田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
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いろいろなことを頼まれる。
私は私にできることはなんでもやる。めったに断わらない。
だけど、できないことはある。
それは、なにを頼まれているのかわからないことだ。
そういう時は、相手もなにを頼んでいるのかわからないことが多い。
たとえば「ひと言お願いします」というメールを受け取った。
ひと言を、お願いされても、なにを頼まれているのかわからない。

しばし、考えた。
ひと言って、なんだろう。
私には、頼んだ相手の気持ちがわからない。
たぶん、これは「ひと言」ではなくて、「ひと事=他人事」なんだろう。
自分たちの宣伝をしてほしい、ということを言っているのはわかるが、
それは果たして私の仕事だろうか?
この人が私に頼んでいることは、なにかズレていると思う。
もう一度、考えて、正確に依頼してもらわないと、
なにをすべきかわからない。
私はいいかげんなことはしない。
いっしょうけんめいにやるが、他人事ではいっしょうけんめいになりようもない。
関係性に甘えて、筋道をはしょられるとなにがなんだかわからない。
by flammableskirt | 2008-10-30 09:48

快晴

良い天気です。
経済は上がったり下ったり、ヒステリックに動いていますが、今日も空は青い。
アメリカが風邪をひけば世界が感染する……。天気も、経済も、つながっている。誰も世界と無縁ではいられない。それは昔からずっとそうだったのだろう。世界はつながっている。そのことを考えると、昔は「そんなの窮屈だな」と思っていた。結局人間は、大きな歴史の渦のなかに飲み込まれ、翻弄されるだけのちっぽけな存在じゃないか……という、みじめな感じがしたりした。30代の頃まではそう思っていた。

40代は世の中を見る目や、価値観が大きく変わった。
私の40代は、著作でもそうだけれど「生きる意味を問う」という40代だった。人間はなぜ生きるのか。その問いは、実は、命ってなんだろうとか、魂ってなにか、世界ってどうなってるのか、人間存在とはどういうものか、ほんとうにすばらしい生き方ってなんだろう、そういう問いとつながっていたと思う。霊的なことや、生命の不可解、宇宙の神秘、そんなものもひっくるめて考えないと生きる意味ってさっぱりわからない。もちろんいまもわからないが、40代を通してこのことを考えているうちに、だんだん問い自体が消えてしまった。

50代を目前にひかえて、いま自分にあるのは「どう生きるか」という問いであり、「なぜ生きるか」という問題は、もう興味も関心もなくなってしまったのだった。生きる意味がわからないから死にたい、そう言って自殺する人の気持ちを変えることは私にはできない。兄が自殺することだって止められなかった。ましてやアカの他人になにができるか。ただ、悔いているのは、兄が「生きた」ということ見なかったことだ。なぜ死んだのか……ばかり気にしていた。そしてその理由を探す40代だった。だが、兄が「どう生きたのか」について、なにも知ろうとしなかった。そして、その話を聞こうともしなかったのだ。

父が死ぬときの最後の言葉。「どうだ、オレはよく生きたろう」
兄もそう言って死んだかもしれないのに……。
がんばってよく生きたじゃないか、こんなに悩んで苦しんで、よく生きてきた、そう思えなかった自分の小ささや狭さが苦しい。生きていることは称賛に値する。
今日一日、いまこの瞬間、どんなに苦しくても生きているのなら、そのことを共に祝う気持ちがなかった。

どれほどの人が、日々の重さにたえながら、それでも懸命に生きているだろうか。
それは称賛に値する。そのことを、祝福する。たとえ明日死んでも、死ぬ瞬間まで生きることを貫いた。自殺だろうが、他殺だろうが、よく死ぬ瞬間まで生きた。すごいことだ。そう思うことが、まったくできなかった。そんな人間が偉そうに鎮魂なんて言葉を口にしていたのだから、自分でも情けないと思う。

死ぬまでのあいだ、どう生きるか。その問いをかかえた私に、佐藤初女さんはこう言った。
「ランディさん、言葉をこえてね」
言葉を超えて……。言葉ではなく行為なのだよ。
私は言葉を扱う仕事の人間なのに……と、思った。でも、同じことをメキシコのシャーマンからも言われた。
「あなたの言葉は、世界に投げ込む石となる。言葉も行為なのだ。言葉のための言葉ではなく。言葉を超えた行為として、言葉を使いなさい」
それはどういうことなのか、言葉をこえる……ということをずっと考えてきた。
それはこういうことかな……ということは、ひと言ではいえない。
by flammableskirt | 2008-10-29 09:29

縄文友の会結成イベント

青森県弘前市に行って来ました。
いま、調査のため発掘している大森勝山遺跡でハイキング。
もうすぐ、また埋められてしまう古代の住居跡や土器類をながめ、
大きな岩木山といっしょにお弁当を食べました。

むかしむかし、レラさんに
「祈るってどういうことなのかわからない」と言ったら、
「黙って弁当を食べればいいんだ」と教えられ、
そうか……と思って以来、
遺跡に行くと、歌って、笑って、弁当を食べてしまいます。
初女さんのおむすびもおいしかったけど、
スイッチさんが作ってくれたおむすびもとってもおいしかったです。
縄文友の会の会合もあり、
雪雄子さんの踊りもあり、
すっかりあっち側に飛んで行った一日でありました。
スイッチさん、長靴用意してくれてありがとう。
縄文友の会、次はやはり縄文音楽祭の開催であろう。

ゆうべ遅くに家に戻って来て、今日はさすがにぐったり……。
ぼーーっとして、ブライアン・イーノを聞いていました。
ブライアン・イーノは、イーノです。やっぱり好きだ。
オブスキュアレーベルから出しているアルバム、疲れとれるし、
一番、集中力上がるなあ。
なかでも、タイタニック沈没のときの楽隊の演奏をイメージした曲、
あれは暗い雨の日に聞いていると、ほんとにすごいね。
ぐわーっと沈んでく感じがたらまない。もう、どんどん沈む沈む。
ここはどこ、海の底って感じで。

来週から水俣です。
来週もあちこち移動します。水俣から木更津、そして、日本ホリスティック医学協会、
そのあと、東大でのシンポ……。
木更津では「吹く詩の宴」というイベントでお話します。いろいろな催しものがあるみたいです。木更津近辺の方はのぞいてみるといいですよ。



「吹く詩の宴」
■第1部
会場:木更津駅前ホール
時間:10:00〜18:45(10:00開場)
参加費:5,000円
定員:170名

■第2部
会場:ライブハウス「graph」
時間:19:30〜22:30(19:15開場)
参加費:2,500円(ワンドリンク制)
定員:100名
【出演】
・田口ランディ
・Kacco(こわれ者の祭典)
・その他出演者続々調整中(詳細プログラムも含めて後日発表します)

■第3部「朝まで語ろう、大討論会」
会場:宅老所「井戸端げんき」
(木更津駅西口から徒歩5分の商店街)
時間:23:00〜翌10:00(22:45開場)
参加費:2,000円
定員:30名
コーディネーター:NPO法人井戸端介護の伊藤英樹

■申込み・問い合わせ
吹く詩の宴実行委員会事務局
mail: info@chiba-takurou.net
TEL:0438-20-3751(チャレンジセンター内)
FAX:0438-20-3752


日本ホリスティック医学協会
「もっとホリスティック医療が広がるために」
〜東京シンポジウム 2008年 11月 9日(日)〜
http://www.holistic-medicine.or.jp/sympo2008.htm
by flammableskirt | 2008-10-28 17:56

帯電

人は変えられない。
絶対に変えられない。その人の考え方を私が変えることはできない。
それはわかっている。だが、変えたいと思うときがある。
どうしてそうなんだ、わからないんだ、と思うときがある。
そういうときは、一番苦しい。
たぶん、そういうときに、ぎしぎしと骨が軋んでいるからだろう。
ちくしょう……と思う。人を変えることはできない。
だったらどうすりゃいいんだ。
身体全体に力がこもる。ぐっとこらえ、他者に向かうエネルギーが自分の内側にこもる。
そのとき、ぎしぎしと骨が軋む音が聞こえる。
この裡にこもったエネルギーに耐えられるだけの屋台骨がなくて、
昔は破裂していたのだ。ヤケになっていたのだ。
力を蓄えて、蓄えて、転換させる。
変えることも、変ることもなく、そのままで裏表がひっくり返るような、
そんな状態まで、力をため込む。
身体が帯電している。熱い。
by flammableskirt | 2008-10-24 09:36

首のツボ

「どこをもんで治ったのですか?」
という質問を受けたので……。

「首のツボというのがあるんですよ。痛いほうの側の腕の付け根、肩甲骨の高さの位置に首のツボがあります。首が痛いときはこのツボがはれていて、コリコリして押すと痛いからすぐわかります。このコリコリをよくもみほぐすんです。背中側なので、自分ではうまくもめません。誰かにコリコリの塊がが消えるまでもんでもらうと、翌日はかなりよくなります」
by flammableskirt | 2008-10-23 09:01

首が回る

ゆうべは、夫が背中をもんでくれて、娘が足を踏んでくれた。
おかげでぐっすり眠れて、今朝は首が回るようになった。
やはり背中の凝りが原因だったようだ。
家族の力ってすごいな、と思う。
たいがいの未病は家族の思いやりで治るのだろう。

いつも和気あいあいというわけではなく、
しょっちゅう喧嘩ばかりしているが、
それでも誰かの具合が悪いときは力を合わせることができる。
家族ではなくとも、そういうつながりがあることで、
いままで生きてきたような気がする。

自分の知らないところで、
誰かが自分のことを考えていてくれた、
という驚きは、自分を育てる。自尊心とか、自分への愛情とか……だ。
命はおのずから咲いているが、
私という自我は他者からの情を水として育つ。
どう育ちたいかという青写真も、他者を見て決めている。
社会という花畑で育ち、荒野に種を飛ばす。
by flammableskirt | 2008-10-23 08:57

首が回る

ゆうべは、夫が背中をもんでくれて、娘が足を踏んでくれた。
おかげでぐっすり眠れて、今朝は首が回るようになった。
やはり背中の凝りが原因だったようだ。
家族の力ってすごいな、と思う。
たいがいの未病は家族の思いやりで治るのだろう。

いつも和気あいあいというわけではなく、
しょっちゅう喧嘩ばかりしているが、
それでも誰かの具合が悪いときは力を合わせることができる。
家族ではなくとも、そういうつながりがあることで、
いままで生きてきたような気がする。

自分の知らないところで、
誰かが自分のことを考えていてくれた、
という驚きは、自分を育てる。自尊心とか、自分への愛情とか……だ。
命はおのずから咲いているが、
私という自我は他者からの情を水として育つ。
どう育ちたいかという青写真も、他者を見て決めている。
社会という花畑で育ち、荒野に種を飛ばす。
by flammableskirt | 2008-10-23 08:57

首が……、首の筋が痛い。
なかなか治らない。
左の頭半分首筋までしびれている。
夜寝ると治るのだが、朝起きて仕事をしはじめると
どんどん痛くなる。
困ったなあ……。
by flammableskirt | 2008-10-22 16:58

悪魔

先週の朗読会で、初めて他人の文章を朗読した。
これまで朗読会といえば、自分の書いた短編を読んできた。
他人の文章を朗読するとき、ある不思議な感覚にとらわれた。
文章を書いた他人に憑依されるというか……、その人の心情がありありとリアリティをもってわかる……というか。
この体験はとても面白かった。演劇で役を演じるのとは、またちょっと違う感じだ。
朗読という表現はとても奥が深いのだなと感じた。

初めて福島さんにお会いしたが、もう三十年も死者たちの言葉を朗読しているという。
彼は朗読することで死者を呼び出せると言っていたけれど、わかる気がした。
だから、朗読とはつまり祝詞なのだ。死者だろうが、神様だろうが呼び出せる。
そう思うと、なんだかもっと朗読というものをつきつめてみたい気がしてきた。
シャーマニズムと結びつけて考えてみるとさらに面白い気がした。

別に誰が聞いてくれなくてもいいのであって、家で一人で朗読してみたら……と思うが、それはちょっと怖い気がした。自分がどこかべつのところへ行って、戻って来れないような気がしてしまうからだ。誰かがそばにいてくれないと、集中して朗読というのをするのは、なんだかとても怖い。なにかを呼び出してしまいそうで……。そのときなにが起るかわからない。マジで怖い。

マジで怖がっている自分に驚く。というのは、マジで怖がるというのは、確信しているということだ。それが起こることを知っているということだ。
私はこういうことにめったに怖がらないので、怖がっている自分にびっくりした。
私が怖がっているということは、朗読という体験が私にとってものすごくリアルで、そこに変性意識体験があったということの証である。

林さんの文章を読んでいて、林さんの迷いや怖れや、林さん固有の頑固さや、それから、脅え、仮面、そういうったものがぐちゃぐちゃながらも次々と想起されて、たぶん私の首が回らなくなったのはこの体験のせいだと思う。
ある複雑な感情体験は、ほとんど言語化できない。言葉を仕事としている私でもほとんど言語化できない。だけど、ブログなど読んでいると、多くの人はブログで言葉にしたことで自分を納得させてしまっているようだ。これはブログの悪い点だなと思う。およそ言葉にできない感情にこそ、ほんとうに凄い気づきのエッセンスが凝縮しているのであり、それをブログ化できるような平易な言葉で表現して、捨ててしまうのは、おいしい部分を全部捨てているようなものである。が、そういう人がほとんどだ。残念だ。

翌日、私がメキシコでとてもお世話になった画家の竹田さんと会うことができた。ほとんど何も話をしなかったけれど、話さないというコミュニケーションが可能な竹田さんといっしょの時間を過したことは貴重だった。ぼんやりと思索するというのは、とても難しい、意識してできるものではないのだけれど、でも、ぼんやりと思索している人の側にいることで学ぶことができる。およそ、私は誰かに学ばなければ、なにもできない。

大切なのは答えを出したり、答えを提示したりすることではなく、正直に問うことである。問いをもつことである。永遠に問いをもつこと。その問いこそが答えである。そのことを、わかってはいるが、つい答えを求めてしまう癖ができあがっており、こんちくしょうと思う。

また、問いは常に悪魔である。答えは天使だけれど、問いは堕天使だ。問いをもつことは、たぶん、悪魔に取り憑かれることであり、問うことは危険だ。そのこともよくわかっていないければいけない。答えは、安全なのだ。危険なのは問いだ。問う人間は嫌われる。なぜなら、問う人間は悪魔に取り憑かれているからだ。

悪魔に取り憑かれることなしに、問いを発することはできない。
by flammableskirt | 2008-10-21 15:00

首が回らない

青土社の菱沼くんがゲラを受け取りに仕事場に来る。
菱沼くんは私の担当編集者のなかで最も若くて、26歳だそうだ。
そして彼のお母さんは私より一つ上、ほぼ同じ年。
そうか〜、私の息子か〜と思う。
菱沼くんはどうかわからないけれど、私は年の差というのは全く気にならない。
18歳だろうが、88歳だろうが、
気の合う人とは合うし、かみあわない人とはかみあわない。
単に趣味の問題ではないかと思う。

自分の年というものも気にならなくなってしまった。
人間は一年にひとつずつ年をとるわけじゃないし、というか年なんて、老化の尺度にすらならない。定規の目盛りで花の美しさを計れないように、人間を年で解釈することは無理なのだ。
うちの娘は生まれてから11年しか経っていないが、魂は私より老練している。

菱沼くんのお母さんが私の本を読んでくれているそうなので
「いつも息子さんにはお世話になっています」とサインした本を贈呈した。
でまあ、息子を連れて、近所の割烹で一杯やって食事をした。
浪人時代に私の小説を読んで感銘してくれたという。そういう人がいつしか自分の担当者になるのだから、生きているってありがたいことだなと思った。
浪人していたころは、きっと私といっしょに一杯やるなんて考えもしなかったろうな。人生、なにがあるかわからない。生きてりゃいいのだ。
松茸の土瓶蒸しとか、栗の渋皮煮とか、かつおのたたきとか、牡蛎の土鍋ごはんとか、
秋の味覚満載のメニューで、ものすごくおいしかった。
湯河原の「しらこ」の料理はうまい!そして安い。
東京に行っても忙しくていつもロクなものを食べない。
地元がいいな〜と思う。のんびりできる。家のそばで飲むのが一番だ。

昨日はずっと、朝から首が痛い。回らない。
たぶん、疲れのせい。肩凝りがひどくなると首が回らなくなるんだ。
熱燗を飲んで家に戻ってそのまま爆睡したら、朝10時まで寝てしまった。
ああ、家はいいなあ。寝てほっとしたら首も治っていた。
よく寝たせいか、気分もすっきり頭もすっきりしている。
深酒をしなければ、こんなに体調っていいんだな。
酒を飲んでずいぶんと苦しい思いをしてきたが、やっとこの年になって適度に飲む、
ということを学んだ。まったくバカだな私は。学習能力低いな。
ま、しょうがないか。アル中の父の娘だし。

さて、仕事だ。さくさくと仕事だ。
by flammableskirt | 2008-10-21 12:08