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by flammableskirt
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晴れのち曇り

また雨だ。
きのうの講演会には、ブログを見て遠くから来てくれた方がたくさんいてとてもうれしかったです。
どうもありがとうございました。地元での講演というのは作家になってから初めてで、とっても照れ臭かったのですが、みなさんが熱心に聞いてくれて、会場に不思議なエネルギーが満ちていて、すごくいい空間になったなあと思いました。袰岩奈々さんが助っ人に来てくれたので、実際的なお話も聞けてバランスもよかった。
こんなふうにうまくいったのは、主催の本屋さんであるポップインの林店長の熱意と誠意のたまものだなあ。人の思いというものが世界を作っている。きのうまたそのことを実感。

終わってから、林さん、袰岩さんと奥湯河原の「アンリ・エルルカン」でお疲れ会をした。竹林に囲まれた気持ちのよいお店で、オーナーの伊藤さんのすばらしく愛情のこもったお料理をいただいて、気持ちがふわふわのまま家に戻って爆睡した。

アート集団「チン・ポム」の「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか?」を読む。原爆ドームの上に小型機でピカッの煙文字を書いたチン・ポム。それに対して被爆者団体が抗議し、謝罪した。その後、チン・ポムのメンバーは被爆者の方たちと話し合う。その経過が本になっている。

広島に落とされた原爆は、長いこと自由な表現の題材にはなりえなかった。そこには常に「被爆者感情を刺激してはいけない」という強烈な世論のガードがあり、そのガードを越えて原爆を表現者の側に引き寄せて文学にしたり、アートにしたり、ということはタブーだったと思う。私自身、「被爆のマリア」という小説を書いたとき、まったくそのタブーを越えることはできず、そして「越えられない」ということを小説にしかできなかった。若い世代のパワーは凄いなと思う。それが良い悪いではない。現状の枠は越えていかなければ、未来に継承は難しいと感じる。表現は自由である。それをどう受け止めるかは個々の問題である。被害者の側に立って、常に被害者を擁護しなければならない、という強烈な刷り込みは洗脳に近いものがある。それでは、原爆を全く知らない世代は原爆に関われない。彼らにとっての原爆を戦争世代が受け入れ、客観視する度量が試されている。表現されなければ、わからない。体験したうえで、アートとして賞賛するかどうか決めればいいことだ。

いつか「外人と子どものためのヒロシマガイドブック」というものを書こうと思っている。田口ランディ版のヒロシマのガイドブック。私から見たヒロシマの名所旧跡である。そういうものがある。そしてヒロシマの人も知らない場所がある。
by flammableskirt | 2009-06-08 09:24

読書

またしても、昨日は上下二巻の篠田節子さんの「仮想儀礼」を一気読みしてしまって、寝不足で胃がもたれて目が疲れた。さすがにこの年になると一晩で二冊は身体に応えるが、私はなんとしても一気に読みたいのである。勢いで読まないと感動できないのである。すげー面白かった。宗教好きに私にはたまんないテーマだった。篠田先生、素晴らしいです。ありがとうございました。堪能しました。
そういえば村上春樹さんの新作もカルト宗教のことが書かれているらしいけれど、まだ読んでいない。なぜいまカルトなんだろうか。……と言いつつ、私の野生時代の新連載も似たようなと言えば、似たようなテーマだが……。

人に会う予定がないときは、余力で本を読んでしまう。本が読めるということは体力は相当回復しているのだろうが、これまた読みすぎて疲れるのであった。どうして自己コントロールができないのだ。情けないっ。ほどほどということを知れ!バカ者と自分に言ってみるが、最後まで読みたいという欲望に勝てない。それほど面白い小説だったということか。

またしても大量にAmazonで本を注文してしまい、読みたいものがてんこ盛りである。本は思い切りトランス状態に入るので、社会復帰が難しい。私の場合、映画よりも演劇よりもやはり本である。本という世界に入ってしまうと、完全にあっち側に連れていかれてしまう。映像があるものはダメなのである。言葉がいいのだ。言葉で入ってきたものを自分の頭で視覚化しているときに、ものすごくトランスに入る。それは、自分が小説を書いているときも同じである。言葉を書きながら頭のなかで映像を追っている。そういうときがすごく気持ちよく忘我の状態なのである。

だが、今日も戻る時間だ。家族と過す時間はこっちの妄想世界に戻らなければならない。どちらも妄想だが、個人的妄想と、社会的妄想を行き来することは大切だ。執筆や読書は面白いが、それは一人の世界の妄想に過ぎない。家族、特に子どもと過す時間は共有妄想の世界であり、妄想も人と共有しているほうが広がりがある。ものを書いて発表したいのは、お金のためでもあるが、妄想を誰かと共有していからなんだろう。けっきょくのところ共有なんてできないのだが(笑)
by flammableskirt | 2009-06-05 16:36

食べることと眠ること

六月に入ってから、一日にメールが一通か二通しか来ない。
不思議だ。なんだかしーんと静かになって、自分のなかにひきこもっているみたいな日々。
昨日はお母さんたちの合唱団「カノン」の練習に行く。アカペラでいろんな曲を唄っている。
コーラスって初めてなので音が取れなくて悲しい。
でも、ちゃんとハモったほうが音程がズレないんだ……という発見をする。

郵便局に行ったら、偶然に稲葉さんと会う。
少し立ち話をしたら、私が探している資料をたくさん持っているとのこと。
夜、借りに行くと、確かに書庫いっぱいに不思議な本が詰っていて、しかもレアものばかり。
たくさん借りてきて片っ端から読み始める。身近にこんなにたくさん資料があったとは!
灯台下暗しとはこのことだ。

あまりに過激に読書をしたので胃がもたれる。
なぜ読書をすると胃がもたれるのか?胃を圧迫する姿勢のせいか?ストレスか?
読みながら食べるからか(笑)なんにしても、月末は月経周期の関係で食欲がブッ壊れて、すごく食べてしまう。毎月のことなのだが、これもホルモンの影響だろう。
お腹が空いているわけではないのに、食べたいという気持ちになってしまう。なんだかつわりの時に妙なものが欲しくなる感覚と似ている。いきなりナンを焼いたりしてしまう。それから醤油バター味のものが欲しくなり、釜揚げうどんにバターを混ぜて食べたりしてしまった。しかし食べたいものはしょうがない。そして、妙にうまい。
その周期が過ぎたので、いまはもう食べたくない。
食欲すら自分ではコントロールできないのだなあ、人間って。
でも、食べると悪いことばかりではない。食べると、やたらと寝る。寝る子は食べる。
食べると眠いのである。だからたくさん寝た。たくさん寝たので、寝ている間にいろんなリセット、記憶の整理をやったらしく、なんとなくすっきりしている。胃はもたれているが、頭はすっきりである。
あとは胃をもとに戻せばいいだけだ。たくさん眠れるというのも得難い体験である。
なぜかというと、あまり食べないと、眠らなくても平気なのである。
食べないほど、よく起きていられる。眠くないわけではない。時間がくれば眠るが、早く目が覚める。そして起きたらすぐに行動できる。食べないほうが効率よく動ける。食べるとやたらと長く寝る。だらだらと眠る。
だけど、たまにはだらだらと眠るのも楽しいものだし、夢もたくさん見た。食べてだらしなく寝るというのも、これはこれで楽しいではないか、と思う。胃腸は不快だが、不快であるから快調なときを認識できる。
人間の身体というのはおもしろいなあ。自分の身体なのに、どうなっているのかわからないんだから、それを考えているだけで楽しいぞ。
by flammableskirt | 2009-06-04 09:06
六月に入った。
ということは当然ながら、今年も中盤にさしかかったということであり、その事実にびっくりする。わかっていることにびっくりするというのも妙だが、やっぱりびっくりする。なんで?と思う。
確かに、いろんなことをした。ものすごく出歩いて人にも会ったし、たくさんの発見があり、新しい興味がわき、本も読んだし、映画もたくさん観たし、本も出したし、連載も始まった。じゅうぶんやれるだけのことをやっているし、毎日くたくたになるまで生きている。それでも……、なにもしていないという気分になる。
いったいどこまでやれば、そしてどうやって生きれば、納得できるんだろうか。
一日の終わりにはそれなりの納得があるが、月の終わりには徒労感が残る。
なにか結果が出ていないような気がしてしまう。そんなことはなく、本は出ているし、原稿は書いているし、ちゃんとやれているのだが、やっぱり「ぜんぜんなにもしていない」という気分になってしまう。
どうしてだろうか。この、自分のやったことに対する満足感のなさは……。
今月こそは「よし、今月はよくやった」と言える月にしたいと思う。
そうするにはどうしたらいいんだろうか? なにが足りていないんだろうか。
考えることか、行動することか、それとももっと別のなにかだろうか。

……と、ここまで考えて、昨日、久しぶりに読んだエンデの「モモ」を思い出した。
なにごとも時間がかかる。時間が必要。モモはそう言っていた。
私はたぶん時間泥棒に時間を盗まれていて、それで月の終わりになると徒労感が残るんだろう。
なにひとつ結果なんて出せないんだ。そんな短い時間で。
何十年もの時が必要なんだよ。一つのことを考えるにも、一つのテーマとかかわるにも、一人の人とつきあうにも……。時間をかけることだ。
とにかく時間をかけてやることだ。そう言い聞かせて今月は過そう。
時間がいる。なににつけても時間がいる。即席でやらないこと。時間を無駄にしていると思わないこと。時間というものの見方を変えること。時間と競走しないこと。自分の人生に流れる時間、自分の速度について知ること。時間について学ぶこと。
六月はそんな月にしよう。
by flammableskirt | 2009-06-01 17:55

土曜日、「風の旅人」のトーク。
ブログを読んでいますという方がたくさんいて、うれしかったです。
ありがとうございました。
佐伯さんは、どんな変化球を投げても、かならずキャッチして投げ返してくるすごい人で、あの博学ぶりにはびっくりします。またたくまの一時間半でした。

日曜日はlプロセス指向心理学のワークショップに参加。
朝10時から6時まで、みっちりと「共感」について学ぶ。共感というものがとても難しくスピリチュアルなツールであることを改めて確認。たいへん濃いワークだった。
そして、今回のワークでここ2,3カ月の私の「なんとなく鬱」な気分のもとにあるテーマについてはっとする。
帰りの新幹線のなかで自分について考えること多々。
ハードなロールプレイングをしたので、ちょっと変性意識状態。
現在において私が直面しているテーマは、どうやら自分の女性性、あるいは母性を育てることにあるようだ。
だから「クレンズの魔法」なんて書いてしまったのか……!と唖然とする。
確かに、私はずっと男社会のなかで男とつきあって生きてきて、そのあいだ女性である素養は未開墾になっていたと思う。つまり、私は女であるのに「女として生きてこなかった」部分があり、ついにこの年になって「女としての修行」を積むことになったのようだ。
女性のコミュニティのなかで、自分がどうふるまっていいのかわからず混乱して鬱になっていたような気がする。私にとっては男のつきあいのほうが慣れているし楽なのである。
でも、これから私が生きていくうえで、自分の女性性がもつ力というものがきっと必要になるんだろうなあ……。それをどう育てて行くかが、課題なんだな。
そんなことをつらつら考えながら帰って来た。
ワークに参加されていたみなさん、ありがとうございました。
by flammableskirt | 2009-06-01 09:11