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『蟲』との折り合い

8月が終る。そして、明日から9月が始まる。

7月から朝型の生活に変えて、早朝に仕事場で仕事をするようになった。およそ2ヶ月、出張の時も含めて朝は5時〜6時の間に起きるようになった。どうしても前夜に夜の遅い用事、たいがい人と会ってご飯を食べる……ということなのだが、それがあるとやはり5時はきつい。そういう時は昼寝をはさむ。夏バテしないように気をつけていたが、とうとう8月の終りにじん麻疹になった。

体調はすこぶる良かった。ただ、寝不足が重なっていた。自分一人で生きているわけではない以上、いつも同じペースで生きるわけにはいかない。その点、早朝5時というのは誰も私の都合を乱さないので、ほんとうに集中できる。人が目覚め、動き出せば、その人たちと共に生きる時間が始まる。子供たちを夜、映画を観に行ったり、夏祭りや、納涼会、夏はいろいろイベントがあるのだ。

しだいに、朝、一人きりになる時間がものすごくいとおしく、大事な時間になってきた。それで、朝になるのを待ち切れないように起きて仕事場に行くようになった。あまりにも人間関係が多過ぎるのかもしれない、と思うようになった。

「年をとったら、人生で必要ないものをどんどん削っていかなきゃならないのよ。だって、もう老い先短いんだから、いろんなものに関わっている暇はないのよ」と、年長の友人が言った。
なんだか不思議な気分だ。私は、ずっと、増やせ増やせの足し算人生だった。たくさんの人と出会い、たくさんのことをしたかった。だが、それも30代の半ばにはピークに達していて、40代にはもう無理がきていたのだが、それに気づかずにイケイケでやってきたことの疲労が40代の後半に出ていたようだ。

どうも、物事の「いい加減」というのがよくわからない。子供の頃からそうだった。いつもハメをはずして怒られていた。頃合いというのが理解できない。それでずいぶん出る杭として叩かれて、痛い目を見てきたのだが、それでもまだわからない。昔よりはわかる。身をもって知ることのすばらしさ。人間はちゃんと臆病になる。だが、それでも生まれついての性格というのは治らないものだ。

集中できるようになると、またもや集中しすぎてやりすぎる。楽しいのである。集中というのはほんとうにすてきなことなのだ。なにをやっても集中できればこんな楽しいことはない。広告の差し込みだって、皿洗いだって、山菜のあく抜きだって、なんだって集中してやることは楽しいのだ。もちろん執筆もそうだ。集中できたら、こんな幸せなことはない。なので、やりすぎる。やりすぎればなんでもストレスになる。

じん麻疹が出て、かかりつけの皮膚科の医院に行った。先生はもう80歳に近い漢方の処方をする女医さんで、このあたりでは「怖い名医」として有名な人だ。「あなた、ストレスそうとうきてるわよ。そんなに仕事しなくてもいいじゃない」
いや、そう思って、今年前半は仕事を休んで好き勝手なことをしていたのである。それなのに7月から執筆を再開したら、集中できることが楽しくてついやりすぎてしまったようだ。
「こんなふうに頭ばっかり使ってるとね、そのうち、アイデアが湧かなくなるのよ。わかる? 人間の脳がね、老化しちゃうのよ。けっきょく同じことばっかり繰り返すようになるの。そうなったら、もうおしまいよ。新しい発想が出て来なくなるの」
先生は真顔で怖いことを言う。
「長く続けようと思ったら、細く長くよ。いいわね。たくさんやっちゃだめ。小出しにするのよ。若くないんだから。若いうちはいいわよ、どんなに仕事したって、いくらでも頭が働く。でも、年をとったら違うのよ。あなたはまだまだいい仕事ができる。だから、力を小出しにするのよ」
こう言う話を、かつては馬の耳に念仏で聞いていたのだが、今やあまりにも身に覚えがあるゆえ素直にうんうん頷いてしまった。
じん麻疹はシグナルであるという。ということは、私の体の感受性はまだまだ捨てたもんでもないということか。シグナルが出るうちは大丈夫なのだ。それを無視したら、いよいよ取り返しのつかないことになる。

2週間分の漢方薬をもらって、帰って来た。なにの漢方かと思ったら「更年期障害」によく処方される「冷え性」の漢方が出ていた。それを温かいお湯で煎じて飲むとなんだか心底ほっとした。どういうわけかその晩、最もひどくじん麻疹が出た。顔にまで出た。大変なことになったと思ったが、熱が出て疲れて寝てしまうと、翌朝にはなんだかひどくすっきりしていた。腫れもきれいに引いてしまい、ずっと体内にくすぶっていた、あのうずうずした妙な寒気も消えてしまった。

妙な病気だなと思う。昔の人たちは、こういう奇妙な症状を「蟲」のせいにしたんだろう。私もこれが病気とは思えない。なにか「蟲」がいたような気がしてしまう。

まったく話は別なのだが、最近「ホメオパシー」というものが社会的に批判にさらされているようだ。私は服用はしていないが、以前にイギリスからやって来たというホメオパシーの名医という先生にカウンセリングを受けたことがある。友人の紹介で無料で受けられるということだったので、お願いした。特にここが悪いというところはなかったのだが、慢性的な倦怠感と不眠に悩んでいた頃だった。一時間も問診を受けて、出されたのは「不安や心配事で眠れない」という人に出されるレメディだった。それを飲んで、良かったか悪かったか、よくわからない。症状事態がいい加減なものだったし……。それ以降、ホメオパシーに関わらなかったのは、単にカウンセリング料がすごく高かったからだ。

でも印象に残ったのは、非常の細かく不思議な問診をする、ということだった。例えば「寝るとき右を下にすることが多いか、左を下にすることが多いか」とか「コーヒーは好きか、嫌いか」とか、あまり病気と関係ないような質問をたくさん受ける。その上で、私の抱える根本的な肉体あるいは精神の問題を探り当てようとする。私自身は、この一時間近い細かい問診が一番おもしろかった。つまり、あまりに細かく質問されるので、ふだん気がつかない自分の生活について意識が向くのだ。その時、気がついたのは、私が眠れないのは私が「他人の期待を裏切るかもしれない」という不安を抱えているから、ということ。実は私は他人の期待に添おうと非常に気を使うタイプである。それは、私がアルコール依存症で暴力的な父親の家庭に育ったことと無縁ではない。いざこざの多い家のなかで、なんとか他人の顔色を窺い、早く相手の期待を読み取り、それに従う行動をして場を丸くおさめようという、妙な気配りを幼児の頃から身に付けていた。それは、家族のムードメーカーとしての私の役割だった。

甘くて小さな砂糖粒が、私の不眠を解消することはなかったが、私自身の気づきになったように思う。

病気というものは、ほんとうに訳がわからない。じん麻疹になって近所の総合病院を受診すれば、まずされるのが点滴。そして、抗ヒスタミン剤を出される。それで、たいがい症状はおさまるのだ。でも、それでは私の『蟲』がおさまらない。私はそのことを知っている。長く生きているので、病気というものが薬で治るとは思っていない。病気というものの根本にあるものは、私なのである。まさに『私』の顕現である。その、都合の悪い私と折り合いをつけるために、間に存在するのが医者だとしたら……。

私は他人の期待に応えたい。なにかにつけて私が自分を省みずに無鉄砲になるのは、その『私』のせいである。それも『私』であるから、行動パターンを改善して、精神的肉体的なホメオスタシスを取り戻すには、私と対峙しなければならないのである。西洋医療はその手助けはしてくれない。それができるのは、ある種、シャーマン的な素養をもった治療者であるが、そういう人はまれである。

聞くところによれば、ホメオパシーも、多くの人は西洋医療の薬替わりに使っているようだ。西洋医療の薬とは用途が違うのだから、そのように使って効果があるわけがないだろうと思うが、もともと、治るということの意味を取り違えているわけだから、どうしようもない。ホメオパシーをありがたがって万能薬のように使う人は、そもそも大きな誤解をしているのかもしれないと思う。レメディは薬ではない。『蟲』との折り合いをつけるために選ばれた方便であり、その使用にはまず、自分の症状の原因に気づくというていねいなカウンセリングが前提になっているはずである。

病気というのは、ほんとうにありがたいもので、症状について深く考察すれば必ず自分にとって得ることがある。だってそれは、私の分身であるのだから。そのことを知り、共に症状に向き合ってくれる医師は人生の強い味方だ。そのような治療者なくして取り扱えないのが、東洋医療の漢方である。そしてまた、ホメオパシーも似たようなものではないかと思うのだが、確信はない。
by flammableskirt | 2010-08-31 12:41

昨年、三内丸山遺跡を借りて行った縄文祭りは大盛況でした。
今年は趣向を変えて、中沢新一さんの「縄文聖地巡礼」にも紹介されている、気持ちのよい森のなかのストーンサークル「青森 小牧野遺跡」で「小牧野遠足」を企画しています。
気持ちのよい縄文聖地で、いっしょにお弁当を食べましょう……というまったりした企画。
詳しくはホームページをご参照くださいませ。
by flammableskirt | 2010-08-26 16:17
知人の山元加津子さんからのメールを、許可をもらって転載します。
山元さんは養護学校の先生で、障害をもった子どもたちを通して感じた命の不思議を、
とてもすてきな童話や随筆に書きつづっています。
今回のメールの内容を簡単にご説明します。
重度の身体障害をもつ山元さんのお友達が、意思伝達の最後の手段として使用しているレッツチャットという器械が、製造中止になるかもしれないということです。この器械はほとんど身体を動かすことのできない重い障害をもった人にとって、周りとのコミュニケーションをとるための大切な器械でした。山元さんは、この器械を必要としているひとはたくさんいるはずで、もっとこの器械のことが知られ、利用者も増えてほしい。そして製造を続けてほしいと考えていらっしゃいます。
私はレッツチャットのことを知りませんでした。今回初めて知り、身体機能をなんらかの原因で失ったしまった人にとってとても大切な道具だと感じました。
山元さんは、レッツチャットを製造している会社のみなさんに対しては感謝の気持ちしかない。だからこの器械を作り続けるために応援したいという思いだそうです。

もし興味をもってくださった方は、山元さんからのメールとホームページを読んでみてください。
意識が戻らないかもしれないと言われたお友達が、周りと意思疎通ができるようになる様子は、同じように意志の疎通が不可能と言われるような重い障害をもったお友達、ご家族と共に生きている方にはとても希望ではないかと思います。

田口ランディ

-------------------- 以下転載

Subject: 10240 緊急署名を集めています
 第377号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2010年8月20日現在 参加者人数3404人
 「8/20 昨日の宮ぷー」      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。

今日は20日、宮ぷーが脳幹出血で倒れて1年半が経ちました。毎月20日が来るた びに宮ぷーが倒れた日のことを思い出します。でも、その日をうれしい日にしようと、思い立ちました。いつもの月の20日でしたら、「メルマガを読んでくださって いるみなさん、宮ぷーの日記をお一人でもいいので、転送をしていただけたらうれし
いです。お願いいたします」とだけ書くところです。けれど、今日はどうしてもどう しても多くの方にお願いがあるのです。

宮ぷーが倒れた最初の頃は、月日が経つのがとてもとても怖かったのです。早く意識 が戻って欲しいとそればかりを願っていて、観なければいいのに、ネットや本で1ヶ 月戻らなければ、何割もう戻らないとか3ヶ月戻らないともう戻らないのじゃないか とか、そんなことを気にしてしまっていたのです。その頃、私は宮ぷーの妹さんに何 度も言ったことがありました。「統計や確率がどうであろうと、お兄ちゃんは、必ず 意識を取り戻すよ。そして、そうなったら、なんとしてでも気持ちを伝え合えるよう にする。だって私、そのお仕事をずっとしてきたんだもの。恭子ちゃん心配いらない よ。大丈夫。また必ずお兄ちゃんとお話しができるようになるからね」恭子ちゃんに そんなふうに言いながら、私は本当はまるで暗闇の中を大きな海に船出した小舟のよ うに不安だったかもしれません。とにかく、思いつくことをしていくことしかできな かったのです。けれども、もっと不安だったのは宮ぷーだったと思います。思いがあっても、体のどこも動かず閉じ込められた状態で思いを伝えられない。それはどん なに孤独でつらかったことでしょう。けれども、宮ぷーが思いを伝えられるようにな
るために大きな助けになったのが、様々な意思伝達装置の存在でした。

体のどこか動く場所がないか、あれば、いろいろなスイッチを使うことができる。も しそれが難しければ、マクトスという脳波スイッチがある。そして、スイッチと意思 伝達装置のレッツチャット(宮ぷーが今使っている装置です)や伝の心とつなげれば きっと思いを伝えられるとすがるように思っていました。そして、宮ぷーの首が8月 の終わりに動き出したときに、頭の横にスイッチを置いて、レッツチャットを使うこ とができるようになったのです。だから、宮ぷーと私にとって、レッツチャットは恩 人だと思います。今も、さまざまな思いを伝えてくれるレッツチャットは、宮ぷーが 誰の手も借りずにスイッチを入れて、思いを伝えられる。「ありがとう」「ごめんね」
「気をつけて」「だいじょうぶ?」宮ぷーがレッツチャットで伝えてくれる言葉はい つも愛にあふれています。テレビもレッツチャットとレッツリモコンとつなげて、チャンネルを変えたりもできるし、ナースセンターへ連絡することもできるのです。 レッツチャットは宮ぷーの命綱とも言えると思います。

ところが、そのレッツチャットが実は大変なことになっているということがわかりま した。宮ぷーと同じように息子さんがレッツチャットを使っておられる池原さんとい うお母さんから署名のお願いが回ってきました。それはレッツチャット存続をパナソ ニックの社長さんにお願いをする署名を集めてほしいというメールでした。そして、 販売店などに伺ったところ、もう在庫は限られているということもわかりました。そ の在庫が終わったら、今のレッツチャットはもう無いということなのです。いま、この時点でもレッツチャットが必要な方はとてもたくさんおられると思います。意思伝達装置というものがあるということすら知られていないために、需要が少 ないということも大きな原因だと思います。だから、それを広めたいというのが、私や宮ぷーの願いです。けれど、もし、そのことが広まっても、レッツチャットは既になくなってしまっているかもしれません。

私は特別な会社の機械だけを応援したいわけではないのです。マクトスも、トーキン グエイドも伝の心も他の意思伝達装置もみんな大切。けれど、今、存続の署名が必要なのがレッツチャットだと言うこと。そして、宮ぷーがお世話になって、命の絆であるのがレッツチャットであるということ。もしレッツチャットが壊れてしまったら、 宮ぷー自身も困ります。だって代わりがなくなるのです。そして今、レッツチャットで命をつないでいる方が一杯おられるのです。その方々がとてもとても困ります。
だって、レッツチャットは命なのです。それから、新しく必要な方もたくさん居られるはずです。だから、レッツチャットは無くなっては絶対に絶対に困るのです。一定数が集まり次第、パナソニックさんにお渡しすると言うことでした。私は病室でおろおろしながら、ベッドの周りを何度も回っています。どうしようどうしよう・・そし
てやっぱりみなさんにお願いするしかないと思いました。

どうぞみなさん、署名を集めていただけないでしょうか? 署名の用紙をアップしました。そこからダウンロードして、印刷していただき、署名を集めていただけますでしょうか? 
詳細はホームページいちじくりんに掲載されています。
どうぞ宜しくお願いいたします。
時間が短くて申し訳ありませんが署名は9月2日に到着するようにお願いいたします。

それから、私、思うのです。署名は大切だけど、署名にお手紙があったらいいかなあって思いました。私はレッツチャットがあったおかげで、今の宮ぷーがあるし、すごくレッツチャットは大切だし、そんなレッツチャットを支えてくださってきた、ファンコムさんやパナソニックさんはすごいって思うのです。本当にすごくすごく感謝をしています。病気や障害はとても大切なんだということが、今は科学的にわかってきていて、病気や障害のために苦しまれた方がおられるからこそ、すべての人を含む社会が明日へ向かって歩いていけるのだということ。だから、障害を持った人や病気の方を支えている大切な機械を作り続けてくださったパナソニックさんに感謝の思いを伝えたいです。そして、絶対にレッツチャットをなくさないでくださいって書きたいと思います。字が下手なのでワープロになるけど、書きます。もし、社長さんへのお手紙を書いて下さる方が居られたら、署名と一緒に私宛に送って下さい。とてもとてもうれしくありがたいです。

そしてもうひとつお願いです。ぜひ、このことをブログやミクシィやツイッターなどでも、ご紹介いただけたらと思います。お知らせ下さる際には、上に書いた詳細内容と一緒に送って頂くか、いちじくりん(http://itijikurin.blog65.fc2.com/)を見て下さるようにお伝え下さい。レッツチャットっていったい何だろうという方もおられると思うので、宮ぷーのちらしのこともお知らせいただけたらうれしいです。こんなふうに使っているって分かっていただけるように思うのです。

今日、偶然、病室に宮ぷーにレッツチャットを持ってきてくださった業者さんが来てくださいました。私はすぐにこの話をしました。業者さんは「大変だ」って言ってくださいました。「これは大変です。多くの人がそんなことになったら困ります」とおっしゃいました。「この事実、みんな知らないから、リハビリセンターの方も、病院のリハビリの先生たちも困られると思います。僕もやりますから」と言ってくださ いました。まだおろおろしています。どうぞ皆さん宜しくお願いします。宮ぷーは今日も「おかえり、まっていたよ、あいたかったよ」って書いてくれたよ。とてもとてもうれしかった。宮ぷーはレッツチャットがあったからこそ、生きる意欲が湧いて、 こんなに回復したのだと思います。全国に何人もそんな方が居られます。どうぞよろしくお願いいたします。

追伸

「レッツチャット存続の署名のこと、私、前のお願いで、少し言葉が足りなかったなあと思うことがあります。それは、この署名は、レッツチャットのような素晴らしい装置を作り、支えてくださってきた、パナソニックさんへの感謝の署名だし、それから、これからもお願いします。ずっと応援しています。という応援の署名だというこ
と、もうひとつは、署名を通して、パナソニックさんのレッツチャットをこんなに多くの方に知っていただけたよという報告だとも思うのです。私はこれからも、多くの方にレッツチャットやそれだけでなく、多くの意思伝達装置や伝達の方法を、世界中の人に知っていただけるように活動していきます。だからどうぞレッツチャットを作
り続けてください。お願いしますということもしっかりと伝えたいです。もし、もし、できるなら、社長さんありがとう。頑張って!応援してるよ!のお手紙や、色とりどりの可愛い絵のお手紙などを添えてくださったら、すごくうれしいです。そうしたら、きっと私たちの思いが伝わります。そして、ぜひ、そのことを署名を広めていただくときや署名をしていただく際にお伝え願えたらと思います。本当に叫びたいくらいに思います。パナソニックの社長さんありがとうございます。それほど売れる家電ではないレッツチャットを支え続けてくださっていることすごいことです。レッツチャットのおかげで、宮ぷーの今があります。本当に感謝しています、命の恩人なのです。レッツチャットをこれから広めることが恩返しのひとつになるのじゃないかとも思っていますって、叫びたいくらい思うのです。よろしくお願いします。

山元加津子
by flammableskirt | 2010-08-23 06:14
9月イベントのお知らせ

慌ただしく全国歩き回っているうちに、お盆も過ぎてしまいました。報告したことはたくさんあるのですが、雑務に追われていてなかなかブログにアップできません。そういうしているうちに秋の風。早、九月は目の前です。
とり急ぎ、田口ランディが出演する9月のイベントのご案内をいたします。


トランスパーソナル学会
第 9 回学会大会
2010 年 9 月 11 日、12 日
スピリチュアルで持続可能な世界へ

日時:2010 年 9 月 11 日、12 日
場所:明治大学(東京・御茶ノ水)
< 2 日目> 9 月 12 日(日)
スペシャルトーク
「1910 年と 2010 年~スピリチュアルな時代の深層を読み解く」
講師:鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授)
   鏡リュウジ(心理占星術研究家)
   田口ランディ(作家)
司会:岸原千雅子(アルケミア代表、臨床心理士、IFA 認定アロマセラピスト)
大会参加費  2日共通参加券)
会員:事前振込  7,000 円    当日支払 10,000 円
一般: 事前振込 12,000 円   当日支払 15,000 円

詳しくはホームページをご参照ください



水俣・明治大学展
9月4日から9月19日まで、明治大学駿台キャンパスにて水俣・明治大学展が開催されます。
都心の大学での初めての開催です。多岐に渡るプログラムが用意され、水俣を通して環境、人間、社会を考える非常に示唆に富んだ内容になっています。水俣は現代社会の縮図のような公害問題であり、そこに含まれる多くの教訓は過去ではなく、まさに未来において私たちが必要とするものです。この機会にぜひ、近代が生んだ大きな闇と光を体験してください。
http://minamataforum.blog69.fc2.com/
ホールプログラム
学生との対話
「水俣から何を学ぶか」

9月18日(土)午後12時30分開場、1時〜3時
田口ランディ/作家

「水俣から私たちは何を学ぶのか」をテーマに、学生のみなさんとの対話形式の講義を行います。もちろん一般の方の参加も受け付けています。
詳しくはホームページをご参照ください


9月23日(木)
縄文友の会「縄文・青森小牧野遺跡遠足」

2010.9.23(木/秋分の日) 11:00-15:00
会場
青森県 小牧野遺跡
概要
小牧野遺跡へ続く森の入り口からウォーキング。遺跡まではバスが出ます。遺跡でお弁当を食べて、作家の田口ランディさんによる縄文のお話や、佐藤ぶん太、さんの笛演奏、舞踏家・雪雄子さんの踊りを楽しみます。

詳しくはホームページをご参照下さい




また10月には新宿経王寺での朗読や、湯河原で巻上公一さんとの声と身体のパフォーマンスのワークショップ(一泊二日)、
東京自由大学での「山尾三省祭り」での宮内勝典さんとのシンポジウム

自然治癒力学校セミナーで、おのころ心平さんとの対談

などいろいろ盛りだくさんです。追ってまたアップします。
by flammableskirt | 2010-08-19 12:14

 今年の原爆の日、8月6日、8月9日は、特別な日になるかもしれない。。
 国連事務総長、そして核保有国である米、英、仏の三国の大使が祈念式に出席するという。昨年、プラハにおいて米国のオバマ大統領が「核兵器廃絶」を誓う演説をした。それを私もYouTubeの動画で観て、深く心打たれた。これまで世界がヒロシマに対してコメントしなかったのはアメリカに遠慮してのことだ。ヒロシマについて語ることは同時にアメリカの批判になる。日本政府ですら公式にアメリカに謝罪要求をしていない。だが、昨年のオバマ大統領のプラハ演説で、たぶん世界の空気が変わった。それは確かだ。

 でも、核なき社会を……といいながら、現実には沖縄の基地問題で鳩山前総理が失脚し、沖縄の問題は世間を揺るがしながら一歩も動かなかったではないか。アメリカ政府は基地の撤退を現実的でないと批判し相手にもしてくれなかったが、軍縮に向けては努力すると言う。そして、戦後初めて8月6日の広島にやって来る。一日、来るのは簡単だ。もちろん意味はあるが、それはその場限りのことだ。セレモニーとはそういうものだ。だが、基地は違う。明日も明後日も彼らが撤退するまで沖縄にあり続けるのだ。それに対して「それは、それ、これは、これ」を外交と言うのだろうか。百歩譲ろう。それもいたしかたないかもしれない。アメリカの世論の反発はまだ相当に大きい。アメリカ人の多くが「原爆投下は戦争終結のためにしかたなかった。被害は押さえられ選択は正しかった」と認識している。

 物事は一挙にどうにかなるものではない。よじれてよじれてよじれきってしまったのもは、同じ回数だけ逆によじらなければ元には戻らない。ヒロシマは原点だ。1945年、まったく無警告でいきなり市民の頭上に核兵器が落とされた。アメリカは議論を重ねた末に落としていいと結論に達し、落としたのである。それによって戦争は終結し戦後にこの初動の間違いは正されずに来た。最初の一歩が大きな間違いだった。その間違いを「間違いだった」と世界が合意するのはいつだろうか。難しいのかもしれない、なぜなら、その第一歩の間違いによって原爆を落とされた日本に住む日本人ですら、その間違いについて議論をしてこなかった。
 被爆者の高齢化はすすんでいる。人はいつか死ぬ。誰でも死ぬ。これは世の道理ゆえいつか被爆者の最後の一人が亡くなり、ヒロシマ、ナガサキで原爆を経験した人がこの地上から消える。被爆者の思いを受け継ぐという感情的なシンパシーでの歴史の伝承には限界があり、いま必要とされるのは「原爆を落としたことはなぜ間違いなのか」という倫理的な合意である。

 実際、信じられないことだけれども日本とアメリカにおいて、原爆の是非について議論のテーブルすら与えられてこなかったのだ。対話は皆無だった。もちろん今をもってして……。

 今年、8月9日の長崎原爆の日に、長崎市内の水辺の森公園で
「水辺の森音楽祭」が開催される。私は明後日から長崎に向かって旅立つ予定だ。そして「水辺の森音楽祭」に参加して、広島在住の三代目春駒小林一彦さんといっしょに歌を唄う。
 小林一彦さんのおじいさんは被爆者だ。親戚にも被爆している方が多いと聞く。水辺の森音楽祭に参加を思い立ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは小林さんの事だった。彼といっしょに歌えないかと思ったのだ。
 小林さんは広島で広告制作の仕事の他にDJやバンド活動をしている。彼の歌はいい。すごくいい。底抜けに明るくて爽やかで真夏の風のようだ。
 彼のレパートリーの中で、私がずば抜けた名曲を思っている一曲、「その男ヨシオ」を、ぜひ長崎で歌ってほしいと思ったのだ。

 その男ヨシオ 詞/曲/三代目春駒小林一彦

 1945年8月6日 インヒロシマ
 ガイガーカウンター振り切れるほどの放射能 
 まだ黒焦げの焼死体くすぶる瓦礫の街
 見ろよ一人の男が汗にまみれてもう家を作りはじめている

 そーだ!
 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!

 ツライ時こそ笑ろうてみせや男なら
 絶望の朝に希望のメロディ口ずさめ
 まだ幼いカズオの命が腕の中
 なすすべなくはかなく終ったとしても

 そーだ!
 その男ヨシオ
 涙に沈んでも
 その男ヨシオ
 何度でも立ち上がる
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!

 あなたが逝ってしまうまえに
 もっと話したいこといっぱいあった
 あたたかな眼差しのその奥の
 覗いちゃいけない哀しい記憶を

 今もずっと
 溢れる勇気で
 その男ヨシオ
 俺を照らし続けてる

 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!Don't give up!

Get up, Stand up...足に力込め
 Get up, Stand up……大地踏みしめて


 ほんとうに偶然なのだけれど、私の亡くなった父の名前はヨシオだ。
 父は予科練として戦争に行って戻って来た男だ。戦後のあまりに友人達が死に自分が生き残ったことに罪悪感をもっていたのか、飲んだくれて命を捨てるように遠洋漁業のマグロ舟に乗って日本を離れてしまった。父の人生はどうしようもなかった。なにが辛いんだが、なにが気にいらないんだか、なにが苦しいのか、なにがせつないのか、私にはさっぱりわからなかった。そして、アル中になって死んだ。
「うちの父もヨシオなんだよね、だからこの歌をいっしょに歌いたいンだよね」
 そう言って、誘うと春駒さんは二つ返事で長崎に行くことを了解してくれた。自腹だし、仕事も忙しいだろうに……。私が個人でできることは、歌うことくらいである。そして書くこと。
 


 国家という人間の無意識の集合体のような得たいの知れないものが保有する「核」という殺人兵器。だが、同じ原理で作られた原発は日本中に存在する。核分裂の連鎖反応によって得られるエネルギーは人間の抽象的思考力によって取り出された強大な力である。人間はずば抜けた好奇心で原子を見つけだし、エネルギーを解放する方法を手に入れた。そして「これは戦争に使える」と考えたルーズベルト大統領が開発計画を指示したのだ。

 第二次世界大戦後、高度成長期をむかえた日本はエネルギー需要の高まりとともに原子力発電の開発に着手。ちょうど日本列島改造論が吹き荒れていたころに原子力発電所はどんどん増えていった。
 私は電気を湯水のように使いたい。真夏の夜にはクーラーをつけて熟睡したい。たぶんそういう人は多いと思う。節電はブームにはなるが継続的に政策として支援されない。民主党政府は原子力エネルギーに積極的だ。それは原子力がクリーンエネルギーであり、地球温暖化対策としても有効であるかららしい。
 私は、原発に反対ではない。断じて。だが、原子力エネルギーを使うということの意味を、原発も核兵器とかなり同じプロセスで作られていることを念頭に議論すべきだと思っている。この議論はほとんどされていないように思える。意見を表明しあうだけ、言いっ放しというのはやめよう。対話のテーブルをつくり、そこに座るところから始めなければ、よじれた糸をまっすぐにすることは難しい。最初の一歩を間違っていなかったか。それを検証する時代に来ている。

 対話とはなにか。私の対話の師である北村正晴先生はこう言った。
「対話というのは、対話が終ったときに両者が少しずつ変わってしまっている、変わらざるえなくなる、そういうものだと思います」
by flammableskirt | 2010-08-05 12:06