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明日から早池峰山

明日の装備を終える。
夏山登山、久しぶりだ。体力的にかなり自信ないが……、とにかくやるだけやろう。
ヘッドランプが古くなったので、ホームセンターに買いに行く。
そうしたら、ヘッドランプだけでも何十種類もあるのでびっくりした。最近は軽量で明るいものがたくさんあり、科学技術の進歩に(笑)唖然とする。もっと早く買い替えればよかった。

ズボンの裾上げをしたり、荷造りで午前中が終わる。

一日があっという間だ。

九十歳のおばあちゃんに「おばあちゃん、一番、時間の経つのが早かったのは何十代のとき?」と聞いたら、間髪入れずに「八十!」と答えた。
「そうか、八十代が一番早かったんだ……」
「早かった、あっという間じゃった。四十代、五十代はまだまだ」
いまよりも時間の経つのが早くなるって、すごいことだな。
「あんたなんかまだ私の半分でしょ」
あっさりそう言われて、引き下がる。そうか、半分か。恐れ入りました。

娘が来年、中学生。
自分の中学時代を思いだす。
人間の記憶ってこんなに鮮明なんだな、と思う。ついこのあいだの事みたいだ。
子どもの頃、大人ってぜんぜん別の人種みたいに思えていたけど、
中味は子どもとたいして変ってないんだな、ってこの頃思う。

またふと、わたしたち、なんのために生まれてくるんだろう、っていう
あの、どうしようもない疑問がわく。
わかりゃしないけど、
死ぬまでのあいだ、どう生きるかは、私が選べるし、創れる。
by flammableskirt | 2008-07-28 17:24

メンテ作業

いっしょに早池峰に登るはずだった編集者の方が、ものすごい風邪をひいてリタイア。
せっかく登山用具一式購入したのに、お気の毒だ。
夏風邪、流行っているのかな。
この夏の暑さはなかなかなもので、これでは体温調節がうまくいかなくなるのも頷ける。
体調管理には気を使っていても、腎臓君も疲れるし。
だが、夏は暑くなくてはいかん。暑いのが夏だ。
四季があって、夏は暑いのが日本だ。
暑さ万歳だ。くそっ。
今日は冷房なしで過した。冷たいものも飲まなかった。
工夫次第でなんとかなる。
そして、やはり温かいものを飲んで汗をかいて汗で冷えたほうが、
体調はいいようだ。時に水を頭からかぶる。
すかっとする。頭は冷えていないと働かないな。
生きるためにあれこれ工夫していると、なんだか笑いたくなる。
こういうメンテ作業、あんがい、好きなんだよな。
さて、今夜のエネルギー補給はどうするかな。
by flammableskirt | 2008-07-26 18:37

腎臓君がお疲れ気味

暑いさなか、子どもの学習相談のために学校に行く。
いわゆる三者面談。先生も暑そうだった。
壁に、子どもたちの俳句が貼られていた。
そのなかで、うひゃーと思ったものがいくつかあった。

「黒板は書かれたりしてボロボロだ」

青木君の句。この「書かれたりして」というのがいい。「ボロボロだ」ってのが、なんかわびさびを感じる(笑) ものすごく黒板に自己投影していて、やるなと思った。

学校までの道のりがあまりに暑かったので、冷たいものを飲みすぎて(アイスも食べてしまった)胃腸と腎臓がくたくたくなったらしく、夕方からだるい。ぐったりする。
やばい、と思ってお風呂で下腹部をあっためつつ、頭に冷たい水をかぶる。
夕ご飯もお粥だけにして、身体は冷やさず頭を冷やして早めに寝たらなんとか回復した。
今朝も熱い番茶を飲むと、どくどく汗が出て、腎臓のあたりも少し元気そうだし、胃のムカムカや、口の渇きもなくなった。
今朝も様子を見て、お粥。仕事しながらポカリスエットのうすめたものを少々。

年をとってほんとうに、無理がきかなくなった。
熱いときに冷たいものをとりすぎると即、胃腸の具合が悪くなり、さらに冷えると腎臓がオーバーヒートする。腎臓は冷えるのが苦手だし、胃は冷たい水分と油ものでうんざりしているのだ。

ごめんね〜。もう冷たいものを流し込んだりしないからね。
胃と腎臓をさすりながら謝った。
今日はまずまずの調子で、身体も軽い。

若い頃は、ギンギンにクーラーをきかせた部屋で、冷たいものを飲み、夜は冷えた居酒屋でビールを飲みまくり、脂っこい肉をがんがん食べても、翌日、すかっと起きられたのに、あんなことは奇跡だと思える。いま、それをやったら三日で身体が使いものにならなくなるな(笑)

こんなことをブログに書くと、友人が心配してメールをくれたりするのだが、年をとって老化しているだけで、基本的にとても元気なので安心してくれ。メンテしながら古い機種の車に乗っているような感じでしょう。外装をフルチェンジしたいところだが、いまのところダイエットは進んでおらず……。
by flammableskirt | 2008-07-26 11:05

夢を見た

ゆうべは、娘が蕁麻疹になり、夜中2時に「痒い〜」と起きた。
夜になると体内のステロイドが分泌されなくなるのだ。朝になれば治ると言い聞かせて冷やして寝る。

明け方、まったく不思議な夢を見た。
夢に登場してきたのは、藤原新也さんである。最近、お会いしていないが勝手に夢などに出してしまって申し訳ない。
夢のなかで、私は藤原さんからなにかを教わっているのである。
場面は三回変る。どうやら、藤原さんは私になにかを教えるために、三回も通って来てくれたらしいのだ。場所はいつもどこか見知らぬホテルのロビーだったり、食道だったりする。

一回目は、単純な分数計算をする。その勉強を見てもらっている。
私のほかにもう一人の女性がいる。その人がメインであり、私はおまけのようだ。なぜ分数計算なのかわからにが、紙に計算問題が書いてある。

二回目は、きれいな図案が描いてある紙を眺めながら、その図案のなかの円の数を数えている。やはりほかにもう一人女性がいる。藤原さんはその人と私になにかを教えているのだが、どうも、その人に教える姿を通して私になにかを伝えようとしているらしい。

三回目は、どこかの講堂のような場所で、藤原さんがしきりと「田口さん、あれ見える?」と言うのだ。どうやら藤原さんには別のものが見えるらしいが、私には見えない。「見えません、なにが見えるのですか?」と聞くと、「ふうん、やっぱり女性には見えないのか」と藤原さんが言うのである。

ずいぶん長くて入り組んだ夢で、内容も忘れてしまったが、藤原さんが「ふうん、やっぱり女性には見えないのか、頭の構造が違うんだよ」みたいなことを言っていたのが、印象的なのだった。夢のなかで私は「えー?なんで私には見えないの。見たいなあ」と思っている。

同時に、夢のなかではなにを教えてもらったのかよくわかっていたのだが、目が覚めたらさっぱり忘れてしまった。なんで分数計算したのか、円を数を数えたのか、それぞれ意味があってなるほど、と思っていたのに、忘れた……。

残念だ。
by flammableskirt | 2008-07-24 12:50

季節の変わり目

岐阜への出張が終わってほっとして梅雨明け。
……いきなり夏になり、90歳のおばあちゃんが暑さで熱中症に。
部屋のなかで蒸れたらしい、というのも、おじいちゃんが風が嫌いで窓を開けないからだ。
どんなに「窓を開けて風を通してね」と言っても、「クーラーつけて室温下げてね」と言っても風も嫌い、クーラーも嫌い。自分は平気らしく締め切ってむんむんする部屋に二人で居る。おじいちゃんはがんこで、おばあちゃんのことは考えてくれない。あまり汗が出ないおばあちゃんは、熱が身体にこもって苦しくなるのだ。
「おばあちゃん、室内熱中症になったんですよ」
そう言って、部屋と頭を冷やしたら具合が良くなった。
「熱中症は、伝染するの?」
「伝染はしませんよ、日射病みたいなものです」
しかし、一度不安になると、心配性のおばあちゃんは夜通し頭を冷やし続けるために眠れず、けっきょく睡眠不足になってふらふらになり、今日、病院に連れて行って点滴を受けてほっとしていた。
「救急で行きたい」
と、朝ごはんを食べながら言う。ごはんが食べられて元気なのに救急はないだろう……。
とにかく病院に行ったら安心する。どうしてこんなに病院が好きで、病院を信用しているのか、私にはよくわからないが、病院に対する信仰に近いものをもっている。
おじいちゃんは、相変わらず、窓を締め切ってテレビを見る。窓を開ける習慣を、これからつけることができるのかどうか……。涼しくして水分をとる。ただ、それだけのことで病院に行く必要はないと思うのだが、病院に行きたくてたまらない。
後期高齢者医療はひどいと思うが、後期高齢者は確かに、病院好きである。
私は、朝4時からおばあちゃんの相手をして、掃除洗濯、病院に送り、眠いぞくそっ。

来週から、早池峰山に登山だ。もう少し、体調を整えておかないと、自分が救急で運ばれそう。娘はアトピーが悪化し、季節の変わり目はやはり体調を崩しやすい。人間は強いんだか、弱いんだかようわからん。
by flammableskirt | 2008-07-23 14:15

水俣・新潟展のお知らせ

「水俣・新潟展」のご案内

 今年の「水俣展」は新潟で開催されます。
 八月九日に田口ランディと患者の緒方正実さんとのホールプログラムがあります。
 新潟近辺にお住まいの方は、ぜひこの機会に「水俣展」に触れてください。
 私自身、水俣と出会って、とても多くの啓示を受けました。人間が自然のなかで生きるってどういうことだろう。いまのエコブームもけっきょく人間中心に動いているけれど、これでいいのかな。他にどんな価値観があるんだろう。きっと新しい視点を見つけられると思います。

会期】2008年8月2日(土)-24日(日)
    月曜休館
    午前10時-午後5時30分
    (最終日は午後3時30分まで)
【会場】新潟市美術館
    新潟市中央区西大畑町5191-9
【主催】水俣フォーラム
【共催】新潟市
【入場料】
一般
 当日1200円、前売1000円
 10枚つづり前売券8000円
学生・高校生
 当日800円、前売600円
 10枚つづり前売券5000円

お問い合わせ
 TEL 025-270-0651
 mf1997@mountain.ocn.ne.jp




■ 8月3日(日)2時~4時
¢私と水俣病£-患者さんのお話から
[出演]
小武節子(水俣病患者、新潟市在住)
柳田邦男(ノンフィクション作家)

■ 8月9日(土)2時~4時
¢私と水俣病£-患者さんのお話から
[出演]
緒方正実(水俣病患者、水俣市)
田口ランディ(作家)

■ 8月10日(日)2時~4時
シンポジウム「素顔の新潟水俣病事件」
[出演]
関川智子(沼垂診療所所長、医師)
高野秀男(新潟水俣病共闘会議事務局長)
高見優(新潟水俣病第3次訴訟を支援する会、社会福祉士)
旗野秀人(新潟水俣病安田患者の会、建築業)

■ 8月16日(土)2時~4時
北川フラムさんと映画「わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱」を見る
[出演]
北川フラム(新潟市美術館館長、アートディレクター)
土本典昭監督作品(1978年、カラー、43分、16ミリ上映)

■ 8月17日(日)2時~4時
映画「阿賀に生きる」を見る
16ミリ上映、カラー、115分、1992年
佐藤真監督作品

■ 8月23日(土)2時~4時50分
映画「水俣-患者さんとその世界」完全版を見る
16ミリ上映、モノクロ、167分、1971年
土本典昭監督作品
------------------
※いずれも午後1時30分開場
※会場は新潟市美術館講堂(123席、全席自由)
※チケット:展示会場とは別にもう一枚必要です
by flammableskirt | 2008-07-23 14:00
かながわ・がんQOL研究会にて講演をします。
かながわ・がんQOL研究会は、がん患者さんおよびそのご家族のサポートを中心に活動を展開しています。今回、父の看取りの経験から感じたこと、学んだことをお話させていただくことになりました。シンポジウムでは、サプリメントや漢方薬の有効活用と問題点など、さまざまな発表があります。ご興味のある方はぜひご参加ください。

かながわ・がんQOL研究会
第七十回QOL研究会
 平成20年8月2日(土)
 神奈川県横浜市中区桜木町1-1
 横浜健康福祉総合センター4階ホール
 参加費 事前申し込み 1500円
      当日    2000円
 定員   200名

13時〜14時 特別講演
 「キュア(CURE)するということ」
 講演 作家 田口ランディ

14時〜14時15分 休憩
14時15分〜16時40分 シンポジウム
 「病気の予防と新たな治療の動向を探る」

お問い合わせ
がん対策支援センター・キャンサーリンクかながわ 
電話0463-38-4941 
by flammableskirt | 2008-07-23 13:58

梅雨明け

仕事で岐阜県の大垣に行ってきました。
梅雨明けした昨日、気温は36度。でも風がからっとして気持ち良かった。
今日、熱海に戻って来て、まだ空気が湿っぽい。
高気圧はここまで来ていないのかな。
いよいよ夏だ。

年とともに暑さに弱くなって、こう蒸し暑いと物忘れが異常に激しく、
なんだか自分が脳軟化症になったような気分である。
実際なっているのかもしれない。
やはり気圧が低いとイライラしがち。天気に気分が左右されるのだから、
ああ、あたしも生ものだなあと思う。

水分とりすぎて、なんだかだるい。
ぐあああっと汗をかいて、すっきりしたい。
by flammableskirt | 2008-07-20 15:14
昨日、お寺のことをブログに書いたら、上田紀行さんからこんなメールが来ていた。
-----------------以下転載
ニューヨークタイムズに日本のお寺を取材した記事が出ました。

In Japan, Buddhism May Be Dying Out
日本で、仏教が死滅するかもしれない

http://www.nytimes.com/2008/07/14/world/asia/14japan.html?em&ex=1216180800&e
n=c78804cddde7b415&ei=5087%0A

ニューヨークタイムズの東京支局長と記者の二人が、秋田県の男鹿半島のお寺をいく
つか訪ね歩いて、お寺の置かれた厳しい現状をレポートし、都会でのお寺離れなどの
情報も加味して、かなりの長さの記事を書いています。

私もコメントを求められ、2時間くらい話しましたが、新聞の常で、そのうちのごくご
く一部だけが採用されています。最近の直葬の増加と、日本仏教が第二次世界大戦中
に戦争を肯定し大政翼賛に加わってしまったことによるその後のダメージ、という部
分の二つです。仏教ルネサンスについても熱く語ったのに、載らなくて残念。
二人の記者は秋田での取材で、お寺の未来に強い危機感を持ち、今回の記事では仏教
復興どころではなかったというところでしょう。

ニューヨークタイムズにこんな記事が出るというのは、それはそれですごいことです。
記事の内容はシビアですが、それは日本のお寺の現状に対する強い興味を物語ってい
るものでしょう。

ちなみにこの記事は、読者が「この記事を読め!」と知り合いにEメールしたランキン
グの第四位にランクされています。
この記事を読んだアメリカ人たちもたいへん強い興味を抱いたということでしょう。

日本のお寺の現状もグローバルな関心を引くようになってきましたね。

----------転載終わり

日本のお寺が厳しいのは、先祖供養のためにお寺とつきあうようになってよくわかる。
お寺の存在意義が問われている。お寺は経営難と後継者不足でどこも青息吐息だ。でも、宗教って、いわゆる人間力だからなあ。オーナーである住職に魅力もやる気もないのであれば、わざわざお寺に行こうという気にはなれない。説法などされても「口ばっかりだなあ……」と感じるのはいたしかたない。潰れるものは潰れるし、残るものは残るのだろう。中途半端なものは淘汰される、それはどうしようもないように思う。

お寺の先祖供養というのは、昔ながらの暦にのっとった、春秋の彼岸と、夏、お坊さんに家に来てもらってお経を上げていただくものだ。しかし、私のように実家の長男が死んで、嫁いだ娘がお墓を守っている……というような場合、嫁ぎ先には嫁ぎ先の宗教があり、なかなかややこしい。ましてや実家の菩提寺は家からすごく遠い。わざわざお経をあげに来てもらうような距離じゃない。

さて、ここで思う。僧侶のお経というのは、死者の弔いに役立つのであろうか。
般若心経くらい私があげる、と思うのは私の傲慢だろうか。なぜ、僧侶のお経はありがたいのだろうか?私にはそこがわからない。先祖が曹洞宗だったから、曹洞宗の僧侶のお経が効果があるのだろうか。こんなに自分にとってしっくりこない先祖供養をやり続けることに、ものすごく抵抗を感じている。
私としては、お寺とのつきあいは、お墓の場所代を払うという、すっきりした形でお金のやりとりだけにしたいくらいだ。供養は自分がやる。それは自分の修行としてやる。自分が生まれたことの奇跡を確認し、感謝する修行として、お寺ではなく自分でやらせてもらう。なにかそうしたい。お経が必要なら自分であげる。
日本を旅して、先祖供養の形を見てきた。先祖供養の形はひとつではなかった。決りというものはないのだ。どう、自分がその行為と一つになれるか、ということである。人にまかせてしまえば楽であるが、私は私の先祖供養をしたいと思う。そして、どうもそれは仏教とは全然関係ないような気がするのだ。
供養の思想とは、縄文的なアニミズムである。鎮魂とはまた違う。仏教は戦争で殺した人間を鎮魂することと結びついて広がったが、先祖を供養するのはもっとおおらかな、清々しい行為なのである。生きている喜びをかみしめるような行為であり、仏教的な儀礼とはなんだか違うのだ。
by flammableskirt | 2008-07-16 10:58

先祖供養ってなんだろう

ああ、もうすぐ子どもの夏休みだ。
あっというまだ。一年が飛ぶように過ぎて行く。日々、懸命に泳いでいる。そして気がついたらこんな沖に流されている。なにをしようとしていたのか、どう生きようとしていたのか。
わかっていると思ったことを、やはり見失っている。
こういうことは、毎日、毎日呪文のように自分にたたき込んでいないと見失うのだなと思う。
それくらい人は忘れっぽい存在だということだ。

大将のお母さんが昨日、亡くなった。
お通夜の手伝いに行こうと思って電話してみたが、故人の遺言で密葬にするそうだ。
しかも、火葬場がどこもすごく混んでいて、ずいぶん先にならないと火葬できないから、病院の霊安室に保管してもらうのだそうだ。
やはり、こんな蒸し暑い不安定な季節には人はたくさん死ぬのだろうか。ちょうど新盆でもあるし、あの世がとても近く感じる。それでも、通夜も葬式もないと、なんだか気持ちのおさまりどころがなくて、
「よかったら、今夜、いっしょにお通夜しない?」
と、誘った。
「写真を飾って、いっしょにお通夜しようよ。生きてる者のわがままだけど、お別れができないと、なんか淋しいから……」

先祖供養というものについて考える。
日本には古くからある思想だ。私の家は、父が長男だが、その父の長男である兄も死んでいるので、私は父、母、兄、祖父母、の位牌を預かっている。そして、お寺の檀家となって供養をしているが、私はすでに他家に嫁いでいる身。私が死ねば、もう供養をする者はいなくなる。長男によって継がれて行く日本の家族制度では、長男が死ねばその時点でお家断絶なのである。女に生まれた私としては、だって女だもんという言い訳で、嫁に出た以上もう責任が消える。それでも、私が死ぬまでは、せっかくお墓があるのだからお寺とのつきあいは続けていこうと考えていたが、これがまあめんどくさい。

父が一月に亡くなって、そのあと初七日、四十九日、さらに新盆の施餓鬼供養、秋には藤供養、そうこうしているうちに一周忌である。そのたびに、お金がかかる。
私の家族は父、母、兄、死んでいるので、父の供養と兄の十三回忌が重なると、一人当たりのご供養代が三万円、それが二人分で六万円のご供養代をお寺に支払った。これはつまり、お経をあげて供養を代行してもらうためにお布施である。六万円は出費である。仕事を休み、遠い父の実家のお寺まで出向き、親戚の人が来ていたなら精進落としの費用ももつ。
このご時世に、先祖供養をしっかりできるのはお金持ちだけだなあ、と思ったりする。
でも、先祖供養は年配の方のほうが熱心で、なけなしの年金をはたいてお寺にお布施を出すご老人がたくさんいるのだ。

父のお寺は曹洞宗である。曹洞宗といえば禅宗である。
禅宗と先祖供養はどういう関係があるのか?と疑問に思うが、お寺の経営を考えるうえで、どうしても先祖供養を抜きにはできない。先祖供養しないと収入がないという現実。しかし、先祖供養とはそもそも仏教の考え方ではなく、これは、日本の古い民間信仰が仏教と結びついて生まれたものである。なんてことを言っても始まらない。とにかく、細木和子さんも、江原啓之さんも、先祖は供養しないと出てくるみたいなことを平気で言うし、もしかしたら、それも事実かもしれないが、とにかく、ご先祖供養しないと、お寺からは「心ない」と思われるし、罰が当たりそうで気色悪いのである。

正直、私には先祖の霊がいるのかいないのか、わからない。
みんな死んだら成仏しているのだろうと思いたい。
沖縄などに取材に行くと、ほんとうに盛大に先祖供養をしている。あの気前の良さを見ると、自分がいかにも自分のことしか考えないセコイ人間に思えてくる。しかし、父方のじいさんばあさんなど、いっしょに暮らしたこともなく(父が勘当されていたから)、顏もよく覚えていない。それでも私が長男の末裔として生き残ってしまったのだから、生者として死者を奉る義務があるのだろうか。お盆になるといつもこのことに悩む。

死者というのは、生者と同じだという話を聞いた。
死んだから急に人格が変るとか、人間性が高くなるなんてことはなくて、生きてるときとほぼ同じ性格、同じ考え方をもっているそうだ。まあ実態がないのだから欲は減っているだろうが、霊になったからといって急に優しくなるようなものでもないらしい。だとすれば、私の先祖は相当身勝手でわがままだ。考えるとぞっとする。それでも、そのような人たちの残した気質、遺伝子がいまの私を作っているのだから、先祖を悪く言うことは自分に唾はくことなのだ。
難しいなあ。先祖の相手だけでもよくわからないのに、そこにお寺がからむのでますますわからない。わからないことに巻き込まれるのは取材で修行、そう考えて、巻き込まれるしかないのだが……(笑)
by flammableskirt | 2008-07-15 11:58