田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
プロフィールを見る
画像一覧

<   2009年 07月 ( 18 )   > この月の画像一覧

お祭りだ

金沢に仕事に行って、戻って来てからずっと家の雑用に追われている。そして、今日、やっと留学生の女の子を受入れた。ヒリシャという22歳のインド人。明日から国際交流のいろんなイベントがあり、いろいろてんやわんやで何をする暇もない。お祭りだし……。とにかく、お祭りが終わるまでは家事に専念という感じです。

金沢でお世話になったみなさん、ありがとうございました。
とても楽しかったです。私のブログを読んでいてくれてありがとう。更新できなくてすみません。
よかったらtwitterも読んでください。こっちは英語だけど……。

よし、寝るぞ。
そして早起き。
by flammableskirt | 2009-07-31 22:35

見た目も大事

やっぱり、赤と黒は暑苦しかったので、スキンを変えてみた。
蒸し暑い夏には、見た目だけでも……涼しくと思って……。
by flammableskirt | 2009-07-23 15:01

ゲラ嫌い

さて、粛々と仕事を終えて、今日から新しい原稿に取りかかる。連載はほんとに経験がなくて、月に二本の連載をかかえたのは(小説の)生まれて初めてなので、すごくドキドキする。前倒しにすることはあっても締め切りに遅れることってほとんどなかったし……。とにかく早めに書こうとするからやっぱプレッシャーで、終わるともう来月のことを考えてしまう。夏に入って、家庭内の行事はいろいろあるし、交換留学生はやって来るし、イベントとか講演も頼まれているし、その合間を縫うように、机にへばりついて仕事をしているんだけど、そうこうしているうちに前の原稿のゲラがやってきて、昨日はついに編集者に「ゲラなんて大嫌い、もう私のなかでは終わっているのに!ゲラなんて編集者が見てくれればもうそれでいいわよ」と駄々をこねる(笑)

いや、ほんとうにゲラを読むのが苦手。というかめんどい。ゲラというのは原稿が印刷されて、しかも校閲の人の赤字が入って戻って来るもので「この字が間違っています」とか「この言い回しは差別用語だから使っちゃダメ」とか、いろいろ注意が書き込まれた印字原稿のことね。それを見ながら最終原稿チェックをするのは作家の仕事なんだけど、この校閲が実にみなさん優れていて、私のごときバカ作家は常に誤字を指摘され「この言い方は間違っています」と指摘され、ぐすんぐすんごめんなさい、と見たこともない校正者に向かって謝りながら読むわけです。なんだか通信教育の添削受けてるみたいな気分になるのね。それで、ますますゲラが嫌い。でも、これをちゃんとやらないと、本になったとき間違いだらけの本になって読者に迷惑をかけるし、当然の仕事なんだけど、書くことで燃焼しきってしまう私みたいな気分屋は、この地道なゲラ読み作業を忙しい時にやるのが本当に苦痛で、ああ、どうしてゲラ読みロボットがいないのかしら……、と思うのでした。

そして、嫌なものはほっておいて、好きな原稿書きばかりしているので、原稿の締め切りはきっちり守るのだけれどゲラはいつも返すのが遅れる。そして、私の手元にはすでに、四本のゲラがたまっており……。
ああもう、いやっ、逃げたい。原稿締め切りから逃げたいと思うことはない。でも、ゲラだけは嫌。ゲラなんて大嫌いなんだもん。見るのもげーーーっ。子供か?アタシは。
by flammableskirt | 2009-07-23 14:55

いよいよ総選挙ですね


2005年の総選挙のときは、ワタシは自分が日本国民であることがほとほと嫌になるほど、がっかりした。なんだ、あの変な盛り上がりは?あの茶番は?あのミエミエの小泉劇場のシナリオは?という感じでなにもかも嫌になり、それで小泉総理の悪口ばかりブログに書いていたように記憶する。

あれから4年たって、あのときの選挙はなんだったんだ?って、みんな思っているよね。思ってほしい。
自民党はしばらく野党になって、もう一度自分たちの政党を建て直してください。何十年も権力の座にいれば誰だって頭が変になるものです。二世、三世議員を送り出すのをやめてください。
公明党は組織票でもって、権力にすり寄るのをやめてください。政治と宗教は切り離して考えてください。自分の頭で考えて、自分が誰を支持するのか、自分で決めよう。自分の生活に影響が及ぶことです。

政治的なことに意見表明することは避けたい。という気持ちはずっとある。いまでもある。
今回は少しばかり勇気を出し言う。みんな選挙に行こう!
by flammableskirt | 2009-07-21 13:46
最近……、twitterというものを始めた。橘川さんにすすめられたのがきっかけなのだが、最初のうちは、これの何が面白いのかがよくわからなかった。もともとネットメディア好きなので、いちおう何でも試してみる。というわけでしばらく気合い入れてやってみた。

実は最近、英語の勉強をこの年にして始めた。それでtwitterを英語教材として使用。日本語を学びたい外国人たちと交流するようになって、書き込み……twitterでは「さえずり」というが、それを英語で始めた。毎日、短いフレーズの英語を考える。まあ、多少は役に立っているように思う。間違ってると英語圏の人が教えてくれるし、こちらも日本語を教えたりする。でも、英語教材として使っている人はあまり見かけない。日本人はどちらかといえば日本人同士でさえずりあっている。もちろん母国語を使ったほうが断然コミュニケーション能力あがるから、それは当然なんだけどね。

当初から外人ばかりを選んで、その人たちの会話をフォーローし続けていたものだから、それに慣れてしまったのかもしれない。最近は日本人のtwitterの人たちを少しずつフォローして日本語の書き込みがワタシのホーム画面に表示されるようになったのだが、日本のインパクトが強くて、なんだかぐったりしてしまうのだった。

なにしろ、日本語は理解できるから、ずらーっと日本語の書き込みが並ぶとそれを一瞬にして読んでしまう。だって日本語能力すごく高いでしょ、なにしろ作家だし、ネット生活が長いから。そうすると、ものすごい量の人と情報の渦がどかどか頭のなかに侵入してきて、それを読み飛ばすことができないのね。コンテンツになってると、職業柄ってのもあるけど、どうしても読み込んでしまう。日本人の頭のいい人って、けっこう良質のコンテンツを書いているので、面白いわけです。だけど、それを大量に流し読みするのって、ワタシにはヘビーで辛いのです。

なので、どうしても日本人のフォローをはずして、外国人ばかりになっていく。外国人は英語とか、他の言語で書いているから全然読めないわけです。こちらから意識を向けて、それを読もうとしない限りワタシの英語力では一切、頭に入ってこない。その方が楽だったりする。つまり、必然的な情報遮断状態になるから。

きっと、毎日日本語ばかりドカドカと読み続けていれば、そのうちに慣れて、自然と情報遮断できるようになるのかもしれない。ワタシの場合、最初に英語で入ってしまったから、日本語のコンテンツが脅迫的にこっちに踏み込んできて、たじろいたんだと思う。

それと、日本人の場合、毎日、相手のさえずり、つまり書き込みをリアルタイムで読んでいるとものすごく相手が身近に感じられてくる。妙な錯覚……つまり、情報のリアライズが起って、その人と自分の距離が妙に近くなってしまうんだ。それも、ネット社会ではよくあることなんだけれど、Twitterの場合、その数がとてつもなく多くなっていくから、そこが不思議な感じ。

ワタシはものすごくセーブしていて、自分が読んでいる相手は五〇人くらいにとどめているし、しかもほとんどが英語を使う人。だけど、人によっては一〇〇〇人単位の人の書き込みを日々読み流している人もいるようだ。しかも、日本語で!それってすごいなあ。もしかしたらワタシももうちょっと若かったらできたのかな。20代のパワーがあれば、五〇〇〇人くらいはフォローできちゃうかも(笑)
しかし、さすがに人間と交わることのニーズをそれほど感じなくなった。というのは、たぶん、自分の生きてせいぜい、30年と思うようになったからだと思う。うちの家族は全員80才になるまでに死んでいるので、ワタシもそんなに長生きはしないだろう。だとすれば、おまけで80まで生きたとしてもあと30年。その30年の間に自分がなにをしたいか……と考えると、おのずとコミュニケーションに対しては自重的になる。

ずっと外人をウォッチしていて、英語圏の人と日本人の違いってのはそんなにないように思えた。ワタシが英語が出来ないので、英語から受ける取れる情報量は当然少ない。だから、まだよく把握していないからかもしれないけれど。人と繋がる……という、妙な衝動は同じなんだなあと思う。

時々、日本人のメディア系の人たちの書き込みを読んでいると、みんながあまりに情報をたくさん持っているので、自分がバカみたいに思えてくることがある。なんだろうか、あの敗北感みたいなものは。つまり、情報を使える人の情報量の優越感みたいなもの?それにヘコむことがある。お金持ちにお金持ちの生活を見せられた時みたいな感じかな(笑)

情報をもっている人は、ネット上ではなんだか金持ちっぽく見えるね。ワタシは一日中、机に座ってなにもしないで……というか原稿を書いているので、そういう意味ではすごく情報貧乏(笑)ほんとに、自分の書き込みが貧乏臭いなあと思うわけよ。デジタル・メディア系の人たちのかっこいい書き込みを読むとね。

ワタシの仕事は小説家だが、小説というのは、これは一種の情報産業です。文学は情報産業なわけです。文字って情報で、その情報をバラまいているのがワタシの仕事だからね。情報という点においては、ブログも、twitterの書き込みも、同じなのです。同じ文字情報。コンテンツです。方法やアプローチが違うだけ。twitterをやりながら、改めて自分の仕事についても考えたりしている。ワタシが発信しようとしている情報はなんなのか。その情報でなにをリアライズさせたいのか?小説には意識が介入している。
twitterはその名の通り、無数の鳥のさえずりの集合体であり、そこにリアライズされるものは、ワタシがまだ見たことのない質の存在であり、なんだか怖いような、楽しみなような。

昔、子供の絵本で、みんなでいっしょにまとまることで、一匹の大きな魚に見せかける小魚の話を読んだことがある。魚は、それを無自覚に生存本能としてやってしまう。人間も社会を作ってまとまらなければ生きていけない生き物だから、そのような本能が働くのかもしれない。ワタシという存在をこの地上に言葉でリアライズさせることが、ワタシの仕事の一部である。だから、ワタシは自己顕示欲が強すぎてtwitterには心から乗り切ることはできない。教祖のように毎日自分の教えを書き続ける人も、たくさんいる。でも、そんなリアルはたかがしれている。無数のさえずりがあるとき、なにかの意志をもったように一つの音楽になるとき、そういうときにそこに参加しているリアリティは人を魅了するかもしれない。だけど、ワタシはたぶんそれにも乗れないんだろう。ノリの悪い、女だから……。
by flammableskirt | 2009-07-21 13:36

なにもない。

暑いです。夏ですから。暑いのは嫌いではありませんが、やっぱり暑いです。
今朝は小説の続きを夢で見たので「やった……!」と思って、即座に仕事場に行って午前中にめいっぱい仕事した。よかった、これで締め切り間に合う。半分まで書けた。明日もこの調子だぜワタシ。

いわゆるフリーのワタシは、ただ毎日黙々と机に向かう日々。自己管理オンリーの気楽なひきこもりというやつで、文句はないが、人が思うほど楽じゃないし、これが出来る人って案外少ないんじゃないだろうか。ま、なにもかも一人でやるわけですよ。ほんとになにもかも。だから、相手がね、ちょっとビジネスセンスなかったりすると、もうとっても「ムカついちゃったりするわけです」、本を出しているようにワタシはできればムカつかずに生きたいけれども、それができない凡夫なもんで、すぐムカつくわけです。もう、ちょっと、ちゃんとやってよ〜。ワタシ雑務で死にそうなんだからさ、って思っちゃうわけです。こういう自分から脱却したいが出来るんだろうか。
アシスタントつけたらいいのか? しかし、人がいたら気を使ってしまいそうだな、「あ、そろそろごはんしようか?」とかなんとか。

ここのところ、ワタシは自分の日記を読むにつけ「ワタシはかなり性格が悪いんじゃないか?」と感じる。少なくとも性格の良い人の文章ではないな、と思う。ワタシってこんな文体だったっけ?なんか昔は違ったような気がするのだが……。このブログの文体というのも、季節とか気分とかその時の状況とかで、相当変る。いま現在のモードを分析すると、ハイテンション自爆型モードか?

ま、よいやさのさ。きっと暑くて溶けたアイスクリームj状態になってるんでしょう。
明日には、原稿アップしたいな。そしたら、余裕でもう一本を仕上げて、来月の分にも手をつけて、そんでもって、気持ちよく出張に行って、来週には交換留学生が来るから、その前に家を掃除して庭をきれいにして……。

育てていた桜が、ハダニにやられた。今日はハダニに薬を調合したが、それを噴霧する噴霧器がなかった。百金で噴霧器を購入しようと思うのだが、それはあとで夫の車で行くとしよう。ほんとは歩いたほうがいいんだけど、暑くて日中、歩く気がしないのよ。

今日も丸一日、じっとパソコンの前に座ってただ画面を眺めただけ。こういうワタシは世界で一番、情報から取り残されている、ものを知らない女ではないか?という、あの不安にまた襲われる。いったいワタシって、これで講演に行ってしゃべることあるのかしら。再び、親がガンになるか、娘が不登校になるか、夫が借金地獄で家出でもしてくれないとネタ切れになるんじゃないか(笑)
そんなことさえ考えてしまうほど、作家というのは仕事中は家から出ない。それで作家になってしまったら、次に書くものをどうやって見つけるんだろう。だから、たくさん書いている作家さんはほんとうにすごいと思う。だって、ワタシ、書くことないもん。ここにこうして根が生えた状態で一日いるわけだし。

そんなことを、以前に友人にもしゃべったら、激励された。
「演歌歌手を見なさい! 一曲のヒットで一生食って行く。あなたも兄さんの自殺ネタで一生食べていきなさい」
いや、それってさあ、なんか違うと思うんだけど。相当違うよそれ。

そして、ワタシはなぜ原稿を書きながら書くことがない、とぼやいているのかと言えば、ワタシの場合あまりにも長くネットで書いていたので、原稿執筆に入ってしまうと、ネットで書くネタがないのである。それに罪悪感を感じるほど馴染んでいるわけだな、ネットで書くことに。これはバカだと思う。原稿を書いているから机に向かっているのであり、そうなれば必然的にネットに書くネタなどないに決まっているのだ。だからきっと、無我夢中で原稿を書いている作家はネットには書かないのである。だって、原稿を書く以外になにもしないわけだし。ようするに原稿が書けているんだから、それでいいじゃん、こんなことぐたぐた言い訳しなくても。
ようするに一日、家にいたから、なにもネタがない、という今日のブログなのだ。
by flammableskirt | 2009-07-20 17:53
昨日は、大崎のアウトサイダーアート展でお話をした。主に認識の話だ。
いろいろしゃべったが、私はときどき自分にも他人にも世界にも反吐が出るほどうんざりすることがある。
それは「人は意識が選んだものしか見ないし、意識は自分にとって都合のいいものを選ぶ」ということだ。
浅はかな私は、自分の見ているものだけがすべてだと思い込んで傍若無人に自分の知らないものや関心のないものを「つまらない」と切り捨てる人々に腹を立てる。
「わかったふりしてんじゃねえよ」そしてその言葉はすべて自分に戻って来る。

いったいどれほどの事象を「わかったふり」「わかった気」で切り捨て、くだらないと断定し、勢いよくゴミ箱に捨てて生きているか。私が何を知っているっていうんだ?この世の何を?なにも知らないじゃないか。私は永遠に無知のままで、ただ自分の狭い範囲のことだけをそれすら知った気になったまま死んで行くんだ。ちくしょう。愚か者だ。

……という思いは年々強くなる。年をとればとるほど強くなる。
思い返せば20代の自分はなんと自分を「もの知り」だと思ってたことか。知らないということを思考する回路が閉じていたため、知らないと考えることすらなかった。知っていることばかりしゃべって、知っていることをひけらかして、知っていることに夢中になっていた。あの頃はほんとうに幸せで間抜けで、恥ずかしくて平和だった。
どうしようもなんだ。わからないということをわかるしかないんだ。わからないことに謙虚になるしかないんだ。わからないことに絶えながら生きていくしかないんだ。わからないんだ。すべては。そのうえで、覚悟して意見や立場を決定していかなきゃならなんだ。ほんとうのことはわからないから、暫定的に、立場を決めるしかないし、たとえ暫定的であったにしても自分が決めた立場には「決めてしまったこと」の責任を取るしかないんだ。そういう責任の取り方は、経験でしか学べないから、そのために生きるしかないんだ。
生きるしかない、というのは、正しいのか。それが私の本心なのかといえばそうでもないが、なんだか力が入ると「しかない……」と言いたくなる。これは感情的習慣による言葉の癖であって、それが本心かと言えばそうではないのだが、慣性でもって言葉も流れている。そこから抜けようと思うと、まずは、私がいま何かについて書いていて、問題として提示したことも含めて、もう一度考え直さなければならなくなる。
ええと、つまりこうだよ。わからないことがあまりに多いから、時々いやになっちゃうんだけど、それは自分にも嫌になるし、他人にも嫌になるってことなんだけど、そもそも何に嫌になってるかっていうと、自分の意識の傲慢さで、つまりそれを恥ずかしいと思うようになったってことなんだ。なんで、恥ずかしいと思うのかっていうと、意識を見つめるもう一つの視点ができたからだと思うのだけど、じゃあその視点は誰かってことだな。
それはね、たぶん、死者の視点だ。
年とったら生者であると同時に死者の視点で世界を見てるんだ。
彼岸と此岸と両方がら見てる。
そうすると生者の意識の視点は、すごく傲慢で偏屈に感じるんだ。
うーん。今日はここまでかな。
by flammableskirt | 2009-07-19 12:53

衣替えです

ちょっとかわいらしい系のスキンに変えてみたら、雰囲気ずいぶん違うじゃん!って感じです。
さてさて、それはともかくとして、湯河原町で今年立ち上げた発達障害の勉強会「色えんぴつ」がやっと初めての当事者研究発表に!。http://irotoiro.exblog.jp/これがもう、感動ものですごかった。やっぱり当事者すごい。もともとべてるの家の当事者研究をお手本にして初めてみたのだけれど、これは素晴らしい方法です。なにより当事者が元気になる。障害のことを一番わかっているのは当事者に決まっているのだよ。ほんとにそうなのだ。当事者から教えてもらえばいいのだ。べてるのみんな、ありがとう。ほんとうにべてると出会っていろんな物の見方が変った。今年のべてる祭りは行けなかったけど、盛り上がったんだろうな。

あさっては、大崎の品川O美術館でお話をします。アール・ブリュットについて……というよりも表現ということについて最近考えていることを……。
と、偉そうなことをしている間にちゃんと表現をしろよ、と、自分に突っ込む。

「お酒やめたんですか?」と、昨日、Sさんに聞かれた。
「やめないでくださいよ、いっしょに飲むのが夢なんだから」
「えっ?そうなの」
そう言われたら、そりゃあ飲むわよ。というわけで、昨日もミーティングが終ってから急に生ビールが飲みたくなって近所の居酒屋「さつま」に飛び込んだら、熱海のお祭り帰りの人たちで賑わっていた。
毎晩、お囃子の練習が聞こえてくる。あー夏なんだ。やっと夏になったんだ。梅雨が終わったんだ。しみじみとビールがうまい。なぜ梅雨時のビールとこんなに味が違うのか。どんなに暑くてもいい。夏は暑いほどいい、だってビールうまいから。汗かくから身体が楽だ。

今朝もすかっと起きて、もう7時半には家を出て仕事場に行く。そのわりには仕事ははかどらず、昨日の勉強会のまとめなどして、さらに思い立ってブログなど作ってしまう。どうしてこういう作業は楽しいんだろうか。
高野さんから電話、いつも元気がいいな〜。明日はタイ料理だ。


ちなみに、写真は「アレクセイと泉」に登場する、ブジシチェ村の奇跡の泉で水を飲む私です。
by flammableskirt | 2009-07-16 16:59

ノスタルジックな午後


イタリア人の特派員であるピオが久しぶりにバイクに乗ってやってきた。
いっしょにお茶を飲んで日本語で話す。彼は日本の情報を発信する価値がなくなった、と、淋しそうに言う。日本に長年いて日本のことがきっと好きなんだろうと思う。でも、子供には、これから勉強するなら中国語だと言ったよ、と笑った。

アジアで注目されるのは、日本ではなくインドや中国である。それはもうずいぶん前からわかっていた。だって、日本はとうとう米国追従の外交政策を取り続け、「こんな不平等な世の中はおかしいじゃないのか?」と、声を上げることがなかったからだ。アジアのリーダーになりそこねたのは、植民地支配に対してまったく自分たちの意見をもたずに、ただ大国に追従していたからで、それでもアメリカが元気だった時はまだマシだったけれど、これからはもう、日本はどこからも注目されなくなるんだろう。だって、ほんとうにこの世界はあまりに不公平で、それを誰かがなるべく穏便に変えていかなきゃならない。それを期待されているのが、日本人の多くがあまりよく思っていない中国なんだろう。

イタリア人のピオはそのことをよくわかっているから、ちょっと悲しげだったんだと思う。でも、実際にその通りなんだ。「日本語を学びたい奴なんかいなくなるよ、イタリア語と同じで、ただ一国だけが使う言語だ」まさにこれから日本語なんて、観光地の売店でさえ通用しなくなるかもしれない。別に私は悲観的になってこんなことを言っているわけじゃなくて、日本人っていうのは、あんがいとずっと精神的鎖国状態にあったのかもしれないし、もうこうなったものはしょうがないじゃん、と思う。だって、よく北朝鮮のことを笑うけど、この国だって、相当に変だし、今だに死刑はあるし、教育はめちゃくちゃだし、でも、私は日本が好きだよ。自分の生まれた場所だし、この国の自然はほんとうに美しいなあと、海外に行くたびに思うのだから。

自分たちがどんな風に凝り固まった考え方をもっているのか、なんて、なかなか理解することは難しいんだ。私だって偉そうなことを言ったって、自分が見ている夢から抜けることはできない。だけど、間違いなく世界は変ろうとしているし、日本は取り残されている。それだって、長い目で見れば意味あることかもしれない。
ピオが「日本に来て一番びっくりしたのはエレベーターガールだ」と言って、ものすごく見事にエレベーターガールの真似をしたので大笑いした。「日本人のエレクトリックな声が怖い」と言う。それは私もまったく同じで、なるほどエレクトリックとはよく言ったものだと思った。

それでも私たちは、なんだかかつての日本についてしゃべってるほうが元気が出た。いまやエレベーターガールはいない。駅の自動改札でどなっている駅員とエレベーターガールと比べたら、エレベーターガールのほうが文化の匂いがしたと思う(笑)
by flammableskirt | 2009-07-14 17:11

 7月18日(土)
 品川 O美術館にてギャラリートークを行います。



目覚めぬ夢/日韓のアール・ブリュットたち
 開催期間7月4日(土)〜26日(日)

「アール・ブリュット」とは既成の美術概念にとらわれない生(なま)の表現をさす言葉です。本展では精神の病をもつ人達の、溢れるイメージ世界をご覧いただき、人の心の不思議な魅力に浸っていただく5人展です。
11:00〜17:00 入館料500円 
月曜休館(7月20日は開館、翌21日休館)
O美術館→http://www.shinagawa-culture.or.jp/o_art/top/index2.html
 東京都品川区大崎1−6−2
 大崎ニューシティー・2号館2F
 Tel. 03(3495)4040 Fax. 03(3495)4192

■ギャラリートーク
表現者の見果てぬ夢
7月18日(土)14時〜16時
講演 田口ランディ   
司会 はたよしこ

 最近のアウトサイダーアーティストのDVDを見ながら、表現とは何だろう?
 という究極の疑問をいっしょに考えましょう。
 どうして、私たちは表現したいのでしょうか? 表現とはなに?
 表現衝動とはどうして起るのでしょうか。
 
by flammableskirt | 2009-07-11 14:54