田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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三年前からかかわっている、日本のアウトサイダーアート。ついにパリに進出です。
パリ市の美術館で、これから半年間、大々的日本のアウトサイダー・アートが紹介されます。
http://www.art-brut.jp/
そこで、作家のみなさんといっしょに、オープニングレセプションに出席するため、
パリに行くことにしました。こんな歴史的な瞬間を見ないでどうする!という感じです。
いろんな障害をもった、作家の方たちがパリに渡ります。
パリ市も市をあげて応援してくれています。
統合失調症、自閉症、ダウン症など、今回の展示作品を出展した作家の方たち、実に様々な個性をもっています。みんなと過ごす4日間、いっしょにパリ観光ツアーにも出かけるし、何が起こるのかハラハラしつつも、いろんな意味でボーダレスって楽しい、自由だ〜と、私自身が解き放たれる気持ちになります。
アウトサイダーアートと出会ってほんとうに良かった。心からそう思う。
ご家族の方たち、関係者、総勢100人を越える大ツアーになりました。
ヨーロッパ各地からも、いろんな美術館の館長さんや、ジャーナリスト、美術関係者が続々と集結。
ついには晩餐会は、200人を超す規模になりつつあり、現地は盛り上がっています。
また、パリから帰って来たらいろいろご報告します。
パリで、日本のアウトサイダーアートと作家たちが、どのように迎えられたのか。
福祉と芸術、さまざまな分野の勉強ができそうです。
行ってきます!

写真は、角川学芸出版から出版される写真集。アウトサイダーアートの魅力や作家さんたちの生活などが描かれていて、アウトサイダーアートを知らない人にはおすすめです。
by flammableskirt | 2010-03-16 11:48
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先日、「初心者のためのおいしいマクロビ教室」のことをブログに書きました。
そのとこ「食箋」ってなんですか?というご質問を受けました。
今回の企画は食箋がメインではなく、あくまでオプションですが、簡単にご説明しますと……。

たとえば漢方薬を漢方医の方に処方していただく時に、自分の体の状態は不具合などを説明して、いろんな漢方の植物を調合してもらいますよね。それと同じで、マクロビオティックの場合は、食物が漢方薬のようなものなのです。そして、自分の体に合った、病状に合わせた食物を、漢方薬を処方するように、処方してもらうのが食箋といいます。おおざっぱな説明ですが、こんなイメージだと思っていただければいいです。

いくら野菜が身体によいと言っても、野菜にも身体を温めるもの、冷やすもの、いろいろあるわけです。自分がいまどんなものを食べたらいいのか、自分ではよくわからなかったりしますよね。それを教えてくれるわけです。でも、あんがいと「いま自分が食べたい」と感じているものが、実は自分にとって必要なものであったりすることが多いそうですよ。



「養生食ワークショップ  初心者でも作れるおいしいマクロビ料理」

イベント内容
●開催日:2010年4月9日(金)から4月10日(土) (1泊2日)
●参加費:30,000円(1宿泊費、1朝食、1昼食付)
●持ち物:エプロン、三角巾、筆記用具、動きやすい服装、、運動靴、タオルや手拭いなど
●参加人数:15名(定員になり次第締め切らせていただきます)
 宿泊を希望されない方でご参加希望の方はお問い合わせください。
●会場:湯河原温泉 「阿しか里」
(お部屋は相部屋になります、お仲間でご参加の方は申込みの時にお知らせください)
●住所:神奈川県足柄下郡湯河原町宮上734
      会場までの交通費は自己負担になります
      (湯河原駅からの送迎いたします、人数に制限あり)

アクセス方法
1東海道本線 東 京→湯河原→1時間45分
       快速アクティー→1時間30分(運行時間にご注意)
       特急踊り子号 →1時間15分(運行時間にご注意)
2新幹線   東 京→小田原→   40分 のりかえ 小田原→湯河原→17分(東海道本線)
       東 京→熱 海→   50分 のりかえ 熱 海→湯河原→ 6分(東海道本線)
3小田急線  新 宿→小田原→1時間10分(ロマンスカー利用時) 
 のりかえ  小田原→湯河原   →17分(東海道本線)
4お車の場合 東名厚木IC・小田原厚木道路経由 東京→湯河原→約2時間(道路事情により異なります)
       
参加申込み方法
代表者氏名、年齢、性別、住所、電話番号、携帯電話番号、FAX番号、メールアドレス、同行者氏名、人数等をご記入の上、電子メール、FAXのいずれかでお申込みください。
参加申込みは事前に銀行振込で、振込み終了後正式な申込みとなります。参加申込み後、参加費をお振込みください。
入金確認後、ご連絡をいたします。

「ほっと湯河原」実行委員会 担当:田口竜三
FAX:0465-64-1087
メール:info@tatsumix.net

参加費振込み銀行口座  
横浜銀行 湯河原支店 普通1330369 ほっと湯河原実行委員会


●ワークショップスケジュール

 9日●午後8時 「阿しか里」集合 ミーティング
         翌日からのワークショップの説明をいたします。
         入浴・自由行動
10日●午前6時 湯河原のパワースポット早朝ウオーキング
         山桜咲く天照山・白雲の滝・奥湯河原の
         約2時間のウオーキング(雨天中止)
      8時 朝食(阿しか里の玄米朝食)
     10時 大広間にてワークショップ開始
         1.料理教室
(2品ほどマクロビオテックの料理を学びます)
     12時 昼食
         皆さんと作った料理と先生の料理(5品ほど)で
         食事をいたします。
         松本先生の食養生のお話を聴きます。
     15時 村上先生による食と生活についてお話。 
     16時 希望者の方に
         1.松本先生の食箋 1人30分
         2.村上先生の占術 1人30分         
     18時 ワークショップ終了

オプション(事前予約をお願いいたします)
●松本光司先生による食箋
食箋とは、ひとりひとりの体質とその症状にあった食べ物を指導するものです。松本先生が、あなたのために食箋を出してくださいます。
体調に不安がある方、健康でも自分に合った食事を知りたい方是非受けてみてはいかがでしょうか。
料金:30分 7.000円
●村上楓果先生による占術
料金:30分 5.000円

くわしくはホームページへ。
http://blog.tatsumix.net/index.php?blogid=5688
by flammableskirt | 2010-03-16 11:26
声帯がダンスを踊っちゃうってマジですか?
という感じですが、ほんとうです。
声は生まれた時からずっと自分と共にあるもの。
でも、どうだろう。その声って「ほんとうに自分の声かな?」って思うことはありませんか?
声って、自分だけの楽器だけれど、それを意識して自分の声で自分を表現したことありますか?
声が変わるということは、自分の身体が変わること。
自分の重心や、意識が変わることなんです。
そのことを私たち、ふだん意識していないけれど、絶対に、この「声のフェスティバル」に参加すれば、
声ってなんだったのか、自分の声ってどうなのか、
気になってくるし、もっと「声を出したい」って思うよ。
だって、声って一生、私の「表現」なのだから。
一番身近な、私の出す音なのだから。
田口ランディ



巻上公一&天鼓 プロデュース!
FESTIVAL NEO-VOICE vol.1 ヴォイスの挑戦
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青山円形劇場
2010年3月29・30・31日


声になにができるのか、
その可能性にスポットをあてた3日間。
いままでにない驚異のフェスティバル。

1日目のヴォイスパフォーマンスにはじまり、
2日目は、トゥバやモンゴルのホーメイとも近い、
喉の歌で語り歌うアルタイの英雄叙事詩カイのスーパースター、
ボロット・バイルシェフと梅津和時のコラボ、
3日目は、最近次々とアルバムがリイシューされた、ヒカシューの
巻上公一による超歌謡の試みを、おおたか静流を迎えて贈る。
この豪華なキャストによるいのちの振動の3日間。
これは強烈な経験!!
サイト
http://www.makigami.com/neo-voice.html
●声帯がダンスを踊る そんな夜です。
(巻上公一)
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《ネオヴォイス宣言》

はじめに言葉ありき」というのはたぶん嘘だ。
誰もが絶叫しながら生まれることから考えるに、
はじめにあったのは「声」(ヴォイス)。

脈打つ肉体から噴き出し、唇から、皮膚から、臓腑から迸る、
囁き、喘ぎ、唸り、吠え、唱え、喚き、叫び。
言葉も意味も剥ぎ取った後に残る、肉体の、魂の律動。

これは音楽なのか?ダンスなのか?芝居なのか?
言葉で定義することにも、意味を求めることにも意味はない。
我々のはじまりは言葉でも意味でもなく声(ヴォイス)だから。

これから始まるのは、ヴォイスの逆襲。
全身を口にした肉体と、全身を耳にした肉体が交感し、
遥か遠い昔、言葉と意味によって奪われた
原初の魂を取り戻すための、3日間。


ヴォイスの挑戦
FESTIVAL NEO-VOICE #1 概要
  (フェスティバル ネオ・ヴォイス 第一回)

   2010年3月29.30.31日 青山円形劇場

本邦初の“ヴォイス”“声のチカラ”に焦点をあてた3日間のフェスティバル。
近年注目の「ヴォイス」。さてヴォイスとは何か? なぜいまヴォイスなのか?
その本質、可能性、表現の広がりを、余すところなくご紹介する3日間です。

冒険とチャレンジの声
29日 ソロ・ヴォイス・パフォーマンス
国内の活動のみならずヨーロッパやアメリカなどで知名度の高い、精鋭のヴォイス・パフォーマー6人のソロという、意欲的なプログラムです。楽器奏者との共演では音楽的要素が強くなりますが、今回は敢えて「ソロ」ということにこだわり、楽器のひとつとしての「声」ではなく、独立した表現としての「ヴォイス」を、多様な出自(ロック、ジャズ、現代音楽など)を持つアーティストの多彩な表現から味わっていただきたいと思います。このエクスペリメンタルな試みは、演じるパフォーマーにとってもスリリングなチャレンジです。

悠久と豊饒の声
30日 アルタイの英雄叙事詩カイ
アルタイ共和国から来日するボロット・バイルシェフは、現代の楽曲に伝統楽器や伝統唱法を取り入れ、その優れた表現力、歌唱力によって、世界中にファンを得ているスーパースター。高低多種多様な変幻自在のヴォイスは、声の持つエネルギーの豊かさや力強さを感じさせるとともに、2千年という大地に根ざした悠久の時間をも彷彿とさせます。アルタイに造詣の深い作家、田口ランディ氏のトークもアルタイの文化や音楽への興味を深めます。
(注:カイ シャーマンによって2千年を歌い継がれてきた英雄叙事詩。ホーメイなどと同じく喉歌が使われる)

どこまでも遊ぶ声
31日 超歌謡リサイタル
『ヒカシュー』としてのバンド活動、ホーミーや口琴を取り入れた演奏、またその紹介者としても知られるユニークなミュージシャン巻上公一は、宇宙語ヴォイスの達人でもあります。その巻上公一によるリサイタルでは、声の遊びが追求されます。ヴォイスの自由自在のおもしろさ、それが日本の歌謡と結びついたときに生まれる揺らぎや、意表を突く鮮烈なイメージの転換のマジック。ゲストに「7色の声を持つ妖精」とも呼ばれるおおたか静流を迎え、歌謡をヴォイスの遊び心で満たし、摩訶不思議な歌世界を創りあげます。

●ヴォイス実験室 オープニング・アクトについて
フェス開催の3日間、開場から開演までの30分間に、毎日異なったプログラムのオープニング・アクトが用意されています。サイレントムービーとヴォイス、ホーメイのグループ演奏、芝居仕立てのヴォイスオペラ。このフェスにふさわしく、ヴォイスの無限の可能性を実験的に試みました。こちらもお見逃しなく。






公演内容詳細
〈第1日目〉
3月29日(月) ソロ・ヴォイス・パフォーマンス

出演  
天鼓(Tenko) さがゆき(Saga Yuki) 灰野敬二(Haino Keiji) 蜂谷真紀(Hachiya maki) 巻上公一(Makigami Koichi) 吉田アミ(Yoshida Ami) 

オープニング・アクト(18:30 start)
《ヴォイスムービー》
出演 鈴木美紀子(Suzuki Mikiko)/徳久ウィリアム(Tokuhisa William)/アキラサネマツ(Akira Sanematsu)/檜山ゆうこ(Hiyama Yuko)
映像/遠藤正典(Endo Masanori)

開場 18:30   開演 19:00
前売り4000円 当日4500円
学生前売 3000円、学生当日3500円

*出演者コメント

●声帯がダンスを踊る そんな夜です。 (巻上公一)

●ロケットがなくても宇宙(そら)へ行ける
潜水服などなくても深海で遊べる
完成など、望みもしない
未完のものこそが生きているのだから

とても遠い処から、たどりついたのはこの体、この声
見るがいい。この声の中に
解き放たれることの幸福な苦しみを
永劫を生き続ける、あなたを、わたしを   (天鼓)


●はじめて嬉しかったこと はじめて悲しかったこと
はじめて驚いたこと はじめて愛おしかったこと

その時のキモチって きっと「声」になって
カラダから、タマシイから 発せられたんだろうな
シャボン玉みたいに七色に光ながら

広い高野を走ったり、海路を知り尽くしたり、
小さな石を加工したり、大きな鳥を操ったり、
大人だったり 子供だったり 男だったり 女だったり
いいヤツだったり やなヤツだったり
人を助けたり 傷付けたり  泣いたり 笑ったり

ぼくらはいろんな記憶をどこかに抱えながら
今 こうして この世界で息をしてるイキモノ

この日ぼくらは思い切り息をする
歌う 叫ぶ 笑う 囁く 
それらは一体 どんな色のシャボン玉になって 
眩く輝くんだろうか

みんなの「声」は きっと虹の彼方まで 飛んで行く
ぼくらはただ わくわく それを感じる 楽しむ
「はじめて」の はじまりはじまり…             (さがゆき)



●ソロってほんとにひとりなのかしら?
見えないなにか?宇宙との共演なのかしら?
小さな通気口に気配を感じることだってあります。
声のひとり旅、この日は何処へ?          (蜂谷真紀)


●声〔voice〕を「究明せよ」と言い、
   「息絶えれば、生きられぬ」と返す。

声を問うとき、息〔breath〕にまで、辿りつかないのなら、
その議論は浅薄ではないでしょうか。

声にならない、求める声を聴き、
空洞たる内部より吐く、点々。
行き来する<それ>を許す。

以上でも以下でもない_____________ただの器官。
そうで在る。                   (吉田アミ)

●唄いたまえ 、 響きたまえ 、 導きたまえ
ここを産み落とした 聖なるものの本性を
    ひきずりだすために        (灰野敬二)



〈第2日目〉
3月30日(火) アルタイの英雄叙事詩カイ

「カイ」は、「アジアの真珠」とも賞される山深い未知の国「アルタイ」のシャーマンによって歌い継がれてきた「英雄叙事詩」。その歌い手ボロット・バイルシェフの低音の響きは圧倒的で、魂を振動させる声の芸術そのものです。今回はバスクラリネットから虹のような音響を紡ぐ梅津和時を迎え、アルタイの山々の深遠な宇宙を表現します。

出演 ボロット・バイルシェフ(アルタイのカイ)(Bolot Bairyshev)
   梅津和時 (バスクラリネット)  (Umezu Kazutoki)
佐藤正治(パーカッション)(Sato Masaharu)

トーク  
巻上公一(Makigami Koichi) × 田口ランディ(Taguchi Randy)
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オープニング・アクト(18:30 start)
《ホーメイ交響詩》 
指揮 巻上公一(Makigami Koichi)
出演 山川冬樹(ホーメイ) (Yamakawa Fuyuki)with チャクルパホーメイ(Chakurupa Khoomei)

開場 18:30  開演 19:00
前売 4500円 当日 5000円 
学生前売 3500円、学生当日4000円







〈第3日目〉
3月31日(水) 巻上公一超歌謡リサイタル 

ヴォーカル界の宇宙人 巻上公一 が、七色ヴォイスの妖精 おおたか静流 を迎え、久々に、心に響く超歌謡ショーを開催します!
巻上公一率いる、豪華なツーといえばカー仲間が、これだけ揃うことは、めったに無いでしょう。歴史に残る一大事件です!
これを聴かないと、世界のヴォイスは語れません。
『おもろうて、やがて悲しき超歌謡』
青山で待ち伏せしています。
---------------------------------------------おおたか静流

 
出演 巻上公一(ヴォーカル)(Makigami Koichi)  
ゲスト おおたか静流(ヴォーカル) (Ohtaka Sizzle)

佐藤芳明(アコーディオン)(Sato Yoshiaki)、四家卯大(チェロ)(Shika Udai)、三田超人(ギター)(Mita Freeman)、清水一登(ピアノ、バスクラリネット)(Shimizu Kazuto)、坂出雅海(ベース)(Sakaide Masami)、佐藤正治(ドラム)(Sato Masaharu)

オープニング・アクト(18:30 start)
《ヴォイスオペラ》 
出演 富士栄秀也(Fujie Hideya)/伊宝田隆子(Ihoda Takako)/貞森裕子(Sadamori Yuko)/ほいの(Hoino)/天鼓(Tenko)
 
開場 18:30  開演 19:00
前売 4000円 当日 4500円 
学生前売 3000円、学生当日3500円



●会場 青山円形劇場
東京都渋谷区神宮前5-53-1 TEL 03-3797-5678
* 青山学院大学斜め前*JR渋谷駅(東口・宮益坂側)徒歩10分
* 地下鉄表参道駅(B2出口)徒歩8分

●スタッフ
照明 沖野隆一
音響 小俣佳久
フライヤーデザイン 油谷勝海、池田博範
舞台監督 ニケ ステージワークス

主催 NEO-VOICE 実行委員会
共催 日本トゥバホーメイ協会

企画・制作 巻上公一オフィス、TENKO-VOICE ARROW
お問合せ 巻上公一オフィス
tel.0465-63-0578 office@makigami.com

チケットお取り扱い
e+ (イープラスのページで「neo-voice」で検索)
巻上公一オフィス 
 tel.0465-63-0578 ticketdesk@makigami.com

チケット購入フォーム
http://www.makigami.com/neo-voice.html#B




主な出演者プロフィール


巻上公一(まきがみこういち)
超歌唱家
1956年静岡県熱海市生まれ。「ヒカシュー」のリードボーカルとして1978年デビュー。その地下演劇的な内容と、巻上の独特な色彩感のある歌声で人気を博した。その後、ソロ活動も活発化し、現在に至るまで多数の作詩作曲を行い、佐藤隆、ちわきまゆみ、小泉今日子などに楽曲提供。また、〈超〉歌唱家として、即興演奏による声の音響(voice performance)や、モンゴルの隣国トゥバに伝わる喉歌ホーメイ、テルミン、口琴を使ったソロワークや、多彩なアーティストとのコラボレーションを精力的に行っている。類いまれな歌のセンス、声の可能性の追求、斬新な切り口と諧謔精神を備え、歌謡曲から歌ともつかぬ歌まで、そのパフォーマンスは縦横無尽且つ自然体。また役者として、演出家としても多数の活動歴あり。最新アルバムに、ヒカシュー『転転々』『鯉とガスパチョ』、テルミンソロ『月下のエーテル』、ソロヴォイス『KOEDARAKE』など。
天鼓(tenko) 80年代初頭にニューヨークの即興演奏に触発され、独自の“ヴォイス・パフォーマンス”の世界を創りあげる。「声を楽器に近づけるのではなく、より肉体に近づけるスタンス。あるいは声と肉体の関係を音楽のクリシェを介さずに見つめる視点。‘彼女以前’と‘以降’とでは、欧米における即興ヴォイスそのものの質が大きく変質した(大友良英)」。85年のメールスジャズフェス(ドイツ)以降、世界20カ国以上でのフェスティバルの出演、CDの発表、ワークショップなど、ヨーロッパ・日本・アメリカで、エクスペリメンタルな活動を続けている。09年にはヴォイスソロのヨーロッパツアー。最新の即興ユニットは、パンク・ジャズ・クラシックなど様々な音楽分野の女性ミュージシャンで構成された“うにごはん”。1953年生まれ、魚座。http://tenko-voice.com


さがゆき
東京出身。5才にして歌手になることを決意。
言葉を伴う「うた」を歌う歌手であると同時に、言葉の伴わない「声」を楽器としたフリーキーで幻想的な「完全即興」を歌う。
舞踏、詩、絵画などの様々な現代のアートにも自在に出入りし、その鋭い触角で自己の能力を増幅しつづけている。
'09年には高橋悠治作曲「眼の夢」の初演も行う。定期的に「完全即興ワークショップ」も行っている。


灰野 敬二(はいの けいじ、1952年5月3日 - )は、千葉県生まれ、東京在住の音楽家。ロック、サイケデリック、ノイズ、フリー・ジャズ、即興など、扱う音楽のジャンルは非常に多岐に亘る。一般的にはノイズ・実験音楽および現代音楽の系譜で語られる。その空間を切り裂く声は、すさまじいばかり。



蜂谷真紀
(はちやまき)
  ボーカリスト、ボイスアーティスト、シンガーソングライター、ピアノ弾き語り

全身を楽器ととらえ、感じるままに「声」で空飛び「歌」で絵を描く歌い手。
完全即興から、オリジナルやJAZZ、ノンジャンルの楽曲まで、国内外の個性と独自の世界感をもったライヴを重ねている。
アコースティク、エフェクト、VOICE SOLO、弾き語り...etc、その表現は様々で、どれもジャンルを越えた「音」であり「素顔」である。
オリジナルを書き歌うこともライフワークで、「大原美術館80周年:絵画のための音楽会」への組曲作曲、 富永昌敬監督の映画作品、
TV番組等に自作曲が起用されている。リーダーアルバムに「ミクロマクロ/Dream Vision」「木の声/KI no KOE」がある。また、
三池崇史監督の映画8作品をはじめ、映画、TV、ラジオ番組の主題歌等にも多くの録音を残している。


吉田アミ
1976年名古屋生まれ。前衛家・文筆家・音楽家。声からあらゆる意味と感情を剥ぎとり音そのものとする、超高音ハウリング・ヴォイス奏法の第一人者。1997年『spiritual voice』をリリース以降、国内外問わず精力的にライヴを行っている。2003年、セルフ・プロデュースによる99曲入りのソロアルバム『虎鶫』を発表。2003年、『astro twin + cosmos』でアルスエレクトロニカ・デジタル・ミュージック部門ゴールデンニカを受賞。2005年より雑誌やブログ「日日ノ日キ」などで文章を発表、音楽以外にも活動の幅を広げている。




ボロット・バイルシェフ
1962年生まれ。ロシア連邦アルタイ共和国を代表する歌手。伝統の喉歌カイや二弦撥弦楽器トプショールでの弾き語りや、縦笛ショール、口琴コムスでの演奏を行う。同国ウスチカンスク地区クルルク村生まれ。カザフスタンのバイコヌール宇宙基地での兵役時代に書いた「我が故郷クルルク」がヒットし、スター歌手となった。カザフスタンで開催の国際ポピュラー音楽コンテスト"Voice of Asia 92"にノミネートされ、ハカス共和国アバカンでの同グランプリを受賞した。その後ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルとの共演など、ヨーロッパを中心に世界各国で演奏活動を行う。2000年〜2007年に、巻上公一の招聘で6回来日している。CDに『宇宙の命脈』(エキアタルレコード)、『アルタイのカイ 秘密の夢~英雄叙事詩の世界』(キング)等。


梅津和時(うめづかずとき)
sax,clarinet

宮城県生まれ。70年代前半に渡米、ニューヨークのロフトシーンで活躍した後に帰国、1977年結成の生活向上委員会大管弦楽団で一世を風靡した。1981年にドクトル梅津バンド(D.U.B.)を結成、以後DIVA、シャクシャイン、ベツニ・ナンモ・クレズマーなどのリーダーバンドを結成、現在はKIKI BAND、こまっちゃクレズマ、新大久保ジェントルメンの3つのバンドを率いている。並行してRCサクセションのサポート、イアン・デューリー&ブロックヘッズへの参加、沖縄民謡の大工哲弘のプロデュースなど国内外の多様なミュージシャンと無数の共演、また、アケタの店に始まり現在ピットインで続く連続コンサートの「大仕事」、雑多で猥雑なキャバレー「大風呂敷」、練馬の農園を舞台とし「フェスタ・イン・ビニール」などイベントの主宰、多国籍混成Asian Fantasy Orchestra の音楽監督の一員、「我に撃つ用意あり」などの映画音楽、とその活動範囲は単なるジャズミュージシャンの枠を大きく越え、還暦を迎えた今も、精力的に活動中である。
◇梅津和時オフィシャルサイトu-shi  http://www.k3.dion.ne.jp/~u-shi/


おおたか静流(おおたかしずる)
七色の声を自由に操り、ノンジャンル無国籍なエリアに生息。
<わらべうた>から<即興>まで、歌の守備範囲を日々広げているが、基本精神として”自由に羽ばたく鳥のように!”がモットー。映像、演劇、絵画、朗読、ダンス、テレビ、CM,映画等、
様々なシーンで活動し、且つ異ジャンル・コラボレーションに積極的である。「声のお絵描き」と称するヴォイスのワークショップを主宰。声の可能性を、あらゆる角度から観察、実験し、子供から大人、さらには国境を越えて、声で描く壮大で愉快なパノラマを展開する。
ニューヨークで注目の、ヨシコ・チュウマ率いる”パフォーマンス・アート”にて世界行脚中。
NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」にて、音楽制作及び歌唱を担当。
イスタンブール録音のニューアルバム「SERENADE/セレナーデ」好評発売中!
http://www.sizzle-ohtaka.com/
http://www.songbirds.ne.jp/sizzle/

山川冬樹 (やまかわふゆき)
ホーメイ歌手/アーティスト。1973 年、ロンドンに生まれる。自らの「声」と「身体」をプラットフォームに、音楽、舞台芸術、美術の境界線をまたにかけた脱領域的活動を展開。 身体内部で起きている微細な活動や物理的現象を医療機器などのテクノロジーによって拡張、表出するパフォーマンスで、国内外で活躍中。ホーメイ歌手としても、国際ホーメイフェスティバルでアバンギャルド賞を受賞、日本ホーメイコンテストでは、第1回、第2回共にグランプリと観客賞を受賞。


田口ランディ(たぐちらんでぃ)
1959年生まれ、作家。2000年に長編小説「コンセント」(新潮文庫)を発表し、本格的な執筆活動に入る。ジャンルを問わず広く人間の心の問題をテーマにした作品を発表。2001年「できればムカつかずに生きたい」(新潮文庫)で第1回婦人公論文芸賞を受賞。宗教、福祉、医療、社会問題など幅広いテーマで様々な層の読者を獲得している。代表作の「コンセント」は英語、イタリア語、中国語など七カ国で翻訳出版。「アンテナ」は映画化されヴェネチア映画祭参加作品となる。作品に「富士山」「ドリームタイム」「被爆のマリア」(文春文庫)「キュア」(朝日新聞出版)「パピヨン」(角川学芸出版)「蝿男」(文藝春秋)など多数。最新刊は「クレンズの魔法」(海竜社)「宙返りの練習」(東本願寺出版部)、近刊に「生きなおすにはもってこいの日」(バジリコ) 神奈川県湯河原町在住。最近は仏教に関心を寄せ、仏教説話「アングリマーラ」の現代語訳に取り組んでいる。
by flammableskirt | 2010-03-16 11:00
そもそも、死刑制度というものに、さしたる関心があるわけではなかった。
複数の人間を殺害した凶悪犯を罰するために、死刑というものが存在することに疑いをもっていなかった。

考え始めたのは、40代も半ばになって死刑確定囚との具体的な交流をもってからだ。
目の前にいる死刑囚、絵空事だった死刑が現実の問題として目の前に迫ってきた。だから、考えざるえなくなって考えるようになった。そして、たくさん本を読んだ。いろんな人の意見を聞いた。死刑制度がどういうものか実際に拘置所に通い、死刑囚から話を聞いているのだから、詳しくなるのは当然だった。
正直、めんどくさい問題と関わってしまったなあと思った。

なぜかといえば、今の日本で「死刑反対」を叫ぶことは、あまりメリットがない。
まず過激な賛成派の人に叩かれる。
また、現状、日本では厳罰化が進んでおり(民主党政権になってちょっと緩まったけれど)、世論はどうやら死刑賛成が多い。もちろん自分もそうだったわけだからよくわかる。

被害者感情という、ものすごく怖い世論がある。これは、実に怖い。
被害者とは無関係の人が目くじらを立てて「それでは被害者が浮かばれないでしょう」と、完全に被害者に同化して議論する場面をたくさん見てきた。
これはもうほんとうに怖い。被害者じゃない人が被害者感情について感情的に語る場面では、加害者の側に立つだけで私も加害者と同じ悪者扱いをされるからだ。相手は正義の側から決して降りない。
「あなたも、私も、被害者でも加害者でもないでしょう?」
なんて言っても通用しない。相手の正義は揺らぎない。こうなったら私はもう逃げるしかない。へたれなので、しっぽを巻いて「おっしゃる通りです」と逃げる。
自分の立場を見失っている人と、冷静な議論はできないからだ。

でも、やっぱり死刑制度の問題は考えなくてはいけないなあ……と、死刑制度についてのシンポジウムに呼ばれて、死刑制度をほとんど勉強せずに、遺族感情を巫女のように語る人たちと会うと、そう思う。

死刑は「国家による国民の殺害」である。この部分が認識されていない。
かつて、第二次世界大戦で、国家の名のもとにたくさんの国民が軍事裁判で死刑にされたドイツは、戦後にその反省のもとに死刑を廃止した。イタリアもそうだ。それなのに軍部独裁で戦争を行い、逆らう国民を同じように死刑にしてきた日本は、戦後にその死刑制度の有り方を見直しませんでした。
……という話をしたりする。
もちろん私も知らなかった。勉強するようになって知った。

とりあえず、被害者遺族でない私たちは、遺族感情はちょっと脇においておいて、どうして死刑制度が百年も同じ形で続いているのか、それが誰にとっていったいメリットのある制度だったのか、冷静に考えてみませんか?
そのうえで、制度そのものの在り方について、少し、国民として考えてみませんか?
良い悪いじゃなくて、ほんとうは、誰のために、誰の都合によって、誰が作ったのか?
その根本のところを、一度、いっしょに勉強してみようよ。そう思う。
私もわからなかった。いまもわからないことが多い。

そんなふうに問いかけてみる。
でもやっぱ、この問題を人前で語ると、とても疲れるし気を使う。
私の仕事じゃないよなあ……と思う。
そう思いつつ、でも出かけてしまう。
私みたいな、法律や犯罪の専門家ではない人間が、勉強したようなこと。
ほんの半歩だけ、ものを知っているような人間の言葉は、たぶんわかりやすいと思う。
でもわからないことが大半だから、しゃべっていていつもドキドキするんだ。
質問されたら、わからないことばかりだから。
だから、いっしょに勉強しましょう……って、必死でお願いしてしまう。

質問されてもわからないんです。だから疑問に思うなら、いっしょに勉強しよう。
by flammableskirt | 2010-03-13 10:59
私の家は、娘がアトピー性皮膚炎になったのをきっかけに菜食中心の食事に切り替えてきました。
海外のセレブがわざわざ調理人を雇ってまで食べているというマクロビオティックの料理にも挑戦しました。でも、正直に言えばマクロビの料理って、あまりおいしくないんです。それは、マクロビの主義を重視して料理としての楽しみを二の次に置くからではないかな〜と思いました。そして、おいしくないものは食べるのも楽しくないし、長続きしませんでした。

たとえば「あなたの身体が添加物におかされているから本来の食物の味がわからないんだ」というような言い方をする人もいます。でも……と思います。やっぱり味がなくて塩分の薄いものはまずいよなあ……と。
いろいろ探しあぐねて、我が家の調理人である夫がたどりついたのが、松本光司先生の料理方法でした。松本先生はもともと料理人でいらしたので、料理の味はしっかりとついていなければ……と考える方でした。だから、松本先生のお料理は素直においしいと感じます。誰もが作れるおいしいマクロビオティックの料理。確かに手はかかります。時間もかかります。だから毎日実践するのは難しい。

でもそのエッセンスを知っているだけで、お料理への向きあい方は、確かに変わると思います。
今回、私の町である湯河原に、先生をお招きして少人数の料理教室を企画しました。
お年寄りの介護をなさっているかた、生活習慣病の持病のあるご家族をかかえている方、ご自身の健康について考えている方、この機会においしいマクロビオティック料理の基本を学んでみませんか?
きっとこれからの人生のお役に立つと思います。よかったら興味のありそうな方にお知らせください。

詳しくはホームページをご覧ください。
松本光司食養生ワークショップ 湯河原2010 桜
湯河原温泉の名旅館 「阿しか里」で学ぶ
マクロビオテック料理教室・実践講座&湯河原パワースポットウォーキング (空きがございます)
●開催日:2010年4月9日(金)から4月10日(土) (1泊2日)

by flammableskirt | 2010-03-11 11:48
「声」に興味のある方は必見です。
今回、友人の巻上公一さんが企画している「ヴォイスの挑戦」という三夜連続イベントは、ほんとうに巻上さんらしい、巻上さんしか企画できないすごいイベントです。参加した人は「声の力」そのプリミティブな威力に驚愕するでしょう。ヴォイスパフォーマンスを体験する最高のチャンスです。
 ぜひこの機会に青山円形劇場に足を運んでみてください。未知なる声の世界に圧倒されるはずです。
ちなみに私は3月30日の「悠久と豊穰の声」に出演します。

アルタイの奇跡の声、ボロット・バイルシェフのことは以前にも何度もご紹介してきました。まだボロットを知らない人はこの圧倒的な低音の力、倍音の神秘を一度ぜひ味わってみてください。当日は私も出演してアルタイのシャーマニズムや、アルタイを詠んだ詩を発表します。ボロットは現代のシャーマンとも呼べる人物で、彼と会った沖縄のカミンチュが「あなたは私たちの儀式を知っているはずだ」と挨拶をしていました。時を超えて蘇るアルタイのシャーマニズムの一端をご紹介します。しかも、飴屋法水演出の「サイコシス」で俳優として声の力を存分に発揮した山川冬樹さんも友情出演。声の交響楽を!
 
三夜とも、多彩なゲストが出演します。詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.makigami.com/neo-voice.html
ヴォイスの挑戦
FESTIVAL NEO-VOICE #1 概要
(フェスティバル ネオ・ヴォイス 第一回)
 2010年3月29.30.31日 青山円形劇場


本邦初の“ヴォイス”“声のチカラ”に焦点をあてた3日間のフェスティバル。近年注目の「ヴォイス」。さてヴォイスとは何か? なぜいまヴォイスなのか?その本質、可能性、表現の広がりを、余すところなくご紹介する3日間です。

■冒険とチャレンジの声
29日 ソロ・ヴォイス・パフォーマンス
国内の活動のみならずヨーロッパやアメリカなどで知名度の高い、精鋭のヴォイス・パフォーマー6人のソロという、意欲的なプログラムです。楽器奏者との共演では音楽的要素が強くなりますが、今回は敢えて「ソロ」ということにこだわり、楽器のひとつとしての「声」ではなく、独立した表現としての「ヴォイス」を、多様な出自(ロック、ジャズ、現代音楽など)を持つアーティストの多彩な表現から味わっていただきたいと思います。このエクスペリメンタルな試みは、演じるパフォーマーにとってもスリリングなチャレンジです。

■悠久と豊饒の声
30日 アルタイの英雄叙事詩カイ
アルタイ共和国から来日するボロット・バイルシェフは、現代の楽曲に伝統楽器や伝統唱法を取り入れ、その優れた表現力、歌唱力によって、世界中にファンを得ているスーパースター。高低多種多様な変幻自在のヴォイスは、声の持つエネルギーの豊かさや力強さを感じさせるとともに、2千年という大地に根ざした悠久の時間をも彷彿とさせます。アルタイに造詣の深い作家、田口ランディ氏のトークもアルタイの文化や音楽への興味を深めます。
(注:カイ シャーマンによって2千年を歌い継がれてきた英雄叙事詩。ホーメイなどと同じく喉声が使われる)

■どこまでも遊ぶ声
31日 超歌謡リサイタル
『ヒカシュー』としてのバンド活動、ホーミーや口琴を取り入れた演奏、またその紹介者としても知られるユニークなミュージシャン巻上公一は、宇宙語ヴォイスの達人でもあります。その巻上公一によるリサイタルでは、声の遊びが追求されます。ヴォイスの自由自在のおもしろさ、それが日本の歌謡と結びついたときに生まれる揺らぎや、意表を突く鮮烈なイメージの転換のマジック。ゲストに「7色の声を持つ妖精」とも呼ばれるおおたか静流を迎え、歌謡をヴォイスの遊び心で満たし、摩訶不思議な歌世界を創りあげます。

●ヴォイス実験室 オープニング・アクトについて
フェス開催の3日間、開場から開演までの30分間に、毎日異なったプログラムのオープニング・アクトが用意されています。サイレントムービーとヴォイス、ホーメイのグループ演奏、芝居仕立てのヴォイスオペラ。このフェスにふさわしく、ヴォイスの無限の可能性を実験的に試みました。こちらもお見逃しなく。
by flammableskirt | 2010-03-11 11:27
3月8日、「Port B」の高山明さんが演出した「赤い靴クロニクル」を観てきた。
観てきたというよりも、体験してきたというべきかな。
実は高山さんの活動はずっとずっと前から気になっていたのだ。

「ツアー・パフォーマンス」……という手法を高山さんは駆使する。
 高山さんは現実の都市、社会の記憶や風景を徹底的に取材し、さらに引用し再構成し、その都市の歴史、文化、さらには都市の深層へとアートの力で潜り込む、という演劇ともインスタレーションとも言えない不思議な作品を作り続けている。

日常的な風景を歩かせながら、いつしか観客を異空間に引きずり込む。あの不思議な感覚は言葉では表現しずらく、高山さんの作品を「体験型のパフォーマンス」という単純な英語には還元したくない。

 何ヶ月、あるいは何年にもわたる緻密な取材、地域の方たちとの交流、その土地へ何度も足を運び、土地と人と対話して、土地からの情報をアートへと転化していくその手法は民族学者のようでもあり、人間的で暖かく、奥深い。それゆえ土地そのものに侵食し、ゆるやかな変化をもたらす圧倒的にリアルな力をもっているのだ。

今回、高山さんが選んだ場所「横浜 黄金町」は、光の都市/横浜の影の部分を引き受けた地域だった。売春宿が立ち並び、不法入国の外国人やヤクザが出入りするアンタッチャブルな地域。「赤い靴 クロニクル」は、戦後にアメリカ文化を受け入れて巨大化した横浜という都市を、黄金町の側から見つめようと試みる。
「横浜は異文化に差し出された処女、足を開き文化を受け入れた(正確ではないが……)」そのような記述があり、どきりとした。そこに現われて来るのは、日本とアメリカとアジアの接点であり、せめぎあいであり、その境界領域に埋没し、あるいは引き裂かれた人々の残像、……面影だった。

それらはけして悲壮感をもって語られるでもなく、かといって社会問題として声高に指摘されるでもなく、壁に貼られた古い写真たちのような懐かしさと哀れみをもって、体験する私たちに微笑みかけてくる。絶望でもなく、希望でもない、そんな極端なものではなく、もっと淡い「哀しみ」あるいは「おかしみ」であり、それこそが、この寄る辺なき時代に私たちが見いだせる、灯火のように思えた。きらびやかなイルミネーションの光ではなく、ゆらゆらとゆらめくかぼそい一本のろうそくのような灯火。でも、この灯火にこそ、人々は心を解きあって集えるのかもしれない。

ツアーの終りのショーウィンドウに飾られた赤い靴を見てそんなことを感じた。
ほんとうはもっといろんなことを書きたいのだけれど、なにせ体験型のツアーであるから、よけいなことを書くとネタバレになり、これから体験をしに行く人に迷惑である。だから、内容についてはほとんど書いていない。これを読んだ方が直接体験してみてください。もしかしたら、私とは全く違うことを感じるかもしれない。観客の関与によって体験の内容も変化してしまうのだから。

 平日はまだ定員に空きがあります。1ツアーは約1時間、参加人数は1人から3人。
 3月14日までやっています。
くわしくはこちらをご覧下さい
by flammableskirt | 2010-03-09 12:46
3月6日18時16分配信 読売新聞のネットで医師暴走、医療被害者に暴言・中傷
という記事を読み、とてもつらい。

記事の内容を読むと、問題とされているひとつが「救急で運ばれた妊婦を拒否した」事例であり、産婦人科医たちのネット上での言動が問題視されていた。

記事だけ読むと、人間の生命をあずかる医師にあるまじき言動と取られるかもしれないが、産婦人科医院の現状を少し取材したことがあり、医療全体のしくみのひずみが、産婦人科や小児科に特にしわ寄せされている現状を知った。きつい労働条件のなかで働く人たちの暗澹とした気持ちが少しわかるため、このような記事は一方的に感じて苦しいのだった。

最近、不景気の影響もあってか、妊娠してもまったく検診を受けず、陣痛が始まっていきなり「飛び込み出産」をする妊婦が増えている。妊娠すると、まず産婦人科に定期的に通い、胎児の状態を知り適切な出産方法を医師と相談で決めるのがふつうだけれど、そのためには時間もお金もかかる。なので、陣痛が来るまでほったらかしておき、救急車を呼んで救急病院で駆け込み出産をするのだ。そうすれば、出産のための準備、めんどうな予約などもすべて吹っ飛ばせる、そう考える妊婦が実際におり、私が取材した時は二人目、三人目も駆け込み出産して、産婦人科のブラックリストに載るような妊婦が実際に存在した。

「いきなり運びこまれても、検診も受けておらず、母子手帳もないような妊婦にはどう対応してよいかわからない。たとえば、胎児が正常に成長しているのか、逆子なのか、それらの情報がなにもない状態で出産に対応しなければならないのは、出産を引き受ける側としては大変なストレスであり、子供さんの生命の危険をかえりみないあまりにも迷惑で身勝手な行動で腹立たしい。かかりつけの産院があれば拒否されることはないはず。しかし、そういう人が増えているのが事実なのです」

また、駆け込み出産の患者は入院費が支払えない場合も多く、患者の素性も定かではないため「申し訳ないが他の妊産婦の方がたに迷惑になる場合もあるので、受け入れを拒否している」とはっきり断言する病院もあった。生まれてくる子供には罪はないわけで、子供を産むという自覚があまりにない母親に対しては、やはり怒りを覚えると病院側は言う。

「たとえば、出産してみたら子供に重い障害があったという場合には、産院ではもう対応できないのです。その場合は小児病院に搬送しなければならない。もし小児救急が近所になかった場合、手遅れになるケースもあります。だから、事前の検診をして胎児の状態を知る必要があるのに、いざとなれば救急車を呼べばいい、と甘く考えているお母さんがいるのです」

また、出産から小児救急まで、すべて対応できて24時間救急体制をとれるような病院は日本には少なく、地方に行けば行くほど救急体制は不備である。病院の数は多いが、救急の患者に対応することができない。いきなり、いくつかの症状が重なった場合、たとえば、妊娠中に脳出血、などという場合には、その状態に対応できる規模の病院が、地方にいくほど存在しないという現実がある。それはなぜかと言えば、医師会と行政の在り方に大きな問題があるのだが、長くなるので詳しい説明はしない。

 対応する医師の側は命がけである。もし子供や母親が死んだ場合には、医療者側の責任が問われ、裁判になる怖れもある。現場の状況は過酷だ。多くの人が「子供はほっておけば産まれるもの」と思っている。過去に多くの子供が死産するしかなかった時代の記憶は薄れてきている。

 日医側は、医師のネット上での暴言は「信頼を損なう」としている。確かに私たちは医師には「人間性」や「倫理観」を求めがちだが、小児科医や産婦人科医が激減している背景には、それなりの理由があり、ただ医師の個人的ながんばりにだけ期待しても、状況を改善していくのは不可能と思えた。

 ちなみに私は人口28000人の小さな町に一軒しかない産婦人科医院で高齢出産をした。先生はご高齢で「私はもう帝王切開の手術は無理だから、もし不安なら他の総合病院へ」と言われたが、特に体調にも、胎児の状態にも問題がなかったのでこの医院で出産した。でも、入院患者は私一人だった。
 大きな病院で出産した友人は、体調も胎児の成育も問題がなかったが、高齢という理由で帝王切開をすすめられた。また、取材中に「医師の都合げ出産日を決められた」という話をよく聞いた。限られたスタッフの数で妊婦に対応しようとすると、突然に出産日が重なることがあっては困るらしい。それもわかる。だけど、人間がする最初の選択「いつ生まれるか」を、他者がコントロールしてしまう出産の現状はやりきれない。生まれる日は、胎児が決めているのだ。私は実感としてそう思っている。

 いろんな取材をして感じることだが、いま日本の社会は「リスクを自分で引き受ける」という覚悟をもちにくい。その理由はサービス業が繁栄し、あまりにもリスクが分散され、リスクはすべて回避できるというような幻想を私たちに見せてしまったからだと思う。

安全とは幻想だ。どのような決断にもリスクが伴う。どのリスクを選択するか、という発想に立たなければ、先端医療の担い手である医師が常に責任を負うことになる。そして、常に誰かを悪者にする責任転嫁社会になってしまう。現実に日本ではそれが起きているから、様々な場面で人は責任を取らされるのが怖くて、保守的になるのではないか。それゆえ、誰かに責任を押し付け、問題を隠ぺいしようという体質が育まれてしまう。自分と自分の家族の生死については、自分で決断し自分でリスクを負うしかない。そうしなければ、死ぬときに納得できないだろう。人はいつか死ぬ。死へのリスクは年とともに上がる。それを受け入れることができない老いと死の現場も、たくさん見た。

医師に頼りすぎている。そういう制度になっているからしょうがないのか? 生きるも死ぬも医師まかせ。だが、それを任されてきた医師たちの精神が、いま疲弊している。
by flammableskirt | 2010-03-07 12:19
福岡県にある廃校を利用した美術館「共星の里」でトークライブを企画していただきました。
 お相手は、大親友でもある雑誌「風の旅人」編集長の佐伯剛さん、そして写真家の船尾修さん。お二人とは以前も国東半島をいっしょに旅行し、たくさん面白い体験をしました。
 さて、どんな話が飛び出すことか、今から楽しみです。
 宿泊もできるそうです。ご近所の方、ぜひ足をお運びください。


スペシャルライブ対談 
聖地という場が放つ力と可能性


テーマ:「聖地という場が放つ力と可能性」


出 演:田口ランディ(作家)×佐伯剛(「風の旅人」編集長)×船尾修(写真家)

日 時:2010年4月24日[土]17:00開演(受付16:00より)

会 場:「共星の里」福岡県朝倉市黒川1546-1[旧黒川小学校]

参加料:1,500円(入館料込み)

[先着50名様]お申込は Tel.0946-29-0590「共星の里」迄

※ライブの後、サイン会と、作家たちを囲んでの交流会(会費1,000円)を予定しています。
※宿泊も可能です。(料金別途)詳細は「共星の里」迄お問合せください。
by flammableskirt | 2010-03-07 10:33
3月6日12時35分配信の毎日新聞の
<温暖化対策>原発20年間にさらに20基必要 エネ庁試算
という記事を読んだ。

ほんとうに温暖化対策なのか? これにはかなり疑問だ。
原発の問題に関しては、大前提として国のエネルギー政策の国民に対する説明不足が根が深いと思う。日本のエネルギー政策はずっと場当たり的だ。国民は決定に関して常に「蚊帳の外」に置かれている。自民党政権の時代から、原子力を推進するにしても、その未来像の説明はなされなかった。ねじれにねじれた推進派と反対派のもつれは、もう修復不可能なところまできているように感じる。原子力に関する、反対派と推進派の対立の根は深く、両者が歩み寄るのは難しい。

反対の人たちは「原子力は絶対に安全とは言い切れない」と主張し、推進派の人たちは「絶対に安全なんてことはありえない」と、絶対の安全を求める人たちを相手には、もう議論は無駄だと思っている。安全に対する基本的な合意は、まったくできていない。安全とはなにか、について、両者は大きく食い違ったままだ。

原子力はエネルギー問題という枠にはもうおさまらず、生命倫理や環境倫理の問題とも関わっており、推進派、反対派だけの議論ではこの二十年、なんの進展も見られなかったにも関わらず、多分野の多彩な専門家を交えて、問題を多角的にとらえようとする試みはほとんど皆無だった。

というのも原子力という問題が政治的な要素を帯びており、地域や大学にこの議論を持ち込むことですぐに対立構造が生まれ、それが場の安定を脅かすと危惧されてきたからだ。だから、原子力に関する議論は、どこも、そして誰もが積極的にはやりたがらない。よって、大切な問題でありながら、一部の原発反対の人たちの領域でのみ議論され、実のところは、反対か推進かを保留している、大多数の一般国民からほったらかされてきた、のである。 反対でもなく推進でもなく、どうしていいかわからないので態度を保留するという人が圧倒的でありながら、その人たちが、自分たちの視線で議論するような場が生み出されなかった。どうしても、その場には推進と反対という対立構造が持ち込まれ、険悪になるからなのだ。

しかし、どちらでもない。わからない、という態度は非難されるべきではない。現実的に原子力が稼働している日常で生活しているのが私たちだ。
それに対して、過激に反対を叫ぶ人たちと、説明をせずに半ば白けているような政府の御用学者と、だた現場に厳しいノルマと安全ルールを押しつけて、トラブルを隠ぺいしてきた電力会社とが、私たちを取り囲む原子力の議論の場の状況であり、もうここからは何も生まれないだろう。

民間の経済学者はなぜ原発のコスト算出をしないのか。経済学的な観点からみたら原発は得なのか損なのか。それもはっきりしない。計算しようにもコスト計算のためのブラックボックスが存在すると聞いたが、それも噂だ。しかし、この問題に手を出すと「ヤバイ」ことになると、多くの人が思っている。
そういう状況を変えていかなければと思う。誰もが公に議論でき、さまざまな分野の専門家によって、あらゆる角度からその「リスク」を吟味され、それでもリスクに見合うほどのメリットがあるのなら、もしかしたら北欧のように将来的には廃止を前提に、長期計画での運用という選択肢も出るかもしれないし、それに対して、国民も納得できるかもしれない。

いま、日本の状況は最悪だ。長期ビジョンは皆無。コスト計算は原発に都合のいい人たちがやっている。民間における、中立的な立場の議論の場は皆無。反対派が企画する議論の場では対立ばかりが強調される。推進派が作るのは議論の場ではなく一方的な説明の場ばかり。
 「反対でも推進でもない」という人たちが興味をもたないと、もうとてもじゃないが新しい議論は始まらない。大多数の賛成でも反対でもない、という態度保留の人たちが、民間の多様な分野の専門家を巻き込んで学び、対立することをやめて、解決策を出そうとすれば、膠着した原発問題は動き出すかもしれない。
余生の課題と思い、今年、その努力を具体的に始めようと思う。
by flammableskirt | 2010-03-06 16:51