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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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乾杯

ここのところ、不景気や冬の寒さや、その他いろいろなことがあり、懐具合の悪い人、体の具合の悪い人、親の具合の悪い人、気分の悪い人、いろいろいて、ああ、ほんとうに生きていくって大変だよなあって思う。夕方のお寺の鐘が外でごーんと鳴っている。
みなさん、今日も一日、つつがなく終わったでしょうか。夜が来ました。
私は今夜は飲みたい気分です。たぶん、ゲラを戻して原稿が手を離れたからでしょう。運動不足で足がむくんで、顏もむくんで、手もしびれたりしますけど、それでも一仕事終わりました。
みなさん、今日も一日、なんとか終わったでしょうか。夜が来ました。
日曜でも働いているのかな。それとも疲れて家でのんびりしているのか。あるいは寝込んでいるのか、あるいは親の介護で休む暇もないのか、金策に走り回っているのか。
私は今夜は飲みたい気分ですが、飲む相手もいないので、一人でぼんやりしています。
一日、よく働きましたが、誰もほめてもくれないので、自分に乾杯することにします。
そして明日のために早く寝ます。明日は五時に起きて、掃除をして、散歩をして、七時から仕事します。やってもやっても、なにも終わらないのですが、きっと死ぬまで終わらないんでしょうから、気にしないことにします。
みなさん、今日も一日、お疲れさまでした。誰もほめてくれない一日の終わりに、乾杯。
by flammableskirt | 2008-11-30 18:07
 山崎哲さんの新転位21「シャケと軍手」を観た。
 一貫して犯罪を題材に演劇を続けている山崎さんに、私が聞いてみたいのは「なぜ犯罪なんですか?」ということだったのだが、この芝居を観て少しだけわかった気がした。
 秋田で起った幼児連続殺人事件がこの芝居の題材であり、主人公のハタケヤマスズカはまさに実名だった。マスコミでも大きく取上げられて、週刊誌も子どもを殺したこの女性を激しくバッシングした。そして、時とともに忘れられた。
 この舞台では、母親がなぜ子どもを殺したのか……という問いに、山崎さんなりの答えを出している。秋田という土地の来歴と現在、そこで生きるということ、美しい自然と、自然の厳しさゆえの閉塞感、家庭内暴力、崩壊する家族。母親の恋人役を佐野史郎さんが熱演しており、佐野さんがあまりに優しくいい男すぎるために、主人公がうらやましいくらいで、私ならあの男とどこかに逃げる……と思ったのだが、それくらい佐野さんはかっこよかった。
 さらに主人公の弟役の飴屋法水さんが、これまたものすごく無垢で純な弟役を熱演しており、殺された子どもアヤカちゃんと飴屋さんの交流が温かく、美しく、イノセントですばらしかった。
 現実はどうあれ、この舞台の上で母親には彼女を理解しようとする恋人がおり、子どもには優しいおじさんがおり、しかし、それでも母親はいかんともしがたい状況のなかで薬でボロボロになり、閉ざされた世界のなかから出ることができず、ついに事件が起こり子どもは死ぬのである。でも、彼女は子どもを愛しており、崩壊した彼女の家庭のなかでアヤカちゃんの存在は天使であり、かけがえのないものだったことがていねいに描かれていた。
 母親は舞台の上で「あやか、ごめんね」と呟いた。その言葉は現実に死んで行った小さな女の子の魂をどれほど救済するだろうかと思った。そして、この事件を聞いて少しだけ傷ついてしまったすべての子どもと母親の気持ちも救済するものであると感じた。
 事件当初から、あまりにもマスコミは母親を悪者にした。でも、それで傷ついているのはたぶん、その報道を茶の間で見ている、私たち、母と子なのだろう。それに気がつけなかったが、この舞台を観てそう思った。
 だから山崎さんと劇団の人たちは、この舞台を作りあげることで、死んで行った二人の子どもたちを鎮魂したのだと思う。幼い子どもは、たとえ殺されても母を恨まない。死んだあやかちゃんの霊は、事件報道で母親への悪意だけが増幅されることを悲しく感じていたと思う。ただ憎しみや悪意のために殺されたのではない。その宿業を演じることは鎮魂だろう。
 優しすぎる恋人の佐野四郎さんも、無垢な弟の飴屋法水さんも、あまりにも愛情深く、この舞台には不向きかもしれない。現実はもっと辛く厳しいものだったのではないかと思う。このような優しさが存在すれば、母親は呪縛の外に出る道もあったかもしれない。そして、事件は起きなかったかもしれない。
 そういう意味で、この舞台は矛盾を抱えていた。母親の閉塞感を表現するのであれば、徹底的に母親を追いつめればいいのである。ひどい家族、ひどい恋人。でも、そういう演出を山崎さんはしなかった。現実にはたぶん、もっと荒んだ男たちに囲まれて、母親は狂っていったと思う。だけど、そうしなかったのは、山崎さんの変化か。前回に観た「僕と僕」から、山崎さんは少し変ったように感じた。もちろん、毎回、なにか新しいものにチャレンジしているのだろうけれど、この舞台からは深い慈悲を感じた。
 描かれていたのは家族の崩壊だったが、完璧なまでの崩壊ではなかった。救いがあった。まるで、死んでいった子どもたちのために演じられた鎮魂の能のように感じられた。演劇は、テレビニュースのように多くの人が観るものではない。劇場は満席だったが、マスメディアの視聴者に比べたら微々たるものだ。でも、多くの役者さんたちによって、あんなに熱心に、強く、心をこめて鎮魂されたことは、ほんとうに救いだ。表現されたものは、必ず世界に波及していく。
 山崎さんは、亡くなった子どもたちに、手を合わせたかったんだろう。自分なりの方法で祈った。それがこの舞台だったと思う
by flammableskirt | 2008-11-29 18:11

本という小さな旅

  久しぶりに代官山に行ったのは、打ち合わせのためだ。
  装丁をお願いした秋山義具さんの事務所が代官山にあって、そのビルの地階でいっしょにお昼を食べた。お昼を食べたのは秋山さんではなく、文春の担当編集者の丹羽さん。
中華料理を食べながら、前日に観た新転位21の芝居のことや、それから元厚生省の職員を殺した犯人のこと、私がブログに書いた内容などについてぼんやりしゃべっていた。
 「うちは、アル中の親父に破壊された機能不全家族だったからね、家族が崩壊すると子どもがどういう状況になるかよくわかるんだ。畠山鈴香という人も、DVの父親がいて典型的な機能不全家族なんだよ。ほんと、気が狂いそうになる。子どもって無力だからさ、暴力を前にしても家庭から逃げることもできないし、もう、頭ぼんやりしてくる感じとか、わかるんだ。芝居を観ていて、ああ、ああいうことがあったよなあ……って、思ったりした。それでね、でも、どうして私はこうして、普通に暮らしていられるんだろう、どうやって、あの呪縛の外に出れたんだろうって、不思議なんだよね。そのことを書きたいと思うけど、自分がどうやって出たのかよくわかんないんだ」
 ……ということを言ったら、丹羽君がかなり確信をもって
「それは読書じゃないですか?」
 と言ったのだ。
「読書?」
「そうですよ、田口さん子どもの頃、ものすごく本を読んだって言っていたでしょう。文学があったから、本によってたくさんの人生を読み、いろんな世界を知り、それで自分の状況も客観的に見れるようになったんじゃないですか?」
「そうかな……、そんなふうに考えたことなかったけど。確かに、人と違うところと言えば、ものすごくたくさん本を読んだことだなあ。中学の頃、一番家庭内がごちゃごちゃしててしんどかったとき、年間300冊くらいの本を読んでいたものな」
「文学というのは、そういう力があると思うんです。ゲームや、映画や、テレビじゃダメなんですよ。本じゃないと。 やっぱ文学なんですよ」
 いつも何を考えているのかよくわからない丹羽くんが、いきなり熱く文学を語るので私は面食らった。
「そうだね、言われて見ればそうかもしれない。私はね、中学時代、太宰を読み漁ったんだよ。人間失格にえらい感動した。ヴィヨンの妻とか、とにかくダメ男、暴力的で弱い人間、そういう人間像の小説をずいぶん読んだ。だけど、あれはもしかしたら、ダメ男の兄や父を、理解しようとしていたのかもしれないなあ……。それで自然と、そうか、世の中にはこういう考え方もあるのか、こういう人間もいるのか、こういう生き方のありなのか、って、そうやって呪縛の外にうまく出たのかもしれないね……」
「やっぱ、文学なんですよ、田口さん。そうやって呪縛から出たいと思っている人が本をたくさん読むんです。必要がなければ誰が300冊も読みますか。必要だったから読んだんですよ」
「なるほど〜。それが結果として私を作家にするわけか。そして私の書いたものを、今、呪縛から逃げたい人たちが読むんだな。すごいなあ」
 めずらしく丹羽君が雄弁なので驚いたのだが、ほんとにそうだなあと思った。そして、この人、文学が好きなんだなと思った。なんだかうれしくなった。
 食べ終わってから、来年の短編集の装丁の打ち合わせをしたのだが、この短編集はほんとうに、なんというか……、妙な小説ばかり集めて、こんなもの誰が読むのかなと書いた本人である私が思っていた。タイトルからして「蝿男」で、収録してある作品は、もうどうしようもないダメな人間ばかりが出てくるのである。
 でも、このダメさを読んで「こういう人間の、こういう見方もあるのか」と誰かが思ってくれればそれでいいのかもしれない、という気持ちになってきた。

 あの、小さなダンボールみたいな借家のなかで、飲んだくれの父のまき散らす凶暴な臭気に気が狂いそうだった。だけど、私はいつも本を読んでいた。あれは現実からの逃避だったけれど、本の世界は豊穰で、世界の叡知がそこにあり、あらゆる時代のあらゆる経験をした人々が、心血を注いで文字を紡ぎ、次の時代、そのまた次の時代、そのまた次の時代の子どもたちに、なにかを伝えようとしていたのだ。そして、この現実だけがすべてではないと教えてくれた。ゲームにも、テレビにもない本の世界。それは「自分から入っていかなければ開かないページ」が続く小さな旅だった。
by flammableskirt | 2008-11-29 16:21

ブログ読者

神戸のレラさんのギャラリートークに、思い立っていきなり行ってみたいのだが、会場に来ていた人のなかに「ブログ読んでます」といういう人たちがわりあいたくさんいて、うれしかった。わーこういう人が読んでてくれるんだ〜と、顏がわかってわくわくした。

それから「新刊も買いました!」という読者の方がいて、これもうれしかったな〜。本って売れてるかどうかよくわからないし、だいたい本屋に並んでいるのかどうかもわからなくて、けっこうとりとめのない気持ちで過しているんだよね。Amazonの「聖なる母と透明な僕」もやっと表紙写真が表示されるようになったよ。この表紙がほんとにきれいなので、そわそわしていたのだけど、よかった〜。

新刊を読んでもらえるのは素直にうれしい。過去の作品は過去の自分だから、だんだん気持ちも離れて行く。いまの自分を知ってほしいという思いがある。でも、そんなこととは関係なく、作品は一人歩きしていくし、過去の作品をいまこの瞬間に読む人にとっては、それが今の田口ランディとして感じるだろう。それはしょうがないことなのだ。でも、自分のなかではズレがあるし、どんどん変っていっているから、だから書き続けているのだと思う。死ぬまで変り続けたい。
by flammableskirt | 2008-11-25 13:00

映画 西の魔女が死んだ

ゆうべは、娘と二人、DVDで「西の魔女が死んだ」を観た。
娘はぼろぼろ泣いて泣いて、いっしょに泣いた。
主人公の少女と同じ年ごろ。感じるところがいっぱいあったんだろうなあ。
こんなにうちの娘を泣かせるなんて、しゃくだけど梨木さんってすごいなあ。
「おかーさんも、モモを泣かせるような小説が書きたいなあ」
と思わず呟いてしまった。
梨木さんの物語って、すてきだなあ……。品がいい……。
私の小説なんて、娘にはエロすぎて読ませられん。
うーん。がっくり。

この映画を観ると、イギリス人のおばあちゃんがほしくなる。
あんなすてきなおばあちゃんがほしい、と私でも思う。
うちにも九十歳のばあちゃんがいるが、魔女というよりもヨーダ。
ま、これが現実だよな〜。
by flammableskirt | 2008-11-25 11:31
滋賀県立近代美術館に行ってきた。
とっても良い天気、琵琶湖がきれい。
http://www.shiga-kinbi.jp/

ここで、アール・ブリュット展と、昨日で終わってしまったのだけれど全国障害者アート展「独走羅列」が行われていたのだ。その「独走羅列」のギャラリートークをしてきた。
「独走羅列」はほんとにすごかった。絵や彫刻を見て感激するなんてことがめったにない美術音痴であるのだが、どうしてアウトサイダー・アートはこうも私を揺さぶるのだろうか。でも、行って良かった。昨日が最終日だったので、もう見てもらえなくて残念だ。アール・ブリュットはまだやってる。

2月にまた滋賀でアメニティフォーラムがあり、アウトサイダー・アートの作品展示や、私の講演なども予定されているので、そのときはもっと早くにご案内します。

翌日は、大津から三宮に出て、アシリ・レラさんのギャラリー・トークを聞いてきた。
レラさんに会うのは2年ぶりで、レラさんの元気な(事故のケガはまだ辛そうだったが)、いろんな事を全部力技で乗り越えて、笑い、その姿で人を勇気づけている、あの枝を張った大木のような存在感に触れて、やはり手を合わせて拝みたい気持ちになった。ものすごい自然の前では人は素直にそういう気持ちになれるのだな、と感じる。レラさんはどんどん自然そのものになっていく。そしてほんとうに自然のなかに戻って行ってしまうんだろう。そんなふうに生きたいが、なかなか人間のきぐるみが脱げない。

帰り道、雨が激しくなったのでレラさんのイベントに来ていた初対面の方に傘に入れてもらい、さらに明石焼のお店に案内してもらい、明石焼を食べるのまでつきあってもらった。明石焼が大好物なのだ。神戸に行ったら明石焼だけは食べたい。道がわからないので地下鉄の乗り場まで送ってもらった。おいしかったです。どうもありがとうございました!
by flammableskirt | 2008-11-25 09:31

明日は大津

明日は滋賀の大津市に行ってきます。
美術展のギャラリートークです。
あさっては、時間があれば神戸の宇井真紀子さんの個展に寄ってみようか……。
というのも、ゲストにレラさんが来るらしいから。
どういう展開になるかは、成り行きにまかせるということで、連休は関西。
by flammableskirt | 2008-11-22 17:01

「彼女について」

よしもとばななさんの新作「彼女について」(文藝春秋)を読む。

光と闇の話であり、でもその二つはけっして分断されておらず、
とても複雑に融合し、補完しあっており、
その闇の深さゆえ、やわらかな光に満たされたささやかな日々が、
どんなにたいせつでいとおしいものか思い出させてくれる、
そういう物語だった。
ばななさん主人公は、闇を否定しない。それを受入れようとする。いつもそうだな。
そしてそこが好きだな。

昨日は川越の、帯津先生の病院に行って来た。
帯津先生を見るといつも、うわーぴかぴかだなあ、と思う。
世界には確かに、言いようもない悪意とか、呪縛とか、黒魔術のようなものが渦巻いているけれど、たとえば帯津先生など、そんなものにつかまらないだけの自由さと豊かさがあり、すばらしいなあと思う。ばななさんもそうだな。
みんな「いい魔法使いなんだな」と思う。
by flammableskirt | 2008-11-22 16:33
 闇サイト強盗殺人事件、と呼ばれる事件の公判があったという。朝のテレビニュースでは、三人の加害者の残虐な犯行や、公判での様子が報道されていた。

 法廷で、殺人の様子を「サスペンスドラマを見ているみたいだった」と語ったことや、被害者殺害の模様を淡々と語ることなど、加害者の異常性を繰り返し伝えた。被害者の女性は「銀行カードの暗証番号を教えろ」と脅されたが拒否、最後にはウソのカード番号を教えて、その後、殺害された。死をもって守った口座には母親のマイホーム資金を貯金していたのだという。母一人子一人。残された被害者のお母さんの毅然とした姿が、加害者のやさぐれた男性たちのふてぶてしさをさらに際立たせていた。

 コメンテーターの大谷さんというジャーナリストは、よくテレビで見かける人だが、一貫して死刑を訴えていた。
「いままで一人殺して死刑というのはなかったが、この残虐性は死刑に値する。ただ、三人全員死刑になるかどうか。裁判所は国民の○○○(この言葉うまく聞き取れなかった)にこたえてほしい」
 要約すれば、すでに二十九万人の死刑嘆願の署名も集まっているのだし、国民が死刑を望んでいるのだから裁判所もそれを考慮して、できれば全員死刑にすべき……。というような事を言っているようだった。
 そして、その場にいたコメンテーターも、さらに司会者のアナウンサーもほぼその意見に同意したようなそぶり、発言を示したのだった。

 この大谷さんという方は、何者なのだろう?
 と、不思議に思った。国民がギロチンだーと叫べば王様を絞首刑にしたというような、そういう時代ではない。裁判所は、被害者に同情的な国民感情を反映させる場でないと思うのだが。 一般人ならともかく、もう還暦も過ぎたようなジャーナリストの発言としてはずいぶんとヒステリックで気色悪かった。

 三人の加害者は三、四十代の男性。いわゆる働き盛りだ。派遣社員として働いているうちに世の中が嫌になってしまったらしい。そういう彼らの個人的な屈折の背景に何があるのかを探るのが、ジャーナリストという職業なのだと思っていた。真実を知ろうとする意思があれば「国民の意思を尊重して人間三人を極刑に処せ」と大衆に向かって叫ばないだろう。テレビは人を変えるのだろうか……。

 闇サイトという存在の是非は問われないのか。プロバイダーは犯罪の巣窟になるサイトをどう規制していくか、インターネット内で犯罪が起った時に、情報の流通・提供をした責任は問われないのか、考えなければならない事件の背景について、この番組では何一つ語られなかった。そして、テーマとして絞り込まれたのはただ一つ。加害者の男性たちの残虐性、反省のなさ、非人間性……だった。

 人間の残虐性には果てがない。それは歴史が証明している。ごく普通の人間が、状況によっては簡単に殺人者になることは戦争が何度も示した。事件が何度も示した。そのことを熟知しているはずなのに、どうして残虐性を特別なものとして排除しようとばかりするのかな。それを増長させている装置としての闇サイトがなぜ、成立しているのかは番組にならないのか?

 私が知りたいのは、残虐になりうるという可能性をどう回避するか、社会が人間を自暴自棄や激しい行動に突っ走らせないために、どのように柔らかな人間関係のセーフティーガードを構築するか、という智恵だ。その智恵のために利用しなければ、ただ犯罪者を死刑にしても何も得るものがない。報復感情のための処刑を国家が代行するのは怖い。被害者の遺族の感情を、もっと社会がいっしょになって悲しみ、受け止め、世界を包み込むものへと変えていけないだろうか……。それは、夢なんだろうか。
 子どもの頃はみんなかわいい。幼稚園や保育園に行くたびそう思う。小学校にあがり中学校になると、子どもたちに差が出てくる。やさぐれる子もいる。非行に走る子もいる。からみついた人生の重さで背中が曲がって行く子もいる。もちろん、自分の人生を受け止めるのは自分しかいない。でも……。社会を形成して人間が生活しているのは、一人では生きていけないほど弱いからだ。
by flammableskirt | 2008-11-21 10:53

咲いた〜!

やっと蕾がひらいた。
ササリンドウの花。
かわいすぎる。

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by flammableskirt | 2008-11-20 19:29