田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


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花を飾る

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仕事の合間に花で遊んでみた。使っているのは、多賀の望月士さんの器。望月さんの器は地中海のイメージで作られていて、とてもきれい。白と淡い光沢のあるブルーの組み合わせが大好きだ。もう最近はあまり仕事をしていないようなので、遊びに行っては自分の好きな器を選んで買ってくる。
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これは硝子の蚊取り線香の器。夏に涼しげで買ったのだけれど、すぐに蚊取り線香のヤニで汚れてしまうしあまり機能的でなった。結局、花器に使うのがいちばんぴったりくる感じ。グリーンぽい白はすごく好きな色だ。グリーンがかった白の花があるとつい……手が出てしまう。これもホームセンターで1000円で売れ残っていた。こんなにきれいなのに……しかもいま満開であまりに花が多かったので少し間引いて飾った。
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これも望月さんの作ったお皿。ほんとうにステキ。食事に使うというよりも見て楽しむほうが多い。暇ができたらいっしょに土面を作る約束をしている。素焼きの土面、面白い形の土面をたくさん作ってみたい。年末は餅つきがあるので、その時も白い器を探して来ようと思う。
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工房 望月  熱海市多賀1152-3
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by flammableskirt | 2009-11-26 16:06

My collection.

最近、twitterでお知り合いになった方の影響でランの花を栽培しています。
自分の名前にも似ているし、なんとなく愛着が……。
近所のホームセンター「エスポット」では古いランが投げ売り状態で半額の半額に……。
そんな捨てられそうなランを買ってきて育てています。c0082534_10342554.jpgちなみに、この花も1500円で買いました。陶器の鉢は熱海の多賀に済んでいる陶芸家の望月氏から、ふちがかけているので安く譲り受けたものです。白い陶器は白いランがひきたちます。








このランは、1000円で買いました。水のやりすぎで根が腐ってぶよぶよになっていたので乾燥した水ゴケに取り換えました。元気な根が残っていれば元気に花を咲かせるようです。ワイヤーで形をつくるのが好きではないので自然な垂れた雰囲気に飾っています。c0082534_10364127.jpg

c0082534_10385338.jpgというわけで、今は仕事場はこんな感じになっています。この土地は海が近くて寒暖の差が少ないのでランには向いているかもしれません。































黄色いチューリップはよい香りがするものが多いと聞いて、ついでに買ってみました。そうしたらほんとうによい香りがします。知らなかったなあ!私はこのユリ咲きのシャープなチューリップがわりと好きです。c0082534_1053592.jpg






















c0082534_10545987.jpgそうそう、おとといの朝、通勤途中で海岸で拾った硝子石は大物でした。波にもまれてすっかり空豆のように丸くなっています。毎日、拾ってるんだけど、多い日と少ない日がある。潮の関係だと思
う。






これが、このあいだ仕込んだモイストポプリ。最初は梅干の大きな瓶で仕込んだのだけれど、スパイスを混ぜるときに硝子の瓶に変えた。瓶のままのほうがよかったのかな。初めての挑戦なのでまだ試行錯誤中。熟成が終わるのは来年の一月頃かな。c0082534_110949.jpg
by flammableskirt | 2009-11-26 11:11

ダライラマ法王が来日して行われたイベントの講演録です。
つなぶちようじさんのブログ 水のきらめきをごらんください。


水のきらめき Rotating Header Image
地球の未来への対話〜仏教と科学の共鳴
11 月 4th, 2009
by Tsunabuchi Yoji.

2009年11月1日(日)午後1時から『地球の未来への対話』を聞きに行った。以下に対話の内容を記す。ただし、会場には録音機材などを持ち込むことはできないとのことだったので、すべてメモ書きしたものをここに書き直す。そのためにかなり内容が抜けているし、メモが不完全な箇所はあとで補ったので、多少の間違いがあるかもしれない。ご容赦願いたい。 

http://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/?p=1362
by flammableskirt | 2009-11-24 12:05

チェーホフの鍵とは?

東京ノーヴイ・レパートリーシアターのチェーホフについてのシンポジウムに参加します。
シンポジウム『チェーホフの「鍵」とは?』
2009年12月7日(月)

第9回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2010 プレ・シンポジウム

 雑誌に短編の売文を書いている小説家としか思われていなかった医師アントン・チェーホフ氏は、1890年30歳の年に8ヵ月間余にわたりシベリア流刑地への旅を 断固敢行した以後、今日なお世界中で"チェーホフ四大戯曲"と称されるほどの大「問題」作群を残し、44歳で病死。
 そんなチェーホフの作品を単に集める“フェスティバル”ではなく、チェーホフが追求したものをいま追求するため、チェーホフをどう考え、チェーホフのどこを開き、チェーホフをどんなふうにいじくるか・・様々なジャンルの芸術家・研究者・・・が集まって話し合う。
プラス
今世紀、チェーホフは何を担う?
人間の心を導く チェーホフの鍵とは……?
鍵穴の向こうを覗いて  歌え! 踊れ! 笑え

http://www.theaterx.jp/09/091207-091207p.php
by flammableskirt | 2009-11-22 17:19 | イベントのご案内

湯河原気功太極拳合宿

ほっと湯河原実行委員会
気功太極拳合宿のご案内


2010年2月19日(金)〜21(日)に、私の尊敬する気功太極拳の新渡戸道子先生をお招きして合宿を企画していただきました。
ずっと先生を湯河原にお呼びしたいと思っていましたので、その機会が訪れてとてもうれしいです。
金曜日の夜に湯河原温泉集合なので、東京にお勤めの方でも大丈夫ですよ。
今回は初歩から内気功のトレーニングを行いますので、初心者の方向けです。
どなたでも参加可能です。定員二〇名です。

詳しくは、こちらのホームページをご覧下さい。
ほっと湯河原実行委員会


湯河原って、こんなきれいなうろこ雲がよく出るんですよ。
二十年以上前にこの町が気に入って移住。ほんと、気持ちのいいところです!
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by flammableskirt | 2009-11-20 11:51 | イベントのご案内
連載中の雑誌「風の旅人」主催の公開トーク
細江英公さん、森永純さんという天才写真家二人とごいっしょすることになり緊張しています。
最近復刻された細江さんの「鎌鼬(かまいたち)」を見て震えがきました。
世界的な二人の表現者から、どんな刺激を受けるかいまからぞくぞくします。
この大御所のお二人が顔を合わせる機会など絶対にない、ということは、写真に携わっている方ならわかるはず。どうか凄い機会をお見逃しなく!!!!!

>~表現の行き先~ 細江英公 森永純 田口ランディ 公開トーク

『風の旅人』 公開トーク 開催

<テーマ>表現の行き先

日時/12月13日(日) 13時30分~
場所/永田町 砂防会館 
別館 3F立山会議室(定員100名)
東京都千代田区平河町2-7-4 
砂防会館別館3階


第一部  開場13時。開演13時半~15時 
細江英公 森永純 田口ランディ    進行役 佐伯剛  

第二部  15時半~16時半   
中藤毅彦 有元伸也 他、計画中     進行役 佐伯剛  



入場料 2000円

*入場者には、森永純さんの作品が掲載されている『風の旅人』第34号と第35号の2冊を進呈致します。どうしても他の号を希望の方は、17時の会の終了後(午後5時~)、編集部(徒歩3分)にて、交換致します。

また、細江英公さんの新作が掲載される『風の旅人』第39号(2/1発行)の予約を行っていただいた方は、定価で1200円のところを1000円(送料込)で販売致します。



予約制:申し込みは、shuppan@eurasia.co.jp まで。

「12/13日公開トークに参加希望」と明記の上、住所、氏名、電話番号、メールアドレス、参加人数を記入の上、お送りください。

 定員になりしだい、ホームページ上でお知らせします。



<趣旨>

昨年の金融危機以来、大手メディア各社は軒並み困難な状況にあり、今後、大手メディアに依存する表現活動の可能性は、これまで以上に軽減するのは間違いありません。また、作品の価値を権威づける力の退行と同時に、自主ギャラリーやネットをはじめ表現の場が様々な形で台頭し、デジタルカメラの技術発展もあって、表現におけるプロとアマチュアの垣根も無化されつつあります。

さらに、日本と海外のあいだの距離も急速に狭まり、表現においてもボーダレスな活動が、当たり前になりつつあります。

しかし、世界が一つにつながり、様々な表現が日常的に溢れかえるようになってくると、その洪水のなかに、あらゆるものが埋没してしまいます。誰もが“面白いこと”を求めながら、その”面白さ“が次の瞬間に消費され、記憶として残り続けるものになりにくいのです。

細江英公さんや、森永純さんが40年以上も前に取り組んでいたものは、今見ても、古さをまったく感じさせません。一つのテーマに長い間じっくりと取り組んでいても、人を飽きさせることのない深さを秘めています。

また、日本か海外かに関係なく、真の意味でグローバルな普遍的な魅力を湛えています。

それはいったい何故でしょうか。 

表現は個人的活動でありますが、自分のアンテナだけで、時代を超えて、また国境を超えて、つながっていくことができる。その力は、いったいどこから来るのか。

細江英公さんの写真活動の軌跡は、1959年のVIVO以来、大手メディアに迎合しない写真表現の自立性を目指したものであり、後のヤングポートフォリオでの新人発掘においても、その精神は遺憾なく発揮されており、個人の表現者としても、社会的な牽引者としても、その姿勢は一貫しています。

森永純さんもまた、大手メディアには一切媚びることなく、その為、作品発表の機会が極端に少なくなろうとも、軸のぶれることのない長年の活動によって、次世代の写真表現者達の尊敬を集めています。このお二人が中心になって、1970年代の前半に大手メディアの権力に屈することのない表現発表を行うため、現在では当たり前になっているギャラリーでの個展活動の動きを作り出したことは、メディアがそれを伝えていないこともあって、若手写真家のなかで知らない人も多いでしょう。

お二人に共通していることは、日本の写真業界の因習に閉じこもらず、かといって欧米に媚びたり安易に模倣するわけでもなく、自らの表現を深く掘り下げることで、国際的に通用する普遍性に到達していることです。

グローバルスタンダードという形ばかりの標準化の動きが顕著な時代において、自分の持ち味を一心に磨き、結果として海外の作品に一切見劣りすることなく、個性を発揮しながら欧米文化とも調和が可能であるということを、二人の作品は証明しています。それが海外での高評価につながっており、彼らが獲得している評価は、物珍しさや東洋趣味による日本ブームは別のものです。

また、作家の田口ランディさんは、日本では人気作家の地位を既に築いていますが、近年、イタリア、ルーマニア、中国など、様々な国々での翻訳本が発行されています。
日本の出版マーケットでは、内容を深く掘り下げていけばいくほど販売部数が減ってしまい、瞬間的に楽しめて気軽に消費できるタイプのものを作家に求める傾向があるそうですが、彼女は、そうした現在の日本社会の表現者のポジションにも深い問題意識を持っています。

また、田口ランディさんの作風を、日本の文壇社会では“ポップ文学”として捉える向きもありますが、海外における評価はまったく違い、今日の世界が根本のところで共有する課題に深いところで向き合っているシリアスな純文学作家という位置づけなのです。

文学か写真と表現の方式は異なりますが、細江英公、森永純、田口ランディという3人には、共有するところが多くあります。

依然として大衆メディア時代の慣行が残っている日本社会ですが、その部分を今さら分析しても何も始まりません。これからの表現活動がどのようになっていくかということを、今回のトークでは希望を織り込みながら話し合っていきたいと思います。
by flammableskirt | 2009-11-20 10:29 | イベントのご案内
 
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 池袋のあうるすぽっとにて上演中↑
 劇場ロビー/演出のため開演15分前まで入れない。


4.48サイコシス 作:サラ・ケイン 演出:飴屋法水

昨夜、「4.48 サイコシス」の初演を観た。……観るというよりも、体験した。演劇は鑑賞するものではなく体験するものである。私は確かに劇場で凄い体験をしたが、あの舞台美術、装置、演出、それについて語るとこれからこの演劇を体験する人たちにはなはだ迷惑であろう。まずは予備知識なしで体験してほしい。ショックだから。マジ、がっつんとやられますよ。だからどう凄いか詳しくは言えない。辛い。

 この芝居は「精神の病み」を扱っている。「病み」であって「狂気」ではない。どう違うかといえば、私たちにとって「病み」のほうがずっと怖い。なぜなら「病み」は私にとって了解可能な言語構造で成り立っているからだ。「狂気」は完全にあっち側である。了解不可能である。言語が崩壊している。
病みは違う。延長線上に自分が見える。

 私は面白い演劇を体験すると、観客であることに嫌気がさす。
 そもそも観客とはあらかじめ「語ること」を禁じられた存在であり、私は観客席にいる限りなにもできない。くだらない芝居なら寝ればいいが、面白いものを体験しているのにじっとしていなければいけないなんて、こんな苦痛なことがあるだろうか。何が起こっても「まな板の上の鯉」であり、ひたすらじっと沈黙していなければならないのである。
 この芝居は鏡面構造になっていて、舞台と観客はきわどく対面している。それゆえ舞台のあちら側から一方的に言葉を、それも、かなりシリアスで辛辣で、身に覚えのある言葉を投げつけられ続けるとやはりムカつくのであり、しまいには立ち上がってこちらからも何か叫んでやりたくなり、ムズムズするのである。「ふざけんな!」と、舞台側の人々に言い返したい、ああ、言い返したいな〜と思いながら、でも、ここは劇場だし今は芝居中だし、立ち上がって叫んだらこっちがキチガイになっちまうなあ……と、観客という立場にがんじがらめになって、黙っているのである。ようするに、私は理性でもって、自分を「演劇空間のなかにおける観客」として位置づけ、その構造のなかにおさまろうと必死でがんばっているのであるが、その、真面目な観客である私を、この演出家は最後の最後に「それであんたは満足なのか?」という感じであざ笑うのである。ちくしょうなのである。それなら、やっぱり立ち上がって叫んで、芝居のなかに入って、現実も虚構もぐっちゃぐちゃにしてやればよかった……と、思いながら有楽町線の乗って帰って来た。
 そして家に戻って興奮冷めやらぬので、舞台に流れていた真っ赤な血ようなワインを一本飲んで、今朝は二日酔いなのである。
 十三歳の頃から演劇が好きで、寺山修司に憧れて上京したような女であるからして、面白い芝居を体験するとそこに自分が関与していないことが腹立たしい。なぜ自分は観客なのだろう? どうしてあちら側にいないのだろう? そう思うのである。私こそあちら側にいるべき人間である、と。思春期に同じことを考え演劇にはまったのであるが、人間とは何十年経っても変わらないものだ。いいなーやっぱ演劇だよ。小説なんてつまんねえことやってられるかよ、という気になってしまう。だけど、最初にも言ったように内容について書けない。残念だ。
 めっちゃ怖い、エグい作品だが、私の小説が好きな人はたぶん大好きなはずだ。これを体験しに行かなければそれは今年一番の大失敗であろう。そう思って、私は必死でこれを書いている。なるべく早く書いて、みんなに体験させてやりたいからだ。

■母国語と外国語

 「4.48 サイコシス」の作者は英国人である。原作は英語であり日本語に翻訳された。かなりねちっこい独白、断片的なシーンの積み重ね。しかし、決して難解ではない。難解ではないのは必然があるからだ。このように表現しないと見せられない「病み」というものが、この形式を作らせている。
 役者の多くは外国人で、カタコトの日本語で芝居をする。これが実にいいのだ。というのは、病んだ言葉は標準語では表現できないのである。日本人の役者が心情をこめて標準語で精神の荒廃をモノローグっても、なんか芝居がかってて気持ち悪いのだ。この舞台をすべて日本人が演じたら、さぞかしくどくてうざい舞台だったであろう。しかし、多くを外国人がカタコトで語る、それが実にいい。そこにはリアリティがある。
 なぜ、リアリティがあるのか。不自由だからである。精神の荒廃は言葉の荒廃でもあり、発語の荒廃でもあり、流暢な言葉で人は病まないのである。そして、日本語のなかでもとりわけ標準語は、無機質であればあるほどステキな言語だ。気象情報を読んだり、時報を告げたりする標準語の、なんという美しさ。そもそもそういう言葉なのである。心情を伝えるための言葉ではなく、一般化された情報を広く人に伝えるための言葉である。しかし、そんな言葉を使うしかない私たちの日常こそが、精神的荒廃の一つの原因になっていると私は思う。
 かつて、寺田寅彦という不思議な随筆家が(彼は科学者であり、また実に文章もすばらしかった)、ローマ字表記で何作かの随筆を書いた。なぜわざわざローマ字で? と思うだろうが、それはこの寺田寅彦という人が、音に対して特別な感受性をもっていたからだ。ローマ字で書かれた彼の文章のすばらしさは音読してみればわかる。ローマ字を読むとき、人は少し不自由になりカタコトになる。その不自由さゆえに現われる素朴な心情や陰影というものを、最大限に発揮できる文章を、寺田はローマ字で書いているのである。
 外国人はローマ字で書かれた日本語を読むようにセリフを語る。そこに見える切実さに、なにかほっとする。それゆえこの芝居はとても暗いが落ち込まない(少なくとも私は)。

 山川冬樹はすごかった。彼とは日本ホーメイコンテストで会ったことがある。ずいぶん前だったが、その頃はまだ線の細い美青年だった。久しぶりに観た山川冬樹はものすごい存在感を放っており、精神の病みに興味なんかない、という人は彼を観るためだけに足を運んでも充分満足できるだろう。恐るべき怪優であった。なにしろ声がいい。その倍音のたっぷりこもった低音は人間以外のなにかを思わせる。精霊か、もののけか、そのような霊的なもの。
 劇中でも彼の存在は特異だが、私はこの救いようもないような精神を病んだ人々の集団に、なにか希望のようなものがあるとしたらこの精霊の声だと思う。言語という構造、論理の世界から抜けられず独白しもがき苦しんでいる人間、私たちは言葉で思考するしかないが、言葉以前にも声というものがあり、意味をなさない声には論理を超えた生命の息吹が宿っているのだ。ホーメイを聞くとラクダさえ泪すると聞いたが、言語以前の声の霊的な力はキリスト教以前のユーラシアで広く信仰されていた。
 だから、この恐ろしく病んだ独白の続く芝居に、飴屋さんが倍音をぶつけてきたことはブラボーである。精霊はまだ私たちの血のなかに宿っている。
 この芝居は視覚的に充分刺激的だが、本質は聴く芝居だと思う。音が重要な役割を果たしており、聴覚への刺激のために視覚が利用されている。末梢神経を刺激するような、どちらかといえば不愉快に感じる音が快感である。音は言語以前であり、音による刺激は感覚を直撃する。目で観たものはすぐに意味付けされて現代用語の基礎知識として消化されるけれども、音はそう簡単に言語化などされず、全方位的に脳を刺激しつつ、観客の陰部をくすぐるのである。目は瞼によって閉じることができるが、耳は開きっ放しであり、場全体を感受している。それゆえ、演出家には音に対する極度なまでの感受性が必要であろう。音に対して飴屋法水は申し分なく凄いこだわりを見せた。さすがだ!
この舞台は11月23日までやっています。

4.48 サイコシスに関してはこちら
http://festival-tokyo.jp/program/ameya/
フェスティバル/トキョーに関してはこちら
http://festival-tokyo.jp/
by flammableskirt | 2009-11-17 13:53

自虐的なダメ出し

短編小説を書き上げる。
全ろうあの聴覚障害者で、言語習得以前から聴力を失い、言語を習得できなかった若者の話。
成人になっても言葉を知らない。言葉というもののない世界で生きている。

ここ数日、小説のために言語ということについて考えていた。
言語のない世界は私の想像を絶するため、この青年の視点に立つのは困難を極め、けっきょく健聴者の視点から小説を書いた。それで書いているうちに、時々頭が真っ白になり、自分が一歩たりとも言語の外に出ることができず、言語というものの偉大さに驚愕した。

そして、言語を使うということ、私の認識世界で思考し判断し、そして表現するということの傲慢さと快感についてわずかに知覚した。わずかなものだ。人間はほんとうに自分のことはわからない。
ましては自分が使っている言語、そして言語パターン、思考の癖、思い込み、繰り返し、などなど、まったく無頓着に生きていることに辛くなった。そしてそんなことに気がつかないほうがよほど幸せだし、気がついたところで自分の認識の外に出ることが難しいのだから、どうせすぐ元の木阿弥に戻ってしまうことに悲しくなった。
以前に安部公房の創作ノートを全集のなかで読んだ時に、安部公房が言語にたいへんな興味を示していたことを知ったが、文章表現者が言語というものにひっかかると、がんじがらめになり、なにもかもが嫌になる。
しかし、この足元をすくわれて、なにもかもが「あまりに保守的だ」と感じることは快感でもある。
それが自分も含めてそうであっても、この自虐的なダメ出しは、やはり快感である。

どう身をよじっても、しょせん自分の認識の外に出れないのであるから、開き直るしかないのだが、それでも開き直れなくて、世界を体験して発見しようと意気込んでしまう。
どこかボタンを掛け違えているのはわかるのだが、その掛け違えに死ぬまでに気づけるだろうか……。
by flammableskirt | 2009-11-15 18:05

11月27日は高知で講演会

実は初めての四国です。ちょっと感動です。
四国にも私の本は売っているのだろうか、ちょっと不安です(笑)

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by flammableskirt | 2009-11-13 21:56
-「奇跡のりんご」講演会のお知らせ--
「無農薬・無肥料でリンゴが栽培できない」と言われた常識を覆し、自然の力を最大に借りた自然栽培農業を実践した木村秋則さんの講演会が石川県の羽咋市で開催されます。
めったにない機会!お近くの方はぜひ!
私も行きたかったのですが、この日は他のイベントがあり残念です。

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「奇跡のりんご」木村秋則さん講演会

9年間苦しみ、集落や周囲からは馬鹿にされ、赤貧の生活、収入が無く自殺まで図ろうとしたどん底からひらめいた、完全無農薬・無肥料によって害虫やバクテリアに強いりんご栽培に成功した実話を語ってもらいます。2年間も腐らず、乾燥してドライりんごになってしまう不思議なりんごの物語です。
「無農薬・無肥料でリンゴが栽培できない」と言われた常識を覆し、自然の力を最大に借りた自然栽培農業を実践した農家です。
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」にも取り上げられ、話題となりました。
木村さんの体験は農業から宇宙にまで広がっています。日本の食と自然、農業に一条の光明が差し込む内容です。是非、ご参加下さるか、都合でご参加いただけない場合には是非とも周知下さるようお願い申し上げます。

日時 平成22年2月20日(土) 午後2時開始 (開場午後1時)
場所 石川県羽咋市鶴多町免田25番地 
   宇宙科学博物館-コスモアイル羽咋 大ホール 0767-22-9888
   (無料 駐車場あり 大型バス駐車可能)
主催 木村秋則講演会実行委員会
   (志ある市職員等による有志が集まって自費で行うものです。1500円の有料となりますが税金は使っておりません。皆様の一人一人の志が交通費・謝金・宿泊費・チラシ代となりますので、参加・周知の程宜しくお願い申し上げます。)

入場料 1500円(メールでの受付 akinorikimura.hakui@gmail.com
FAXでの受付 0767-22-9225) 
by flammableskirt | 2009-11-11 14:34 | イベントのご案内