田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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晴れてきました

雨雲が去って、ようやく光が……。
晴れてきました。
今日はこれから、ハワイのお坊さん、藤森さんが遊びに来ます
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藤森さんとは、去年、ハワイアンたちといっしょに北海道の帯広からべてるの家まで旅行しました。
べてるの家では、浦河アイヌの人たちと交流し、いっしょに山を歩き、レイの作り方を習いました。
ホロホロネルソンから鼻笛をもらって、ずいぶん上達しました。
あれから一年が経つなんて夢のようです。今年はべてる祭りには行きません。
新潟で会ったばかりだからね。
藤森さんは我が家に一泊します。晴れた湯河原を見てもらえそうでよかった。

明日は熱海FMの取材を受けて、それから新宿のトークイベントに行きます。
明後日はプロセスワークの勉強会のあと、下北沢でアニシモフさんのお別れ会に参加する予定。

そうそう、ゆうべは湯河原町の発達障害当事者研究会の第一回目の集会でした。
たくさんの人が集まってくれて、とても有意義なすばらしい会になりました。
三月に中谷恭子先生に来てもらった講演会がきっかけで、ついに立ち上がった当事者会。
地道に長く続けていければいいなと思っています。
宮上幼稚園の園長先生が、次回から会場を提供してくれることになりました。

いろいろあって、人とのつながりが深くなった五月だった。
なんだか波乱ずくめの五月だったけれど、それも終わります。
今月もみんな元気で乗り切った。おばあちゃんは骨折して目の周りが内出血でパンダのようだが、
それもずいぶんよくなったし、おじいちゃんは新しい携帯電話を買って、耳が遠くても携帯が使えるようになった。臨機応変、場当たり的にくねくねと乗り切っていくしかないです。
物事はそう簡単には変えられない。人の老いは止められない。
長いものには巻かれていれば、いつかは巻き切れるときもある。

さて、六月はどんな月になるのやら。
明日会場で会うみなさん、楽しみにしています。
佐伯さんが、最近、写真論に燃えているので、ごりっと写真の話になりそう。
立ち見席が三〇人と聞きました。
立ち見の方、すみません……。
by flammableskirt | 2009-05-29 15:48

湯河原町での講演会

地元湯河原でお話をします。新刊のサイン会も地元の本屋さんが企画してくれました。
ゲストにお友達のカウンセラー袰岩奈々さんをお招きしています。
湯河原、小田原近辺にお住まいの方は、ぜひ聞きに来てください。
べてるの家のこと、障害者福祉を中心にした町づくりについて、お話します。



「弱さを大切にしよう。
 みんなが楽になる家族づくり町づくり」

 講演       田口ランディ
 ゲストスピーカー 袰岩奈々

 日時 2009年6月7日(日)
     午後1時30分開場 午後2時講演会
 場所 湯河原町商工会館 (湯河原駅より徒歩3分)
  講演会は無料です。

湯河原在住の作家、田口ランディさんはご両親、ご家族とともに湯河原に移住。湯河原の町で生活しながら執筆を続けていらっしゃいます。一児の母でもあり、人間の心の問題や、家族の在り方、終末医療、福祉問題など幅広いテーマで作品を発表している田口さんに、子育ての問題や看取りの問題、地域福祉のありかたについてお話を伺います。

カウンセラーの袰岩奈々さんは田口ランディさんのご友人です。不登校生徒や家族の教育相談員を経て、荻窪に「カウンセリングルーム プリメイラ」を開設。企業や教育関係者を対象とした研修を数多く実施されています。今回はゲストとして親子の問題について田口ランディさんと語っていただきます。

田口ランディ(たぐちらんでぃ)
1959年生まれ 作家 
代表作「コンセント」「アンテナ」(新潮文庫)は映画化され、小説の他にも、エッセイ「ハーモニーの幸せ」(角川文庫)、ノンフィクション、絵本など多数の本を出版。さまざまなジャンルで活躍されています。

袰岩奈々(ほろいわなな)
1959年生まれ カウンセラー
日本大学文理学部非常勤講師。著書に『「NO!」を言うことから始めよう』(大和出版)、『感じない子ども こころを扱えない大人』(集英社)、監修書として『EQテスト』(ベストセラーズ)がある。


★新刊本記念サイン会も会場にて開催 
「クレンズの魔法 母たちが娘に伝えてきた秘伝の幸福書」海竜社 
入場整理券は、ポップイン文昭堂・オービス文昭堂・BOOK1湯河原店にご用意してございます。各店舗店頭レジにてお申し付け下さい。
企画 ポップイン文昭堂 
協賛 湯河原教育委員会
by flammableskirt | 2009-05-29 09:02
「風の旅人」第37号、今回のテーマは、永遠の現在⑦「時と悠」です。

以下、「風の旅人」編集長の佐伯剛さんのブログより転載。

巻頭には、100年前、エドワード・カーティスが撮ったアメリカ先住民の荘厳なまでの写真が23頁にわたって紹介されます。カーティスは、30年間にわたりアメリカ先住民とともに暮らし、親交を深め、通りすがりの人間の目には入らず、おそらく先住民自身も気付いていない生活の細部や彼らの表情のなかに煌めく美を掬い取りました。100年前すなわち欧米人がアメリカ大陸に進出して300年の間、横暴の限りを尽くしてきた時点においても、先住民の顔は気高く、尊厳に満ち溢れています。
私たち近代人は、自己のために世界があるかのように錯覚していますから、その世界が自分に都合良くいかなくなると、苛立ち、ストレスを感じ、「顔」を歪めていきます。それに比べて、最初から世界が自分のためにあるなどと思っていない古のアメリカ先住民は、どんなに苛酷な試練のなかにあっても真っ直ぐな眼差しを持ち、気高く穏やかな表情を湛えており、カーティスは、見事にそうした人間の「顔」をとらえているのです。   
そのカーティスのことを深く尊敬しているというデビー・フレミング・キャフェリーの写真が次に続きます。彼女は、アメリカ合衆国の南部、ルイジアナ州に生まれ育った白人女性ですが、自分の農園で働く黒人達を、長期間にわたって丁寧に撮り続けています。
カーティスが撮ったアメリカ先住民のように、キャフェリーが撮った黒人たちもまた厳かな美を放っています。

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エドワード・カーティスの写真は本当に凄い。お金のない人は立ち読みだけでもいいから、この写真に触れてみてください。どう言ったらいいんだろう。なんかもうほんとうに、すごいとしか言いようがない。それくらいすごい。作家のくせにこんな陳腐な言い方しかできなくてすみません。

エドワード・カーティスの写真の人々に、私は会ったことがあるような気がする。あるいは私はこの人たちとこれから会うのではないかとも思える。この写真は過去じゃない。この写真は私の未来であり、私はこんな顔になるために生まれてきたんだと思える。この顔が私の未来である。そうであるべきだ。このような眼差しをもつためにいま生きている。私のなかには彼らが混じっている。そうであってほしい。そう思える。

不思議な写真です。
http://www.kazetabi.com/bn/new.html
ここでちょっとだけ見れるけれど、でも、できれば生で見てほしいなあ。もっといい写真もいっぱい掲載されているし。そして、エドワード・カーティスにインスパイアされて私が文章を書いています。
by flammableskirt | 2009-05-27 12:08

余力

処理し、対応すべき問題が自分のキャパを越えているので、心臓がばくばくする。
いわゆる自律神経系が「もうお手上げ」と言っているため、頭痛がひどい。

それでも日は昇り、日は沈む。
ひとつひとつこなしていくしかない。淡々とである。

いま、執筆に一区切りついているので、執筆以外の問題を考える時間がありすぎて辛い。
執筆さえ始まってしまえば、書いている間はなにも考えないですむ。
書いているときが一番楽しい。頭がからっぽになるからだ。
ゲラをすべて戻し、原稿も渡し、本が出るだけになっているようなこの状態が、一番忙しく、雑務や人間関係のことばかり考えてしまう。
本を書かなければ、私は悩み事で早死にしてしまうかもしれないなあ。
書いている間の、あの真空状態があるから、あまり苦しまずに生きていられるのかも。
いまは、ちょうど気が抜けた状態なので、家族や人間関係の問題ばかりにとらわれてしまう。そういうことは悩み始めればきりがないし、そもそも、他人がかかわることなので私だけの心では解決しないのだ。それを悩むのはバカらしいとわかっているが、頭から離れなくなる。たぶん、暇なのだろう……。
こんなことに余力を使うくらいなら、執筆でもしていたほうがよっぽどマシだ。
ああ、バカらしい。
もう休むのはやめだ。仕事しよう。
by flammableskirt | 2009-05-27 10:13

家族修行

おととい、91歳のおばあちゃんが、階段を一段踏み外して転んだ。
頭にすごいたんこぶを作り、腕を骨折する。
見ていると、ふらーっふらーっとするので、怖くなるが、ふだんは絶妙のバランスで歩いている。
階段を踏み外したのは、たぶん左目の視力がほとんどないためだろう。

今日、おじいちゃんは家の鍵を忘れて外出。
たまたま夫も私も留守にしていたため、家に入れず二人で家の外にいたという。
近所の人が気にして奔走してくれて、なんとか夫と連絡が取れた。
おじいちゃんも、おばあちゃんもものすごく耳が遠い。

おじいちゃんは、私に電話をしたのだと言っている。
だが私には電話がかかっていない。だが、電話で私と会話して、
「じき帰るから」と言われたので待っていたという。
携帯電話の通話履歴を見ると、誰だかわからない人に電話している。
謎である。でも、おじいちゃんは私と話したと思い込んでいるようだった。

ここのところ、おじいちゃんはちょこっとボケが始まっている。
ふっと物忘れをする。自分がなにをしていたのかわからなくなる。思い込みが激しい。
いよいよなのだなあと思う。二人とも90歳を越えた。いくら元気だと言っても、
永遠に元気ということはない。老いていっている。急激に。

まだ日常生活は自分たちでできるが、それも時間の問題なのだろう。
いよいよ高齢者介護に突入か……と、ここ数日の出来事で思った。
少し、老人を中心にすえて生活のたてなおしをしないといけないかもしれない。
いままでは、中学になった娘を中心の生活だったが、
おじいちゃん、おばあちゃんをもっとフォローする必要がありそうだ。

覚悟はしていた。去年の一月に父が亡くなって、一年間は平穏に過ぎたが、
今年に入って家族は新たな局面を迎えつつある。
思春期の娘、ボケてきたおじいちゃんとおばあちゃん。
家族というものも、時間とともに変化していく。
私たち夫婦にとっては、最後の難関ともいえる時が近づいて来ているようだ。
まったく一難去って、また一難である。
両親を看取って、子どもが巣立った頃には、自分たちの老後の始まりだ。
人間の人生というのは、ほんとうに修行のようだなと思う。
by flammableskirt | 2009-05-26 20:00

クレンズの魔法

私の本のなかでは、一番かわいくてファンシーな装丁です。
初めてだなあーピンクでキラキラ。
内容は、旅立つ娘に母からの贈る言葉って感じかな。
母の気持ちで書きました。最近は、若い娘さんはみんな自分の娘に見える。
「私の娘になりなさい」そう言って励ましてくれた佐藤初女さんの気持ちが、
ちょっとだけわかるようになってきました。
娘さんたちが、自分の小さな日々を大切に育てていけるように願って、書いてみました。
母な気持ち、ちょっと照れますが……。
男性には、おすすめしません。もちろん読んでいただけたらうれしいけど(笑)
さすがにこの装丁をレジに持って行く男性は少ないでしょうねえ。

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しかし、写真下手だな、ワタシ。
本物はもっとかわいいです。
by flammableskirt | 2009-05-22 21:34

奈良を散策

友人の井上さんの案内で奈良を散策してきた。とても良いお天気で気持ちよかった。
浄瑠璃寺で出会った猫。ずっと後をついてきたよ。浄瑠璃寺のお庭はすてきでした。静かで落ち着いたなあ。
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唐招提寺にも行きました。鑑真さんの眠る場所まで道は急に異界のようにしんとして、不思議な霊気を感じたなあ。奈良っていいな。もっと奈良の古いお寺をまわってみたくなりました。法倫寺の木彫の十一面観音像がとても美しかった。木の仏像ってなんだかいいなあ。
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by flammableskirt | 2009-05-22 21:26

食べて消化するだけの牛

久しぶりに沖縄に行っていました。
沖縄の情報誌「カラカラ」でお世話になった長嶺さんや、池畑さんとも再開し、二人ともほんとうに元気そうできらきらしていて、うれしくなりました。久しぶりに会う人たちが自分のやりたいことを一生懸命に生きている姿にはほんとうに勇気づけられる。人生っていいもんじゃねーか!泡盛おかわり〜!という感じである。

最近、食べるということを違った見方で考えるようになった。それは年をとったからだと思う。
だんだん代謝が落ちてきて食べたものを消化吸収しずらくなっているのがわかる。若い頃はぱっくんぱっくん飲み込んでごんごん燃える薪ストーブのように燃焼していたのだ。このごろは、食い物を入れるとストーブのなかで燃えずにぶすぶすしている。

人間の身体というものが、いかに「消化吸収」にエネルギーを消費しているのか理解できるようになった。
考えてもごらんなさい。食べたものを溶かして分解して違う成分にして、体内に送ってそれを皮膚とか血とか毛とかにして再生しているんだよ。この精妙にして複雑なシステムを身体がずっとやっているのだから、余分な栄養など取ってしまったら、脂を分解したり、おしっこにして出すためにろ過したり、アルコールを分解したり、もうそれだけで内蔵は疲れ切ってへとへとになる。つまり、食べ過ぎるというのは生態エネルギーの無駄遣いなんだよ。

もう人生も折り返しという時に、食い意地をはって食いすぎて生態エネルギーを消費していたら、まったく効率が悪い。それよりも、エネルギーを執筆や睡眠に回して、良く眠ったり、すかっと仕事をしたりするほうがよほど楽しい日々を送れそうではないか。

とにかく、食べると、それを消化するために身体ががんばっているのがわかるようになってしまった。ああ、身体がしゃかりきになってるなあ……。そして余剰となったエネルギーはどんどん私をデブにする。いいことないじゃんぜんぜん!

食べることは人生の楽しみではあるが、私のようにエネルギー消費が負担な内蔵の弱い人間にとっては、食べることのデメリットの方が大きいのは確実なのであった。それでも、食べないと「身体に悪いよ」と九十歳の祖父母は言い、彼らは三食食べて、ただ消化するためだけにごろごろしているのであった。あんなに食べたら他のことはできないだろうなあ……と思う。二人は太らない。骨と皮である。見事に消費している。身体の性能がいいのだろう。だから長生きしている。でも、なにもしない。おいしいとも、言わない。黙々と食べて、じっと消化している。
最近「食べてすぐ寝ると牛になる」というのは、間違った言い回しだと気づく。「消化のためだけに生きるのが牛」なのである。
そしてたぶん、食べることを中心に生きれば私もそうなるのだろう。知らないうちにこっそりと、牛化するのだ。
by flammableskirt | 2009-05-22 17:35

別にいいけどね。

「別にいいけどね」
というのは、子どもに限らず最近の若い人がよく口にする言葉だけれども、たぶんちっとも「別にいいけどね」とは思っていないのであろう。それは推察できる。
この言葉の背後には「できることなら……したいが、それが無理だと思うのでこれでよしとすることにしました」というようなニュアンスがこめられている。

だったら「できることなら……したい」という方を強調すればいいのにと思うのだが、それを強調するのは「めんどくさい」のだそうである。この「めんどくさい」もダブルの意味をもっていて「めんどくさい=やりたくない」ではなく、「できることなら……したい」という強い欲求をもつことによって生じるその後の責任や困難について、あらかじめわかっているので、それに向き合いたくない、というような感じだろうか。

で、私が常に感じるのは「先を読む」という若者の癖なのであった。
つまり、困難や責任などのめんどうなことは「今はない」のである。だけれども「先にはあるかもしれない」と思い、先のことを考えて「めんどくさく」なってしまうのである。よって、こうしたらいいのだが、でもまあ、それは大変だということがわかっているし(わかったつもりになっているだけだが)、別にいいけどね、ということらしい。

小学生からして、先を読むのが得意なのであるが、これはどういうことだろうか。
そもそも、いま起っていなことに対して「きっとこうなるからめんどくさい」と言い始めてしまったら、生まれてくることじたいがバカらしい。だってどうせ死ぬのである。あなたも私も死ぬのである。
「できることなら……したいが、しょせん死ぬのだからめんどくさい」ということはないであろう。
将来起るべきことについて、今考えてしまう習慣というのはいつから出来たのだろうか。
この習慣はかなり蔓延しているように感じる。

未来の先取りというのは手堅いように見えて、実はとてもリスキーなことだと思う。
ものの見方を変えてみて、いま、起っていることが未来からの予兆だとしてみよう。
未来に起るべきことの予兆として、なにかの予感を感じるから人は「やってみたい」と思う。
この予感は、現実的な生活のなかから立ち現われているのではない。
なぜなら未来は物理的にはまだ存在しないが、すべての事象の放物線の先に点線で予測できる非現実の世界だからであり、その世界からのメッセージをキャッチするから人は未来を予知できる。
ところが、現実レベルから一歩も出ないような意識状態で未来を先取りすれば、その未来は当然ながら現実が矮小化したものにならざるえない。この現実に大満足ならそれでもいいが、意識による未来の先取りなどものすごくリスキーであると思う。

なぜ、そんなリスキーなことをするのか?と不思議に思うのし、それでいいのか?と聞くと、
「別にいいけどね」と言われてしまうのだった。
意識の呪縛がすごい。ひとつの場所に居座ったらそこからテコでも動こうとしないほど呪縛されている。
いったいこれは、どういうことなんだろう。
by flammableskirt | 2009-05-15 11:33

雑感

連休はミンデルのワークショップ、そして久しぶりな人たちに東京で会い、九日〜十日は能登に行っていました。
その合間に死に物狂いで原稿を書き、今日は久しぶりに何にも追われていない……という一日。朝から植物の世話をして鉢植えの盆栽をじーっと眺めていたらすぐに2,3時間が経ってしまった。こういうのも変性意識状態だと言えるんだろうなあ。

ところで、今日、庭の草むしりに来ていたおばちゃん達に聞いたのだが、タケノコのあく抜きは「ウメボシと鷹の爪」でやるといいんだって。私はヌカでやっていたが、どうしてもアクが残る。
おばちゃんのタケノコの煮物は絶品だったので「どうやってあく抜きしたの?」と聞いたら「うちはウメボシととうがらしでやる」とのこと。そんなこと初めて聞いた。
「とうがらしはえぐみを取るんだよ」
「へー!」
おばちゃんのきゃらぶきの煮物も絶品だった。草むしりに来てもらって総菜をもらっているというのも妙だが「食べナ、食べナ」とたくさん持ってきてくれたのだ。
私もこういうおばちゃんになりたいなあ。

母の日に、夫がランの鉢植えを買ってくれた。ランを育てるのに目覚めてきた私はまたしても燃える!
来年も咲かせてみせよう、ハマナレイク!

外出が続いて食べ過ぎた。食べ過ぎると身体がだるくて動かない。
今日から半断食。ああほんとうに私の身体は燃費がよい。
最少のエネルギー摂取で充分生きていけるようだ。氷河期体質とはこのことか……。
by flammableskirt | 2009-05-13 14:25