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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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ヒヤシンスの香り

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今年はヒヤシンスをたくさん咲かせた。
特に白のヒヤシンスの美しさは、はっとするものがある。水栽培もできる球根の植物なので手入れは簡単。純白の清楚さと、香りがなによりすばらしい。ヒヤシンスの香りなんて、気にとめたことがない人も多いだろうし、私もそうだった。友達からヒヤシンスの香りがよいことを教えてもらって、それを知りたくてポットに三個490円で売っていたヒヤシンスを買ってきた。ほんとうに、この香りは……うっとりするなあ。

いっしょに写っている、白いらんは、レオニス。マダガスカルの星と呼ばれるこのらんの香りもまたすばらしい。特に夕方から夜にかけて香りが濃くなっていく。それにしても、このレオニスの愛らしい風情。なんと可憐な花だろうか。どんどんつぼみをつけてくれてうれしい。ほとんど何もしない。水もいらない。強くて可憐な花。
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友達が、すずらんをとてもかわいらしく植えているのを見て、真似したくなった。それで、スーパーで買ってきたこの小さなカイワレのような植物と寄せ植えしてみた。なんだかサラダボールみたいでかわいい。この植物は名前も記されていなくて、売り場のすみのほうにぼそっと並べられていた。一つ290円だった。うまくスズランが咲いたら、小さな緑の草原みたいで春らしいだろうなあ……と、想像するだけでわくわくする。その前に枯れないとよいのだけれど。しかし、いったいこの草はなんという名前なのだろうか。
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このランも夜になるとかすかに香る。でも、レオニスほどではない。花のつけ方がほんとに愛らしい。
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ベランダが春らしくなってきました。もう5時なのにまだ明るい。日も長くなった。春が近づいているなあ……。
日当たりのよいあたりの梅は八分咲きです。梅、桃、そして桜が咲く頃には冬にたくさん植えたチューリップが咲くかなあ。楽しみだ。
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by flammableskirt | 2010-01-30 16:57

私の聲を聴いてください

私の聲を聴いてください。

詩人の天童大人さんが「詩人や作家の肉整でコトバを聴く」というプロジェクトを続けていらっしゃいます。すでに400回以上の会を重ねた「詩人の聲」のプロジェクトに参加させていただくことになりました。

私は詩人ではありませんが、自分の肉整でコトバを伝えたいと願っている一人です。聲は波動です。聲のもつ力というものが存在することを知っています。私の聲を聞いてください。聲は一瞬です。形には残りません。発したとたんに消えていくものです。だから、この一瞬にこめる思いは強い。

今回、聲に乗せることを選んだ作品「パピヨン」には、私の宿業ともいえる父親の死を描いています。家族を苦しめ自殺にまで追いやった父の壮絶な死に様を描いたものです。しかし、この父は最期に私に意識の向こうにあるトランスパーソナルな次元を見せてくれました。人間が生きるということはどういうことか、そして死とはなにか。身をもって教えて逝ったのです。

私の肉整を乗せるにはこの作品しかないと思い、選びました。
私の聲が、私がかいま見た死の世界をみなさんにお見せすることができるのではないかと予感したからです。
現世の宿業から解き放たれて飛ぶ蝶に、聲を乗せます。
でも、そんなことはそう何度もできるとも思えず、きっと最初で最後の機会になると思います。

どうか聴きにいらしてください。
また、興味のありそうなお知り合いにはお知らせくださいますよう、お願いいたします。

田口ランディ



天童大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバを聴く!
--肉聲の復権を目指す、「目の言葉」から「耳のコトバ」へ--


第451回 田口ランディ
「パピヨン」  意識の狭間を飛ぶ蝶

◇日時
2010年 2月10日(水)
会場18:00 開演18:30
三省堂神保町本店8階特設会場
入場料 予約 大人2500円
    当日 大人2800円 
       大学生1500円(学生証提示)
       高校生 500円(学生証提示)
      小中学生 無料

■ご予約はこちらにお願いいたします。
北十字舎 Tendo Taijin Bureau
171-0031 豊島区目白3-5-6
電話 03-5982-1834
ファックス03-5982-1834
tendotaijinbureau@mbi.nifty.com
by flammableskirt | 2010-01-28 11:44

悪は困難

一日一悪
の今年の目標、まったくダメだ。達成できていません。
難しい。善行は簡単だが悪行をするのはほんとうに難しい。

近々、ある方のところへ取材に行こうと思っている。
その方は自身のやっている治療を「業捨」と呼ぶらしい。
業を捨てて病を治す。その言葉に興味をもった。

一悪も、業を捨てるようなこと、業をひっくり返すような悪い事、と加藤先生はおっしゃった。
業ってなんだろうか。もちろん用語解説を読めば業の意味するところはわかるけれど、
意味ではなく実感として、腑に落ちる業というものがまだよくつかめない。

業が深いなどと言うけれど、いったい業が深いとはどういうことだろうか?
そして業を捨てる、業をひっくり返すというのはどういうことなのか。
しばらく考えてみたいと思う。
by flammableskirt | 2010-01-26 17:36

縄文ファンサイト連載

縄文ファンサイトの連載が更新されました。
「手のひらの可能性」
http://www.net.pref.aomori.jp/jomonfan-aomori/essay/taguchirandy/vol002.html
by flammableskirt | 2010-01-25 13:21

堂ケ島めぐり

父のお墓参りのついでに堂ケ島を旅行してきました。
ふと見ると、海の上に浮かぶ富士山!おおっ!
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堂ケ島らんセンターにはらんの花が満開。
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らんに囲まれ、「幸せの椅子」に座る私。でも、王子さまがいない……。
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by flammableskirt | 2010-01-25 11:21

シルバーリーフ

シルバーリーフが大好きなんですが、この葉っぱ、あまり人気がないらしくていつも「100円」なのに売れ残っているのです。このベルベット感がなんともいえず冬っぽくてよくないですか? ジュリアンと合わせてみたら友人が「バレンタインっぽい」と言ってくれた。なるほど、バレンタインっぽい感じ。冬のピンクもいいなあ。春のピンクより好きです。そして、ピンクはグレイととてもよく合う色だと思う。曇り空に咲く桜など見ると、あまりに美しい配色にぞくぞくします。
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by flammableskirt | 2010-01-24 17:59

沖縄の貝

1月半ばに友人三人と出かけた沖縄旅行では、なんだかめっちゃ買い物したんだけど、どれもすごく気に入っていて、沖縄ほんとに楽しいな〜とつくづく思いました。
そのなかでも、沖縄の公設市場で手に入れた、この貝、立派でしょう? 3月になったらこの貝にランの花を植え付けようと思って買いました。これで千円。もっと欲しかったけど重かったので諦めた……。
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そうそう、公設市場のポスター、これ面白かったので。
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おとといは、父のお墓参りで下田に行った帰りに「堂ケ島らんセンター」でらんの花を見てきました。たくさんいろんな種類の花があって、あっという間に3時間が経過。係の人に栽培のコツなども細かく教えてもらって勉強になりました。また花が増えたなあ。
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by flammableskirt | 2010-01-24 17:52
友人の巻上公一さんの企画したライブコンサートへ。
3月30日は青山円形劇場で、私と巻上さんの共通の友人であるアルタイ共和国の歌手、ボロット・バイルシェフを迎えてライブコンサートをします。ボロットはアルタイに伝わる「カイ」という歌唱法を使うすごい声の歌手。彼の低音の喉歌の魅力は、聞いた人をみんな魅了しちゃいます。鼓膜がぶるぶるするほどの倍音。これはもう、ちょっと聞いていただかないと説明ができません。私のエッセイにもときどき出てきます。
コンサートでは私と巻上さんが、シャーマニズム発祥の地と言われるアルタイの魅力を二人でしゃっべりますので、お楽しみに。極秘映像?も流す予定。
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巻上さんとライブで共演した、クリスタルボール奏者の牧野潤さんとも、実は古い友人。久しぶりに再会できてうれしかった。いま、牧野さんは熱海に事務所を置いて活動しているとのこと。クリスタルボウルは、とても神秘的な楽器で、人によっては片頭痛や、睡眠障害などがクリスタルボウルを聞いたことによって治ったりします。個人差があってエビデンスはないけど、でも、そういう人にお会いしたことはあります。この日は巻上さんのテルミンとクリスタルボウルと、サーメの「ヨイク」で会場は倍音にあふれ、なんだか気分がぼーっとして、すごくすっきりしました。気持ちよかった。疲れてる人たちみんなに体験させたいなあ……って思う。ほんと和むよお。
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by flammableskirt | 2010-01-24 17:42

今年は「一日一悪」


中原昌也さんの小説を読み、この人の「誠実さ」に唖然とする。

そして、いまだに自分がどういう妄想を前提にこの世界と向きあうのか、それを迷っている自分に気がつく。
20代のころ、自分がどう生きるかは自分が決めているというよりも、他者によって、見えない手によって決められているような気がしていた。自分は無力で、自力ではなにもできない。今日、善人であったとしても、明日は悪人になっているかもしれない自分。すべてが外部の影響で決まってしまう。

30代になったころは、もう少し自分に自信があって、というのもバブル景気の自我肥大傾向をもろ反映しての空手形のような自信なのだが、自分が良い方向に向けばよいのだと思っていた。正しいことがあり、正しいことのためにとりあえず生きていけばなんとかなる……みたいな。その正しいことの基準についてはあまり考えていなかった。

40代は、良いこととか悪いことというのは、味方によって変わる。つまり絶対に良いことも悪いこともないようだ、ということに気がつく。しかしながら、自分は自分の信じるところに従って、自分が思う正しいと思うことをすればいいし、そうするしかない。そして、それを人に伝えることが仕事である……、つまり、正しいも悪いもないが、自分が思う「これがいいんじゃないか?」というものを伝えていこうと……していた。

さて、私はいままたしても悩んでいるのである。それは何かと言えば、確かに世の中には絶対なる善とか、絶対なる悪なんていうわかりやすいものはないようだ。だとしたら、自分は何に従って生きればいいのか。自分が良いと思うこともほんとうに良いかどうかわからない。また、世の中の善なるもの、清らかなるもの、そのようなものを人に伝えるというのは、それもまた一つも盲信であり、それが盲信であることを自覚しなければならない。しょせん、どんな道も、それは「虚」であるが、たとえそうだとしても、それがわかった上で、自分の見方、生き方を決めていかなければならない。

私はこれまで「いい子」であり「いい人であること」をがんばって選択してきた。それが悪かったとは思っていない。しかし、ほんとうにそれでいいのか?とこの年になって思うのである。というか、この年だから思うのかもしれない。昔、むかし「いじわるばあさん」という名作があったが、なぜ「いじわるばあさん」が必要なのか、自分がばあさんになってわかるのである。

正直に言おう。イヤな奴、邪悪な奴はいる。 確かにいる。そしてその人たちは自分が邪悪などと思っておらず、どちからといえば被害者意識をもっていて、ちょっとでも特権をもっている人間は袋叩きにして殺してもいいくらいに思っている。タレントなんか人間じゃないし、作家なんか呼び捨てでいいのだ。名前が出なければ人の悪口などいくらでも言うし、こきおろすし、それが当然の権利くらいに思って、自分はまったく悪いと思っていない。だって、自分のとるに足らない発言で相手が傷つくなんて想像の範疇外だから。傷ついているのは自分のほうで、他人の理不尽に比べたら自分はなんて、いじましく生きているのだ……と思っている。
それは誰かと言えば、それは私である。
それが私であるとも言える。
私は基本的にとってもいい子なので、人は恨まないし、悪口は言わないし、他人には気を使い、なにを言われても黙って耐え、自分を攻撃する相手は無視してきた。それで事無きを得てきた。
じゃあ、私の邪悪さはどこで炸裂させればいいのだ?私だって邪悪なんだよ。ムカつく奴なんか五寸釘打って呪い殺してやりたい。この邪悪さは棺桶まで持って行くのか?

私は長いこと、人格障害の父親が酒乱になったときの、想像を絶する邪悪さとつきあってきたのだが……、それはもうほんとうに、なぜここまで他人を貶めるのか? どうしてそんな被害妄想が生まれるのか?とデングリ変えるくらいの邪悪さで、圧倒されたのだが、あの父が邪悪であったことで私はずっと良い子でいられたのだと思う。相手が悪だとこっちは善を演じられる。
父が死んだいま、父は記憶のなかでどんどん清らかな良い人に変貌し、私のなかの邪悪さは募るばかりだ。

どうやら、これから死ぬまでの間に少しずつ、私は自分の邪悪さを小出しに放出していかなければいけない。よりよく死ぬためには、より悪くなる必要がある。そう思ってふと、あのエリザベス・キューブラー・ロスが、死ぬ前にさんざん悪態をついて神を呪っていたことを思い出した。ムカつく世界に、理不尽な医療に、自分を理解しない世の中に、アホな読者に、思いっきり悪態をついて、怒鳴り散らしていたエリザベス・キューブラー・ロス。
彼女が人生で人に施したきた無償の行為、それを考えればあんな悪態はかわいいものだと思える。

そしてまた、2002年に加藤清先生が私に与えた言葉を思い出すのだ。
「田口さん、人間は一日一悪! 善いことなんかやってちゃいけません」
人間の業をひっくり返すような悪いことをしろ。善人になろうとしちゃだめですから。
加藤先生の言葉が、なぜか中原昌也さんの小説を読むと蘇るのである。

私の今年は「一日一悪」の徹底。
だが、業をひっくり返すような悪というのは、善行より遥かに困難。
一日一悪。
これぞ、いじわるばあさんの極意。
by flammableskirt | 2010-01-19 17:43
今日は仕事の合間の息抜きに、近所のホームセンターの花売り場に行った。
花売り場で花を選んでいる人は、みんな真剣である。今日は「わさび」の苗の前に座りこんで「わさび」と会話をしている、たぶん60代の女性がいた。「わさび」は自宅での栽培が難しそうだから「あんた、うちに来る?」とわさびに問いかけていたのかもしれない。
 
それから、よくご夫婦でお買い物に来ている人がいて、だんなさんが鉢植えを手に取って見ていると「似たようなのがたくさんあるでしょう!」と釘を刺している奥さん。
「似てないよ、違うんだよ」
 というだんなさんを全く相手にせずに店内に消えて行った。

花を見ている人同士はよく会話する。
「あらそれ、きれいね、どこにあったの?」
「あっちの棚にまだ一つ残ってますよ」
「この花、どうかしらねえ。寒くても平気かしら」
「うちのはわりと元気に育ってますけど……」
 などなど……。

このホームセンターの生花売り場というのは、なぜか心がなごみ仕事の合間に、仕事場に近いこともあってふらりと来ては花を見る。買わなくても見ているだけでうれしくなってくる。そして、今日はふと、花を見ている自分を見ているもう一人の自分がいて、突然に「ほんとうにたいへんなことがたくさんあったなあ」と話しかけてきたのである。
私は楽天的な性格であるし、講演などしても「辛いことがあったのにほんとうにお元気ですね」とよく言われる。確かに親兄弟のことでは苦労したが、実際に自分に起ったことをそれほど大変だとも悲しいとも思わず、その都度、悩みはしたが、死ぬほど辛いとか、苦しくて病気になる、などということもなく過ぎてきた。思い返してみればいつも笑っていたし、いつもそれなりに楽しく生きてきた。
ところが、この冬のホームセンターの花屋でぼう然と花を見ている人たちを観察しながら「ああ、ほんとうにいろいろあって大変だったなあ」としみじみと思ったの、自分でびっくりした。
なぜ、家族が全員亡くなって、ほっとして、平安ないま、こんなことを思うのだろうか。いまだからこそ思えるのだろうか。わからないが、確かに、自分が苦労したことを認め、ごくろうさんと言う自分がいたのである。そういえば、いろんな人に「がんばりましたね」と言われたが、自分が自分に「よくがんばったね」と心から言えたことはなかった。そもそも、そういうことは思いもしなかった。
だけど、どうしたわけか、陽が降り注ぐ午後のホームセンターの花売り場で、私は自分に対して「ごくろうさん」と言っていたのである。

なにかの終りであることに間違いはなかった。だけども、それがなぜ今なのか、この瞬間なのかはわからない。とにかく今だったのであり、なにか心からほっとして肩の力が抜けたのである。
それから買い物をして、家に戻ってボローニャスパゲティを作って、アップルタイザーを飲んだ。冬の陽射しが長く長く部屋にさし込んでおり、しみじみ「うーん、おいしいなあ」と思いながらスパゲティを食べていると、またしても、妙なことを思った。
こうして、このありきたりな生活にたどり着くまでに、米粒を重ねるように日々を重ねて来たのだなあと。ささやかであるけれど、こぎれいに整った静謐な生活に行き着くまでにどれほどの時間が必要だったか。家族の愛情と信頼が日常になる日を得るまでに五〇年である。安心して、淡々と孤独と向きあいそれを楽しめるようになるまでに五〇年である。ああ、すごいな人生は……と思い、なにがすごいのかわからないが妙に一人で感激した。
 この生活も、明日、大地震が来て簡単に消えてなくなるかもしれない。でも、生きていれば私はまた米粒を重ねるように日々を重ね、そしてある日、思うのだろう。
「ああ、地震が来てほんとうに大変だったんだな、がんばったんだな、私」
 と。
by flammableskirt | 2010-01-18 15:38