田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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町ぐるみで考えよう。
子どもたちに今なにが必要か?
湯河原子育て支援フォーラム



09年に湯河原町に誕生した「発達障害と共に生きる会・色えんぴつ」と長野県の諏訪市にある「発達障害児・者お呼び家族支援の会シーズ」が共同で講演会を企画しました。他の地域の活動を知り、障害をもった子どもたちの支援について、町ぐるみで考えていきましょう。発達障害の専門家の方も参加します。子育ての悩みや問題はみんな共通です。発達障害に関心のある方、子育ての悩みを抱える方、必ずヒントがありますよ。
色えんぴつホームページ http://irotoiro.exblog.jp/

○湯河原フォーラム
平成22年6月12日(土)
13時〜17時

湯河原町商工会館三階ホール
(JR東海道線湯河原駅下車徒歩5分)
参加料 1000円
※どなたでも参加できます。予約の必要はありません。

電話お問い合わせ先 0465-62-3994
宮上幼稚園 担当 井上

第一部 対談
テーマ「親の会はなにをしたらいいの?」
武山弥生       発達障害・者及び家族支援の会シーズ代表
田口ランディ   作家

第二部
「地域で見守る子育てのあり方」
どう協力しあえばよいかみんなで考えよう!

パネリスト
武山弥生   発達障害・者及び家族支援の会シーズ代表
中谷恭子   臨床心理士
井上誠      宮上幼稚園園長
榎本尚子  色えんぴつメンバー

司会 田口ランディ
by flammableskirt | 2010-05-31 20:07

薔薇の香る日

出張がちで部屋に花が少なくなり、さみしいなあと思っていたら、年下の友人が自分の畑で栽培した薔薇を届けてくれた。昨日は朝からとても天気がよくて、わくわくしながら待っていると、千葉からたくさんの薔薇の花をもってやって来た友人は、さっそく部屋中に薔薇の花を飾ってくれた。年に一回、この時期にしか咲かないオールドローズの香りはすばらしい。花の種類ごとに香りが違う。その香りを楽しみながら、一りん一りん、二人で花を飾った。一時間もすると部屋のなかは見違えるように明るくなって、そしてなんともいえないあたたかいやさいい薔薇の香りが部屋ちゅうにたちこめて、とても幸せな気持ちになった。
こういうおだやかな、花にかこまれた一日が5月の終りにあることの幸せ。今月もとてもよい月だったなあと思える。生きているというのは、すてきなことだ。
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試験官立てにアレンジされた薔薇の花。それぞれの花の愛らしさがひきたつね。
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ちいさなはまなすの花の一輪挿し。この花の淡い香りは日本だなあと思う。バラ科の植物。世界中にバラ科の植物はとても多い。バラは密林から平原に飛び出して最初に咲いた花と言われている。
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バラの花びらで作った手づくりのローズシロップ。バラのはなびらだけでこんなきれいなローズピンクになるんだって。暑い日に冷えたソーダとウォッカを加えたらおいしいカクテルになりそう。
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殺風景だった棚にも花を飾って、窓辺が明るくなったよ。この一輪挿しはクロッカスの水栽培のセットについていたもの。クロッカスの水栽培は失敗したけど花瓶はかわいい。
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いま咲いているアマリリス。今年はすっかりアマリリスにはまっている。あとは秋咲きの白いアマリリスが一つ残っているだけ。もっと球根を植えたいけどこのあたりにはあまり売っていないんだよね。
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三年目のクレマチスがこんなにきれいに花をつけた。クレマチスは初夏から秋まで楽しめる。このクレマチスはホームセンターで枯れかけていたのを百円で買ったんだけど、年々、花がきれいになるような気がする。クレマチスは肥料さえちゃんとあげれば、よく咲くよ。
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小さなブーケもきれいだな。手製のブーケはぬくもりがあってほんとうにすてきだな。こんなふうに自分の育てた花でブーケを作ってみたいなあ。
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ね、クレマチス、かわいいでしょう? 花をつけたら切り花にしてしまった、細い枝は根元近くから落としてしまうとすぐに新しい芽が出てきて次々に花をつけるよ。
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さーて、今日はこのテーブルでなんのお茶にしようかな。ジャスミンティかな。
by flammableskirt | 2010-05-28 11:22
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香川大介個展オープニングイベント イン 宇都宮
「復活」
友人の天才絵師、香川大介君の個展の恒例オープニングイベント。
宇都宮の悠日ギャラリーにて再び「羽の生えた魔女」雪雄子さんとのコラボレーションです。
私の朗読は般若心経現代語版、誰でもわかる般若心経。
音楽は高知から駆けつけた異才クズメジュンイチ。
地のそこから響く喉歌が大谷石の倉庫にどう響くか?
東京の人たち、このギャラリーのまわりには超おいしいフレンチと和食のレストランが。
お食事がてらぜひ。ちなみに「ちひろ」は完全予約制。めっちゃうまくて安くて雰囲気最高。
http://blogs.yahoo.co.jp/corse4/37964765.html

朗読 田口ランディ
       「般若心経現代語訳」
音楽 葛目純一

舞踏 雪雄子
        「復活」

絵 香川大介

日時 2010年6月6日(日)16時〜
        開場は15時30分からです。終りは未定ですが最終の電車で東京に帰れるように終ります。

会場 ギャラリー悠日 
入場料 予約3000円 当日3500円
ご予約のお問い合わせは 028-633-6285
by flammableskirt | 2010-05-21 09:24
講演会イン名古屋(半田市)
テーマ
「うつの時代 死なないで生きるために」
講師 田口ランディ

日時 2010年5月29日(土)
15路〜16路30分
入場無料
会場 半田市福祉文化快感 半田市雁宿町1-22-1
問い合わせ先 東光寺 0569-48-0269
by flammableskirt | 2010-05-21 09:15
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トークライブin高松
2010年5月25日(火)
田口ランディ
辛淑玉
「人と人はどこで出会えるの?」
性・差別・死刑をめぐる対話

午後6時30分スタート
入場無料 要整理券

場所 高松丸亀一番街東館4階(高松三越南角)

お問い合わせ整理券の申し込み 真宗大谷派四国教務所 087-821-3269

たいへん難しいテーマのトークライブで、正直、途方に暮れています……。
関われないということから、始まる関わりというのもあるように思いますが、
そんな甘ったるい話を在日でいわば当事者である辛淑玉にできるのか……さえ自信がないです。
こういうテーマ、その場だけで気負ってもバレバレなので正直にいきます。
田口ランディ
by flammableskirt | 2010-05-21 09:09

いのちに関するメモ 1

いのちに関するメモ1。

今日は20代30代の若い自殺者が急増しており、失業が大きな要因になっていて「生きる意味がわからない」と言う若者が多いという記事を読んだ。

ある人が「病気にかかった豚を処理するとの、健康な豚が成長して私たちの食肉用に処理されるのとでは死の意味が全く違う。そのことを一緒にしてベジタリアンを標榜する人たちが、殺すのはひどいこと、だから食べるべきではない。と言う理屈を言うのは考え方が浅過ぎる」と言っていた。

以前に私が広島の原爆について書いたときに、ある青年から「人間はどうせ死ぬのだから、病気で死のうと、自殺で死のうと、原爆で死のうと、死ぬのにかわりはないじゃないですか」という趣旨のことを言われ、その答えとして「生きる意味を教えてください」(バジリコ)という対談集を作り、10人の識者の方たちと対談をした。

これから感染拡大を食い止めるためには、発症していない豚の殺処理も始まる。二十万頭の殺処理。感染拡大を防ぐためにはしかたない。

アカペラの練習に行くために歩いていたら、「原水爆禁止国民平和大行進神奈川実行委員会」という人たちがデモ行進していた。これから広島まで歩くのだそうだ。「広島では二十数万人が一瞬にして犠牲になりました」と拡声器で呼びかけながら、町を歩いていく……。その様子を横目に見ながら、練習場所の教会に向かった。

友人の子どもがテレビを観て「どうして殺すために生かしている豚を殺して、悲しいの?」つまり、この子は、では食肉用として殺すときは悲しくないのか?と聞きたかったのである。子どもの素朴な疑問だったと思う。でも、豚を育てたことも、殺したこともない、ただ食べるだけの私には答えられなかった。

「畜産業に携わる人の気持ちは一般の人はわからない、みんな出荷までのあいだ、家族のように大切に牛や豚を育てているんだよ。その牛や馬を殺すことの辛さ、苦しさはとうていわからないよ」と、牧場で働いたことがある青年に言われた。「でも、出荷したら食肉処理されるわけだよね?」とおずおず聞くと「食べてもらうために生まれてきた。人間にたべてもらうことで命をまっとうするんだ」と言われた。私もいつも豚や牛を食べている。でも……、どこか納得できない自分がいた。

大学でアイヌの精神文化について話をしたとき、多くの人から「なぜ熊送り(イヨマンテ)の儀式では、熊を殺して食すのか?」と問われた。「それは、アイヌの人たちが熊をほんとうに大切に思っているからです。だから、子グマのときから育てて、そしてみんなで矢と放って殺し、神として敬いたくさんのおみやげをもたせて、神の国にお返しするんです。そうすれば、神の国で『人間にこんなに大切にされた』と他の熊の神たちに話してくれる。そうするとまた人間のところに来てくれる。そう信じているからです」と説明したが、学生には納得してもらえない。ある女学生から「そんなのは人間の傲慢じゃないですか?」と言われた。

私はアイヌの精神文化には肩入れしているところがあるので、アイヌの熊送りのメンタリティを理解できてしまう。それに対して「理解できない」と言われることのほうが多い。

品川の食肉処理場を取材したときは、狂牛病の問題が起っていた頃だ。食肉処理場の責任者の方がこう言った。「私たちはね、牛のどんな部分もすべて使ってきたのです。捨てるところは一切なく、すべてを役立ててきた。それが誇りだったのに、狂牛病の問題が起ってから、一部を捨てなくてはならなくなった。それがほんとうに無念でならない……」

食肉……には、生産する人たちから処理加工に至る人たちまで、なにか一つ貫かれた生命観があるんだと思った。

いのちのリアリティは、それぞれの職業、生き方、民族、国、思想、宗教によって違うんだ。そうあらためて思う。なにが正しい、なにが間違っているということは……言えない。

だから他人の考え方を「浅はかだ」と言う考えも浅はかなのだろう。

豚は色も見えるし、社会性をもった生き物で、感情もある。かなり人間に近く、知能は二歳児程度らしい。目は眼科医の手術の実験台として使用されるし、お尻の皮膚は化粧品の肌テストに使われている。それだけ人間の皮膚と近いのだ。人間が関与しなければ、母親を中心とした母系の集団を作るそうだ。他の生き物に対する好奇心が強く、犬や、鶏、猫などとも共生する。もちろん人間に対しても、特別と言ってもよいくらいの親愛の情を示すらしい。

殺処分された家畜の慰霊、他の国はどうしているのだろう。
そういえば鶏インフルエンザで処分された鶏は慰霊されたのかな。
いろんな思いがぐちゃぐちゃになってなんだかわからない。

メモ、続く。
by flammableskirt | 2010-05-20 10:20

口蹄疫報道とメディア

 昨日に引き続き、被害の出ている宮崎県川南町の様子を報道した朝の番組を観る。みのもんたさんという、とても有名なタレントの方が司会をする番組だ。私はいつも不思議に思うのだが、この、みのもんたさんとはどういう方なのだろうか。職業としてはアナウンサーだろうが、日本のマスメディアのかなり多くの番組に出演していて、テレビをつけてこの方のお顔を見ない日はない。当然ながら影響力をもってしまっている。にもかかわらず、私はこの方のプロフィールや、たとえば何を考え、どういう主張があり、政治的にはどっち寄りで……ということも含めてほとんども知らない。

 アナウンサーというからには、中立な立場であると思うのだが、政治家や大臣に「ずばっとものを言う」ところに人気が集まっているらしい。つまり、主張するアナウンサーであり、そのスタンスは「国民目線」らしい。だが、私はみのもんたさんは国民目線ではないと思う。国民目線を意識していらっしゃるが、国民目線というものはそもそも存在しない。というか、いわば彼が国民目線を日々、製造し続けているのであり、そう考えるとどうも「国民目線」という催眠術にかけられて、国民にさせられている感じがして、なんだかちょっと居心地が悪いのだった。だからテレビ画面の向こうから、みのもんたさんに「国民のみなさん!」と呼びかけられると、正直、ぞっとするのである。あれはやめてほしいなあと思う。アナウンサーとして越権行為だ。それをしたければ政治家になればいい。
 
 そんなことはともかくとして、宮崎県の口蹄疫の報道を見ていた。
 そうしたら、宮崎県の東国原知事の記者会見の模様が映された。まず最初に、みのもんたさんが「久しぶりにこの方、怒っています」とふり、次いで記者会見で記者の質問に対して知事が「我々だっていっしょうけんめいにやってるんですよ」と、確かに怒る場面が繰り返し映された。この番組は東国原知事が怒りましたということに対して、たいへんニュースバリューをおいているらしい。でも、昔は芸人さんだったとしても、現在は知事であり、しかもいまほんとうに宮崎県で起っていることは、国に大打撃を与えるかもしれない非常事態なのであり、ニュースとして必要とされているのは「怒ってます」ではないと思う。思うに、番組制作者は「国民は他人が感情的になっているのが好き」と考え、自分たちが想定した国民目線で、国民イメージに見合った番組を作ってくださっているのだろう。

 もちろん、その後に川南町の状況や、家畜の伝染病の専門家の方の意見が放送された。そしてこの専門家の方のお話はたいへんに示唆に富む内容だった。というのは、今回の口蹄疫は、前回、日本で発症した口蹄疫とは違う、つまり口蹄疫とひと口に言っても、いろいろなパターンがあり、今回、豚に感染した口蹄疫は「まさしくこれが口蹄疫」という、非常に感染力の強いタイプであるという。豚に感染するとウィルスは爆発的に増殖する。それゆえ大規模な被害拡大につながっていくという。とりわけ今回のような感染力の強い口蹄疫は、科学的には経験則にのっとった対応をしても、予測の範囲を超えていたというのである。

 ニュースの前半では、国の対応、県の対応が出遅れたために被害が拡大、という結論で編集されていたけれども、専門家の意見はそれに対して「対応は科学的には正しかった。ただ、ウィルスの力が想定外」という見解だったのだった。それに対してコメンテーターが「でも、こういう状況になるとは思っていなかったわけですよね」というようなことをおっしゃり、最終的には「ゆだんしていたかもしれない」という言葉を引き出して、なにかほっとしたようにしてこのコーナーは終わったのだった。録画していたわけではないので、言葉は正確さを欠く。記憶をたよりに書いているだけだし、私が感じた違和は一言一句の言動というよりも全体のムードのほうだ。。
 「誰かがゆだんしていたからこうなった」という結論が出たときの、なんとも不思議なあのスタジオのほっとした雰囲気、それを感じたのだった。それは、一瞬だったのだが、みのもんたさんも、コメンテーターの方々もなにかに納得できて終れた……という、つまりオチとしておさまるところにおさまったという安心感。

 専門家の大学教授は、科学者であるのでその言動には、人間の理解や道徳や社会システムを越えたところにあるウィルスという存在への、ある種、冷ややかな視線が感じられた。そういう科学的視点は時としてヒューマニズムの立場からなにかを論じる者にはあまりにも冷徹に感じられて反感をもってしまうこともある。
 このニュース番組では「口蹄疫とはそういうものだ、ウィルスは多様で想像の範囲を超えていた」という結論では、どうやら納得できない人たちによって構成されているのだとわかった。国民目線を標榜しているらしいこの番組は「誰かがなんらかのミスをした」ということにして「ちゃんとやってくださいよ!国よ、県よ」と、みのもんたさんが権力にカツを入れるという構造を目指しているらしい。水戸黄門や遠山の金さん的な物語の構造こそが「国民目線」であると考えているのかもしれない。いつもなにかこうむずむずした感じがしていたのは、これに馴染めないからなんだなあと思った。

 権力に対して監視するのは、マスメディアの重要な仕事であるけれど、監視とあら探しはまったく違う行為である。朝、7時代で放送されるニュース番組で、何年も同じアナウンサーが「お上に物申す!」というパターンを続けているのは、儀式に近い。ニュースの枠組みからやや逸脱している。
 私はみのもんたさんという方にお会いしたことはないけれど、テレビで観るかぎりはほんとうにいっしょうけんめいに仕事なさっている方だと感じる。個人的に悪い感情をもつどころか、あの仕事ぶりには鬼気迫るものを感じる。

 そのみのもんたさんを取り巻くテレビの制作現場の方たちは、ワンパターンにはまるのは避けるべきことをよくご存知の優秀な方たちだと思う。ただ、パターンにはまるとタコ壺状態になり他の思考回路が閉じてしまうゆえ、タコ壺から抜けてワンパターンを越えてゆく努力は常にしてほしい。あのスタジオの「誰かの責任追求で終るオチ」にほっとするムードは気味が悪い。そして、気味が悪いのは田口さんの主観にすぎないと言われれば、その通りである。私は主観でものを書く。読む人もそう思って読んでください。


ちなみに、こちらのブログに東国原知事の記者会見の書き起こし原稿が掲載されています。 
by flammableskirt | 2010-05-19 10:13

家畜の死


家畜の伝染病、口蹄疫の被害の大きさにぼう然としている。
被害拡大の原因については、ジャーナリストの方々が書いているし、部外者の私はこの件に関してネットや新聞・テレビメディア以上の情報源をもたず、また現地取材をしたわけでもないから見聞したことすら書けない。
ただ、今朝、この記事を読んで現場の人たちや畜産農家の方々の苦悩を思い言葉もない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100517/214459/?P=6

この口蹄疫という伝染病は人間に感染しても、それによって人間が死ぬことはないという。もちろんウィルスはどんどん変異するので将来的にも人間にとって安心かどうかはわからないが、いまのところは人間に感染しても治療する必要もなく自然に症状がなくなるそうだ。ただ、人間が感染ルートになる。人間だけでなく、犬、猫、鳥、風に運ばれて……と感染ルートはあまりに多様なため、一度被害が拡大すると感染を止めることが困難になる。早期発見が最も重要で最大の対策だ。そして、一度感染を確認された家畜はすみやかに殺傷処分にするということが、世界的なルールであり対策である。

現状で、8万頭以上の(8万頭!)の牛豚が処分されており、その数に驚愕したのだが、他国でも被害が拡大した場合は、アメリカで約10万頭、イギリスで約44万頭と、すさまじい数の家畜が殺傷処分され、また台湾では1997年に約380万頭の豚が殺されたという。この年は自分の子どもが産まれた年で、産後でほとんど家にいたのだがこのニュースを知らなかった。というのは全く別のニュースが世間を騒がせていたからだ。あの「酒鬼薔薇聖斗」の事件であり、テレビはこの事件の報道が延々と続き、乳飲み子を抱えた私もそれを延々と見続けていた。

台湾で感染症にかかった豚380万頭が殺されるよりも、一人の少年が殺されて首を切断されたことのほうがもちろんショックなのである。そして、この二つの事件を「価値」という名のものに天秤にかけることなどできない……。そもそも豚は家畜である。ただ、人間が食べるために飼育し、成長した後は出荷され食肉処理されるのである。

14歳の少年が、近所に住んでいる顔見知りの少年を殺し、その首を切断した。そして顔に切り傷をつけて自分の通う中学校の校門の前に置いた。この事件を知った時に感じた激しい衝撃、なにか足元から地面が崩れていくような不安。時間が経ってもそれを忘れない自分がいる。事件の年に生まれた子どもが中学生になり、来年14歳になる。親としてあの事件をいまだに心のどこかで引きずっているのだと思う。べたべたした血がまとわりつくような感じ。私の内部では今もなにも事件について納得されていないのだ。

あの少年Aの事件と同じ頃に、海の向こうの台湾では380万頭の豚が殺され埋められていた。
それがどうした、それがなんだと言われても、私はなにも答えられない。
ただ、二つの出来事を並べて、ぼんやりと見ているだけだ。
そして今回、沖縄の普天間基地移設問題がテレビニュースの報道の多くを占めており、その最中に九州では豚牛およそ8万頭が殺傷処分となっている。
だからなんだ、その二つがどう結びつくのだ……という話ではないのだ。
14年前の出来事と同じように、また、この二つの事柄をぼんやりと並べて見ているだけだ。

どうにもわからないことがある。なぜか同じ時期に起きた二つの出来事につながりを感じる。どうつながっているのか説明もできないのだが、なにかが似ているような、関係しているような気がしてしまう。どこがどうというのではないのだ。地底深く深く深くのどこかで暗黒水脈が通じているような気がして、それを感じるためにあえて思考しないのだ。ただ、ぼんやりと並列に並ぶリアルを眺めていると、その向こうにもっと恐ろしいとても抽象的な……だが、ある実感やニュアンスをともなった、リアル、見えないリアルが立ち現れてくる。
それを見ようと、言葉をあえて捨てて目を細め、あいまいさをとらえようとしてみるのだけれど、うまくいかない……。

もしかしたら、見たくない、知りたくないのかもしれない。
by flammableskirt | 2010-05-18 09:27

コップの呪縛



 このあいだ、いわゆる最近流行りの教育的な番組(タレントが生徒になって試験や講義を受ける)を見ていたら、そのなかで「コップに半分しか水が入っていないときそれをどう考えるか」という、例のあのよくある問いが出た。それに対して脳科学者という方が「半分しかない、と考えるのではなく、半分もあると前向きに考える人のほうが成功する」という趣旨のことをコメントしていた。
 私はいつも、これはなにかの陰謀ではないかと思う。多くの自己啓発的な場面でこの例は取り上げられ、ポジティブシンキングなるものを奨励されるのだけれど、私にはどうしてもこれがうさん臭く感じるのだ。
 おっしゃることはごもっともである。物事は前向きにとらえたほうがよい場合も多々あるが、まるでそれが絶対の真理、物事をなんでもポジティブに受け止めていかなければ人生うまくいかないような言い草はやめてほしいと思うのだった。

 だってこれはひとつの物の見方の例にすぎない。
 別の例。たとえば、ポケットの中の所持金が500円だった。それを「たったの500円しかないと思うよりも、500円もあると思ったほうがより幸せ」というのは確かにそうかもしれないが、それでは思考停止なのではないか? なぜ、俺は500円しか持っていないのか。この500円をどうすれば増やせるのか。そもそも金なんているのか? この500円があればなにができるか。無数にいろいろ考えつくだろう。だが「500円もあって幸せと思おう」という思考法は、この思考法以外の思考をやんわりと排除するのである。

 思考法のコントロールというのは、とても危ういのである。
 鬱の人に「ポジティブシンキング」を説いたところで鬱は治らない。深刻な精神疾患を抱える人にはなんら効果がない。ようするに、思考法はあまり問題がなく元気で暮している人に対して提案されている。だいたい、人生の複雑な難問を抱えこんでいる人がこんなチンケな思考法で物事を解決できるわけがないではないか。
 ことさら何の問題もなく問題がなさすぎてなにをしていいのかわからないほど退屈していて、実際にはそこそこ満ち足りてお金もさりげなくもっている人たちが、さらに自分をよくしたいと思って余裕で取り入れるのがこの思考法である。
 だが、そういう世の中のわりとマジョリティーの人たちにこの考え方をすりこむのは社会にとってかなり迷惑ではないかと私は思う。そういう余裕のある人たちほど、現状に満足しないで、さまざまな社会問題に悩んで、怒ってコミットしてほしいからである。なので、この思考方法を日本人に擦り込もうとする自己啓発法というのは、中流の日本人を単なるポジティブバカにしようと企んでいるのではないか、と私は疑ってしまうのだった。

 普天間基地のことがこのごろよく話題にあがる。基地の国外移設に「賛成か反対か?」ということで単純に質問されことが多い。そもそも、私は沖縄の人が苦労しているから基地をなくそうというkヒューマンな発想はあまりもっていない。日本は主権国家だからアメリカの軍事基地があるのはおかしいと思っている。それに対して安保がどうの、他国が攻めて来たらどうの、という人が多いのだけれど、安保は条約であり破棄できるし、他国の侵略はいまのところ仮説である。だから、その前に「あなたは他国の軍事基地があって、治外法権があって、そそういう中途半端な日本でずーーーーっといたいですか」というところから話を始めたい。

 死刑制度の問題もそうなのだ。「死刑制度に賛成ですか?反対ですか?」と、すぐこうなる。そして「被害者感情を考慮すれば凶悪犯罪者を死刑に処するのはいたしかたない」みたいなことを言い出す。あなたは被害者じゃないでしょう、などと言えば私のことも極悪人扱いだ。賛成であるか反対であるかの前に、死刑制度ってそもそも何よと考えてほしい。そして「国家が国民を殺すことを認めた100年も前の制度をそのまま使い続けていいのかな?」というところから話を始めたいのだ。

 でも、うまくいかない。コップに入った半分の水を、どう判断するかで終始してしまう。これが自分にとっていいのか、悪いのか。快か不快か、損か得か、正義か悪か、分けて立場を決めることから逃れられない。コップには半分アメリカが入っていて、こんなに守られていると思うか、これだけしか守られていないと思うか。なんて議論になっている。この思考の呪縛が、思考停止というのだ。さらに枠を広げて、もう一段上から思考することができなくなる。いたしかたない、私たちは、私も含めて常に外部から思考の呪縛、コントロールにさらされているのだ。そのことに意識的になるのは難しいけれど、でも、自分で気がつくしかないんだ。
注意深く、疑い深く、見抜いていく智恵を身につけていくこと。自分で考えてみること。
by flammableskirt | 2010-05-09 12:36

ノートをまとめる夢

宇都宮でのイベントを終えて帰宅。
悠実カフェはフェスティバルで大盛況だった。こういう場があるということが本当にうらやましい。
大谷石のギャラリーに、映画上映のスペースや、ライブカフェも増築され、ますますパワーアップしていた。とにかく広い。この広さがあればなんでもできる……という感じ。
6月6日は、このギャラリーを借りて、絵画と舞踏のライブパフォーマンスを企画している。
その準備も、いよいよ佳境だ。

今年は、自分のやりたいことをやるぞ〜と、飯の種だった執筆をお休みし、お金にならないパフォーマンスや、アート関連の企画、イベントのお手伝いなどばかりしているのだが、ほんとうに心から楽しくしわーーーーっと幸せを感じるなあ。
その延長線上で必要に迫られて再び、書くことを始めたのだが、スタンスが以前とはまるで違うことに自分で驚いている。自分の仕事を自分で仕切り直ししたんだなと感じる。
それがいいのかわるいのかわからないが、こういう流れだったのだからしょうがない。
もう若くもないし、これからはいわば余生みたいなもんだから、
生きててよかったと思えることを、時間をかけてやっていく。

生まれて初めて人間ドックに行ってみたら、けっこういろんなところが検査でひっかかって、
連休明けたら再検査である。今年のことは今年のうちに、メンテ修復しておこう。
そのつもりで検査を受けたのだ。来年はもっと大変な年になるという直感。
体力がなければ乗り切れないだろう。酒も制限。
ドクターストップと言えば、杯も断わりやすいので好都合かもしれない。

3月からずっと長旅が続いているが、いろいろ取材したことがまとめきれていない。
それに関する「夢」を見た。とても現実的な夢だった。
こんな現実的な夢を見るのはめずらしいなあと思ったのだが、それはノートに関する夢だ。
夢のなかで、ノートをとっているのである。いや、ノートをまとめている。
それがすごく楽しいのだ。非常にわかりやすい、美しいノート。東大生みたいなノートである。
そして、一つひとつの項目にインデックスをつけて、本棚にまとめている。
その満足感が夢からさめてもずっと続いているというものだ。
これが夢でなくて現実だったら、どんなにいいだろう。
だって、あんなに夢のなかで時間をかけてていねいに取材したことをノートにまとめていたのだ。
目が覚めたら消えていたなんて、あの夢での労働はなんだったんだ?

でも、あまりにも大きな充実感であったため、現実に同じことをしたくなってきた。
妙なこともあるものだが、これは「記憶をまとめたい」という私の潜在的な欲求の現われなのか?
それにしたって現実的すぎる(笑)
by flammableskirt | 2010-05-05 14:57