田口ランディ Official Blog
2024-03-04T10:22:07+09:00
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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。
Excite Blog
【湯河原町立図書館セミナー】 田口ランディ講演会/クリエイティブ・ライティングの楽しみ
http://runday.exblog.jp/33274978/
2024-03-04T10:22:00+09:00
2024-03-04T10:22:07+09:00
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イベントのご案内
◎今年も湯河原町町立図書館で「文章創作・クリエイティヴ・ライティングのお話と実習」を開催します。
湯河原近辺にお住まいで、文章を書くことにご興味のある方はぜひご参加くださいね。無料です。
【湯河原町立図書館セミナー】
田口ランディ講演会
「言葉を綴つづ る・心を動かす」
クリエイティブ・ライティングの楽しみ
湯河原在住で、作家・エッセイストとして知られる田口ランディ氏に、豊かな表現力を身につけ、心に残る文章の書き方 についてお話ししていただきます。
クリエイティブ・ライティングの手法により、 言語化できなかった感情を文章にし、 書くことの楽しみを体験しましょう 。
日 時 令和 6年3月 17日㈰
午後1時 30分~3時(開場午後1時)
場 所 湯河原町立図書館 3階集会室
定 員 50 名*
(先着順・定員になり次第締め切ります )
★申込み
3月2 日㈯ 午前9時30分から申し込み開始
直接 図書館へ または 電話 または webから*webからの申込みは 30名で締め切ります。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSedWnrp-BqGynlCBq2VvfPbRelAk7d-FAUESRFgu7fjedEeVw/viewform?fbclid=IwAR1-YYcMCiCCX9_I2-DDCtUhmwj_HWDaNe2qdjUCypJTu2KLXBaZepr4rHk
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春休みのクリエイティヴ・ライティングは親子参加もOK
http://runday.exblog.jp/33261532/
2024-02-16T15:23:00+09:00
2024-02-16T15:23:05+09:00
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イベントのご案内
ずっと湯河原で子どもたちとのサマースクールを企画してきました。毎回、子どもの創造力に新鮮なショックと驚き!いつか子どもたちと一緒にクリエイティヴ・ライティングを開催してみたいな……。その野望をこの春実現。春休みの親子でクリエイティヴ・ライティングを企画しました。
お子さんとの参加大歓迎。9歳以上のお子さんなら無料で参加できます。一緒に創作文章講座を楽しんでみてね。
受講料は大人は5000円です。
※大人だけでも参加できます。
開催は3月27日(水) 午後と夜の2回開催。
詳細はこちらのホームページへ。
https://www.cwc-japan.com
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台所は地球とつながる場所
http://runday.exblog.jp/33261332/
2024-02-16T10:27:00+09:00
2024-02-16T10:27:15+09:00
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イベントのご案内
お台所は、世界に一番近い場所。
いろんな国の食材を通して、地球環境の変化を日々感じる場所です。温暖化で採れなくなる野菜、災害があれば届かない食材、紛争の影響で値上がりもするし、汚染にも直接関わってきます。環境や農業に関心をもつ人が増えました。私たちもそうでした。でも、安全な野菜を食べたいけれど、自分で農業をする時間がない。場所もない。
都会で畑をもつのはハードルが高いです。仕事、子育て、介護と遠くの畑に通う時間もない。でも、もっと食物や農業について知りたいなあ。そんな切実な願いがありました。
そこで思いついたのが、プランターによる自然栽培です。
2年前に、自然栽培を実践している仲間たちと相談して、都会に住む人たちのために「無肥料無農薬のプランター栽培」をお伝えする講座を始めました。私たち「プランター自然栽培普及チーム」は、青森県の果樹農家で、全国に自然栽培の農法を伝えている木村秋則さんから、自然栽培を学びました。木村さんの農法をベースに、プランターで野菜を栽培する方法を一般の方にお伝えしています。
講師は北海道で自然栽培を実践している農家の柳瀬麻由子、植物療法の専門家の池田明子、そして作家の田口ランディです。顧問として全国で農学校を展開している佐伯康人さんが、受講生の質問に答えてくださいます。
おうちのベランダに、もし少しだけ空きスペースがあったら、一緒にベランダの農学校で自然栽培を学んでみませんか? お台所にも近いベランダはすばらしい食の実践の場となるでしょう。
この講座は女性スタッフが中心になって企画運営しています。講師の柳瀬さんは看護師の経歴をもつ自然栽培農家。命と向き合う仕事から食の大切さを痛感し農業に転身しました。池田明子先生は植物療法を通して、ハーブと野菜の寄せ植えの方法や、植物やアロマの効能を伝えてくれます。また、作家の田口ランディさんが受講生のみなさんと一緒にプランター栽培を実践し、課題を共有していきます。
ますます厳しくなる地球環境の中で、人間はどう生きていけばいいのか。難しい課題ですが、ベランダの小さなプランターで植物を育て、一緒に学んでいきませんか。
第四期の受講受付けが始まりました。
開講は3月12日です。
春の野菜を育てましょう。
https://sophia-college.jp/course/special/randy2.html
※この講座は池田明子先生のソフィア・フィトセラピー・カレッジ内に事務局を置いています。
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岩崎さんのネギ
http://runday.exblog.jp/33243962/
2024-02-02T10:58:00+09:00
2024-02-02T10:58:00+09:00
2024-02-02T10:58:00+09:00
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日々雑感
岩崎さんのネギ
「岩崎さんから野菜が届いたよ〜!」
仕事の手を止めて台所に駆けて行くと、夫が野菜を仕分けしている。
長崎県、雲仙で在来種の野菜を育てている岩崎政利さんから届く野菜の宅配が楽しみだ。みんないい顔をしている。個性的で味わい深い野菜たちは岩崎さんが種を採り何十年もかけて固定させてきた、ザ・在来種。
なかでも立派な九条太ネギが目を引いた。
毎回、岩崎さん直筆の野菜にまつわる随筆が同梱されてくる。
「こ、これは九条太ネギへのラブレターだね!」と夫と二人で声に出して読んだ。
タイトルが「やっとおいしさを表現してきたネギ」。
岩崎さんは九条太ネギを京都で種を守り続けている農家さんから分けてもらったそうだ。京都の農家さんは京都の在来種を宝のように大事にしている。分けてくれたのは岩崎さんを心底信頼してのことだ。いただいたわずかな種を大切に育て続けて三十年。
種はだんだん長崎の岩崎さんの畑になじみ、姿や味も固定してきた。
野菜の姿が自らおいしさを表現する、そんな野菜を岩崎さんは育てようとしている。時には四半世紀をかけて種を選別しながら、理想の野菜のフォルムや色や味を追求する。岩崎さんの中に理想の九条ネギのビジョンがあるが、でも、それは表現されるまでわからない。野菜が岩崎さんの思いを表現するまで、求めている美は隠されている。
今年はやっと、初めて「おいしさが姿につながっている」のを感じたと書かれていた。三〇年間、九条太ネギと向き合ってきて、やっとネギが岩崎さんに応えてくれた。その喜びと感動が、文章からびんびん伝わってきた。
種から種へと、いのちを繋ぎ続け、野菜が土壌になじみ、岩崎さんにとって理想の九条太ネギに育つまでに三〇年という歳月が必要だったのだ。ほんとうに、野菜づくりとはなんと奥が深いのだろう。
でも、こんなに熱烈に野菜を愛すことができる岩崎さんが、なんだか羨ましかった。畑にいることが心底楽しく、幸せなんだろう。種を通して野菜と交流し続けている。岩崎さんは人間半分、あと半分は野菜みたいな人。いわば、妖精さんなんだよな。
野菜というのは、人間の思いに応えてくれようとするんです。
いつか対談で岩崎さんが語っていた。こんなに愛されたら、ネギも応えたくなるだろう……。
今夜は岩崎さんの九条太ネギを焼いて食べます。
岩崎さんの本、「種をあやす」もすばらしい随筆です。野菜作りの真髄が描かれていますよ。
「種をあやす」
そして、岩崎さんを慕う若い人たちが企画している「種を蒔くデザイン展2024」も時空間を越えたパワフルなイベントです。
https://www.organic-base.com/topic/tanemaki_design/
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ドラマで学ぶオープンダイアローグ
http://runday.exblog.jp/33007044/
2023-06-20T18:07:00+09:00
2023-06-20T18:09:21+09:00
2023-06-20T18:07:38+09:00
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未分類
Drama de Open Dialogueドラマで学ぶ「オープンダイアローグ」DDD主催・第1回ワークショップ企画・ファシリテーション:向後善之・田口ランディ日時 7月8日(土)AM10:00〜PM19:00(延長になる可能性があります) ※お昼ご飯はご自身で持参してもよいし、ケータリングのお弁当を頼むこともできます場所 「flat base」銀座線「外苑前」1a番もしくは1b番 出口 徒歩1分 銀座線・半蔵門線・大江戸線「青山一丁目駅」5番出口 徒歩9分 銀座線・千代田線「表参道駅」A4番出口 徒歩10分 〒107- 0062 東京都港区南青山2-26-1 D-LIFEPLACE南青山10階https://www.kddi-webcommunications.co.jp/corporate/access ※素晴らしい音響&照明設備を完備した駅近くの開場です定員 30名講座料 20000円(※昼食代・飲み物&軽食込み)◎イベント内容の詳細、アクセス方法等はメールでお送りいたします。【講座内容のご説明】ドラマを通してオープンダイアローグを体験、基本的な思想や方法を学んでいくための講座です▲フィンランド発祥の画期的な対話のメソッドオープンダイアローグは、フィンランドのラップランド地方で行われてきた対話によるケアの技法です。お薬は使わず、精神的なダメージを受けている当事者と関係者たちによる継続的な対話を続け、対話の中から、当事者が自分自身の力で回復していくお手伝いをします。▲「まんがでやさしくわかるオープンダイアローグ」の著者によるワークショップオープンダイアローグは困難な精神病の治療方法として世界的に注目を浴びていますが、精神病だけでなく、さまざまな社会問題を対話で解決するのにも役立つ技法です。関連書も多く出版され世界的に注目されています。オープンダイアローグは医療者でなくても誰もが参加可能な新しい対話のメソッドです。基本的な考え方を臨床心理士の向後善之さんと学びます。▲地域社会で実践するためのノウハウを多くの一般の方にオープンダイアローグの存在を知ってもらい、対話を通して地域の人たちが精神的な問題に悩む方たちをサポートしていく基盤をつくりたいと考え、初心者がオープンダイアローグについて学ぶことができるワークショップを開催いたします。地域で教育や福祉に携わっている方たちにぜひご参加いただきたいと考えています。この講座は三部構成になっています 1「オープンダイアローグについて学ぶ」 2「ドラマワークで課題を共有する」 3「ドラマ形式でオープンダイアローグを擬似体験する」 ・向後善之さんが「オープンダイアローグとは何か?」の講義で、オープンダイアローグについて知ってもらいます。 ・自分たちの問題を題材としてドラマを演じます→ サイコドラマワーク ・ドラマ内でオープンダイアローグを行います→ オープンダイアローグのワーク ・学びのシェアリング→ オープンダイアローグを通して何を体験したかをシェア▲どなたでもご参加いただけますが、参加者はドラマワークに加わる可能性が大きいです。もし見学のみをご希望の方は事前にお申し出ください。企画者・プロフィール向後善之臨床心理士神奈川県に生まれる。石油会社での会社員生活の後、渡米。CIIS(カリフォルニア統合学大学院)では、統合カウンセリング専攻。サンフランシスコ市営のRAMS(Richmond Area Multi-Services)他でカウンセラーとして働いた後帰国。現在、ハートコンシェルジュでカウンセリングを行うとともに、大学で臨床心理学を教えている。 著書に、「マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ(日本能率協会マネジメントセンター)」、「人間関係のレッスン(講談社現代新書)」、「カウンセラーへの長い旅―四十歳からのアメリカ留学(コスモスライブラリー)」他。自己紹介カウンセリングの理論は、いっぱいあります。しかし、どの理論も万能ではありません。理論を相談者に押し付けてしまったら、単なるお説教になってしまいます。私は、相談者の個性や状況にあわせ、カウンセリング手法を選びます。カウンセラーは、助産師みたいな存在で、生み出していくのは、相談者自身であり、カウンセラーは、そのプロセスをサポートする存在だと考えています。座右の銘:「錯覚いけない。よく見るよろし。」・・そそっかしいので。口癖:「なんとかなる!」・・学生から指摘されました。田口ランディ作家 一般社団法人Creative Writing Center代表理事2000年に「ひきこもり」を題材にした小説「コンセント」(幻冬舎)を発表しベストセラーに。その後も社会問題を通して人間の心の闇をテーマに広く執筆活動を展開。2001年に第一回婦人公論文芸賞を受賞。作品は多言語に翻訳され、「コンセント」「アンテナ」は映画化された。フィクションとノンフィクションを往還しながら独自の作品世界を構築。「パピヨン 死と看取りへの旅」「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、原子力を受け入れた日本」「富士山」など著作は共著も合わせると60冊以上に。著述以外にもアート、音楽など他分野のアーティストとコラボレーションを展開。障害をもった子どもたちとのアートワークショップを定期的に続けている。社会活動では発達障害の会「一人ひとりの個性を大事にする会・色えんぴつ」を地域で立ち上げるほか、広く市民と専門家が集い原発問題を扱う「ダイアローグ研究会」や、放射性廃棄物最終処分に関する対話の場づくりなど、対話による問題解決を追求してきた。自己紹介自身の家族の体験から介護・アルコール依存症、看取りの問題にコミットしてきました。2017年に元オウム真理教信者だった死刑囚・林泰男さんとの交流をきっかけに「どのような人間も、環境、外部からの圧力や影響によって望まぬ行動をする場合がある」ことを実感し、集団心理や、群集心理について興味を持ってきました。集団は怖い反面、自立した個人がゆるくつくるネットワークは未来の可能性でもあると思っています。オープンダイアローグは「自分を知るための道」お申し込みは以下のサイトからhttps://dorama-opendialouge.peatix.com/
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文章創作体験合宿 4月30日〜5月1日
http://runday.exblog.jp/32899297/
2023-02-17T20:23:00+09:00
2023-02-17T20:23:24+09:00
2023-02-17T20:23:24+09:00
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クリエイティヴ・ライティング
文章創作体験合宿
初夏の湯河原で一泊二日の文章合宿を開催いたします
開催日 4月30日(日)〜5月1日(月)
参加定員 22名
クリエイティヴ・ライティングを通して文章を上達することが目的の合宿です。豊かな表現力を身につけ、心に残る文章の書き方をお伝えします。また、書くことで頭を整理し、もやもやと言語化できなかった感情を文章にすることで心がすっきりします。伝えたくても伝えられなかった思いや、言いたくても言えなかった苦しみを開放することで、過去が書き換えられ新しい視点を得ます。書くことの力を体験してください。
OUR OBJECTIVES
「文章力の向上」「人生の再編集」「感情や思考の整理」「書く喜びの体験」
■今回の合宿は「文章実習」を重点に置き、初心者の方が自分の気持ちを自己表現するためのメソッドを多く取り入れて行います。ゲームやワークを中心に楽しみながら文章を書くためのプログラムを組んでいます。自分の記憶を視覚化して物語の場面を作る、物を擬人化して物に語らせてみる、文章をわかりやすく組み立てる、創作に必要な基本的なスキルをグループワークで実習します。
■温泉でリラックスしながら、創作の楽しさを味わっていただけたらうれしいです。また、オプションとして瞑想ヨーガなどのプログラムも用意いたしました。会場となる「ご縁の杜」は〈人生を変える宿〉として有名です。全館貸し切りの合宿ですので、談話ルームなどで参加者の皆様とご交流ください。また館内にはたくさんの本が置かれています。本との出会いも楽しんでください。
■お食事は身体にやさしいヴィーガン料理です。万葉から続く温泉地湯河原のお湯は、かつて傷痍軍人の方達の保養地として賑わいました。多くの効能があり、また「美人湯」としても有名です。山と海に囲まれた豊かな自然にも、ぜひ触れていただきたいと思っています。一泊二日の短い合宿ですが、参加者の皆様の文章上達をスタッフ全員でサポートさせていただきます。
開催日
2023年4月30日(日)〜5月1日(月)
30日午後13時集合/1日午前11時30分解散
会場
湯河原リトリートご縁の杜
※天然温泉とヴィーガン料理のリトリート:JR東海道線湯河原駅下車徒歩5分
定員22名 全館貸しきり
参加費
44000円
(1泊2食:特別セミナールーム:オプションヨガ参加費:税込み)
主催・一般社団法人Creative Writing Center
※合宿には講師田口ランディと4人のリフレクター、1名の心理顧問が参加いたします。参加者が安心して創作に専念できるよう、スタッフ全員でサポートしてまいります。
🌱山と海と温泉の里・湯河原温泉での合宿。お食事はヴィーガンです。心と身体をリフレッシュ
🌱作家・田口ランディの文章指導とアドバイスが受けられます。
詳細は以下へ
https://www.cwc-japan.com/
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ピオのこと
http://runday.exblog.jp/32893235/
2023-02-11T07:49:00+09:00
2023-02-11T07:49:50+09:00
2023-02-11T07:49:50+09:00
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未分類
明け方、目が覚めてしまって……亡くなった友人、ピオ・デミリオのFacebookを見ていた。世界中のいろんな場所で、いろんな人に会っているピオの写真を見ながら、いま私と同じようにこのページを見ている人がいるんだろうなと思った。
ピオは、すばらしいジャーナリストだった。彼はその「存在のしかた」で取材する人だった。どんな人のところにも彼らしさで飛び込んで行き、かなり強引なのに憎めない人だった。人としての誠実さや、他者への思いやりが滲み出ていて、チャーミングなのだ。
福島原発事故から数ヶ月が経ったある日、私はピオの誕生日のディナーに招待された。ピオは友達を招待してパーティを開くのが大好きだった。めちゃくちゃ気前のいいイタリア人、だけど倹約家。彼のお金の使い方には育ちの良さが感じられた。
このディナーには当時の首相だった菅直人夫妻がいた。私の隣は南相馬の桜井勝延市長だった。なぜここに呼ばれたのかすぐわかった。ピオは福島第一原発事故で南相馬が孤立した時、桜井市長のYouTubeメッセージで危機を知り真っ先に取材に駆けつけたジャーナリストなのだ。彼は福島の現状を日本のマスコミよりも早く、現地から世界に報道した。そして、当時の首相、菅直人氏に突撃取材をし、その後もずっと交流を続けていた。
私は、ピオの案内で何度か福島に取材に行きその体験をもとに本を書いた。ピオの取材力は圧巻で、地元の方たちともすぐ打ち解けていく。まるでモーゼみたいに、彼の前に道が開けるのを何度も見た。おべっかも、わいろも、脅しもなく、ただ、あるがままでいるだけなのに……。
まだ世の中が混乱している時に、誕生日ディナーに首相や南相馬の市長を呼んじゃうピオは凄いというか……。ようするに〈友達〉として招待しているのだ。6,7人がけのテーブルは個室ではない。そこそこ高級店だけれどイタリア料理だし、カジュアルな店だった。
店の前には、30人くらいの報道陣が詰めかけ、カメラを構えていた。首相夫妻が来ているのだから当然だけれど、誰もレストランの中に入って来ようとはせず、報道陣はただ、店の前でたむろしていただけだ。
「あれが日本のマスコミだ」とピオは笑って言った。
「自腹を切れば誰でも入れる店なのに、なんで客として入って来ないんだろうね、不思議だ」と。
「そうだよね、あそこで待っていて、出てきた総理の写真を撮って、それがどんな新聞記事になるんだろう?」
「堂々と入って来て、『やあ、楽しそうですね、何のパーティですか?』って挨拶をするような奴はこの国にはいない。個人では取材しないんだよ」
私は、ピオと出会って『取材』というものへの考え方が大きく変わった。どこにも所属していないから私は『個人』で取材するしかなく、それが強みなのだと知った。ピオのように大胆なことはできないが、私は私としてどこに行って取材してもいいのだ。その動機がエゴイズムからでないなら……と。
ピオは天然の人で、彼には愛と正義しかない。それは時として独断的であるけれど、他者のために自己犠牲を惜しまないその在り方は相手の心を打った。取材は「ネタ」のためではなく、「真実を伝えるため」であり、取材対象者には敬意を持ってフレンドリーに接し、長く交流し友人として大切にした。
誕生会ディナーが終わって私たちが店を出ると、一斉にフラッシュがたかれた。テレビクルーも来ており、家に帰ると「お母さんがニュースに映った」と子どもに言われた。
翌日の新聞には「菅総理が鰻と寿司とイタリア料理をはしごした……」みたいな見出しで記事が出ていた。そりゃあ、他に書きようがないだろうと思った。取材をしていないんだから……。
いろんな国の首相と仲が良かったし、ダライ・ラマとも友達だった。彼は愛されていた。その存在が……無垢だったから。純粋すぎて生き辛そうでもあった。破天荒な人だったが、自由の責任を自分がしっかり取る。そう……自由には大きな責任が伴うことも彼から学んだ。
ピオはめちゃくちゃユーモアのある人で、いつも笑わせてくれた。短いメッセージにあれだけジョークを詰め込めるんだから、本当に賢い人なんだと思う。頭の回転が早すぎて、時々着いていけなかった。しゃべっていると、彼の頭はどんどん予測の予測の予測を立てて明後日の予定まで見えている、そういう奴だった。
子どもたちを連れて遊びに来たこともあったし、ヴェネチアのピオの家に泊まったこともあった。いつも「親戚のおじさん」みたいな感じ。でも、私は……どこかで……すごく微妙にピオと距離を保っていたと思う。ピオが抱えている【何か】の圧がどんどん高くなっていく。ピオはブラックホールみたいにあらゆるものを吸い込んで、質量が上がっていく感じだった。
留まることなく世界を吸収している人……に畏怖のようなものを感じた。たぶん、ある年齢からもう私は世界をこれ以上知らなくてもいいと思ったのだ。もっと、自分のことを知りたいと思ったのかもしれない。外に拡散していくよりも……。
いつだったか……まだ、安倍首相の時代の記者会見で、ピオが安倍さんに質問したのをテレビで観た。よれよれのシャツにジーンズ姿のいつものピオは完全に場から浮いていた。ピオは日本語で強烈に皮肉った質問をした。しかもユーモアまじりで。どんな時もピオはピオだ、とテレビの前で笑った。
ピオに同行したイタリアの講演旅行以降、次第にピオと会う機会は減っていった。共通の取材目標が消えたからだ。私たちはお互いの新しい課題を見つけて、年の一度か二度、顔を合わせる程度。コロナが始まってからは一度も顔を合わせていなかった。
昨年末に久しぶりに伊豆に来たから、と立ち寄ってくれた時は「携帯酸素」を抱えていた。びっくりした。ピオの状況も「体調が悪いようだ」くらいしか知らなかったんだ。(SNSを通して友人のことを知りすぎないようにしていたから)
状況を把握していない私はわりとのんきだった。ピオが「田舎に移住したい」と言うので、近所の借家を探したりしていた。「田舎暮らしをして農業をやる」と言うピオに「なにそれ、もう隠居する気?」と笑った。
ピオは相変わらずピオだった。わんわんと出迎えたうちの犬を見て「かわいいね、今夜のおかず?」と言った。犬はすぐピオになついて、ずっとピオの足下にいた。私は真剣に物件を探して送ったが、ピオからダメ出しが来た。「イメージじゃない、こんな家がいい」
送られて来た写真は、ど田舎のだだっ広い原っぱに立っている古民家だった。注釈があった「近所にスーパーと病院が必要」引っ越しなんかできる様態じゃないだろう!と思ってはいたが、ピオなら希望の物件を探し当てて引っ越しをしちゃうかもな、とも思った。
きっと、いい物件がなかったんだろう。
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アップデートに必要なもの
http://runday.exblog.jp/32789853/
2022-10-20T17:50:00+09:00
2022-10-20T17:50:29+09:00
2022-10-20T17:50:29+09:00
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日々雑感
脳というOSのヴァージョンアップに必要なのは「違和」だ、ということをデビュー当時から書いてきた。二十数年が経ったいま、かつて以上に「差異」や「違和」がエネルギーの元であることを実感する。
違う……ということがどれほど大事か、ってことだ。そして人は違うものを同じと見なすことで抽象思考をするが、微細な違いを認識することでエネルギーを得ているので、この両方を同時にやり続けなければならない。「同じに見えて微妙に違う」からその差異によってエネルギー(変化)が生じる。単に大ざっぱに「あれとこれは同じだ」とトポロジーで考えると合理的かもしれないが、エネルギー的には弱くなる。
脳は、たいへんエネルギーを使うので省エネをしたがる。ほったらかしておけば「同じこと」をしたがる。「いつも通り」とか「普通」という名の自動操縦に切り替えてしまう。どんな趣味嗜好をもってしても、生き生きとしているためには「違い」を探し続けなければ停滞する。世界は相似だが同じではない。
人類的に「違和」の時代に入り、これまでと違う生活様式や、コミュニケーションを強いられている。そこにロシアがとてつもない爆弾をぶち込んで世界は混乱に陥っているが、この激しい「違和」や表面化した「差異」はエネルギーだ。そういう風に捉えてみると、私は地球規模の変化の中でこれまでと違う流れを体験している1枚の葉っぱだ。人間として泳ぎきることは難しいが、葉っぱのように軽くなって浮くしかない。身体よりも実は質量をもっている「念」は「思い=重い」。
思いを軽くすれば、この流れに乗れるだろう。思いは言葉になり、言葉は呪術だ。呪術とは「定義」することであり、ある状態に留まらせることだ。別の表現をすれば封印することだ。ひとつのりんごがりんごとして封印され、1枚の葉っぱが葉っぱとして封印される。このすさまじい抽象化は、差別とつながる。差別とは「差」に対して、特殊な評価を下すことだ。微細な差を無視して「人種」などの大ざっぱな抽象化を用いて大ざっぱな「差異」に対して特殊な評価を与える。評価の根底にあるものはあまり根拠のない「思い=重い」である。
とてつもなく大ざっぱで抽象的な世界を構築して生きていることに気づくと、微細なものが微細なものとして感じられる。無限の相似のなかの差異が変化を生みだしエネルギーを回しているこの世界は、留まるものは何もなく、ただ無限の差異によって生き生きと脈動している。
昨日と同じ今日はなく、今日は唯一無二、そして永遠。
いい天気です。
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カラスが鳴いた、鈴虫死んだ。
http://runday.exblog.jp/32781443/
2022-10-11T20:47:00+09:00
2022-10-11T20:47:28+09:00
2022-10-11T20:47:28+09:00
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未分類
やりたいことをやる時間だけはある!と言っているうちに、9月も終わっていく。やりたいことをやっていると、人生はものすごく短い。人生の前半は「やりたいこと=お金儲け」だった。人生の中盤は「やりたいこと=自己実現」だった。60を過ぎると「いまやりたいこと」が「やりたいこと」であり、未来という時制が消えていく。つまり人生には終わりがあることを認めてきたので、目標を未来に置かなくなった。
たいへん楽になった。地球が崩壊しようが、第3次世界大戦が勃発しようが、私はしょせん死ぬのだから、今できることをしようという……。こういう発想は刹那的だと若い頃は思ってきた。違うね。刹那も脱色される年になると、今にフォーカスするのは刹那どころか地道であると気づく。今ってのは、今ここなので、これ以上でもこれ以下でもなく、単純に今なのだった。あー、若い頃からこういう気分で生きられていたらどんなに楽だったか。そしてどんなにいろんなことにチャレンジできたか。そう気づくのがこの年なのか。
未来なんか設定してもしょうがない……というあきらめに達する昨今、やりたい時がやる時で、やりたくない時がやめる時という、たいへんわかりやすい人生になってきた。終活とか、エンディングノートとか、そういうことやっぱあんまりピンとこない。もっと年をとると「明日死ぬかもしれないからいちおう書き残しておくか」という気になるのかもしれない。まだ、そこまで死ぬ気はないようだ。
うちの父は、末期ガンで余命宣告をされたのに翌日、それを忘れてしまった。亡くなる1週間前になって急に私に「おい、どうやらオレは死ぬらしい……」と真顔で言った。うわー「この人は死ぬ時は自分で決めるんだな」という父に対するリスペクトが芽生えた。こういう死に方ができるってすげーな、って思った。誰がなんと言おうが「オレは死ぬみたいだ……」と自分が感じるまでは生きる姿勢がすばらしい。
特効の生き残り、お国のために死んでこいと言われた父は、他人の言うことは信じるものか!と心に決めたのかもしれない。
晩年の父は、畑仕事と干物作りと酒を飲むしかしなかった。ふと気づけば、自分のやっていることも似たようなもんだ(笑) 笑える。ともあれ、得意なことはたくさんあるので、能力は活用できたら楽しいし幸せだが、仕事にはあまりしたくない。止めたい時に止めたい。金にはならないが、自由だ。今朝はこんなことを書きたくなったので書いた。
熱いお茶がうまい。ピーマンがまた実った。海がきれい。終わりは始まり。間違いは糺す。やれることはやる。思いついたことはやれるように考える。できなくてもくよくよしない。成果は問わない。天気がいいな。生きているな。犬がかわいい。カラスが鳴いた。鈴虫死んだ。
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ざんねんな日本
http://runday.exblog.jp/32781433/
2022-10-11T20:37:00+09:00
2022-10-11T20:37:25+09:00
2022-10-11T20:37:25+09:00
flammableskirt
日々雑感
ざんねんな日本
気持ちを言葉にするのは難しいことだ。それが出来るのが作家だろう!と言われそうだが……気持ちを言葉に出来ないことのほうが圧倒的に多い。最近、わきあがってくる感情は特に複雑怪奇で途方に暮れる。
複雑怪奇な感情を安易に言葉に置き換えると「怒り」になってしまうことが多い。多くの場合「怒り」は感情の蓋みたいなもので、怒りの下に得も言われぬ思いがある。なので、怒りを表してしまうと本当のことを伝えにくい。
「残念だ……」という感覚が頻繁に現れるようになったのだが、この「残念」という言葉も一筋縄ではない。言葉は生き物としてアップデートする。たとえば「ざんねんな生き物」という本が売れているけれど、あの「ざんねん」のニュアンスは、とても今日的だなあと思う。
かつて「残念」は、悔しいという意味に使われることが多かった。たとえば「もう一歩でうまくいったのに、ちくしょー。残念だ!」みたいな……。けれど、このごろなんか違うような気がする。
「ざんねんな生き物」のニュアンスは「いいところもあるんだけど、その良さを相殺してしまうほどの短所を持ち合わせているためになんか本流から外れていて悲哀がある」「もはや全く合理的ではない方向に進化していてお気の毒ですらある」……みたいな感じだと思う。
この「ざんねんな感じ」は、国会とか、政府とかに関する報道、あるいは「国葬」とか「経済対策」とか、そういうニュースを聞くたびにわきあがってくるもやもや……と近い。
「ざんねんな政治」「ざんねんな国葬」「ざんねんなコロナ対策」「ざんねんな経済対策」……。「ざんねんな国民」としての自分。「ざんねんな国、日本」みたいな……、最近のもやもやはこんな感じで、せつない……。
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かけ算とたし算ってどこが違うんだ?
http://runday.exblog.jp/32781426/
2022-10-11T20:32:00+09:00
2022-10-11T20:34:50+09:00
2022-10-11T20:32:26+09:00
flammableskirt
日々雑感
京大の数学者、望月新一さんが数学界の超難問である「abc予想」の証明に成功した……というニュースは知っていたけれど、それがどんなものかなんてもちろん理解できるはずもなし。
2022年4月に放送されたNHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか? abc予想証明をめぐる数奇な物語」、暇ができたので見てみた。面白いが、やっぱぜんぜんわからない。当然だよね。ははは!
番組には当事者の望月新一教授は登場しない。なぜだろう?と望月さんのブログを検索すると、そこに「2022年4月のNHKスペシャルに対する「合格発表」: 前半はぎりぎり合格、後半は不合格」という、番組制作者にとっては厳しい投稿があった。
読んでみると、なるほど確かに望月さんが指摘する通りの誤解を私もしていた。望月さんが懸念している通りの誤解をしていたので、ブログに辿り着いて良かった〜と思った。
やっぱ、NHKの番組の内容が常に史実や事実に乗っ取って正確である、という思い込みはいかんな、と改めて思う。人間のやることだから間違いもある。自分で検証してみることは大事だ。
……とはいえ、こんな数学界の巨星たちでも悲鳴を上げるような難しい「宇宙際タイヒミューラー理論」を(すでに名前からしてちんぷんかんぷん)理解するというのは到底無理な話。そこで二コ生にあった、東工大の加藤文元教授の【MathPower2017】 07_講演「ABC予想と新しい数学」
を見てみた。_
この動画も相当難しかったのだけれど、前半までは加藤教授の説明がとてもわかりやすかったので、なんとかついていけた。最後はやっぱちんぷんかんぶんだった。
この「abc予想」で学んだのは、「かけ算よりもたし算のほうが難しい」という数字の構造?っていうか……数学の考え方?
えー、たし算ってただ足せばいいんじゃん?と私なんか思ってしまうんだけど、数学的にたし算というのはとっても破壊的な構造を持っているそうなんだ。なぜ?って思うよね。
考えたこともなかったけど、たし算とかけ算では「構造」が違う。
1から始まる自然数は、1という数からたし算によってすべてを作ることができちゃう。よって、たし算で数を作ると数はとってものっぺらぼう(無個性)になっちゃう。
ではもし、かけ算しか知らない人がいて、かけ算だけで自然数を復元しようとしたら……。たとえば、かけ算的に考えると12と13はどえらい違いなんだ。12は3×2×2だけど、13は「素数」ってなわけ。かけ算には素数という概念が登場する。素数は無限にあるから、無限の数を知らないといけなくなっちゃう。たし算は1さえあればすべての数を作れる。その分、数に個性が出ない。
それに、かけ算で出た答えには、かけ合わせた数それぞれの遺伝子みたいなんが残るんだけど、たし算は遺伝子が残らないので、答えからの演算が難しい。
で、このかけ算とたし算の間の関係を完璧に理解した人は、まだ数学界に1人もいないってことなんだよ、えーー?こんな単純なことがそんなに難しいんか?びっくりだ。
そんで、数学界の難問はどれもこのたし算とかけ算という異なる構造が混じり合って生まれるっていうわけ。かけ算とたし算は、一緒になっちゃうとものすごく扱いづらい、だけど、それを分けるなんて不可能ってなくらいに考えられていた。
望月新一教授はこの「かけ算」と「たし算」を分離して関連づける「abc予想」を証明した……ってことかな……。「かけ算」と「たし算」の間にはこんな関係があるんだよ、ってことが証明されれば、数学的な難問がみんな解けちゃう……ってなくらいすごい発見だそうだ。
で、望月さんの証明って、細かいことはてんでわかんないんだけど、どうやら「たし算」と「かけ算」を別々の構造世界に置いてみた……。それまで統一場で考えられていたものを分けた……ってことかな。発想の転換。入れ子状の世界を想定して、そこを「対称性」という情報でつないでみた……みたいな感じかなあ。そうすると、誤差が出るんだけど、その誤差の、つまり不均等の範囲を特定した……それが「abc予想」みたいな。
なんっか不思議だよね。同じ数を使いながら、それをかけ算するのかたし算するのかで別世界みたいな話。たったそれだけで、ぜんぜんちゃうのに、実際には渾然と混じり合って使われているって面白いよね。
生きてるとか死んでるなんてのも、あんがいそんな感じなのかもなあ……みたいなこと思った。同じ要素なわけだよね。生きてる時も死んでいる時も。でもきっと微妙に誤差があるんだろうな。その誤差が生死の分け目みたいな(笑)
……とか、わかったふうなこと書いているけど数学的な言語が使えないので、いいかげんなこと言ってるよ。ここら辺の説明はあんまり信じないでね。私、分数計算だって出来ないくらい算数苦手なんで。
数学は「素数」のゼロ点が一直線上に並ぶのか?という命題が、いまや「原子核のエネルギー値の不確定な変動の間隔と関連性がある」ということから、この宇宙の成り立ちを証明するかも?と期待されていたり、最近、数ってトレンドでとっても面白いのだけれど、頭がついていかんなあ……。
トピックを追うだけでも目が回る。でも、なにかが確実に近づいている感じはある。なにかって? うーん。なにかこれまでの認識を完全にひっくり返すようなすごいもの。うん。なんかわくわくするね。小学校の算数はもっと楽しく勉強できたらいいのにな、って思う(あ、もちろん国語も)。
10月は創作を通して自分に向うにはよい季節なので「クリエイティブ・ライティング」を開催します。2ヶ月ぶりの開催です。
10月29日〜30日の土日の午前中です。
https://pekere-co-creative-senter.webnode.jp/
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アルゴリズムに刻む
http://runday.exblog.jp/32778804/
2022-10-09T08:26:00+09:00
2022-10-09T08:26:36+09:00
2022-10-09T08:26:36+09:00
flammableskirt
日々雑感
NHKオンデマンドで「フランケンシュタインの誘惑」というドキュメンタリーシリーズを見ている。理想の人間をつくろうとしたフランケンシュタインが怪物をつくってしまったように、科学技術を誤って使った科学者たちが人類史に遺した負の遺産を特集している。毎日、少しずつしか見れないのだが、昨日は2本を続けて見たらお腹をこわしてしまった。ダメージを受けた。内容は精神医学にロボトミー手術(前頭葉白質切截術)という外科手術を導入したウォルター・フリーマンの物語。高校時代に「カッコーの巣の上で」という映画を観て衝撃だった。初めてロボトミーという治療法があったことを知った。だが、この治療法がかつて精神医療現場で大流行したことは……つまり、ここまで世界中の精神病院に普及していたという自覚も知識もなく……映画を観てから40年以上経って再び衝撃を受け、お腹がピーになってしまった。
ウォルター・フリーマンの祖父は初めて脳腫瘍の摘出手術に成功した脳外科医だった。その祖父を尊敬していたフリーマンは成長して精神科医になり、患者に脳外科手術を試みる。脳を開けて一部を削除するという発想は子どもの頃から祖父を通して培われたものだった。ロボトミー手術は新聞で称賛され一躍有名になったフリーマンはこの手術の正当性を盲信。さまざまな精神病院でこの技術を教え、手術室も麻酔医もいない精神科病院でも施術が可能であるように、電気ショックとアイスピックで行う合理的なロボトミー手術を開発。麻酔なして患者の前頭葉にアイスピックで穴を開けるという、乱暴な手術が行われ、多くの患者の人生を奪った。ケネディ大統領の妹までこの手術を受けていた事実を見れば、どれほどこの「ロボトミー」という治療方法が「精神疾患の治療方法」として当時、大流行していたことがわかった。
前頭葉の前部の神経繊維を切断するという処置はポルトガルの神経学者エガス・モニスによって考案され、モニスはこの研究によってノーベル賞を受賞している。フリーマンはモニスの論文を読み、この手法を世界に広める伝道師になった。特に女性の患者に多く施術された。
人がなぜ精神を、心を病むのか……その原因について20世紀初頭の科学はまったく無力だった。精神を病む人間が増えて精神科病院は満員になるも、その治療方法がわからない。病院は治療せず収容する場所。
19世紀から20世紀にかけて社会システムが大きく変わり、そのプロセスの中で多くの人がストレスを感じ、適応できなくなっていたのかもしれない。心の病は「関係性」に起因するという考えは、この当時はなかった(今もしっかりとあるとは思えないが)。
科学が新しい宗教のように信奉された20世紀に、人々が「人間の前頭葉の神経繊維を切断する」という治療に大喝采を送った事実を知り、この人間のなにか新しいものに熱狂する性質や、科学への盲信は、21世紀の今となってもほとんど変わっていない……と感じ、腸がねじれていくような不可解な感覚を覚え、夜中に何度もトイレとベッドを往復することになった。
「ロボトミー」は当初、重篤な患者に施術されていたが、暴走を続けて思春期の少年や、反抗的な患者を支配するために使われるまでになった。人間の残虐性……というよりも、弱い他者に対して「都合のいい正当化や正義」を通して支配してしまう、そのご都合主義のようなものが、確かに自分にもあることがわかるため、どうしようもなく気分が悪くなってしまうのだ。自家中毒に近い。いま、現在にだって、似たような事はたくさん行われているが、それを行っている人たちにはそれぞれに信念があり、正義や合理化や大勢の幸せのために、仕方のないこととして少数の人々の犠牲を強い、多数決を民主主義と呼んだりもする。そこに自分が加担していないと言いきれない。
自分の信念は常に疑っていなければいけないと思う。それは、どうやって? 人間の自我はとても弱い。なぜチベット密教はあれほど「菩提心」を説き、慈悲の心を養おうとするのか、しかし、その慈悲心だって都合のよい解釈をすることで人を殺すこともできる……。
感じたことを言葉にしていくことが、自分への治療であり、日常的にできる考えの整理、記憶の整理であり、物事を深めていくための手段だ。これを止めたら、立ち止まることができずに流されて、どんどん流されていきそうだから、書き留めている。書くという語源は、甲骨文字にあり、骨に文字をひっかいて刻むことから来ている。ひっかいて、ひっかいて、確かめていく感じ。自分の骨に、刻んでいる、そんな感じ。誰にとっても必要なこと。ここに刻む。かつては自分のノートだったけれど、いまはネットのアルゴリズムに刻む。
無自覚に使っているこのネットワークの情報は、ディープラーニングされ蓄積されている。だとしたら、ここになにを刻むのか、それが未来になにかしら影響を与えるかもしれない。そういう、壮大な社会実験に参加させられているという自覚も、持てないまま。
10月は創作を通して自分に向うにはよい季節なので「クリエイティブ・ライティング」を開催します。2ヶ月ぶりの開催です。
10月29日〜30日の土日の午前中です。
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2022年【10月のクリエイティブ・ライティング講座】
http://runday.exblog.jp/32778389/
2022-10-08T19:19:00+09:00
2022-10-11T19:58:46+09:00
2022-10-08T19:19:39+09:00
flammableskirt
イベントのご案内
【10月のクリエイティブ・ライティング講座】
秋のクリエイティブ・ライティング講座を開催します。オンラインzoomの講座です。ちょっと朝が早いですが、午前中に終了します。講座終了後も10日間、作品提出の時間があります。定員は6名〜8名の少人数で行います。オンライ講座は創作の時間がたっぷりあり、個別の作品ごとへのアドバイスが可能なので何度か講座を受講した方におすすめします。ご自身のテーマにじっくり向き合いたい方はぜひオンラインで受講してみてください。
初めて受講される方のために、自由参加で開講前にガイダンスを行いますので、初心者の方も受講できます。
Saturday and Sunday intensive 2-day course
10月29日/土曜日〜30 日/日曜日
AM8:00〜11:30
(28日夜に初心者の方のための自由参加ガイダンスがあります)
オンラインzoomを使用して行います
講座を受講するほとんどの方が、文章は上手です。ただ「何を書いていいのか」がわからないで困っています。クリエイティブ・ライティング講座は作家田口ランディによる創作文章講座です。この講座では参加者それぞれに「裡なる表現衝動」を体験していただきます。クリエイティブで自由な発想を自分に許すことで「書きたくてたまらない」状態になり、気がつくとスラスラと文章を書いている……そんな状態を実際に体験していただきます。そのためのテーマ探しのお手伝いをします。技術的なことはテーマを見つけてからお伝えしていきます。まずは、自分のテーマを探っていきましょう。テーマが見つかれば自ずと書けます。自由自在に書ける状態を実感していただきます。
詳細とお申し込みはホームページをご覧ください。
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おむすびと祈り
http://runday.exblog.jp/32724727/
2022-09-02T23:41:00+09:00
2022-09-02T23:41:25+09:00
2022-09-02T23:41:25+09:00
flammableskirt
未分類
ふと気がつけば……、信じられないことだけれど今年63歳になる。
うそだ〜!って感じだ。だって、40代の頃って「60過ぎたらおばあさんだなあ」って思っていた。大正生まれだった母が60代の頃ほんとにおばあさんだったからだ。なんかさ、ちりちりのパーマをかけていて、安いヘアダイで髪も痛んでいて、顔もしみだらけだったし……。
母が「歯がガタガタになった」とか「指先がしびれる」とか「心臓がバクバクして眠れない」と訴えていたけれど、若かった私は「大丈夫?」と口ばっかりの同情をして、さっぱり母のしんどさを理解しなかった。というか、出来なかった。想像できなかった。
最近、なにかにつけて「体力がなくなったな」と感じる。そりゃあ、有り余るくらいに体力があった昔に比べたら当然だよ。「飲みすぎると翌朝、指がしびれるなあ」「遅くまで仕事をすると眠れない……」なにより、寝ないと使い物にならない、夜遊びがしんどい。えっ?この私が、12時以降は起きているのが辛いなんて。
真夜中から遊びに行っていたじゃん!いまなんか、夜の繁華街に行きたいとも思わない。家でとっとと寝たい。なるほど、これが年を取るということか!
欲望もずいぶん小さくなった。「物が増えると家が狭くなる」「捨てるのがたいへんだから」「たくさん食べると胃がもたれる」「家で食べるごはんが一番落ち着く」「旅行に行くのもめんどくさい」「バーベキューなんか一生分やったからもういい」って思う。
家に居る時間がないほど仕事で旅をしたから、できれば地元でのんびりしたいと思うに至る。その分、家仕事が好きになった。野菜栽培、洋裁、ペンキ塗、家の模様替えや、ご近所とのささやかなつきあい……。かつて外向きで仕事をしていた時はできなかったことばかりだ。
人生っていうのは「やらなかったことをやる」ように出来ているのかな。それが人生のバランスってものなのか。
私の誕生日は10月3日で、偶然だけれど佐藤初女さんと同じ日だ。誕生日が同じと知った時、初女さんは「あらまあ!」と、とっても喜んでくれた。私もなにか不思議なご縁を感じた。初女さんと出会った頃、つまり私の人生で一番忙しかった頃、1週間のほとんどが外食だったし、月の半分以上が旅だった。家にいる時は閉じこもってひたすら原稿を書いていた。
そういう自分が60を過ぎてから、野菜を育てたり、服を縫ったり、そんな生活をするようになるとは驚きだ。初女さんもびっくりしているだろうな。
初女さんは70歳の時に「森のイスキア」を建てて、孤独な人や悩みを抱えた人と共に在る場をつくった。40代だった私は「70歳でイスキアを始めるなんてすごいなあ」と思った。あれから20年が過ぎたいま、40代だった時以上に「70歳でイスキアを始めるなんて本当にすごい」と思う。
いつでも誰かの電話に出れるとか、いつでも誰かのために台所に立って料理をつくれるとか、それって、自分の疲れとか、だるさとか、眠さとか、そういう身体のしんどさを脇に置くってことだから。初女さんはいつだって、疲れもしんどさも、微塵も顔に出したことがなかった。言葉に出したこともなかった。
私はよく初女さんに聞いた。「初女さんだって、疲れたり、苦しかったりすることがあるでしょう? もう人の話を聞くのなんかうんざりだって思ったりすることもあるでしょう?」
今、考えたら失礼なことをよく言ったものだ。そういう時、初女さんは(さあて、どうだったかしら?)みたいな顔をして、答えない。
「わたしは、めんどくさいと思うことがきらいなんです」と、よくおっしゃった。
「めんどくさいことがきらい」ではなく「めんどくさいと思うことがきらい」この違いを、あまり考えたことがなかったけれど、ぜんぜん違うよね。めんどくさいって思う気持ちには、覚悟がない。
世の中に、めんどくさいことは山ほどある。だけど、めんどくさいことに向き合うときに「めんどくせ〜」と思ってしまう心は、なんかやさぐれているなって、感じる。いやなら止めればいいのであって、やると決めたらしっかりとやるしかないのだ。
ねえ、初女さん。人生には限りがあるよね。人は永遠に生きられるわけじゃない。初女さんが70歳で「森のイスキア」を始めた時、きっといつかそれが終わる日が来ることは予感していたと思うんだ。
限りある日々を生きているのに「めんどくせー」なんて、だらだらするようなやさぐれた時間を過ごしたくないって、私も思うようになりました。休みたいなら休む、やるならやる。めんどくさいと思う気持ちはどっちつかずだもの。そんな気持ちで時間を、たいせつな限りあるこの人生を、過ごしたくないって、思うようになった。
初女さんにとっては、ほんとうに大事な1分1秒だったんだろうなって、その時間を共に過ごしてくれていたんだなって思うようになった。
どんな気持ちでこの瞬間瞬間を、このささやかだけれど大事な時間を生きたらいいのか……そう考えたら、祈りって言葉が立ち上がってきた。
誰にとっても平等に大切な時間がいまここに現れて消えていく。その真実のなかに無言に立ち上がって来るものが、祈り……。でも、もしかして70歳まで生きたら違うものが見えるのかもしれない。
初女さんが見ていたものを、私もいつか見れるかな。
初女さんが感じていたことを、少しでも伝えることができるかな。
できるといいな。
おむすびと祈り。毎年初女さんの誕生日に開催しています。
詳細はこちらからどうぞ。
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原発再稼働・現場で起きていること
http://runday.exblog.jp/32716664/
2022-08-25T09:38:00+09:00
2022-08-25T10:05:05+09:00
2022-08-25T09:38:22+09:00
flammableskirt
未分類
経産省が電力需給のひっ迫を理由に原発をさらに9基再稼働すると発表した。エネルギー自給率を上げるためだ。
ウクライナにおける戦争の長期化によって原油価格の高騰から、私の町にたった一つだけあった私営のプール施設が閉業になった。
そういうことは日本全国で起きているのだと思う。
電力料金はずっと値上がりしている。電力会社からの節電の訴えは頻繁にツイートされる。資源の乏しい日本においてエネルギー不足は深刻だ。日本が原発を国の政策として導入した時も「無限のエネルギーを手に入れる」という、夢のようなプロパガンダをアメリカから押し付けられて、世論が一気に原発に向いた。信じられないことだけれど、当時は手塚治虫だって、大江健三郎だって原発万歳と原発の建設を歓迎していた。そういう時代だったとしか言いようがない。
エネルギー資源を持たない国は実に苦労する。資源のない日本が原発に賭けた夢を私は理解できなくはない。よく「なんで放射性廃棄物が出ることがわかっていて原発を作ったのか?」と質問されるが、「当時は、将来は科学が進歩して無害化する方法が発明されるだろうと楽観的に考えていた」と正直に言うと呆れられる。実際、その通りなのだ。いつか誰かがそういう発明をするだろうから……という、そんな感じ。そして原発は作られた。ほんとうだよ。それくらい思考停止させられていた。
さて、3.11の津波と地震をきっかけに大規模な原発事故が発生し、日本は広域に放射能汚染され、いまも福島第一原発の炉の内部で何が起きているかの調査もままならない。事故によって日本は脱原発に舵を切るかと思われたが、実際には多くの国民は「エネルギーは経済にとって必要である」というジャッジを下し、その方針を打ち出していた自民党政権によって民主的に原発は維持された。選挙で選ばれた国会議員の多くが自民党だったのだから、これは国民の決断だ。(脱原発を公約に掲げる政党は少なかった。自民党だけではなく国会議員全体において原発問題の見通しが甘いけれど、政府は民意の鏡だとすれば私たちが甘いのだろう)
しかしながら「原発は危険である」という認識はこの国に住む誰もが持っており、世界一厳しい安全基準が設けられた。福島第一原発以降、多くの原発は止まっていた。十年以上使用されていなかった。
原子力発電というものが存在すること事態、とても危険なことだ。それが十年以上、たいしたテロ対策もされずに停止されたままでいたことは驚きだ。この間に電力会社内部で起きたことは何か? 原子力に関わる人材の減少だ。単なる金食い虫となった原子力を維持するのに企業が人件費をかけるわけにいかない。早い話、この十年、原子力は「寝たきり状態」。原子力技術者は「寝たきり」の原子力の介護をしていた。生産性はゼロ。多くの現場経験者が退職し、異動し、離職した者も多い。
原子力に進む人材も減った。今や原子力は職場としては超3Kで、あまり先も期待できない。そこにもってきて会社のお荷物的な部署だし社会の風当たりも強い。そんな職場に進みたい若者はそうそう多くはないだろう。また中堅の社員は、もっと忙しい現場へと異動になり、原発現場の人材がどんどん手薄になっているのが現在の原子力の現状だ。
これは原子力技術者から直接聞いたのだが「長期間使っていなかった原発には水の中に藻が生じたりもしており、とてもすぐに使える状態ではない」とのこと。それも察しはつく。検査や点検には人材が必要だが経験豊富な人材はすでに現場を去り、いきなり人員を配置してもすぐには使えない。また原発も年代によって構造や計器が異なり、それぞれに特徴があるため経験者でも初めての原発を作動させるまでにはかなりの時間がかかるという。
こういう現場の状況を理解して9基の再稼働を真剣に考えているのか?いやこの現場の声はきっと届いていないに違いないと私は思う。再稼働するなら、まず現場の疲弊した状況を国が調査するべきだ。電力会社の旧態然とした体質はそう簡単に変わるものではない。相変わらずのトップダウン企業だ。上が指示して下にムリをさせるのがあたりまえと思っている。それは最近起きた電力会社の不祥事の数々を見れば明らかだ。
問題は現場なのだ。現場の声が企業にも国にも届いていない。それは福島第一原発事故の頃とあまり変わっていない。もし再稼働が命令されたら、現場には技術者がかき集められるだろう。ノルマや目標を与えられ昼夜働くことになるだろう。経験者は少なく、原発を稼働させたこともない若手社員が任務に当たるかもしれない。十年以上、眠っていた巨神兵を動かすような、そういう危険な作業になるのでは……と、危惧している。
2011年の事故以降、政府は何をやってきたのだろうか。なぜ代替エネルギーの研究開発に国をあげて投資してこなかったのか。原油が上がることはわかっていたし、放射性廃棄物から燃料をリサイクルするプルサーマル計画が頓挫したこともわかっていた(ちなみに「もんじゅ」のトラブルもほとんどがヒューマンエラー)。十年あればもう少しなにか手を打てたはずだ。もし原発を稼働する気なら、失われていく原発技術者の育成をし続けるように電力会社に指導することもできたはずだ。使わずにほったらかしておけば、人材は枯渇し、現場が疲弊することは誰でも予想できる。
原発再稼働……この現実を受けて、現場にいる技術者がどんな気持ちでいるのか。寝たきりだった原発を検査点検し、動かすまでのことを誰がするのか。人材が減った現実を政府は理解して電力会社に指導しているのか。
原発事故の多くがヒューマンエラーなのだ。結局は人災なのだ。だから人を育てること、職場環境、十分な休養や、仕事へのモチベーションが必要だ。それが、今現在の原子力の現場に、十分にあると思えない。どうしても再稼働するというなら、現場の職場環境を整えてからでなければ安全とは言えない。
働く人たちの肩に、この国の安全がかかっている。でも、今の状況では技術者が誇りをもって働けるとは思えない。再稼働の賛成とか反対とか、そういう議論以前に、国の考えが浅すぎてやっていることが無謀だと思う。
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