえて原爆をテーマにすることで、テーマそのものが変質してしまうようなそういう内部圧力を、原爆というテーマはもっているんです。私はその内部圧力に屈して10年間、書けなかったんだな……と。5年前にようやく出版した「被爆のマリア」は「いかに自分が原爆というテーマに関われないか、実感できないか」という距離感を描いただけで精いっぱいでした。もうお手上げという感じでした。
でも10年つきあってみると、私は「原爆」に少し慣れてきたみたいです。もっとありのままにこの事実とようやく目が合せられるようになってきたような……。平和という言葉さえ毛嫌いしていました。平和という言葉でとても繊細なものがすべて同じ色に塗られていくのが耐えられなかった。でも、いまは平和という言葉を素直に突き抜けて行こうとする自分が生まれてきました。これは私の中では大きな変化でした。
そういう思いで宮角さんの写真の前に立ったとき「ああ。これは祈りなんだ」と、やっとなにか大事なものと出会えた気がしました。

朗読は、「般若心経」を私が現代語訳に書き下ろしたものです。足踏みオルガン奏者の上畑正和さんの透明な演奏とのコラボレーションです。
原洋子さんの朗読もお楽しみいただけます。
朗読会の終了後に、宮角孝雄さんとの対談もあります。

14時の会と、18時の会があります。

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 Inspier Live『祈り』
〜田口ランディ「般若心経」語り〜
 2010年10月9日(土)
14:00開演(13:30開場)/18:00開演(17:30開場)
http://www.kyoouji.gr.jp/index.html
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出演者:田口ランディ(語り)
             原 洋子  (語り)
            上畑 正和 (足踏みオルガン)
 
            ハピネス観章(声明)
 

【入場料】前売り2000円・当日2500円 

※住所・氏名・枚数を明記の上FAXまたはE-mailにてお申し込み下さい
 
FAX  03-3359-9907
 
 E-mail tagai@kyoouji.gr.jp 

【お問い合わせ】経王寺 03-3341-1314
  
  http://www.kyoouji.gr.jp/form.html

【主催】経王寺

◆田口ランディ(朗読)
◆原洋子(朗読)


◆上畑正和(足踏みオルガン)
作曲家・ピアニスト。CM音楽を中心に様々なアーティストやアニメ、TV番組等の作編曲、ロックバンドやボサノバのプロデュース等を行なう。またクラシック演奏者への曲提供も手掛ける。近年ピアノでのソロ活動に力を入れている。ライブでは必ず即興演奏を行なう。



宮角孝雄写真展 
[Ground Zero]

写真展10月10日〜16日(入場無料)
場所 新宿 経王寺http://www.kyoouji.gr.jp/index.html

◆宮角孝雄 Takao Miyakaku
1948年広島県生まれ。日本大学卒業。
東京写真専門学院で学びファッションカメラマン吉田大朋氏に師事した後、独立。1988年スタジオ宮角設立。雑誌やコマーシャルフォトを手がけるとともに、2000年からライフワークで平和をテーマに撮影している。 
社団法人日本広告写真家協会会員
by flammableskirt | 2010-10-02 14:47